ニーチェヘの手紙 6~あとがき byマサコ |
ニーチェヘの手紙6 2000年4月23日
ニーチェ様
3年経ちました。
あなたへの手紙を人に読んでいただくと、「難しくて分かりにくいから書き直すといい」と言われました。
最近の情報をお伝えします。世界一高い山、チョモランマの頂上近くは、かつては海の底といわれていましたが、波打ち際との新説が出ました。浅瀬にいて人生を犬掻きで済ますことのできる人間をうらやましく思うので。山と海になぞらえる「最高最深」説はくつがえされました。
街で美味しいコーヒーを出す喫茶店で読んだ週刊誌のエッセイ。
ナチスに利用されたニーチェとユダヤ人差別とは反対の生き方をしたことを示す草稿の紹介。思いもかけない場所で会えると嬉しい。
さて、三角と丸について。
レジェ&マーフィーのフランスのアヴァンギャルドシネマ「パレ工・メカニック」(1924年製作)の中で(ジョージ・アンタイルの曲が素敵)真丸の中の三角形が逆になったり、
元に戻るシーンがくり返されるところがあります。
三角形の角があの丸い円に繋がっているから
アニメ(映像)ならこの表現で充分。
(注 ここにも図が入ります)
「ツァラトゥストラ」の分身たちは、素敵な人たち。
柳澤桂子さんは、奇跡的に回復なさって「ふたたびの生」という本を出版されました。イエス・キリストが肉体を伴う復活をなさったよう。
川田龍平さんは、ますます青年イエス。ニーチェは、キリスト教や聖職者が嫌いで、イエスが気に入らなかったのではない。
この世に3年、生きると色々足していかれます。
「これが生か。よしもう1度」は永劫回帰の根幹。
愛と感謝を込めながら、「生きることはすばらしい」と、そう思います。
ニーチェヘの手紙7 2000年6月14日
日本には梅雨というものがありまして、梅雨の晴れ間がのぞいています。湿気に鋭敏なあなた様ならば、梅雨にどう身を置かれたことでしょう。
今年はニーチェの没後100年で、あなたのことがどれだけ話題になるか、楽しみにしていましたのに、私の知る範囲では今の所、梨のつぶてです。
没後100年のオスカー・ワイルドの特集を組んだムック本は出版されました。シンポジウムもあるそうです。
生誕100年のサンテグジュペリ(新聞に「夜間飛行」についての解説が載り、文中にニーチェの名が出ました)、作曲家ジョージ・アンタイルとE・フロムは話題になっています。
本屋さんにこの1年の出版物のコンビューター検索をお願いしました。その結果は?
ニーチェは、話題になるようでならない人です。
そんな訳で、指揮者ゲオルク・ショルティの自伝でショルティが引用しているニーチェのビゼーのオペラ「カルメン」についての言葉を読んで、誰かの心の中にニーチェが住んでいるのを喜ぶ、これは心理学では、なんと言うのかな。
「音楽を地中海化せよ」とはグールドと反対のコンセプトですね。
この件については1991年に出版された「グールド大研究」の中に篠原資明氏の「北を語るな」の興味深い文章があります。
あなたとショルティは「カルメン」のファンですが、グールドの好きなオペラは「ヘンゼルとグレーテル」。
20世紀末になりシャーマニズムに光が射してきました。
「グリーンマイル」と「シックスセンス」という映画が製作され、主人公たちが私に酷似しているので、自分の説明は必要がなくなりました。
ある研究家がグールドの55年盤ゴルトベルクについて密度が高くて読みやすい文章を発表しています。グールドがゴルトベルクの内容について読み取ったものに自分の視点を加えて、あなたが「ツァラトゥストラ」で語りたかった事の一部を。
「結局のところ、ここにうかがえるのは完結性への憧れと、ある種の超越願望である。グールドは始原と終末のある直線的な時間論や因果論を乗り越え、永遠性を獲得する営みを<ゴルトベルク変奏曲>に読み取ろうとしたようだ。実際彼は解説の前の方で、<ゴルトベルク>の「円環」を、「不滅性の表現」であり、作品は「本質的に霊的なもの」とまで語っている」
いずれにせよ、ニーチェ、グールド、シャーマニズム、ゴルトベルクは私の人生の根幹をなすもので、それゆえ私はあなたを愛し続けることでしょう。
それにしても50年生きているのに、「原真砂子に恋をしたから、難解なツァラトゥストラが数時間で読めた」との報告がないのは淋しい。
私は、もてないことにおいてもニーチェに似ている。
ニーチェヘの手紙8 2000年6月20日
ストケシアの青混じりの淡いフジ色が涼風を呼んでいます。
シナモンバジルのたおやかな香りが初夏の強烈な腸光をやわらげてくれます。
この15日に出版された解説書を求めましたが、「快速リーディング ニーチェが速く面白くわかる新発想によるスーパーレクチャー」と帯にあって、「コンピュター検索でニーチェがわかります」みたいね。
「90分でわかるニーチェ」の「永遠が見える華麗で刺激的」の方がキャッチコピーになっているかも。訳者は後書きで「ニーチェと対決していただきたい」と。
「対決」とは何でしよう?
住井すゑさんがTVのグルメ紀行に出演する人が、料理を前に「挑戦します」といって食事を始めたことをあきれていらしたけれど、ニーチェは読者と対決したくて書いたのではない。死後100年、あなたのことがわからないのは「文化人として恥」と思っているのかな?
今までに読んだ短いエッセイの中では「いとうせいこう」のものが一番よかったです。絶妙なバランスのニーチェ論。それと児童文学者のジョナサン・コットの「グールドの演奏はニーチェの芸術のコンセプトのままだった」が嬉しい。
気に入っているセイロン産ヌワラエリア高地の紅茶(紅茶のシャンパンといわれている)のようなニーチェに関するエッセイをいつか読みたい。
ニーチェへの手紙9 2001年1月3日
新世紀、明けましておめでとうございます。
去年の終り頃、ようやく雑誌の特集1つとムック本が出版されています。
さっきまで、FM放送の「ニーチェとその時代」を聴いていました。
司会は、去年の12月19日にお亡くなりになった如月小春さん。
落ち着いた明るい月夜の雰囲気を漂わせる女性が、
その肉体を見ることのない国へ旅立たれて淋しいです。
出席者の阿刀田高さんには「ニーチェについて書いて下さい」と便りを出すつもりでいたのです。
もう1人の出席者、三島憲一さんから、プロテスタントの牧師家庭に育ったニーチェと家族の苦しみ、ニーチェが日本に引っ越したかったお話を伺いました。
如月小春さんの「ニーチェは芸術の持つ力をよくわかっていた」
とのまとめはさすがだと思いました。
如月小春さんがニーチェファンに遺した言葉はニーチェの核心をついています。
番組では、あなたの作曲作品がかなり紹介されていました。
いつも思うけれど、もう1つ出来の悪い物ばかりです。
ニーチェの分身グールドは文章家ですが、
「何度読んでもさっぱりわからん。頭が痛くなる」
「文字にしてあるのを読むのは辛いものがある」
といわれております。
私の中では、ニーチェ&グールドは、繋がっています。
どう表現するかが、21世紀の課題ですが、そのための努力はしないつもりです。
お正月は1人で過ごしています。家族と一緒だと煩わしいから。
16才の冬に、苦しみの中にツァラトゥストラがアリアと共にやって来た1週間を思い出します。
バッハのスペシャリスト、チュレックは、バッハを弾いている時に失神したことがあるそうです。
柳澤桂子さんは極限で神秘体験を、草木染めの志村ふくみさんも「ある時、不思議な体験をした」と草木の精の世界に転がり落ちたことを書いています。
プラトンが日の出を見に行ったことを、カーライルはプラトンの「幻想」といっているけれど、プラトンにとっては「現実」だったはず。
プラトン以外は女性ばかりなので気が引けるのですが、女性は男性より神秘体験をしやすいということなので、私の体験も痛みのために頭がおかしくなったのではなくて、実際にあったこと。
世の中の人が、こういう体験に恵まれますように....。
21世紀にシャーマニスティックな作品である「ツァラトゥストラ」が、どんな読まれ方をして行くのか? シャーマニズムの世界的潮流は、時代が私を追い越していく。
人の数程に違った読みをするのが「ツァラトゥストラ」の求めている内容への理解かしら? 幸せとは主観的なもの、だからツァラトゥストラは幸せになるために直感で読めばいい。
内容に感じた色で魂を染めたと感想を送ります。
「植物から色が抽出され、媒染されるのも人間が様々の事象に出会い、苦しみを受け、自身の色に染めあげられていくのも、根源は1つであり、光の旅ではないだろうか」 志村ふくみ
ニーチェとのつながりは光の旅にツァラトゥストラが道連れになったこと。
4年になるこの便り。今夏には、見知らぬ人々に読んでいただきましょう。
あとがき 2001年5月5日
シャーマニズムは、宗教・哲学・芸術を含む世界です。
ニーチェは生前、数少ない読者から感想が来ると、喜びのあまり手書きをして、知人友人に送っていたそうです。
果たして、ニーチェは同じことをするでしようか? ニーチェにとっては「まるでわからない」手紙になっているのかもしれません。
萩原朔太郎によれば「ニーチェという人は常に読者に宿題を残す人。直観で読む人が感情する」とのこと。
私は宿命的にシャーマンを生きてきました。
ひどい痛みに襲われるニーチェは、哲学シャーマンといえましょう。
上橋菜穂子著「精霊の守り人」は、国家・権力・人民・シャーマニズムを、知性と普遍性で織り上げた名著です。文化人類学者の多彩な文化考察が実を結び、「ツァラトゥストラ」よりは、わかりやすいです。
その他参考としてヒマラヤのブルーポピーの写真集と志村ふくみさんの「色を奏でる」をご覧いただけると幸いに存じます。
少数の人から、心の中に住むニーチェのスケッチが届くことを願いつつ「晩年」に入っている私の人生を楽しんでいきたいです。
白とピンクのミズキの花が満開の町にて
*本文中のツァラトゥストラの引用は
中央公論社「世界の名著ニーチェ」手塚富雄訳
*<参考図害>
・「ブルーポピー」
藤田弘基 写真集 茂市久美子 文
フォトルピナス講談社
・「色を奏でる」
志村ふくみ 著 井上隆雄 写真 ちくま文庫
・「だれにでもわかるニーチェ」
西口徹 編集 KAWADE夢ムック 河出書房新社
・「ツァラトゥストラはこう言った」(上下)
氷上英廣 訳 岩波文庫
・「精霊の守り人」「闇の守り人」「夢の守り人」「虚空の旅人」
上橋菜穂子 著 偕成社
・「シャーマニズムの文化学」
岡部隆志・斉藤英喜・津田博幸・武田比呂男著 森話社
・「ニーチェ その思考の伝記」
リュディガー ザフランスキー著 山本尤訳 法政大学出版局・「エクスタシーの人類学」
L.M.ルイス 著 手沼孝之 訳 法政大学出版局
・「悦ばしき知識」
ニーチェ 著 信太正三 訳 ちくま学芸文庫
・「ヨーロッパの仏陀」
新田章 著 理想社
・「空と夢」
ガストン バシュラール 著 宇佐美英治 訳 法政大学出版 局
・「共感覚者の驚くべき日常」
リチャード・E・シトーウィック 著 山下篤子 訳 草思社
・「ツァンポー峡谷の謎」
F.キングドン-ウォード 著 金子民雄 訳 岩波文庫
参考CD
・Bidu Sayao ビデュ・サヤン
オペラアリア集とブラジル民謡 MHK62335
オペラアリア集 MHK63221 ソニークラシカル
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コメントを3つもいただき感激しています。
先ほども「8月25日はニーチェの命日なのに、なんと寂しいことだろう」
と思っていました。
17歳の時にツァラトゥストラに触れて以来、ずっとニイチェのことを話したくて、話し相手を探していましたけど、なかなか夢が叶えられなかったです。
こうして今、ここにコメントをいただいて嬉しいです。
今もずっとニイチェ。そしてツァラトゥストラです。
ヤスパースにも少し触れましたが、哲学的な意味ではありません。
私の琴線に触れたのは、彼の母親が私の母親に似ていたことです。
そこに安心感と親近感が生まれました。 マサコ
しかし、この1週間,ウキウキした気持ちでいました。あなたのような方が存在することがうれしかったのです。
私の訳のわかぬところに警戒をされても仕方ないだろうと思いつつも,きっとあなたならわかる!と半ば信じていました。
何がか、というと、ニーチェのロマンです。そして私の狂気のような憧れ。
コメントに返信していただいてとてもうれしいです。
ニーチェさんとツァラトゥストラのことを尊敬と憧れと共感と熱情をもって語り合える人がいたのだー!と今確信しました。
絶対そういう人がこの世にいるはずだと,諦めなくてよかったと思っています。ほとんど諦めていましたけど。
難しく話す方はいるでしょう。理論的に解説書のように。哲学は一般人にわからないようにわざと難しくしなければならないのかもしれません。私の頭がついていかないだけかもしれませんが(笑)
しかし、大学教授も研究者も,本当にツァラトゥストラが何を言いたかったかわかっているのでしょうか?わかっていたらもっともっと驚愕すると思うんですけど。彼らには本当の核心の部分はわかっていないんじゃないかと,不埒にも思っています(笑)
ヘルマンヘッセさんはツァラトゥストラをほぼ完全にわかっていたと思います。私の勘ですが!
ニーチェなしではヘッセはあり得なかったかもしれません。その部分でトーマス マンとヘッセは理解し合えたのだと思います。彼らはニーチェチルドレンだと言ってもいいと思います。私の勘ですが(笑)
そう、ツァラトゥストラを読むには勘が良くないとダメだと思うんです。難しいメタファーの連続,いきなりジャンプする文脈。ニーチェは大声で命題を叫びながらも、どんなミステリーよりもミステリアスに、解き難いようにその真理をこの本に秘めました。簡単にわかってもらっては困るのです。それはとても大事なものだから。超人と永劫回帰の意味を本当にわかった人が何人いるでしょう?
真砂子さんはわかったんですね、きっと。私はそう思います。
私はまだ解き明かしている最中で、まだあまり言葉にはできません。
諦めかけていたけど,お話できてうれしいです。
今は夜中の1時半、また来させてください。ありがとうございました。