尹貞玉さんとのおしゃべりーハルモニ・ディケンズそして死後の世界 byマサコ |
1998年11月4日六甲学生センターでのインタビュー(ペーパー版「海峡」1999年4月号より)
ハルモニとは「おばあさん」という普通名詞ですが、以下の会話では元従軍慰安婦のことをさしています。
住まい
マサコ:ハルモニ達について教えてください。今は何人いらっしゃいますか? 現在韓国国内でどのような援助を受けていらっしゃるのでしょうか?
尹貞玉(ユン ジョンオク):1991年から被害者の登録を受け始めた時は180人位でした。その後亡くなった人もいて今は137人位です。
前大統領キムヨンサムの時に私たちがまず要求したことは、ハルモニ達の住まいのことです。12坪から16坪までのアパートを永久賃貸すること、経済的に余裕の無い人達に何十年でも貸せるようにする制度ですね。
ハルモニ達は、望めば誰でもここに入れます。それで家族のいる人とか、「ナヌムの家」というところがあって(仏教が経営しています)、そこにもいつでも入れます。だからこれは個人の選択によります。入ることも出来るし、入らないことも出来るし…
マサコ:自由意志ですね。
尹貞玉:そう。だから住まいの問題は解決しました。
生活費・キムチ
それから生活費は中央政府から月に50万ウォンと地方自治体から10万ウォン以上支給します。IMF以後、地方によって政策が変わった所があるかも知りません。全員が生活保護の対象者としてもらっています。
それに加えて韓国では陰暦のお正月とお盆、5月の父母の日そしてクリスマスはとても大きく御祝いをします。こんな日にはお祝いとしてお金とかプレゼントが出ます。秋には冬中食べるキムチを地方政府の婦女課あるいは女性課がいつもお世話をしています。
マサコ:キムチは1年分くらいあるのですか?
尹貞玉:1年分ではなくて冬中食べることが出来るようにです。私たちはキムジャンと言って、11月頃キムチを漬けます。大量に作って冬中食べるように用意します。
医療
そして大事なことは「現代グループ」という大きな企業があって、そこで経営している中央医療院ではハルモニ達に無料治療カードを渡しています。
マサコ:それは中央だけですか?
尹貞玉:ウルサンなど3ヶ所にあります。そこでは診察から治療、入院と医療は全部無料です。
トラブル
ただハルモニが一人でお暮らしの時は問題がありませんが、養子とか、兄弟がいた場合には問題が出てきます。それも、大体の場合不思議にも、女性ではなく男性がいると問題になります。
マサコ:それはどうしてですか?
尹貞玉:回りにいる男性達はハルモニの苦痛を思いやるよりは被害者を利用する傾向があるのではないかと思われます。それで国民基金を貰えということになる。それからハルモニ達のお金も自分達が横取りしたりします。銀行に正確に入りますが、ハルモニ達はよく判りませんからね。銀行のお金の事をどうすればいいか、自分で出来ないハルモニも随分いますから。
生活費(続き)
マサコ:話が前後しますが、中央政府と地方自治体が出すお金は、韓国ではどの位のお金になるのでしょうか? 1人暮らしの場合どの位あれば生活できますか?
尹貞玉:この位あれば基本的生活は出来ると思います。それに今韓国はIMFの統治の下でしょう。韓国にはドルがないのです。企業とか学校とか団体では、新しく雇用しないばかりでなく、雇用していた人を解雇しています。とても不況です。
マサコ:その不況の中でこれだけのことをしているのですね。
尹貞玉:大学の卒業生が就職が出来ないそういう状況の中で、本当に有難いことなのです。
マサコ:これからも援助を申請する方が増えるでしょうか?
尹貞玉:韓国ではもう増えないでしょう。でも、外国からは出てきますね。カンボジアから出てきましたし、中国から2、3人が出てきました。
マサコ:この方達は韓国政府がしたような対応は受けられないですよね。
尹貞玉:いいえ。カンボジアから出てきた人は韓国に来ましたし、国籍もその他全部もらいました。
マサコ:もとは韓国の方だったのですね。
挺対協の募金活動
尹貞玉:これに加えて、挺身隊対策協議会(挺対協)では3度募金をして渡しました。
3度目は1998年5月に政府が59億ウォンの予算を通し、ひとり当たり3150万ウォン渡してくれましたし、私たちも市民募金をして1人当たり410万ウォン位を渡しました。
マサコ:挺対協のこの様な活動はいつから形になったのですか?
尹貞玉:第1回目の募金は、1992年に始めて1993年にお金をハルモニに渡しました。第2回は市民連帯募金として1996年に始めて97年に渡し、また第3回として1997年に始めて1998年にも渡しました。
マサコ:先生のお話では「もめ事が起こるからとにかく日本人は個人的にハルモニにお金を渡したりしないで、日本に戦争記念館を建てるなり、別な支援の方法でぜひやって欲しい」ということでしたけれども、これは日本人の活動家が韓国に行って直接ハルモニに何かを渡したり送ったりしたことが問題になったのですね。
尹貞玉:はい。純粋な動機だということは判りますけれども、そうするとハルモニにとっては、日本人と個人的に会うとお金がもらえるということになり、それで日本人に会うとお金を期待するというようなことになるのです。
マサコ:要求の気持ちが出てくるようになるのでしょうか。
尹貞玉:ええ、だから私たちはハルモニ達、被害者にそれはよくないと思ったのです。
見舞金
私たちが1992年に募金し始めたのは、日本から「見舞金」という言葉が出てきたからです。加害者が「見舞」するというのはおかしい。見舞は私たちがするから日本は「謝罪と賠償」をやれということで抗議をしましたら、名称が「慰労金」になりました。それで「慰労金は私たちが集める」ということで募金を始めました。
その頃から日本の方が純粋な動機でお金を渡し始めましたが、私たちは「個人的には渡さないで下さい」とお願いを始めたのです。でもそれはその時からずっと続いています。ハルモニ達はお金が欲しいかもしれないけれど、そういう形でお金がハルモニ達に渡るということは、それでは本当の解決にならない。本当にハルモニ達に関心があるのならハルモニ達にお金を渡すその心で日本政府に向かって謝罪と賠償をするように日本で運動してくださいと私たちは言っているのです。でもそれよりお金を渡す方が簡単でしょう。
マサコ:まあ運動家がお金を出したり、募金をして集める事が出来れば手っ取り早いと思いますが‥‥
女性のためのアジア平和国民基金
尹貞玉:ええ‥‥ それがずっと続きました。その結果、1995年から「女性のためのアジア平和国民基金」が出来ました。この国民基金についての挺対協の考えは「それは謝罪と賠償でない」ということです。しかし日本人の中にはこのお金をハルモニに受け取らせようと働きかける人がいましたし、受け取ったハルモニもおられます。
マサコ:国民基金を受け取ったハルモニは何人で、いつ受け取られましたか。
尹貞玉:7人です。7人全員が極秘の内に97年1月にお金を受け取られました。
マサコ:7人とは少ないですね。私としては国民基金を受け取られたハルモニ達のお気持ちがわからないでもないのですが。7人のハルモニは韓国国内での募金を支給されなかったのですか?
尹貞玉:第1回目は1993年に支給しましたが、第2回・第3回は募金した趣旨が国民基金からのお金を受け取らないことが前提ですので、支給しませんでした。
マサコ:それはごもっともです。すべて募金は、目的以外のことには使うことができませんものね。韓国はオランダ同様、反日感情が強いと伺っています。だからこそ、たくさんお金が集まったのでしょう。
その後、7人のハルモニを挺対協から除名して「もう面倒を見ない」とおっしゃたのですか?
尹貞玉:いいえ。なんの差別もしていません、行事がある時は必ず招待しています。政府と地方自治体の生活補助金も相変わらず支給されています。
日本では1993年頃から挺対協に対する非難が出ていて、先だっても1999年2月号の「諸君」に掲載された記事については訴訟をすることも考えました。
マサコ:尹先生が厳しく問題を提起しているので、挺対協をおろされたとか伺っていますが。現在の挺対協でのポジションは何ですか。
尹貞玉:私は今でも挺対協の3人の共同代表の1人です。
ハルモニの思い
マサコ:亡くなったハルモニのお葬式には行かれましたか?
尹貞玉:私が参列したのは3人です。
マサコ:昨年のお盆の頃にTVでカンドッキョンさんのドキュメンタリーがありました。最後の最後まで病院で遺言をおっしゃっていましたね。
尹貞玉:遺言してベッドの回りに立っている若者達に「自分の願いを果たしてくれ」って頼み、若者達も約束をしました。
マサコ:先生からのお便りで、「慰安婦のことを始めた頃には思いもかけなかった金銭をめぐる問題にもなってしまった。私の場合は生きれば生きる程、世の中が分からなくなる」と書いておれらましたが‥‥
尹貞玉:そうでしたか。今は少し目が開いてきました。
ディケンズとエリオット
マサコ:お話は変わりまして、先生のご専門の英文学のお話を聞かせて下さいませんか。
日本では「宮部みゆき」という38才の作家がいまして、私は今夢中です。宮部はニーチェの超人思想と永劫回帰をハイネのような言葉で語り、チャールズ・ディケンズとも似ている気がします。チャールズ・ディケンズについてどのように評価しておられますか?
尹貞玉:ディケンズは人間個人の運命が社会の制度で左右されるということを小説で書き始めた人なのです。人間が右にいく事も出来るし、左にいく事も出来る。それが社会の制度で左右されるということです。
マサコ:要するに人間の自由が社会の制度で左右される ?
尹貞玉:いえ、自由というより「運命」と言ったほうがいいでしょう。
マサコ:お薦めの作品を教えてください。
尹貞玉:「David Copperfield(ディヴィッド・カッパーフィールド)」というのがイギリス人が愛する小説の中の1つです。作品としてはこれよりももっと立派なものがありますが、何度も映画化されてイギリス人が愛する小説です。
私が好きな小説は「Great Expectations(大いなる遺産)」というものです。
これは Pip (ピップ) という主人公が物質的な遺産が貰えるのに自分が断り、沢山のことを習う。精神的な遺産を獲得し、精神的な愛が何か分かるようになるという解釈が出来る小説です。ディケンズにとっては稀な、ちゃんとしたきちんとした構造を持った小説です。
マサコ:彼の他の小説はそれほどの構築力とか構成がないですか?
尹貞玉:ディケンズは、ジョージ・エリオットやヘンリー・ジェイムズみたいなちゃんとした形の整ったプロット(筋、構想)はあまり持っていないのです。好きな時にはダァーっと語る言葉が楽しくて話しているみたいに、そんな横道にずっと入ってしまうのに、それが無くて、ちゃんとしたプロットを持っているのが「Great Expectations(大いなる遺産)」なのです。
マサコ:それが大きな特徴なのですね。
尹貞玉:ええ。それに主人公が精神的にとても高い次元の経験を話しているとも言えます。
ジョージ・エリオットもいい作家です。女性の問題なども出てきますね。
代表的なのものは「 Middle March (ミドゥル マーチ)」、お読みになりましたか?
マサコ:いいえ。
尹貞玉:とても長くてね。ジョージ・エリオットは。ディケンズはシェイクスピアと同じスタイルといいましょうか。シェイクスピアのようにイギリスの伝統を継承するといえる人なのです。シェイクスピアのように語彙が多い人なのです。
ディケンズがイギリス的な作家だと言えるのは、シェイクスピアと同じように語彙が多いし、シェイクスピアにはユーモアのセンスがあるでしょう。ディケンズがそうなんです。
ジョージ・エリオットは違います。自分が何を言おうとしているか読者が分からないかも知れないから、「私が言おうとしていることはこれです」というようにくどい。それで一般の読者には読みにくいのです。
マサコ:ジョージ・エリオットは内容も文体も堅いのですね。
尹貞玉:堅いですね、ちょっと。一般人が読むのにはちょっと難しいかもしれません。チャールズ・ディケンズは面白いです。それもシェークスピアに似ていますね。年令や学識に関係なく子供もお年寄りも、博士号所持者も義務 教育しか受けていない人も、自分の程度で読めるものです。その点もシェ ークスピアと同じ。けれどもジョージ・エリオットは一般には「Middle March(ミドゥル マーチ)」なんかは読めませんね。「Mill on the Floss(フロス河畔の水車場)」というタイトルです。一般は読みにくいと思います。
マサコ:ジョージ・エリオットは一般受けはしない。大衆的な、娯楽的なところがないのですね。
尹貞玉:そうです。ただ、 「 Silas Marner(サイラス・マーナー)」は比較的短いし、だいぶ読まれていると思います。
韓国人気質
マサコ:国民性の比較をすれば、韓国の方は昔から大陸的でおっとりなさっていたのでしょうね。日本のせせこましい気持ちに比べて。
尹貞玉:昔から韓国人は多血質ですね。
マサコ:どういう意味ですか?
尹貞玉:興奮しやすいのです。
マサコ:あぁ、それはトウガラシのせいだという話があります。キムチに沢山入れるトウガラシに興奮物質があるそうです。「烈火のごとく」という表現がありますね。火が興るようにくわぁーとくる‥‥
尹貞玉:イタリア人みたいにね。
マサコ:ラテン系に近いのでしょうか?
尹貞玉:そう。私たちは多血質だといいますね。興奮しやすいし‥‥それから感情的です。韓国人みたいなのはイタリア人、南アメリカ人とアイルランド人と、多血質でしょう。
歌と食べることが好き
それで韓国人が言うにはね、イタリア人とアイルランド人は歌が好きでしょう? 韓国人も歌が好きです。
マサコ:そして上手ですね。声が違います。
尹貞玉:歌を通して表現が出来ます。韓国人は歌が好きだし、踊りが好きだし、劇が好きなの。でも計画的に準備をするということは出来ません。
それからもう1つ、食べるのが好きで、沢山食べます。それは感情が激して発散するかららしいですよ。エネルギーを沢山使います。
マサコ:発散するからお腹が空くのかもしれませんね。
尹貞玉:ええ、そうかも知れない。
韓国と日本
マサコ:本当にエネルギッシュですねぇ。ある本に、韓国のシャーマンが「日本と朝鮮は各々の国を守っている神様が夫婦の関係である。だから夫である朝鮮が、妻である日本にどんなひどい事されても、拝み合わないといけないのだ」と言っているのを知りました。
ヨーロッパでも隣り合う国々というのは、仲が悪いそうです。例えばフランスとドイツ、それからチェコスロバキアとハンガリー。隣り合っているのに国民の感覚や気質が大変異なると、距離が近いだけに尚のこと反目し合うのかもしれません。
それにしても日本は長い歴史の中で朝鮮にはご恩になっているのに、文化交流の認識をもっていませんね。そして国内の朝鮮民族は、長い間日本に住んでいて税金を収めているのに、選挙権を与えられていません。21世紀にはお互い歩み寄り、日本は正しい歴史教育の道を歩んで新しい文化を作り上げたいと願っています。
霊の話
尹貞玉:ところで私も質問があります。霊について教えてください。霊が来るのは心がきれいだからですか?
マサコ:そうではないと思います。古代人なら、もっと鋭く鮮明に星が見えていたように、誰もが持っていた能力でしょう。私は霊だけではなく、気候や電気電磁波などにも激しく反応して、体調が狂います。
尹貞玉:死についてどう考えていらっしゃいますか? 私、死ぬのが怖いと思う時があります。
マサコ:死は怖いものではないです。ただ別の次元で生きることで、私には「生命は一つの証明のために」人間に死が起こるとしか思えない。
尹貞玉:その証明とは何ですか?
マサコ:例えば、人間は全て別れ別れになっているでしょう? 家も別、体も別、仕事も収入も別々。他人の幸せは自分のではない。自分の不運はあくまでも自分自身に限られる。人の高収入は自分のではない。人の両親は自分の両親ではないetc. この様に、他人の食べる食物は自分の食物ではないとか、一々別れているのが人間1人1人の現状ですね。
ところが、肉体のない世界は、もっと生命本来の世界に近い。これが人があの世に行く状態なのでしょう。もう家賃の心配も服のこと、生活にまつわる苦しみもなく、人の地位や人間関係もない、もっと魂本位、心の世界に生まれる訳ですから。
死は、本来、魂や生命の自由を存分に味わえる違った社会での生存ではないかしら? 死ねば「無」になる人にとっては「無」だし、死ねば「寝ている」と信じている人には「寝ている」状態かもしれません。言い替えると、「人間のこの世での生活には限界がある」という証明のために、本来我々は1つの生命エネルギー体であるの証明のために人に死が起こるのでしょう。
私が亡くなった方々の気持ちを受けるのも、人が決してバラバラでない証拠と思っています。 私の場合、普通の人々より、よりその社会に近く位置していて、これは全く偶然ですが、この世の事で、しばられてしまう心の持ち主よりは、体験から、違った考えが出来る様に思います。
そして、自分の体験したことは人に語っていいと思います。私がコリアーナさん達との霊的な出会いについて公言した時、私がお金儲けのために霊的な体験話しを作っていると思われた方もいらっしゃるようです。
私はコリアーナさんから祝福を受けました。だから、こうして尹先生ともお話出来る様になったのです。
尹貞玉 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%B9%E8%B2%9E%E7%8E%89
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Middle Marchっすよー。長くて読めない。
この頃は、 家の中の日帝のおかげで、 初めて3カ月の韓国語学習を止めさせられて辛い日々でした。
2011年の1月末に再び学ぶことができるようになるまで、 私は日帝時代の朝鮮民族がハングルを使えない苦しみに近いものを経験しました。
その時の心の悲しみは今なお私の胸に疼くものがあります。
国家とは恐ろしく時には家族も恐ろしい存在になる。 あーそれなのになぜ人は生まれてくるのでしょう。
世界中の戦争を止めたくても止められない。
世界中からコリアナと同じ生活を送る女性たちを解放したい。
神様だってできないこと私ができるはずがない。 匡子