橋本静一先生から #2「 I さんのこと」 |
彼女は年明けには満90歳になります。
実は去年から声楽の勉強をなさっているのですが、米寿を迎えるまでは、ご親戚の方もIさんが歌の趣味をお持ちとはどなたもご存知なかったのです。
私が企画した音楽会などに度々来てくださったご縁で「発声をお習いしたのですが」とご依頼を受けました。
それではと始めてみて驚いたのは、毎回コンコーネの50番を実に熱心に練習していらっしゃるのです。
音程も正確で、小柄な身体ながら意外と大きな声を出されます。難しい曲には自作の歌詞をつけて憶えてしまうのだそうです。
6/8拍子や複付点音符は苦手ですが、それでも毎回録音を取り、何回も何回も練習して、とうとう一年でコンコーネ50番を一通り歌いきってしまいました。
そしてなんと、年末のコンサートにも出演して下さることになりました。
曲目は「くちなし」と「わが夢わが歌」です。この勉強がまたただならぬ気迫です。
高野喜久雄さんの詩集を読み、くちなしの花の咲く位置までが見えるほどに歌い込んでいらっしゃるのです。
そして、「Caro mio ben」を、敢えて訳詞で歌いたいとおっしゃいます。
最近神経痛に悩まされながらも、リハーサルで孫よりも若いN君の伴奏で歌われたとき、音大生や歌劇団の子達からは、感嘆のため息がもれました。
歌の重さが違うのです。
杖をつきながらも凛とした風格があります。本番が楽しみです。
…ジュニアの発声法を語るべき場所でIさんのお話しをしたのには理由があります。
子供はしばしば間違ったことをしますが、歌が好きであれば大きな故障を招くことはありません。
しかし教える側の我々専門家はしばしば、形通りに進まないことに悩んだり憤ったりします。
技術や理論で身を甲い、木を見て森を見ない愚を犯します。詩人が心血を注いだ言葉のひとつひとつを味わうことを忘れ、作曲科が描いたメロディのデッサンに余分な絵の具を塗りたくろうとします。
我々が子供達に歌わせようとするとき、何よりもまず「楽しさ」を教えるべきでしょう。
融けあう声の楽しさ、ぶつかり合う声のおもしろさ…それら歌うことの喜びを、工夫して紹介し続けようではありませんか。
一人一人の声の重さや色合いは様々でも、それらの声の鮮度だけは常に高くありたいものです。
そのためには、たくさん褒め、小さな課題を与え、大騒ぎと沈黙との幅を広げましょう。
そして自然な動きと笑顔を忘れないようにするために、教える側も、笑顔や身体の柔軟性を常に検討し続けたいものです。
Iさんのお手伝いをしながら、私は昔師匠に言われた言葉を思い出しておりました…
「口は愚かな言葉を吐くためのものではないのです。祈りを込めて歌うためのものです」
2005年11月28日
橋本静一先生から #1 へ
キク伯母の事 by モニカ
伯母の思い出 byマサコ/a>
私はこの青年に石崎和彦の面影を見てしまいました。
先日731部隊のドキュメンタリーを見ましたが、 悲劇と思われた伯父の パワハラアカハラの死も、 戦争中に罪を犯してアジアの人々を傷つけていない戦時下の伯父の人生を振り返りますとき、 加害者でなく犠牲者でよかったと思えるようになりました。 私も加害者になるくらいなら犠牲者になった方がいいと思いますが、 加害も犠牲もない世の中にしていきたいと思っています。
マサコ