つゆのあとさき by マサコ |
その中で永井荷風の「つゆのあとさき」を読んだら、何もかもご機嫌になってしまった。
文が旨い。活きのいいお寿司のよう。文の形が細工物のように美しい。文体が長い。長いものは七つもの小節がつなげてあり、一つの意味になっている。ユーモアがある。流れと展開が見事。四百円の文庫本で、ここまで楽しめるのは、ありがたい。
読んでいる時から、一杯の新茶で上等の和菓子を食べたくなる。今日は、虎屋の「母の日」用のおまんじゅうを買ってきた。
「荷風さん、これからも仲良くしてくださいね」と言いつつ、手を合わせる。
何となく話し相手にも恵まれない今の私には、荷風は最良の人かもしれない。もう五十才なのだから、それなりの恋人を見つけなければ、つまらない。荷風を愛する人に評論家の川本三郎さんがいる。この方の手ほどきで荷風に引き込まれるようになった。
しかし私は小学生の頃、荷風の名前だけは知っていた。
小学生の頃、「あめりか」「ふらんす」物語をめくってもいる。
「荷風? アー、おばあちゃんの大嫌いな人よ」
「おばあさんはなぜ嫌いなの?」
「くだらない小説を書く人だから。いやらしいの」
祖母は西田佐知子の歌う「アカシアの雨が止むとき」にもカンカンに怒る人だった。
「下品だわ。こんな歌が流行ると国がつぶれる」
荷風が嫌われる訳はすぐわかった。荷風は女性を徹底的に性的なものとして扱い、色事を好んでいた。これだけで荷風は祖母にボロクソに言われていたのである。
しかし、漢文が読めて、英仏詩の訳詞が出来て、美しい日本語を使える人材が平成の世にどれだけいるだろうか? 国が潰れるどころか、貴重なものを残してくれたことにはならないか?
私はその香りを楽しんでいる。
荷風はグールドに似ている。二人とも株が大好きで、集団を好まず、一人を好み、残酷なことを嫌う。文士として戦争に協力しなかった荷風とカナダ文学のユニークな作品「戦争」を愛読して、その映画音楽の企画を担当したグールドには一脈通じるところがある。
グールドの私生活は荷風程「色好み」ではなかっただろうけれど、グールドの強烈な個性は、ピアノで何かしている。
梅雨時の色々な表現が散りばめてあるこの作品は、「つゆのあとさき」に読むには絶品である。そして好きな人に別の好きな人の面影を見つけることは、いつも楽しい。
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海峡web版が誕生してから1年。訪問者は今週で5000人を越えました。(うーん、おはなさまのところがうらやましい。)
ブログのおかげでマサコさんには、文学を話しあえる人が見つかったようです。さてグールドを語り合える人は、どこに?
村上春樹の「海辺のカフカ」をけちょんけちょんに思われたようです。
なかなか骨のある人物かな。