アベッグ変奏曲 1 byマサコ |
(架空の伯爵令嬢パウリーネ・フォン・アベッグの名という話もある)
その主題は、ABEGGとアベッグ嬢の姓をもじった音符の配列になっている。
技巧を主とした俗っ気の多い曲だが、その雰囲気は、
ヘルダーリンの言葉「でも君は生まれたのだ。清澄な日のために」のようだ。
清楚なテーマに続く積極的な第一変奏では、左手でのテーマの再現が見事である。
第二変奏は、いかにもシューマン的。山合いの谷間に咲く花々に似た内向的な曲。
やんちゃな第三変奏曲では、右手のスケールに対し、
左手の鼓動がジャズ・ドラムの効果をあげている。
カンタービレは、物憂げな夢想がアルプスの山々にこだまする。
ジャズ・トランペットの歌い上げが、夕焼けによく似合う。
曲を締めくくるファンタジアの美しさ。
右手は16連音符の連続でクルクル廻っている。
1小節は波紋で、1フレーズ(4小節のこと)にまとまると純心さが戯れる。
23小節目から2度くり返し、3度目で高みに繋ぐモティーフは、
光太郎の「もしも智恵子が・・・」の詩を思い起こさせる。
私は、アベッグ変奏曲に、特別な思い出がある。
シャーマンの修業が一番激しかった16〜7才の頃、
私は「アベッグ」を、クララ・ハスキルの演奏で毎日聞いていた。
ハスキルの透徹した音が忘れられない。
その頃、光太郎の「智恵子抄」全作品に触れた。
「智恵子抄」の多くの詩歌を好きになれなかった。
それはおそらく「智恵子抄」にまつわる俗性が嫌いだったため。
でもひとつだけ例外があった。
もしも智恵子がここに居たら
奥州南部の山の中の一軒家が
たちまち真空管の機構となって
無数の強いエレクトロンを飛ばすでせう
この詩歌を読んだ時、私の頭に「アベッグ変奏曲」が鳴り響いた。
「いつか私もこのエレクトロンを飛ばしたい」と願った。
アベッグを弾いて思うことは、
私にとってアベッグは「ハイジ」の面影を宿す、入間の高みを目指す曲。
またニーチエに霊感を与えたスイスのエンガディン峡谷に匹敵する名曲。
この「アベッグ」を、私は、貴重なレパートリーのひとつとしたい。
(1994.08.28 海峡paper版11号から)
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