夜明けのレモンティ byマサコ |
この頃、この世のお別れに神さまが私の願いを叶えて下さった。
それは、田中希代子さんの音楽を聴いて、ほとばしる感動をその人ならではの言葉で語る方々の文を読むこと。
その中に「教え」や「仁」の言葉がある。
「田中芸術の美は、自分に値しない」
「これを聴いている時に死んでもかまわない」
「みなし児のような」 etc.....
ユーディ・メニューヒンが著書「音楽、文明、人間」の第3章「アマチュア音楽家」で
「私が知る限りでは、聖書の時代にはアマチュア音楽家と職業的音楽家の間にほとんど区別がなかった」と。
インドには音楽、舞踏、学問が金銭を得るために利用されるべきでないという伝統があるとしている。
これは現代において、お金にならない物は全く価値がないとし、すべての分野が狂ってしまう以前の話だと思う。
「英語を話す国々において「アマチュア」という言葉を「アマーレ(愛する)」の真の意味で用いることができるのは、楽しく心強いこと」とい い、
「もしもアマチュアが、深い愛から自らを惜しみなく与える者を名指すのであれば、またもしも<専門家>がその正 反対を名指す者と推定されるならば、私に対してその都度「アマチュア」という名称を与えて欲しい」と結んでいる。
世界の楽壇で、このお金を払う値打ちのあることと、「アマチュア」であることの両道を行く演奏家はほとんどいない。
その意味でも、稀有の存在である田中希代子氏は「有機レモンと無農薬紅茶」で煎れた音楽のお茶を配って下さる気がする。