その人のこと 1990年10月7日 byマサコ |
銀木犀が薫る雨の日曜日。私は一日中写経をして過ごした。日本の10月は妙に“源氏物語”を想い起こさせる。湿った庭には酔芙蓉が白い花としぼんだピンクの花をつけている。あじさいの花一つ。朝顔もまだ咲いている。
肩の疲れをほぐしながら、小さな庭をぶらぶらしていて、説明のつかない気持に襲われた。
宗教に興味を持っている私としては、人間に執着すること、物に執着することが良くないことはよくわかっているつもりだ。しかし伴侶を得たいという悲しいまでの気持ち、そして優秀な子供を授かりたいという激しい願いから開放されるのはいつのことか。
その人に逢ったのは、2年前の7月であった。彼は私の心に忘れられない笑みとムンクオイルの匂いをまき散らして部屋を出ていった。その時、私は、行って欲しくない!と心の中で想った。1年8か月後、彼は主治医となって私の前に現れた。入院中、私の心は彼の事で一杯で、アッと言う間に40日が経ってしまった。退院という喜びはもう会えなくなるという悲しみにオ-ヴァ-ラップして、それほど彼の存在は大きかった。
ところが退院の前日、私は彼の顔に“暗いヘビの影”を見てしまったのである。目前にいる人間に人間以外のものを見るという体験はこれで5回目である。前の4人についてはその原因が後になって解明されて、一応納得した。それはやはり相手方のはるかな祖先からの因縁によるものであった。
しかし今回の人については、驚いたことに私の友人の一人に「そのヘビはあなたの方の因縁でしょう」と言われてしまった。その言葉に私はとてもショックを受けた。もし彼女の言うように、私の方にある因縁だとすると、今後、好きになった人の顔にもヘビが見えてしまうのだろうか。とすると私が17才の頃から、因縁を浄めるためにやってきた事は何だったのだろうか?もっとも円地文子や谷崎潤一郎の文学にもヘビがいるという人もいるのだから、ヘビは必ずしも否定的なものではないのかもしれない。
私は10代の頃、ある霊能者に、
「天才的な女の子が授かります」
と言われた。又、戦死した伯父が、
「どうしてもしたい事があるから必ず生まれ変わってきます」
と述べていることを告げられた。
それ以来、体の弱かった私には結婚、妊娠、出産は健康のシンボルとなり、シンボル以上に確固たる未来像を抱かせ続けた。更に私は自分のカンに妙な自信があった。
その一例がグレン・グ-ルドの死の事である。日本でグ-ルドに悶々としていた頃「彼の死亡記事を日本で見るような事があっては私の運は終わりだ」と思っていた。
1982年10月7日、私は米国バッファロ-のカナダ領事館で彼の死亡記事を見せられ、涙にまみれながら学生ヴィザを手にし、トロント行きのバスに乗っていた。私の彼への執着はそれは激しいものだったと思う。
しかし彼には妻子はいなかったし、グ-ルドと私の間にはいつも美しい音楽があった。
話は再びこの夏の日本にもどる。私は岡部伊都子さんがテレビで稲田姫の絵の説明をするのを見ていた。朝鮮から渡って来たといわれる稲田姫の糸のような細い目は“あの人”にそっくりだった。
さてテレビ・ドラマの一シ-ンのように、私はその人の家を見に行った。門札で判明した彼の家から5歳位の女の子が友達と手を取り合うようにして出て来た。父親そっくりのその子は私に見事にパンチを喰らわせた。車は家の周りを3周した。私の執着心を感じた娘からはジィッと眺められ、アイスクリ-ムをなめていた友人からは「また来た!」と言われてしまった。洗濯物から判断して12、3才の男の子の年子あたりがいそうだ、とも思った。
神の話や霊の話をテンからバカにするこの男の人に、私は神様の事や霊の事がよくわかる医療人になって欲しいと希いをかける。 ダイセンジガケダラナヨサが人生ならば、心の底からこの一家に対する私の執着心を取っていただきたい、と神に願い、祈る。
こうして私は10月7日を過ごしている。
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