真珠と田中希代子さん by マサコ |
1996年10月30日 ゼロ日通信から
毎年、秋になると特別に思い出すことがある。
それは22年前に私を襲った狂気のことだ。
月並な言い方だが、
「あれは一体、何だったんだろう」とずっと思い続けてきた。
最近、ようやくその説明がつくようになった。
人類の海の底には、人間の魂と生命を司る「真珠」が育っている。
何十年かに1度だけ誰かがその真珠を取りに行く。
その真珠を取りに行く者は必ず、頭か体をやられてしまう。
何しろ海底は水深何十万メートルの世界だから、
滅多なことでは採集に行く者がいない。
「その真珠」は大きく育つ。
たまにそれを手にした者がいても、持っているだけでは決して輝かない。
人に与えようとした時にだけ、光沢を放つ。
また、受け取った真珠を手にした人は、自らその輝きを楽しめても、
決して人に与えることはできない。
私の知る限りでは、田中希代子さんが、その大きな真珠を私に与えて下さった。
私もまた、22才の時にこの真珠を取りに行ったのだ。
死よりも辛かったあの脳の異変。
水圧に押しつぶされて、息も吸えない苦しさ。
当り前のことが全て当り前でなくなった、あの大変さ。
それは私が海の底に潜ったためではないだろうか?
ニーチェは、ツァラトゥストラの中でこの真珠のことを
「黄金のまり」と称している。
そして「その黄金のまりを他の人に投げる様子を見たい」とまで書いている。
20才の8月1日に私は日記に次のように記している。
「いつか」
私は佳い音楽家になりたいと考えています。
それは私が昔、病気をしたからです。
佳い音楽家というのは、ある特定の伴侶に語りかけができる音楽家のことです。
私がいつそれになれるか、又、毎日、それのために何をするか、
そんなこと、知らないです。
でも、いつかきっと運命は私を海に沈ませるでしょう。
そして宇宙はお魚をすくう網のようなもので、
私を海底からすくい上げるでしょう
そして宇宙のまにまに、
私は数々の天使と優しい昔からいる1つの神様を見るでしょう。
そして、地上では午前正午にツァラトゥストラと交信しているでしょう。
そう、太陽が真上に来る時に。
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