ティザーヌ byマサコ |
ニーチェのご命日 8/25に寄せて
ニーチェが音楽と結びついている哲学者であることは、
リュディガー・ザフランスキーがその著書「ニーチェーその思考の伝記」を
「真の世界といえるのは音楽である。
音楽は途方もないものである。
音楽を聞くとき、人は存在の一部になる。
音楽はニーチェにとって掛けがえのない大事なものであった」
で始め、
「しかしときに、何としてでも歌うべきではなかったのか、
この魂は、という感情に襲われる」
で締めくくっていることでもわかります。
イルミヤフ・ヨベル著『深い謎 ヘーゲル、ニーチェとユダヤ人』の第7章
「ニーチェと死せる神の影」の冒頭の端正なニーチェ論は
「ニーチェと哲学」を「グールドの音楽」に置き換えても、
見事なグールド論に転じる内容です。
「誰にとってもそれぞれのニーチェ(グールド)がいるだろうが、
哲学(音楽)の根本的改革を試みた近代で最も魅力的な、いや
刺激的なこの人物を頼りにしなかった者がいるだろうか」
「大半の重要問題に関するニーチェ(グールド)の観念は、
かなり明確で説明できる形で互いに連関している。
そこには通常の世界と異なる世界に生きる者だけに許される、
体験に即したVerstehen(注)というような深い理解の対象と
なる次元があるのかもしれない。ーー重要なメッセージには
そうした深いレベルが必要になるかもしれない」
(注ーこの概念はディルタイのようなドイツの哲学者たちが、
人物や時代など他者の生活状態についての共感に類する直接的
把握を示すために使ったものである)
「単に一連の概念にとどまっているのではなく、大半が身構え方や
評価であるところに彼の思想(音楽)の特徴があるからだ」
「ニーチェが書いたのは(グールドが弾いたのは)少数の人々のためだった。
彼等は同じような心理的変容を経験し、ニーチェ(グールド)を理解できる幸せな人々である」
グールドとニーチェは、身体的虚弱・病状でも恐ろしく似ています。
原因不明の痛み、嘔吐発作、眠ることや食べることが出来ない状態。
人とのつき合い方は「アスペルガー症候群」的傾向にあったためか、
人に合わすことができにくい(その必要がない)生き方を通しました。
ニーチェ学者のX氏は
「ニーチェはヘルダーリンの生まれ変わりかも」
と発言しておられますが、私はグールドを聴いていると、時には
ニーチェが生まれ変わってピアノを弾いている気持ちになります。
生前、グールドはニーチェそっくりの人物に変装してふざけています。
グールドのニーチェへの言及がある文章は見つかっていませんが、
グールドにとってニーチェはやはり「深い謎」で
まとめにくかったのかもしれません。
写真 スイスのエンガディン峡谷の村「シルス・マリア」にちなんで、
植えた、鉄扇「シルス」。
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