見つけた !! 母の実家@台北 !! byモニカ |
2015年1月以来、母の兄に当たる伯父のことで、色々な事があった。
1. 阿波丸70年記念特集のための東京新聞からの取材を受ける。
2. 奈良璉珹寺での慰霊法要。
3. 鹿児島大学博物館の「石崎和彦コレクション」について、
大塚裕之名誉教授が書かれた記事が掲載されている「博物館news letter」が届いたこと。
10年前にその存在を知り、まだ元気だった宮崎の叔父と鹿大を訪れたのは、
* 今日は阿波丸の日(鹿大博物館の標本写真入り) by モニカ へ
伯母が存命中の4月1日は、会ったことのない伯父の話を電話でお話するだけだったのに、こんなに色々なことが続いて起り、70年という年数をしみじみ思ってたこの頃だった。
そこに、、じゃじゃ〜ん
昨夜、諦めていた母の実家@台北が見つかった。
大昔、グーグルマップでこの家を探した事がある。
頼りになるのは、伯叔母、叔父たちの記憶と古い写真のみ。
当時、ストリートビューはまだなかったので、航空写真で上からしか探せない。
緑の茂っている所は日本家屋が残っている場合が多いと聞いていたので、
見つけようもなく、「マンション化されてるだろう」とここ数年気を離していた。
昨日、大塚先生や兄とのメールのやり取りの流れから、ふと
「台北の家の辺りを見てみよう」とグーグルマップを拡げた。
すると以前はなかったストリートビューが。。。。
「ひょっとするとわかるかも。。」と慌ててそれらしき場所を見てみた。
動いていると、地図のどの辺りなのかわからなくなる。
迷い込んだような道に2、3軒、朽ち果てた日本家屋が出て来た。
気を取り直して、探すと............
目に馴染みのある屋根の形をした、角地に建つ日本家屋が出て来た。
「えっ!! あれ?? ホント?」
何度も何度も、行きつ戻りつ眺めてみる。
間違いないはずだ。。。
翌朝、兄姉とも連絡を取り、姉から古い写真も送ってもらい、
今朝、叔母2人にもネットを通してみてもらう。
今年96才と93才になる叔母達の記憶では、背の高く立派な家だったのに、
では、その写真を○○侵害を恐れずに、アップさせていただこう。
この家が建てられた年はハッキリしないけれど、
「土台の煉瓦を横に使わず、縦にして突き刺すように並べた
とは父方の叔母たちの話。
「震災で市内の日本家屋はかなり倒壊したと新聞で読んだので諦めていた」
「あの家を建てた棟梁は根っからの大工で、しっかりと手抜きをしない頑丈な作りを厳しく指示するので、手下から恨まれて建築現場の梁か屋根から突き落とされそうになったことがある、そういう人に建ててもらった」
と聞いたのを覚えている。
応召された伯父が最後にピアノを弾いて出かけた家。
祖父母と伯父の妻が引き揚げた後、
1,2枚目の写真の門柱脇塀の中段にあるカーブ模様は、祖母の立つ後の塀のカーブと同じ。
きっと85年の間に改装を重ねた道路は高くなり、塀は上に積み上げられたのだろう。
祖母の膝上まで埋められたようだ。
昔、家の東側には小さな川があったらしい。
今は埋め立てられ、道路になっている。
このガジュマルの大きさを見て下さい。
今年はノリコさんの生誕70年。
やっと自分の生まれた地に興味を持ったのか、秋には行ってみようと話している。
その時、祖父母のこの家を観に行こうと思う。
周りの道路が高くなって、敷地内の建物はどうなってるか気になる所だが、
門から玄関までも少し高くなっている上に、この写真のような床下の高さだから、
ぎりぎりなんとかなっているのかな。
写真右の女性が母で、身長は158㎝位。
撮られた場所は叔母の書いてくれた見取り図から見ると多分西側トイレと台所の間の縁側だろう。
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後日談
このガジュマルの樹はグーグルアースにも2つのマークが付いていて、
クリックするとポップアップ写真が出てくるのを発見。
個人宅であんなに大きな樹は珍しいのかな。。。
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追記
片倉さんの新刊にこの家のことが取り上げられました。
この家をストリートビューで見つけて、連絡を取ったのがSNS仲間のtoshiさん。
・臺北市政府文化局 公告 byモニカ
2015年秋に訪台しませんか?という話は去年くらいから出てました。
モニカさんの執念には感心します。
敗戦から70年ノリコの目標は、同窓生の方の戦争の記録の出版と引き揚げ以来初めての台湾行きになりそうです。ノリコ
はい、粘りのモニカです。。。
見つけた時は、本当にびっくりしました。
引揚げた後は一時期、顔槍波さんに住んでいただいたいたと聞いた覚えがあります。
その後80数年、どのような移り変わりがあったのかしらね。。。
凄い台湾まで行かれたのですね!。
これぞまさしく、ファミリーヒストリーですね!。
又、話聞かせて下さいね...。
雅(みやび)
NO, NO,NO !!
これは出かけて行った写真ではないのです。
訪台予定は今秋です。
グーグルのストリートビューで見つけたんですよ。
そう、自宅自室で深夜近くに。。。
何という時代になったのでしょう。。。
潰される前にこの家に逢いに行こうと思います。モニカ
日本と台湾のつながりは大きなものがありますね。
それに加えて中国、 香港では政治活動家たちに実刑判決が下されました。
日本のファシストたちの活躍、敗戦前からの闇を見たくないと思って
台湾に移住しても、 それなりの歴史はまた見ることになるかもしれません。
あの家は1934年8月15日に東京で楽譜を買った伯父の帰った家。
そのような音楽と私の歴史があの家には、籠っているのです。 マサコ