台北の家、その後 byモニカ |
4月半ばに見つけた台北の家。
その後、いろいろわかってきたので、中間のまとめ。
秋に予定している訪台までに解体工事があると、せっかく行っても家には会えない。
あの家に住んでいる人の情報を集めるのも難しい。
また仮に台北の誰かに現地に行ってもらっても、現在お住まいの方にとっては、
どうすれば、確実な情報を得られるか......
無い知恵を絞って台北の新聞社にメールを送ってみた。
残念ながら返事はなかった。
そこで、長く日記を書いておられない台北のSNSの仲間・toshiさんに
ご機嫌伺い方々、メッセージを送ってみた.......が返信はない。
他に打つ手もなく、早めの現地入りが一番かと思い始めていた5月末、
プロバイダーを変えるために、パソコンの中をいじっていたら、
ダメ元でメールを送る。
4日後にtoshiさんから「What's up?」と返信が届く。
事情を説明したメールを送るとすぐに返信あり、
「おそらくこの家は国立台湾大学の宿舎ではないか?」
一体どうしてそんなことがわかるのだろう?
尋ねてみたけれど返事はなかったが
「時間ができたら、大学に問い合わせるか現地に行ってみましょう」
とまで言って下さる。
そして5日後、仕事の後、現地に向かってくださった。
その結果、
現在の住人は 元台湾大学教授 独り住まいの様子(犬がいるらしい)。
家は昔とは全然違っていて、現在はとても古く汚くなっているから
申し訳ないけれど、塀の外から見てくださいとのこと。
「訪問した時ドアベルを鳴らして、庭に入れてもらえないか頼んでみては?」
老教授の反応は極めて当たり前。
家が現存していることがわかっただけでも 大きなプレゼント。
周りをうろついて写真を撮っても怪しまれないというだけでもありがたい。
この地区は戦前、日本人向け新興住宅地で、大学関係者が多く住む場所だったと
現在もそういう関係者が住む場所になっているのだろうか。
日式住宅(日本家屋)も見つけた家のすぐ近くにいくつか残っている。
兄は、疎開地だったと思われる
新竹州蕃地カラパイ社(現在の新竹県尖石郷嘉楽村周辺)
のことをリサーチ中。
ノリコさんが戦後11月に生まれた場所でもある。
いろいろなご縁が広がりつつある。
ご縁といえばネット仲間から送られた鈴木れいこさんの「台湾 乳なる祖国」では
新しくスクリーンショットした、家の北側空き地からの写真。
グーグマップ、アースとも上空からの写真は画像取得日2006年1月1日
ストリートビューで歩いてみると撮影2014年12月(工事予定地)になっている。
「見つけた !! 旧母の実家@台北 !! 」台北の家の上空写真 byモニカ
この発見が秋の台湾旅行への大きなステップになりました。