一人旅 byマサコ |
一人で三宮に映画を観に行く。
なんでもない事だが、私には厄介で、怖い。
家の中でも失敗が続くし、落し物、忘れ物、みんな大事件だから。
例のごとく顔も三重に覆う。
しかし、プラットフォームで一人の男性が執拗に眺める。
さて、会場のエレベーターを待っていると、上から降りて来た2人の中年女性。
「もう、あんなひどい食堂、初めてや」
「ほんまに、こんなにひどい目に遭って」
「あんなに待ったのに、注文一つ取りに来ない」
「どこか、はっきり覚えて、2度と行かない」
と掲示板のレストラン街を一心に見つめ、探している。
想像はつく……
店には人の3倍働かされ、給料を1/3にされたコックがいる。
ウエートレスは2倍働き、バイト料は1/2で経営者に不満を持っている。
こんな図が珍しくない、今の日本。
人を人として扱わない政府のやり方に上から下まで、
台湾でも似たような経験をしたので、わかる。
それにしても天下の三宮、こんな会話を耳にするとは夢、思わなかった。
映画の入場券の自動販売がわからない。
親切に教えていただいた。
「後ろ過ぎますか?」と選んだ座席を聞くと
「いいえ、いい席ですし、真ん中です。よく詰まっていますし...」
ここまではおっかなびっくり。
ーーまだ何も失くしていない。まずまずだーーー
と思っていた。
暗い中でチケットを見ても列記号がわからない。
「11」を選んだのは、番号が好きだからだったから覚えている。
その1:すぐそばの観客に尋ねなかった。
その2:入り口に戻って切符係に聞かなかった。
「多分、混んでる列のあそこだ。空いているから間違いない」
「でももし間違っていて、上映間際に誰かが来て、この人たちを煩わせては....」
と頭が巡る。
女性が一人来て、怪訝そうな顔をしたが、前のI列のすぐ前の席に座る。
だからこの席に座っていても大丈夫と思った。
しばらくして、その女性は横の人に話しかける。
2人はこちらを見上げる。
「ここ、私の席ではありません」と私。
びっくりした二人。
「自分の席がわからなくなったの」
ギョッとしている。小学生風のボケ老人。
「チケットで席を探せなかった。
と大きな男性が座っているそばの席を指差す。
「そんなら行けばいいのに」
リュックから財布を取り出して、チケットを見せる。
「ここよ」とチケットに書かれた座席番号を指さし、教えてもらう。
まあ、ここに!想像もつかない場所に記してあった。
「これだったのね」
当然、席を移る。が、通る時、前に座る女性の足を思い切り踏んづけてしまった。
Iの11に座ると、リュックが軽い。
モゾモゾ探し、大胆に探し、財布を落としたことに気づいた。
今すぐ席を立って探しに行けばと思ったが、映画はコマーシャルが微妙なところ。
さあ、妄想が始まった。
この妄想を一つ一つ書くには忍びないので割愛する。
私を救ったのは、今まで家の中でパニックになっていた経験。
外出時にちょっとしたハプニングが起こった時、
今、一番何をすべきかの決断。
映画はある方の詳しい解説を読み込んで出かけたものだったので、
さて、エンディングの音楽が流れる。
他の席の人々はどんどん帰るのに、私の列の人たちは映画通なのか、
あの席の女性は、もういなかった。
お財布は転げて、前列の席の下で見つかった。
なんという体験。14日間の台湾旅行よりくたびれた。
昔、MI6をM16と間違えたことを思い出す。
このチケットには下に広い空間があるのだから、
また文字もIではなく、GとかMだったらまだわかりやすかったかも知れない。
黒いものが座席のつもりだろうが、私には理解出来なかった。
それにしても時代は変わった。
映画のチケットはもっと厳かに人手で売られ、劇場には案内嬢がいたこともあった。
いや、音楽会だけだったかな?
「私だったら、『すみません。財布を落としました』と言って探しに行く」
妙に遠慮する。
妙に人に合わそうとする。
妙に気を使う。
それゆえ、誤解される。
学校に行けなかったことは、百戦錬磨とは言えない社会体験なのだ。
近頃、ブログを通して文字の上で少しずつ習ってはいるが、