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by grpspica | 2016-10-21 17:45 | 音楽・哲学・宗教 | Comments(11)
Commented by mhara21 at 2016-11-14 09:45
以下のコメントはマサコSNSで友人とやりとりしたものです。
いいお話ができたのに、SNSだけではもったいないので許可を得て、こちらにアップさせていただきます。マサコ
Commented by 蝙蝠猫55 at 2016-11-14 09:49 x
大隅氏がノーベル賞を受けた研究対象が「オートファジー」というものだったので、10年以上前の雑誌・現代思想に「オートポイエーシス」が特集されているのを引っ張り出して読んでみた。案の定、結構通底する部分があって面白かった。
理系の世界でも、もう「理性知」だけでは行き詰まりだと痛感していたことも、改めて確認できた。
ポエーシスは、(オートがつくと)自己生成のような意味合いで、従来の「原因→結果」のような単純な図式には納まり切れない諸現象が山積しだした、1970年頃からの流れに沿って現れたもの。
私にとって、一番解りやすかった例示は「受精卵」は既に一個の読み取り手(主体)であって、それ無しには遺伝情報が現実化する訳は無いというもの。なるほど…
確か法華経には「力・作・因・縁・果・報」という、入力から出力に至るまでのプロセスが示されていたはず。
この概念にも上記の「経験知」なしには、生命現象は解明できないという、課題認識への解法が含まれているようにも思う。
ヘーゲルは体系の構築者、つまりは「西欧理性主義の最終的取り纏め」を担っていたのだろうから、難解で重ったるいのは仕方が無い。
キェルケゴールは、神を克服できなかった。倫理の礎を自らのうちに求めることが出来ず、結句、人格神との対決から逃れられなかった。
私は、デカルトの「コギト・エルゴ・スム」に始まった西欧主導の理性主義の賞味期限は意外に短くて、そこを見事に(しかも文学的に)血祭りに挙げてみせたのがニーチェだったと位置づけている。
荘子の「胡蝶の夢」の軽やかさ、自由さに比べれば、自我と人間と神に縛られ続けていた西欧哲学は、最初からハンディを背負っていたようにさえ感じる。

21世紀も既に1/6まで進んでしまった。
理系/文系の垣根が、むしろ邪魔なものとなり、経験こそ理性の土台だと、視野を変えなければいけない時に入って久しい。世情は余りにも混沌としていて、余命の多寡が知れている私には、直面する勇気は乏しいが、とにかく「何らかの経験」を重ねて、模索することは続けなくてはいけないのだと思う。
Commented by マサコ at 2016-11-14 10:50 x
>蝙蝠猫55さん
たくさんのコメントを誠にありがとうございました。
朝からこんなに哲学の話が読めるとは、想像したこともありませんでした。

今 脳卒中で左脳を破壊された脳科学者の[奇跡の脳]を 読んでいますが、どちらかと言うと瞑想よりもお掃除とかお料理、勉強、 仕事、苦難の方が魅力的に思います。

この世の現実はやはり現実であり、人それぞれによって現実の見方も違うでしょうね。
ただおよそ価値のないものに振り回されているとは言えると思います。

コメントにありました荘子を少し読んでみようかと思いました。
父が10代の時に買ってくれた貝塚茂樹先生の訳書があり興味を 持ちました。

お話は変わって今中国語講座で、呉志剛先生が素晴らしい四声の指導してくださいます。なんだかご縁を感じてしまいました。
色々とありがとうございます。東洋と西洋の違い、興味深いものですね。

Commented by 蝙蝠猫55 at 2016-11-14 10:52 x
マサコさん 同じ中国でも「儒家」の説を、私は「哲学」とは見ていません。貶めるつもりはありませんが、孔孟の論説は「今ある社会」への根本的な批判をせずに「易姓革命」というクーデターに飛躍させているように思えてなりません。仁義云々も結局「その組織や社会内部での処世術」にすぎないと。これは、為政者や既得の権威・権力を持っている層には好適な「支配原理」で、封建体制から、1945年に至るまでのこの国で「道徳」の基本となっていたのも当然でしょう。
哲学である以上、「存在論」「認識論」を備えていなければ欠格です。老荘は上記引用に見られる「存在」「認識」それに対応する「生命」「世界」に言及しています。
疑うこと、それを担う資格が自身にあるかも含めて、内省とそれに基づく事実観察と「批判」がなければ、真っ当な人の社会は構築できないはず。戦前、この国に「女性参政権がなかったこと」という、ついこのあいだのことも知らずに、「保守を標榜している女性国会議員」たち。あなた達は「子供を国に差し出せ。死んだら神として祀ってやる」という命令に隷従するのですか?

随分飛躍してしまいました。
私は女性の、命を育むが故の感覚的「揺り戻し力」に強い信頼を持っています。

我々♂も「消耗品」にされないための智慧を持たなくてはなりません。

勇ましいこと、カッコいいことには必ず「大ウソ」の重りがついています。
疑うチカラは、学校なんかでは教えてくれません。自ら学ぶことの大切さがこんなに重要な時が、晩年にやってくるのも、私の慳貪を戒める試練ではないかと感じます。

また、長々と書いてしまいました。

「荘子」を読まれたら、ご意見をお聞かせください。
楽しみにしております。
Commented by マサコ at 2016-11-14 11:21 x
蝙蝠猫55さん 

いつも素敵なお話をありがとうございます。

荘子を「胡蝶の夢」と形容されていたので、心惹かれました。
少しだけ読んでみましたけど、当たり前のことが書いてあって、 これがいつの世も誰もできないのだなと思いました。

「さよならは夜明けの夢に」のように淨まって、人生を終える人は皆無かもしれませんね。

中国の歴史も何も知らないものですから。
おまけに日本語も知らないものだから、蝙蝠猫55さんの文章を読むのに、漢和辞典が必要です。

論語述而編第七31に歌の事が出てきます。
 http://lunyu.lightswitch.jp/?eid=8
子與人歌而善 必使反之 而後和之
「先生が他人といっしょに歌っていて、いい曲があるとかならずもう一度歌ってもらい、これに唱和された」(貝塚茂樹訳)
というなんでもない話です。

この言葉を読んだ時、原田光子さんが訳された「大ピアニストは語る」にピアニストパハマンが「『心と唇が一つに歌う時、音楽はもっとも美しい』という古いドイツの言葉を忘れないでほしい」と言っていたのを思い出しました。

同じ32では荘子が『学問の上のことなら、人並みに出来ないことはなさそうだが、実際の生活で君子らしく実践することはまだまだ出来ない』と言っていたとあり、この二つを合わせたものがパッハマンの言葉のような気がします。
この風変わりなピアニストはピアノの世界をやはり海の底の真珠になぞらえて
「真珠は海の底にあるのである。多くの学生は海の面に浮いていると思っているらしいが、そうではない」と言っています。

以上、単なる連鎖反応の思い出し事ですが、私にはもうこれで十分な気がするのです。
Commented by マサコ at 2016-11-14 11:38 x
蝙蝠猫55さん 

デカルトの「西欧主導の理性主義の賞味期限は、 意外に 短くて」と言うところ、とても面白い ですね。
蝙蝠猫55さんの世界に触れていると、寺山修司さんを思い出します。

寺山修司さんの短歌や俳句、表現力とエネルギー。
一言で言うと動きのある「動」の心を持っていらっしゃるように感じます。

3月16日のお誕生日に贈ろうと思っていたのですが、
そこまで待てないので、今、贈りますね。

目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹  寺山修司
(めつむりていてもあをすぶごがつのたか)

誰かが誰かに似ているとかその人を知ったら何かを思い出すというのは、連鎖反応で 興味深いものですね。。

コメントで頂いた「ニーチェの血祭り」も、酒好きの神様 ディオニソスを想い起こさせます。
古代ギリシャではお話をするのに酔っ払ってしまってはいけないので、ぶどう酒に水を入れて薄めたそうですね。
血を流し合うのではなく、お互いの人生を祝福して、赤ぶどう酒で乾杯したいものです。
Commented by 蝙蝠猫55 at 2016-11-14 11:45 x
手元にある最古の『優駿』(JRA 広報誌)は1978年1月号。表紙は’77年度代表馬テンポイントです。年末のグランプリ・有馬記念で宿敵トウショウボーイを退け、引退するライバルに一矢報いた直後の発行でした。このレースは今だに、日本競馬の歴史中、最高の名勝負と位置づけられています。
そして、このレース回顧を4ページを割いて書いていたのは、他ならぬ寺山修司氏。
彼にしか書けない、上記2頭の出自やジョッキー、関係者の思惑、そして後年このレースの示す意味がどんなものになるかという、予言めいたことにまで言及していました。

何と言う巡り合わせ。

詩人として、戯曲家として、エッセイストとして、彼は他の誰にも似ていませんでした。
競馬の捉え方もそうで、馬の持っている精神性や血統背景から来る因縁めいた逸話まで、これほど競馬を文章表現の対象として高めた作家を、私は知りません。

ですので、私ごときの拙文から彼を連想されるとは、正直面映いだけなのです。

自己認識下の私は、怠惰・(極めて)ネガティブ・優柔不断・座して負けを被る etc.
と、アジア人特有の粘着力と持続性に裏打ちされた『仕事量』を誇る寺山氏とは、ほぼ逆の個体です。

マサコさんが私の戯れ言から、寺山氏を連想されたのかを推測すれば、彼に対する素直なコンプレックスを私が抱いていて、それが表現に現れていたからではないかと、その辺りに着地してしまいます。

お贈りくださった句。
この感覚と、感覚を直に言葉にしてしまえる人。表現者・寺山修司を眼前に突きつけてくれる素晴しい作品で、マサコさんが私を過大評価されているのではという不安が湧く程です。

私はどの趣味の分野でも、決してマニアではありません。
困ったことに、好悪の境界線だけははっきりしているので、他人様の好みに異論を挟みたくなるのを懸命に堪えての61年間でした。
最も近い名付けは「偏狭で扱い難いファン」位で充分でしょう。

上記競馬関連の回顧も、余力があれば残してみたいと思っております。

Commented by 蝙蝠猫55 at 2016-11-14 11:46 x
続き
〜〜〜
そう、酒関連も。
行動エリアの端っこにある、固定ファンの多い「立ち飲み屋」。
時期を外さなければ「何、これ?」と驚く、一番の好みはここの「生ずし(全国的には〆鯖)」です。
この店に行くと、先ず一番に「あります?」と。確認してから安物の白ワインを頼みます。
鯖は大好きなので自分で「生ずし」を作ることも稀にありますが、正直「これには負けた」と、白旗を上げたのはここの、それが初めてです。およそ¥800で体験できる酒と肴のマリアージュ。

こんな、阿呆話こそ、私を構成している最大要素なので、記憶を更新する意味でも書いてみたいとは思っているのです。

私らしく、しっかり蛇足も付け加えました。
お礼にも何もなっていないのは、ご容赦ください。

コメントが遅くなり、申し訳ありませんでした。

空模様が不順です。

くれぐれも、ご自愛ください。
Commented by マサコ at 2016-11-14 11:54 x
蝙蝠猫55 さん

たくさんお話を書いてくださってありがとうございました。
とても楽しく拝見しました。

私は寺山修司ファンではありませんでした。 
私と彼の出会いは、なんでもない紫陽花の花と生活を書いただけの短歌なのだけども、
その頭に「森を駆けて来て」というのがついていて、
その動きの表現が新鮮で捉え方が斬新だと思い、やみつきになりました。
 「森駈けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし」
 「書を捨て、街に出よう」 は、 彼の評論集のタイトルでしたね?

私も白ワインが好きです。生協の酸化剤無添加のを飲みます。
鯖寿司も大好き。

昨日友人の日記で、府中競馬場の花火大会の素晴らしい花火を見ました。
友人限定日記のようで見たい方のために別ブログにアップしました。
ぜひご覧になってください。http://kaikyou.exblog.jp/23329568/

「いつもこんな心でいられたら」と思う花火でした。
ゆとりです。
「ゆとり」とは 愛の別名かもしれませんね。

これからも文章を楽しみにさせて頂きます。
どうか無理なさらずペースを守りながら書いてくださいね。
こちらこそ何のお返しもできないで申し訳ありません。

日本人にとって哲学の話は 身近なことに変えて考えられないようですね。

政治の話もほとんど出ません。 
哲学と政治が日本人の弱点であることは、明らかです。

結局、どの分野も語った人の内容であり、世界を表していますね。

今気づいたのですが、「紫陽花くらし」というのは、暗いということだったのですね。
花にはいつも慰められ励まされてきた人生だったので、暗いとは、思いもつきませんでした。
これだから短歌暮らしは、止められません(笑)

「紫陽花と暮らせていいな」位に思って顔をうずめてるのかと思っていました。
近年のように大雨が降りますと、顔をうずめられるぐらい大きく育つ花もあります。
Commented by 蝙蝠猫55 at 2016-11-14 11:56 x
マサコさん 哲学も政治も「自分のこと」と実感できない状況に、この国はあるのでしょう。
「学」がつくだけで敬遠されますが、哲学=智を愛する、と言うだけで「智に対する好奇心」に砕いてしまって何の問題もありません。
政治は「お偉い先生」が、なさるものではなくて、忙しい主権者である私達が「雇って、代わりに」政治屋にさせるものです。この国の民主主義は、幸運にも戦争に負けたおかげで「おまけに」貰ったもので、絶対君主と戦って、血で購ったものではありません。だから「使い方」が判らないのでしょう。
前者は「学」に対する嫌悪感やコンプレックス、後者は「お上の御政道」という旧社会からの悪弊。
共通しているのは、判断は自分で行い、その結果は自分で負う、という極めてシンプルな因果律を誰もが忘れていることです。
一番いけないのは「空気を読んで、異論を唱えず、なあなあで、仲良しごっこ」が大好きな、判断停止状態です。
哲学も政治も主体は私達自身で、そのことを意識して、日々行動するだけで状況は大きく変わると、私は思います。
「誰かに依存する」「丸投げにする」のは、自身の知的自己決定権を放棄しているということだと思います。
今の政治屋どもの余りにもの、レベルの低さは、私の阿呆さ加減の反映なのです。
ですから、マス媒体で政治屋どもの下劣さを見せられる度、自分の無力さ・非力さを鼻先に擦り付けられるのです。

民主主義は残酷な制度で「民度以上の行政は得られない」のです。

啓蒙専制君主も悪くはありませんが、くじ引きのリスクがあります。
現状では、民主主義がとりあえずマシなレベルにあるだけです。

道具と目的を混同することで、私達は大失敗を重ねて来ました。
「今、どう考え、どう行動するのが、自分にとっての正」なのか、は主権者にとって義務的な姿勢のはずなのに…

愚痴っぽい終り方で申し訳ありません。

問題点は自分の中にあるはずですので、是非とも「ここは×」とご指摘いただければ幸いです。
Commented by マサコ at 2016-11-14 11:58 x
蝙蝠猫55さん 

とても素敵な文章をありがとうございました。
おっしゃる通りと思います。

>是非とも「ここは×」……..
自分にとって「 かな?」というところを考えました。
情緒を整えることだと思います。
情緒が安定すれば家庭内戦争がないように、
小さな場所では戦いがなくなると思います。

軍需産業が起こす戦争については、政治的に戦わなければなりません。
それは社会の仕組みと現実を知る他にはありません。

個人的には、人は痛みを少しだけ自分のものにすること。
社会運動したいなら、自分自身への不満と社会への不満を一緒にしないことが大事だと思います。

人は1人1人違って、喜びも楽しみも、リラックスする場所も異なると思います。
その事をお互いに犯さないようにするのには、100人が一緒の環境よりも、1人1人個別の鉢植えになる方が幸せになれる気がします。

万人が喜ぶ政治などないのですから、
そこまで政治に期待することは無理だと思います。
何かをしたいのなら、まず自分の心を整えて、
社会がこんな風だったらいいなと思って、
身近なことから努力するのが大切だと考えます。
順調な時ほど恐ろしい姿になるので、良い時ほど謙虚に暮らしたいです。
悪い時は愚痴を言わない人間になりたいですね

思いつくまま、ほざいてみました。
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