#2 言葉を考える@高雄駅 2016年12月8日 byマサコ |
今乗っているタクシーで電気屋に寄ってもらい、その後、駅に行くのが無難に思えたが、私の考えは却下された。
昨年花蓮の駅では出発の時、改札口を通った後、
ホームで荷物を取ることが出来たことがとても嬉しかったので、
この高雄駅でも荷物預かり所がプラットフォームに繋がっているかどうか、
チェックしようとして奥に進んだ。
私の行動が不審がられたようだ。
それは出来ないと教えてくれた若い人は、少し英語ができるので、教えられた電気店への道を聞いた。
彼はスマートフォンで検索する。
横に行って覗き込んでいると、フイになんだか「ハオ」と言いたくなった。
ためらわずに「ハオ」と言ってみた。
すると「Wait a minute」と返事する。
「えっ?」と一瞬思う。
映画の字幕なら「焦るな」とでもなるのだろうか。
「あれっ? 『ハオ』は『ハイ』か私的には『よし』のはずだったけど、違うの?」
その理由は帰国してからの中国語講座で
「『ハオ』の意味には「ハイ」ともうひとつ「もういい」という同意や話題の転換などを表す」
と習った。
今まで3人の日本人に語気荒く、「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ」と言われたことがある。
その時は「もう、いい加減に黙れ」という気がしたものだ。
なぜ私は「ハオ」と言いたくなったのか?
それは全てのことに「もういいや」「早くどっかに行きたい」と思っているせいだろうか。
マンダリンでの「ハオ」は「もういい」の意味を明確に持っているのだなぁ。
世界中の「ハイ」には、「yes」の他にどんな意味が含まれているのだろう。
言葉を習うと、幼児のようになったり、頭の中が真っ白になる。
かつてフランス語だけ半年間学習したら、鼻母音の練習で顎関節症が見事に治った。
辞めてしばらくしたら、また症状が出た。
中国語特有の反り舌が未だにできず、舌を意識していると、突然眼の奥がパッチリ開く快感を感じる。
中国語圏の人たちには損得勘定にさとい人が多いけれど、このパッチリ開いた目玉の奥で事柄を眺めているせいかと思う。
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昨年の花蓮駅