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波岡三郎校長の経歴
明治30(1897)年 岩手県(八幡平市?)新町生まれ(現在は存在しない
町名なのですが、維作氏によれば盛岡市の出生ではないとのこと)
クリスチャンの養父母の薫陶により盛岡中学校2年生のときに受洗
大正 9(1920)年 東京学院高等部卒業、
養父の勧めもあり「人に使える仕事より、神に使える仕事を」
と同学院神学部本科に
大正12(1923)年 東京学院神学部卒業、
岩手県遠野バプテスト教会伝道師として赴任
大正13(1924)年 渡米
昭和 2(1927)年 ニューヨーク州ロチェスタ神学大学卒業、
神学士(B.D.)の学位を得て帰国後、遠野バプテスト教会に帰任
昭和 3(1928)年9月 姫路バプテスト教会(綿町教会)に転任
昭和 6(1931)年 日ノ本女学校理事就任、
ウィルカクス校長・山本憲美校長の相談役として学校経営に協力
昭和12(1937)年1月 日ノ本女学校第7代校長に39歳で就任
前校長の方針を引き継ぎ、学校の自給計画の完成をめざし、
第2期工事(理科室の新設・生徒用玄関と2教室の増設・
西洋館内部改造などに着手
(第1期工事は新館6教室など昭和11年1月着工)
6月20日南側の第2国道が完成
昭和13年(1938)2月 改造された西洋館に校長室・事務室・教員室
・応接室・衛生室などが移転、本館の増改築工事に着手
(以下学園としてはいろいろあるが省略)
昭和19(1944)年4月2日
(長男維作氏の投稿「父の入獄」には「2日朝早く」とあるが、
日ノ本75年史には「1日午前6時」と記載されている。
しかしこの点についての維作氏の説明によれば、日付は三郎先生が
1945年10月15日に、Woman's American Baptist Mission Society
の Dr.Decker に宛てた手紙には「2日朝早く」とされている
とのこと、日ノ本75年史発行は1968年なので逮捕された日時に近い
時点での三郎先生の記述に合わせて2日にしました。
思想、言論、出版、集会等臨時取締規程違反により逮捕
5月 懲役1か年の判決、判決が確定すれば岡山刑務所で服役するのが
通常のところ英語が堪能なので4月19日から4ヶ月間は、
神戸拘置所に収容され、その間、神戸拘置所に収容されていた
外人宣教師らの通訳をされた
(長男維作氏によれば、「姫路の拘置所に約20日、神戸の拘置所に
80日収容、岡山刑務所からは刑期を40日残して1945年4月19日に
釈放」とのことです)
昭和21(1946)年7月 第8代校長(兼初代学園長)に就任
昭和44(1969)年12月6日 入院
昭和45(1970)年3月20日 内藤理事長と波岡校長の退職、
後任井口校長と全校生に発表
昭和45(1970)年6月8日 永眠
6月10日 密葬,高3全員が参列
午前11時、全校一斉黙祷
その後日ノ本学園葬がチャペルで行われた模様であるが日時不明
起訴状の公訴事実(逮捕されて起訴された理由)
年月日などの数字は漢数字を算用数字に変えました。教諭の右側は正式には”兪”となっているのですが、字がでてこないので”俞”としています。緑色部分が違法として起訴された波岡先生の発言部分です。なお判決は未入手です。
波岡三郎に對する陸軍刑法竝びに臨時取締法違反事件控訴事實
被告人は東京學院神學部を經て紐育州ローチェスタ神科大學を卒業し、昭和3年9月日本バプテスト傅道社圑牧師となり、姫路市綿町姫路バプテスト教曾を主宰し夾り昭和12年1月以降日本バプテスト傅道社圑の設立したる姫路市下寺町所在私立日ノ本高等女學校校長として勤務し現在に及べるものなるが、其の間米國に留學し其の國情を見聞し多數米國人と親交し夾たりたる為大東亜戦争勃發後に於ても依然として親米思想を抱懷し、敵米國の戦力を過大に評價し戦局の前途に不安を抱き居りたるものにして、且畏くも屢々勅語詔書を誤讀し物議を醸し居たるものたるところ
1、昭和18年10月中旬前記日ノ本高等女學校教員室に於いて同教諭校教諭、
との旨
真珠灣の攻撃は我國の騙討にして大東亜戦争は我國が挑発したるものなることを放言し、以て大東亜戦争に際し軍事に關し造言飛語を為し
2、(イ)昭和18年11月下旬前同所に於て前同人等に對し戦局談を為したる際、何等確實なる根據なきに拘らず
何と云つてもアメリカの資源は豐富で生産力の勝れて居ることは日本の比ではない、日本の生産力一に對してアメリカは百である、仮に日本の生産力が二倍三倍になったところでアメリカも亦二倍三倍になるから其の差は益々大きくなる、生産力の点では迚も日本はアメリカに敵ひもしないし勝てもしない
との旨
(ロ)昭和19年2月上旬同校教員室に於て教諭大塚昇外數名と戦局談を為したる際同人等に對し
ガダルカナルの轉進以来アッツ島の玉砕、外南洋内南洋に對するアメリカの進攻が非常に早く強いのはアメリカの生産力が想像以上に強大であるからで、アメリカが最近ぐんぐん北上して夾ること、日本の近海でアメリカの潜水艦に日本の船が沢山沈められて居ることを見ても如何にアメリカの生産力が強大であるかと云ふことが判る、こんな風に次々とアメリカが北上して来ると日本も敵はない
との旨
米國の生産力を過年大に評価し徒に戦局の前途に不安を抱かしめ我國の敗戦を示唆するが如き事項を放言し、以て戦局に関し人心を惑?すべき事項を流布し
3、何等確固なる根拠なきに拘らず
(イ)昭和19年2月上旬同校教員室に於て教諭大塚昇外數名に對し
又最近朝鮮海峽を通る船がよく沈没するので軍の方で調べたら下關の驛長がスパイであつたと云ふことが判った、驛長の子供が幼稚園で家に澤山紙幣があると云ふたことから驛長がスパイであることが判つた様です
(ロ)昭和19年2月9日頃同校第4學年1組教室に於いて森本英子外約40名の生徒に對し公民科目の講義を為したる際同人等に對し
アメリカは此の大東亜戰爭で必ず日本をやつ付ける自信があると云ふて居り、日本が負けることは明かだと云ふので日本が負けた際朝鮮を獨立させる為アメリカに居る朝鮮人を煽動して紐育に朝鮮獨立の假政府を組織して有ゆる援助をして居ると云ふことである
との戦時下内地同胞をして半島同胞にに對する憤激を醸成し、延いて两者の緊密関係を離間すべき虞ある事項
(ハ)昭和19年3月7日頃同校教員室に於いて教教諭大塚昇外數名に對し
川西(川西航空機株式会社姫路製作所の意)では工員が5千人も居るのに月に飛行機が2臺しか出夾ないそうですね
との旨我國の飛行機生産能力が著しく劣弱なることを誤想せしめ戦局の前途に著しく不安を抱かしむる虞ある事項
を各放言し以て時局に關し造言飛語を為したるものなり。
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香保のコメント
★70回生の私は1965(昭和40)年卒業です。でも波岡先生のこの弾圧事件のことをいつ誰から聞いたのでしょう? まったく記憶がないのです。中学からの入学生には先生からお話があったのかもしれませんが、私は高校から日ノ本に行きました。
58回生の湯口さんは在学中に、波岡先生が「戦争中に投獄されたことを聞きましたが、その頃あまり考え込まず…」と記述しておられます。
先生の体験を直接伺うチャンスに気づかなかったことが今本当に悔やまれます。
★どんな理由で波岡校長が逮捕・投獄されたのか、現在日ノ本で働いておられる先生方ですらご存知ではありません。
私は、日ノ本学園の120年を超える歴史のなかでも、卒業生が「誇るべき事実」としてその内容を残しておくべきと考え、図書館から借りた「特高時報」を入力してもらいましたが、難しい字が多くて大変だったようです(笑)。
★ネットで検索すると、藤尾正人氏が国会図書館にある資料を元に「戦時下キリスト教迫害関係資料について」を掲載し、資料24として波岡先生について説明をしておられます。先生の経歴の中の色文字部分はそれと「日ノ本75年史」からの引用です。この資料24は波岡先生ご自身が送付されたものとい思われるのでなんとかその写しを入手したいと考えています。
藤尾氏はさらに次にように書いておられます。
宗教上のこと、対米国との問題、戦争に関する件、天皇に対する件につき取調べを受けたが「明らかにミッション・スクールに対する圧迫であったことは明瞭であります」と(波岡先生が)結んでいる。
一説によると、波岡氏の夫人がアメリカ人であり、アメリカの広大な国土と資源をよく知っていた波岡氏が、県下の校長会で「日本はアメリカに勝てない」と漏らしたことばが密告されたともいう。
なお波岡夫人、鐘子さまは米田龍平氏を父、フランス人を母としてアメリカで生まれたのでアメリカ国籍ももっておられたとのことです。
波岡先生から「国際結婚はいいですよ」というお話しを聞いた生徒もいます。
★to Isaku Sennsei from Kaho, August 3rd 2017
You mentioned that the use of Chinese characters below are wrong.
I think you are right,but I wrote exactly same as the published book" 特高月報”
アメリカが日本をやつ付け様として一生懸命に反攻して来るのは當然である、アメリカでは眞珠灣を日本が騙討したと云ふて居り此の戦争は日本からアメリカに仕掛けた戦争だと云ふて居る、事實其の様にも解釈出来るのであってアメリカが怒つて一生懸命反攻して来るのも無理はない