童話本の様な題である。 このタイトルを見ただけで本物の象が瞼に浮かぶ。主人公のカラスは男の子。
この短編は男女が交互に語って進められる。
まず女の子。 そして男の子が語る。
ウ・ミンイの青春の匂いがしている。
象というのは、「カラスがアルバイトで着る縫いぐるみの象」のこと。
作者はいつものように、オゾンのように掴めないものの中に
はっきりくっきりした現実の手でつかめるものを入れ込んでいく。
その見事さに読者は顎が落ちていくのを感じるのだった。
子供の頃に住んでいた商場の話、君にしただろうか? きっと知らないだろう、そんなところ。知ってる? そうか。 僕は一番手前の「忠」棟に住んでいた。 放課後はいつも、「愛」棟と「信」棟の間にかかる歩道橋まで走った。魔術師がマジックをしていないか、見に行ったんだ。当時、商場じゅうの子供が彼の熱心なファンだった。その日、大雨のあと、雨脚が少し弱まったころだった。p.85
この時のマジックは次に続く子供の死を暗示している。
中華商場の横には、台北駅を目指す列車の線路があった。
母の話では、父の時計修理の技術は、日本統治時代(日清戦争で勝利した日本が台湾を植民地統治した時代。1895年から1945年)に招集されて、軍の技工になったときに身につけたものだという。 腕時計も目覚まし時計も全部ゼンマイじかけだった時代、その腕でふたりの息子を育てることはたやすいことだった。でも、どこの子供も直感的に感じるように、ぼくもまた、父が兄を愛し、ぼくを憎んでいることを知っていた。
こうして現実を伝えるそのすぐ後に作者は夢のような文章を綴る。
ぼくは、ある時期ずっと、こうして手に触れられるものは全て幻なんじゃないかと考えていた。机も幻、ベッドも幻、こうして触れる君の乳房の幻。寄りかかる大木までも幻で、ただ、僕らの心のなかにあるものだけが本当なんだ。矢で貫かれたようなあの痛みや、ぼくらに語られた炎のような記憶だけが・・・・ p.89〜90
若い世代の家族を失うことが一家にとって大きな悲しみになること。
家庭が崩壊していく様子はこの短編のメインかもしれない。
最後は五月雨のような男女の述べあいが、クルクル入れ変わる。
私には最後の文字が曲の終わりの「3度の重音」のようだった。
****************************
****************************