第7話『鳥を飼う』
鳥は苦手である。 よりによってと思った。
ミンイの小説を読んでいて、しばしば谷崎潤一郎思い出す。
二人とも文字をつなげると芸術になるところが似ているからかと思う。
特に7話では、谷崎潤一郎の「春琴抄」を思い出した。
春琴が飼う小鳥は、うぐいすやひばりでその世話の描写をした谷崎も半端ではないが、
ミンイもまたジュウシマツではあるが、半端ではない。
私も10歳の頃、ジュウシマツを飼って自分では世話をせず祖母にさせて、祖母がうんざりしたことや、
羽が全部真っ白が生まれたが、弱くて死んだこともたっぷり思い出した。
文鳥も登場するので夏目漱石の「文鳥」を思い出される方もいらっしゃると思う。
次々、日本の文豪思い出せるのが、ミンイの才能だと思う。
酉年の今年に最適の読み物ですよ!!
〜〜〜〜〜〜〜〜
第5話『ギター弾きの恋』
ここで、ウ・ミンイが育った中華商場という場所をもう一度考えてみたい。
ギター弾きの恋では一段と激しく商場という場所を考えてしまう。
ミンイの作品にはお金の匂いがしないのだ。
それは本人も語るが少年青年時代を通してとても貧しかった。
商場や付近に住む人たちはみな貧しく、お金に頼ることができないことをよく知っていた。
トイレが共同であったことも、小説家ミンイに大きな影響を与えたのではないだろうか ?
人間同士の放つ掛け値のない切羽詰まった香り。
外側の自分を飾るのに何の力もないものの持つ強み。
その環境で育んだセンスが、今日、物やお金しかわからなく育ってしまった人間を多く抱える日本社会に、
その空しい隙間を埋めるものを求めている人間にとって、永遠の福音をもたらすものとさえ思える。
もちろん人生最後まで、あくまでも順調で、強気で死ぬ人がいることだろう。
家の裏手が鉄道だったミンイは、この小説を終えるのにこう結ぶ。
僕はアザを見つめながら、ワンツーマンのレッスンは来月からやめようと思った。僕と喧嘩したことを奴が覚えているかどうかは知らない。ただ、あの夏をどうやり過ごしたかなんて、必死で思い出したところで、ただ一つの風景しか浮かんでこない。僕らは歩道橋の端に立って、列車が川の流れのようにカーブを切っていくのをずっと見ていた。この都市に入ってくる列車も、この都市から出て行く列車も、今、ぼくらが見ているたったこれぽっちの線路を過ぎたら、その姿を消すのだ。 p.114
**********************************
**********************************
写真 蠟梅とジョウビタキ
******************************