6月23日は先の戦争で唯一の地上戦があり、25万人ともいわれる
死者を出した沖縄戦が組織的な戦闘を終えたとされる日であり、
その犠牲者たちを悼む「慰霊の日」でもあった。
●慰霊の日、沖縄の怒り 知事「辺野古阻止へ不退転」
中日新聞 2017年6月24日 朝刊
この戦争で沖縄は本土決戦の準備のための時間稼ぎの捨て石とされ、
唯一の地上戦の 様相は「ありとあらゆる地獄」を集めたような
残酷・悲惨なものであったと言われている。
戦闘員よりも多くの民間人が犠牲になり、住民の4人に1人の命が失われた。
中でも非戦闘員であるはずの未成年の少年、少女が大人同様に従軍し
戦闘に駆り出され、多くが犠牲となった。
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マラリアなどの病死や朝鮮出身者たちの犠牲者数なども含めると、
25万人にも及ぶと言われる。
「生きて虜囚の辱めを受けず」との戦時訓から、投降を拒み、集団自決した住人
や、友軍(日本軍)に避難先を追われたり、殺害された者もいた。
まさに軍隊は民を守らない状態であった。
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破壊され尽くした民家と老女の遺体。
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武器を持って走り抜けようとしたために射殺された従軍看護婦。
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米軍に保護される母子。
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水をもらう裸の幼児。
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投降した少年兵。
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● 鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい)
14~16歳の学徒による少年兵部隊。沖縄戦において正規部隊に併合され、
戦闘に参加し多くの戦死者を出した。
約半数が戦死(17歳未満の戦死者は567名)。
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ひめゆり隊。動員生徒222名中211名が戦死。
写真は211名の遺影。(ひめゆり平和祈念資料館)
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● ひめゆり学徒隊(ひめゆりがくとたい)
1944年12月に日本軍が中心となって行った看護訓練によって作られた
女子学徒隊のうち、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の
教師・生徒で構成されたものの名前。
通称ひめゆり部隊やひめゆり隊と呼ばれることもある。
そして敗戦。しかし、沖縄の苦難はここで終わらない。
戦後も1972年まで、日本で唯一の米軍統治下に置かれ、
復帰後も国土の0.6%の面積に 在日米軍基地の74%を抱える負担を
強いられ続けている。
先日亡くなった太田昌秀氏は県知事在任中に迎えた戦後50年に際して、
まったく軽減しない沖縄の犠牲と負担についてこう言った。
「沖縄は50年間ずっと我慢してきました。
これ以上いつまで我慢しろと言うのですか?」
それからさらに22年。
状況は一向に変わらないどころか、
昨今では安倍政権による露骨な弾圧さえも加えられている。
●「政府、沖縄で人権侵害」 山城氏、国連で声明発表
琉球新報 2017年6月16日 06:30
いくら何でもあんまりだ、と思う。
戦後72年になろうと言うのに、これだけの重荷をいつまでも
沖縄にばかり押し付け続けていること。
そしてそのことに、何も感じない、関心がない、仕方ないと思っている、
その事実すら 知らない、知る気がない等の本土の私たちの他人事の態度もともに、
いくら何でもあんまりだ、と思う。
こうやってずっと、常に沖縄は後回しにされ、疎外され、矮小化され、
大切に扱われることなく、差別され続けてきたのだ。
もう、どんな言い訳も通らない。沖縄の問題は沖縄の人たちの問題ではない。
私たちの問題だ。
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マサコ 2017年6月26日 13:54
貴重な写真とともに真摯な記事をありがとうございました。
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emiya 2017年6月26日 14:21
過不足のない文章に、コメントは不要ですね。
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モニカ 2017年6月26日 14:57
読んでいても胸が痛くなるような事柄を、
よくまとめてくださりありがとうございました。
心から感謝いたします。
半夏生の写真を添えて、海峡にいただきました。
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ヒロキ 2017年6月26日 15:14
心のこもった緻密な日記を拝見し、胸が熱くなりました。
どの写真も一人ひとりがかけがえがないことを訴え迫真的です。
ひめゆりの写真の前では、娘たちがちょうど同じくらいの年だったこともあり、
立ちすくみしばらく動けませんでした。
私たちの問題…これこそヤマトンチュに一番大事なことだと思います。
私たちは「第二の琉球処分」を現在進行形でしていると思います。
現地で、私自身もその「当事者」=加害者だと思いました。
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mari 2017年6月26日 20:51
> マサコさん
写真を見ているだけでも涙が出てしまいますね。
こんな被害の上に、さらに戦後も虐げられているのですから、
ひどすぎます。
ここにはやはり差別があるのだと思います。
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2017年6月26日 21:04
> emiyaさん
辺野古移設反対の公約で当選した翁長知事。
しかし、安倍政権はその民意も無視しています。
沖縄を踏みつけにしたまま72年は、どうあってもあんまりです。
一人一人の良心が問われています。
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mari 2017年6月26日 21:09
> モニカさん
ようやく日記になりました。ありがとうございます。
「海峡」への転載、お世話様です。
半夏生の写真のお気遣いにも感謝いたします。
沖縄がこんなにもズタズタにされたのに、
まだ約2カ月も戦争を続けたのですね。💢
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mari 2017年6月26日 22:40
> ヒロキさん
ありがとうございます。
写真は沖縄公文書館所蔵ですが、元はほとんどが米軍の従軍記者が
撮影したものです。その為もあってか、米兵が女性や子供に優しく
接しているショットが多々あります。
しかし、これは実際に当時の沖縄の人々の実感だったかもしれません。
鬼畜米英と言われた敵国の方が、自国の軍隊よりもずっとまともに扱ってくれた。
日本軍はそれほど劣悪だったでしょう。
復帰後でさえも、日本政府よりもアメリカの方が良くしてくれたこともあった、
という声もあると聞きます。
本当に耳の痛い、心苦しいことです。
今回、慰霊の日に際していろいろと写真や記事を捜していたら、
咽や胸が詰まり、苦しく、辛く、しばらくは何も書けなくなってしまいました。
でも、そうだとしても、おっしゃるとおり、私たちは「第二の琉球処分」を
現在進行形でしている加害者なのだ、という事実は消せません。
そうなのです。
メソメソしている暇があったら、踏んずけているその足をどけなさい、
ということですね。
諦めずに、それぞれが自分のできることをやって行きましょう。
過去日記のご紹介、ありがとうございました。
現地にまでいらっしゃったのですね。
拝読し、胸に響きます。
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ヒロキ 2017年6月27日 08:23
慰霊の日を迎えるに当ってここまで資料に当られ準備されたご熱意に脱帽します。
何も書けなくなられたとのこと、想像できます。
日記をご覧いただきどうもありがとうございました。
「第二の琉球処分」は昨秋沖縄に行って思いついたことです。
この認識を皆さまに問いたいと思っておりましたところ、
共有していただき嬉しいです。
基地問題への取り組み、沖縄の文化全体への憧憬、原発事故に遭遇することへの
回避などいろいろな理由で沖縄に移住する方が増えているように思います。
親しかった知人2名もそうです。
でも、私たちは本土に居て沖縄の方と連携しましょう。
沖縄の先進的な文化を学び本土で広げたいです。
9条の理念もずっと深くなります。
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マサコ 2017年6月27日 09:12
どこまでも深いお二人の話を聞かせてくださって有難うございました。
ヒロキさんの日記を読ませていただき、 沖縄を近く感じられました。
mari さんは社会活動を常に美しい芸術のレベルに引き上げて
色々と教えて下さいます。 感謝の気持ちを込めながら
お仕事が多くの人の目に触れることを祈ってやみません。
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mari 2017年6月27日 12:28
> ヒロキさん
いえいえ、ただ単に表現力や文才がないために
行き詰ってしまっただけかもしれません。
ただ、やはり、沖縄戦のことを改めて見たり読んだりすると、本当に
人間のすることの果ての果てを見るようで、言葉を失ってしまうのも事実です。
そしてその後も続く沖縄の受難も思うに、いくら何でもあんまりだ、
としか言えなくなりました。
まことに不器用なことでございます。
沖縄から学ぶことはたくさんありそうです。
収奪と浪費と破壊の末の豊かさではなく、
分かち合いと共生の中にある豊かさを学ばせていただきたく思っています。
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mari 2017年6月27日 12:36
> マサコさん
いつも私を身の丈以上に褒めてくださるマサコさん。
恐縮です。💦
芸術と言うよりも職人でいたいかもしれません。
そもそも、お絵描き芸者ですし。💦
極めて未熟なのですが、熟練になるまで待ってなんかいられないもんね。
この図々しさは、見事でしょう?
今後ともご一緒に励まし合ってまいりましょう。
よろしくお願い致します。
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マサコ 2017年8月3日 15:31
ここにアップしてくださった写真を日々何回も思い出します。
それぞれに選び抜かれている数枚の写真。
沖縄の悲劇を伝えてくださいます。
mariさんの賢明な、お仕事によって 深い祈り心に
なれることを、 せめてもの罪滅ぼしだと思っています。
ありがとうございました。
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mari 2017年8月3日 17:27
> マサコさん
そんなにも丁寧に扱ってくださって、ありがとうございます。
文字だけでは充分に伝わらないこともありますね。
本当に心が痛い、今もなお苦しみを背負わされる沖縄・・・。
沖縄がこんなに酷く悲しいことになっているのに、その後約2カ月も
戦争を続けたんですね。狂気です。
また今年も8月になりました。
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