エッセイ&映画#13 6年目の 3.11 by mari |
「私はエジプトでのイスラエルの苦しみを全て知っている。
そこから救い出すので、お前が連れ出すように」
しかしモーセは神の勅命に戸惑い、問い返す。
「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行ってイスラエル人を
エジプトから連れ出さなければならないとは」
40年間、イスラエルの民を救おうと努力し、ことごとく失敗して、落ちぶれた
モーセはすっかり絶望し、疲弊し切っていた。しかも既に老年であった。
応えられずにいるモーセに、神は言う。「私は常にお前とともにいる」。
・・・
未曾有の大災害、東日本大震災から6年。
今日は教会でも礼拝の中で特別の時間が持たれ、鎮まって祈ることができました。
あまりの悲惨な出来事が起きると、私たちは「神も仏もない」などと言い、
また実際にそう思ってしまいます。
あるいは、「なぜこんなことが?」と問いたくなることもあるでしょう。
実際にはその答えは解らないのですが、そこに留まっているだけでは
何も解決しないしないことだけは解ります。
6年目の今、あの災害の後、私たちはどうであったか。
被災者たちは? 原発事故は? 被災地は? 除染した放射能廃棄物は?
と、思いを巡らせて見ると、残念ながらほとんど何も解決していないことを
知ります。
あれだけの事故を招きながら、それでも懲りずに原発をやめない政府。
今も終息しない福島第一原発の事故現場では日々被曝しながら作業をしている
人々がいます。
6年経っても仮設住宅暮らしの被災者たち。先の見通しも定かではありません。
そして、学校では福島から来た子どもたちがイジメに遭ったり、職を求める者が
「賠償金があるのだから働かなくてもいいのでしょ」などと心ない、また事実では
ない非難を浴びています。
下の表は、今現在の被災実態です。
数字は一人一人の苦難の中身を表すには不器用ですが、悲しみの大きさ、
苦しみの千差万別を冷静に伝えます。
そして、私たちが選挙で選び、政権についているこの国の政治主導者は、
こんな有様です。↓
●「震災6年で節目」会見打ち切り
日ごと年ごとに忘れられ、置き去りにされる人たち。
問われているのは神でしょうか。
むしろ私たちかもしれません。