図書館で「フクシマ-ノート」を見つけた。
題名をヒロシマ-ノートから取った地震のこと、ととっさに思う。
著者のミカエル-フェリエさんは2005年10月から数ヶ月、
私のラジオフランス語講座の先生だった。
2011年3月11日の大震災は、TVで被害のひどい東北地方を見ただけ。
東京がどんな状態であったか想像もつかなかった。
東京在住のフェリエさんは、 体験者として東京の様子を
感覚芸術の才能を駆使して途方もない物語を紡いでいる。
哲学的に思考するフランス文化のためか、思索の伸びしろが広がる。
「序」は、紀元132年中国の人・張衡が最初の地震計(感震器)を
漢の宮廷に献上した話で始まる。
骨董屋に迷い込んだような 美術系の形容に面食らう。
感震器の直径は2 m 重さは600キロ近くもあったから、博物館向きかもしれない。
「扇の要」と題された第一部は全体が世界一広く開いた孔雀の羽のよう。
本が棚から落ちてくるからなのだが詩人作家の名が山ほど。
継いで地震が引き起こすすべての音に対して動員が、かけられている。
その合間に類まれなユーモアと言葉遊びが挟まっている。
フランス語の先生の時は、おふざけが過ぎて軽率な人と思っていた。
彼が「On'y va.(オニヴァ さあ、やろう)」と言うと、あっかんべーをして生徒は「八重歯」と反抗して怒鳴った。
番組の始まりと終わりに流れる二つの音楽は大層好きなので誰が選曲したのかなとセンスの良さに毎度感服はしていた。
この本は不謹慎にも笑ってしまうところがある。
笑えない本は読まない私の流儀にかなっているのだ。
この本は、 フランス語で書かれガリマール社から出版された。
日本語版にはフランス語版の「序」の前に
「私がこれを書いてるいま、高度の文明人どもが私を殺そうとして頭上を飛んでいる」
というジョージ・オーウェルの「ライオンと一角獣社会主義とイギリス精神」からの
引用があり、「日本の読者のみなさまへ」という素晴らしい手紙が始まる。
「三年を経ずして『フクシマ』はすでに忘れられた、 というのが現在の僕の印象です」
著者がいかに真面目に深刻にこの本を書いてくださったかを改めて思う。
この本の凄さ、それは日本人向けての挨拶と中国人の天才、張衡の生涯を紹介した
「序」に著者の並々ならぬ配慮を感じる。
地震の経験のない人にさえ通じるような振動を送りつつ、日本に暮らし、
日本人を理解しているフェリエ先生の他人ごとではない緊迫感を
しみじみ感じさせる名著である。
第1部3の終わりは、フェリエ先生が日本に残ることを決めるのに、
モーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」が登場する。
その明るさと優美な文章は、モーツァルトが乗り移ったかのよう。
それまでにも「音、音符、楽譜」の表現が飛び出して来て、
「なんと音楽一心同体なのだろうと」詠嘆させられる。
ヨーロッパの音楽が人間に浸透している深さと魂まで音楽に預けているご様子が眩しい。
続く第1部の4では、1のタイトルの「扇の要」の説明が芸術文のように流れている。
1つ1つがフランス語の単語のように、はっきりと切れて飛び出す。
文字が音となって耳に届く。
出ました!!
「五線譜上に刻まれた音符」
それは、音を発する前の確固たる場所。
まだ読み終わっていない第2部では、「海から救い上げた物語」として
著者は現地に足を運び取材を続ける。
第3部では「half-life(半滅の生)、使用法」と、訳者の義江真木子さんが
訳者あとがきp.302で解説する内容が続く。
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