web版45 今年のクリスマスカード by 伊東香保 |
毎年、1枚はクリスマスカードを用意する。
送り先はフィリピンの精神里子のクリスティン・ジェイン・ダンガヨ。1999年生まれだから今18歳、フィリピンの学校制度では10年生。小学校(義務教育)の6年、ハイスクールは6年で、ジュニアが4年間シニアが2年間と、小学校入学から通し番号でgradeが進んでいくので、10年生の彼女はジュニアハイスクールの最高学年だ。
1991年から里親として何人もの子供たちの教育援助プログラムに参加してきた。
最初の頃の里子とはたくさん手紙のやり取りをしていたのに、最近はせいぜいクリスマスカードだけ。
そしてあちらからもクリスマスカードが届く。全部本人が作ったカードである。
さて今年のクリスマスシーズンを前にカードを買いにでかけた。
細かな切り絵のようなカードが2種類、ひと目で気に入って、赤4枚と青2枚を求めた。赤はフィリピンのクリスティンとカナダのルエラ・マックレラン先生のため、青はアメリカの波岡維作先生のためであったが、残りは宛先が決まってはいなかった。その後、日ノ本の先輩3人に届けることになり数日前に オシマイ になった。
そろそろ世界中に同じカードが届いているはずだ。
57回生の土屋純子さんのペーパー版「戦争とわたしそして日ノ本」の投稿の中で
戦後の一時期、クリスマスシーズンには、使用済みのカードがアメリカから届いたそうだ。教師はカードの内側に印刷した聖句を貼って生徒に配った。クリスマスだから聖句は限られる。裏面の糊が滲んだ下の5枚の写真は聖句を接写したもの、ひとりの生徒が5年間に受け取った5枚のカードは、学年が上がるにつれて日本語から英語になっている。小さな紙に謄写版印刷あるいはタイプして1枚1枚アメリカからのカードに貼ってある。
その作業をしながら教師は生徒へどんな願いを込めていたのだろう。
土屋さんはこの5枚のカードを今でも大切に保存しておられる。
会長代行は増刷しない理由を
しかしこの本は、18名の先輩が、自分の体験した戦争という事実と時々の思いを、
しかし現在の高2と高1、そして今後入学してくる日ノ本生は、
増刷しないことは、
自らが読んで涙を流し、「すべての従業員に是非読ませたい」と言われた会社の
発言に時間制限を受けたので、以下の予定稿はカットしたが、同窓生に訴えたかったことはこのカット部分にある。
「この本は見るのも嫌だ」と言った名誉会長の発言や「あれは左翼の本だ」という役員の発言は、その人個人の感情あるいは評価に過ぎない。このような拒否反応とは異なり、あの本の出版は、「同窓会史上特筆すべき素晴らしいこと」という積極的な評価も受けている。手にした人から次の人にと、どんどん広がっていったことはその素晴らしさの証明ではないか。
これら増刷を求める声を無視することは、組織の私物化(5人の役員が同窓会という組織を自分たちの思い通りにしていること)にほかならないのではないか。
会長代行は、私の質問に対して長い発言をしたが、①3つの質問にはなんらの回答もしないで、②ただ私個人への非難に終始した。
そのふたつのことは、出席者全員が理解したと思う。
しかしながら
総会では、増刷に反対していた役員4名が退任し、93期(48歳)の新会長および
このことは同窓会にとって大きな救いである。私のこの2年間の思いと行動が、こういう形で報われたといってよいだろう。
新役員のみなさんは、先入観を持つことなくあの本を読んで、増刷するか否かを
そしてみなさまおひとりおひとりには、
どうぞよいクリスマスをお迎え下さい!!
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波岡維作先生からの返信
Kaho san,
Your Christmas card has arrived. It is the earliest Christmas card this year!
Thank you very much. I am also happy to know you and your effort to publicize my Father’s sufferings during the war by the Japanese Government.
This is the main reason why I came to the US four years after the war.
My original plan was to study in the US about four years and go back to Japan and perhaps teach at Hinomoto. However I became interested in mathematics and more ambitious.
In 1956, I went back to Japan with my PhD degree from UC Berkeley and inquired about the prospect of finding a teaching job at some University with an American degree. I found out PhD meant practically nothing in Japan.
So I decided to go back to US and I applied for a US permanent residence visa (green card) which was issued early 1957 with the help of Cornell University, Ithaca, NY, and I started to teach at Cornell University from the second semester of that year.
Thank you very much for the beautiful Christmas card with an intricate “kirie”.
I wish you a Merry Christmas and a Happy new year!
Namioka Isaku (Isaac Namioka)
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香保から維作先生に
維作先生にとって、戦時中の日本は住みやすい国ではなかったのですね。
それは戦争という特殊な状況下だったからといって済まされる問題ではありません。そして戦後も、先生の第1の故郷 日本は、先生のように人の痛みを知る有能な頭脳を受け入れなかった。本当に残念です。
話はかわって、人を排除する論理は、今でも私の国、日本にはなくなっていません。いえ世界中に蔓延しているといえるでしょう。
正確ではないかもしれませんが、今日本では「今だけ、金だけ、自分だけ」という
ことばが自嘲的に使われています。キリストが目指されたのはこの言葉とは正反対のことだと思います。
来年もそんな日本で「何が自分の役割なのか」を模索する年になりそうです。
最後に、web版がたった1年足らずの間に、戦争そして先生のことを、日ノ本の
生徒たちに伝える役目をもってここまで成長したことに、心から感謝しています。
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