なつかしい人々(2) byマサコ |
辰年生れの人の名をそのまま屋号にした食堂は「デパ地下」にあった。
まともな人間が経営する食堂は客によっては経営者が食料の加減をすることはなかった。
全く馴れていない仕事を覚えるのは、大変であったが、いつしか、こなせるようになった。
店の事以外にも驚くことが多かった。
自分の育だった家と違うのは、掃除で、そのランクが異なる。我家では、きれい好きが、上の姉1人なのに、ここではみなが、掃除をする。特に長男のお嫁さんがすごかった。上手な人が掃除した後は、必ずきれいになる。掃除のやり方も知らない私は目を見張った。
物事は、時間を決めてキチッとする。大好きな生き方だ。
振り返ると、その頃も体中痛くて、頭はノボセで苦しかった。
体中ガスめぐりしている辛い体だったが、生まれてからずっと同じなので、良くしようも『理想』すら見当がつかない。
時々、あの生活がなくて元気だったら、一日中ラジオの語学講座を聴いていたに違いないと思う。
食堂には次女のご主人Kさんが調理師として働いていた。
そのKさんは優しい人だった。そのKさんにそっくりな人に今は「ロイヤル音楽院」といわれるカナダはトロント市のグ−ルドの母校で出会うこととなる。
自分の国を離れれば、同じように故郷を捨てた人たちに会える。これがトロントに住む魅力。とはいえ、カナダに代々住めばグ−ルドのように「土着」になる。
ゲリンガス氏は、リトワニア、イスラエル、ベルギーを経てカナダに移住したヴァイオリンの先生でトロントシンフォニーの団員であった。その人の生徒の伴奏者の修行をしたのである。
土着と放浪。調理師と音楽家。
一見して全く接点のない人たちなのに、私の心では、二人はまるで同じ人のように覚えている。
親切・仕事熱心・仕事に誇りを持つ人たちは、共通点が多いのだ。
今でも、我が青春の主要人物を思い出すと懐かしさと有難さに心がふっくら温もる。
Kさんの作った料理やゲリンガス氏の教えて下さった数々の名曲が心に響く時、幸せがどんなものか、もう一度、わかる。