遺された者の道 その8 by 石崎キク |
次のような短歌を通してその人たちの思いが切々と胸に迫ります。
「名誉の戦死と称えらるるとも幾百の、兵らは餓死せり国を恨みて」
「見捨てられ、飢えて死にたるししむらに、蛆(うじ)がわきおりこれが戦死か」
「靖国へは行かぬと言ひてゐし病兵が、ふるさと恋ひつつ翌日果てたり」
(小島清文著「守るべき国家とは何か」から)。
また敗戦までの軍国主義教育を受けて戦場へ出て行った人たちは、「死んだら靖国で会おう」と言い交わしていたと言われていますが、実際の戦場での生(いき)地獄の日々を経験する中で、美化される戦争や靖国思想の誤りに気づかされたことでしょう。
戦死は「散華(さんか)」「玉砕」などと美しい言葉で飾られる死でもなく、戦死者は、「今日の日本の繁栄の基礎を築いた人たち」でもなく、誤まつた国策のために、有望な前途を断ち切られた痛ましい犠牲者でした。
〔犠牲者の死が語りかけているもの〕
15年も続いた日本の侵略戦争で、戦没者と限らず国内外の戦争犠牲者は2000万を超えるといわれていますが、このような数多くの犠牲者の死を、「痛ましい戦争の犠牲」で終わらせてしまうことはできません。
しかし、目本遺族会を含む英霊にこたえる会その他靖国推進派の人たちのような姿勢では、結局また戦争が美化され、戦没者の死も、遺族の心情も政治に利用され、二度と戦争の無いことを願いながらも、新しい戦争への道に協力することになります。日本遺族会の方たちが、この点に目を開いてほしいと心から思います。
数多くの犠牲者が、今を生きる私たちに、そして遺された遺族に、何を望んでいるでしょうか。
崇められたり、敬意を表され、感謝されることではなく、私たちの手で、戦争の無い平和への道づくりをしていくように、あの過ちを繰り返すことのないように力を尽くしてほしいと、この60年願い続けてきたと思います。
遺された者が、肉親のこの無言の叫びに応えて行動していけるように、私たちは、敗戦を機に図らずも、戦争放棄、内心の自由、基本的人権の尊重、政教分離の厳守等が盛られた日本国憲法を手にすることができました。
この貴重な憲法の条文の奥に、私は、命の尊厳をおろそかにしないようにと望んでいらっしゃる神様のみ旨が示されているように思います。
武力攻撃への武力による報復、絶え間ない紛争や人権の揉礪(じゆうりん)等、平和の光がどこにも見えないような世界の現状にみ心を痛め、悲しんでいらっしゃる神様は、「敗戦」というゼロからの出発をした私たち日本の国民がそこから得た教訓を活かし、この憲法をより所として世界平和に貢献していくことを望んでいらっしゃいます。
悲しみを平和のために役立てて行きたいと願った私たちに神様は、戦没者の悲願がこめられている憲法を与えてくださっています。遺された者の課題をここから学び、小さくとも石の叫びを挙げ続けていきたいものです。(おわり)
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