トレッキングこぼればなし4 by ノリコ |
毎朝カランコロンという鈴の音と共にヤクが到着する。
人間もこれに相前後してやってくる。途中下山をしたために5泊もすることになったナムチェ・バザールでの宿、ロッジ・タムセルクには広い庭(?)がある。
通常のトレッキングのやり方(つまりメンバーと同じ数位のシェルパ、ポ-タ-、キチンボ-イを連れて、テントはもちろん、ナベ・カマ・折りタタミのいすなど一切を運ぶ方法)をとっている一団が、そこにテントを張る。1泊か2泊して彼らが次の目的地に向い、空地となるや否や、次のグループがやってくる。様々な国から、様々なテントをかついで。
朝、ほとんどのトレッカ-が出払ったあと、私はゆっくりご飯を食べ、自分のベッドのマットやシュラ-フを日に干し、ついでに自分も日向ぼっこをする。
ナムチェ・バザールはU字形の谷に開かれた、この辺では最大の村である。巾2m位のメインロ-ドの両側にロッジや店が軒を連ねる。トレッカ-や現地の人々の往来が激しい。
バザ-ルの開かれた土曜日のにぎやかなこと。10才位の少年が新しいズックの靴をもって地面に座り込み、ひもを通してから、新しい靴に履きかえ、古い靴はそのままそこに置いて立ち去った。彼の擦り切れたズボンの膝の下あたりが、ばっくりとあいている。
道が狭い上に、勾配が急で、私が一度転んだ所で、人が、2回も転ぶのを見る。太陽の動きに合わせ、椅子をこちらからあちらへと動かしながら、飽きることなく私は、人の通りを眺め、ざわざわとした物音を楽しむ。
ここで往きにも出合ったチョ-オユ-登山隊のシェルパに頼まれて、日本語の手紙を代筆する。彼は、日本女性を妻にしており、しゃべることは堪能だが、書くことはもひとつであった。本隊と離れて別行動をしている隊員2人が、予定を過ぎてももどってこないこと、その身を案じてシェルパ2人が様子を見に行ったこと、ルクラにいる隊員にもどってきてほしいこと、などであったと思う。この手紙は1日がかりでルクラに運ばれ、多分その翌日カトマンズの隊長のところに届けられるのであろう。
なお心配されていた2人の隊員は、中国側からチョ-オユ-に登り無事に戻ってきたことを付け加える。もっともこれは違法だそうで、ネパ-ル政府の耳に入れるわけにはいかない。
付け加えるならば、O氏は私がナムチェ・バザールで遊んでいる間に、トレッキングの許可をとっていないタ-メの方にでかけ、往きは現地の人のような顔をして、チェック・ポストの前を堂々と通り、帰りはこのチョ-オユ-登山隊員と出合って、みんなで身を隠して通過したそうだ。無論こんなことは、してはいけないのである。
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