英国よ、お前もか by ノリコ |
「変なアメリカ人」といわれて喜んでいるマイミクの権兵衛さんがアメリカの「愛国者法」について感想を載せた。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=455555198&owner_id=2037577&comment_count=5
おととい大阪でビッグイシューを買ったらイギリスの話しが見開き2頁で出ていた。
英国、人道国家から警察国家へ?
反テロ対策の名のもとに変貌か?
これが見出し。
英国政府によれば、「国家が、国家の安全を脅かす存在とみなした人を抑留したり国外退去させるのは正当」なんだそうだ。
「反テロ・犯罪・安全保障法」(2001)が成立した年の12月、Gと呼ばれる人が、他の11名の容疑者とともに刑務所に抑留された。その理由は、いまだに明らかにされていないし、警察での尋問もなく、裁判もなく、ベルマーシュ刑務所への直行であった。彼らの運命は「移民法」のもと、特別移民申立委員会の判断にゆだねられた。
Gは1995年アルジェリアから政治的理由で英国に難民申請をしたイスラム系男性であり、英国を選んだのは、人権国家であるという理由であった。難民申請は却下されたが、妻がフランス国籍を有していたので、英国にとどまることができた。
抑留から3年後、Gは、健康状態の悪化のために保釈されたが、その条件は「1DKのアパートから1歩も出ない」であったので、小さな庭にすらでることができなかった。足には電子タグがつけられており、室内に入ることの許可を得ていないインタビューアと車椅子に乗ったGは、開け放った玄関ドアの内と外で会話をした。
2004年12月、英国上院議会が「裁判なしの拘留は違法」と判断した。しかし喜ぶことはできなかった。「管理令」が発せられ、Gは1日12時間までの外出を認められるようになったものの、電話とコンピュータの使用が認められなくなった。
相変わらず電子タグはつけられており、タグ管理会社への連絡もしなければならなかった。「電子タグが作動していない」という理由で、午前3時に踏み込まれたこともあった。
そのような厳しい状況におかれたGを訪ねてくる人は、自分にも同じ事が起こるのではないかと恐れている。
2005年7月7日ロンドン爆破事件が起こり、8月11日警察官と入国係官が5台のバンで乗り付けて車椅子に乗ったままのGを運び出し、そのままロング・ラテン刑務所→強制送還施設に入れられた。
彼らには電子タグと厳重な監視による英国内の誰よりも確実なアリバイがあったにもかかわらずである。
10月26日Gの保釈が認められたがその条件は以下のとおり。
24時間アパート内軟禁
訪問者禁止
電話禁止
特別移民申立委員会に対する訴えが却下された今、Gは「英国を離れたい、アルジェリア以外の国ならばどこへでも行きたい」と願っている。
「次に罪状なく拘留されるのは誰なのか」
これが英国にいる多くの人々にとっての次の疑問である。