打てば響く高校生 by 土居由佳 |
兵庫県弁護士9条の会Newsletter No.26 より転載
「人権学習講座」講師報告
6月25日、私立の男子高校から、1・2年生に対して人権学習講義として中国「残留孤児」国家賠償請求訴訟についての話をしてもらいたい、という依頼を受けました。同校は、2年ほど前から人権について生徒に考えてもらう機会を設ける取組を始めたようですが、弁護士が講師になったのは今回が初めてとのことでした。
皆さんご存知のとおり、中国「残留孤児」国家賠償請求訴訟とは、「日本の地で,日本人として,人間らしく生きる権利」を侵害されたとして,中国「残留孤児」が全国15地裁で、国の早期国実現義務違反及び自立支援義務違反による国家賠償を請求している訴訟です。各地裁において敗訴判決が相次ぐ中、唯一、2006年12月1日,神戸地裁において、原告65名のうち61名に合計4億6860万円の支払いを命じる画期的な勝利判決が言渡され、その後、控訴されて大阪高裁へと舞台が移りましたが、国との間で「新たな支援策」について合意が成立し、訴訟は終了する見込みとなっています(2007年7月9日現在)。
講義の準備に当たって、1時間という限られた時間の中、何を話そうかといろいろ考えたのですが、まず、現在の高校生は、1980年代後半から90年代に大きく報道された「残留孤児」の訪日調査についても知らない人たちであり、社会の授業も近現代まで辿り着かずに年度が終了するため、中国「残留孤児」についての知識がほとんどないという現状にあります。そこでまずは「残留孤児」が生まれた経緯について説明した上、日中国交正常化まではそもそも帰国施策の対象外におかれていたこと、国交正常化後も留守家族の身元保証を要求するなどの国の理不尽な政策により大幅に帰国が遅れたこと、そして、日本へ永住帰国した後も不十分な自立支援により、今なお「日本人として人間らしく生きる権利」が侵害され続けていること、を説明しました。
この講演で、生徒に伝えたかったことは、まずは「残留孤児」が生まれた経緯そのものが軍隊とは何かを物語っているということです。すなわち、国策として国民を大量に満州に移民させたにもかかわらず、ソ連が攻めてくることが分かっていながら、開拓団を捨石にして、軍人とその関係者のみが先に逃げていってしまったという現実を説明し、「軍隊は国民を守らない」ことを訴えました。
さらに、帰国施策、自立支援施策において、声を上げて国の責任を指摘できない弱い者に対しては、世論による要求が湧き上がらない限り、その人権を保障するために何らの対策もとろうとしない日本政府の現実も訴えました。永住帰国までに残留孤児が経験した苦しみについて話をしたときには、生徒からも「かわいそう」というつぶやきが洩れました。
最後に、この講義で、私は、憲法と法律との違い、そして、憲法9条の大切さを是非訴えておきたいと考えていましたので、「憲法とは,国の根本的な法で,国民全ての利益の体系であり,国民一人一人の権利を守るために,権力,役人を拘束するルールである点で、他の法律とは異なっている」ということを説明するとともに、「全ての戦争は自衛という大義名分に粉飾されて始まるものであり、憲法9条を改正しようという現在の動きは、再び『残留孤児』を生み出すことになるというほかないものである」という話をしました。
そして最後に、「自分の経験できることは限られているが、人には想像力がある。想像力を働かせて、相手の置かれた状況を推察して、思いやりを持って生きていってもらいたい」と締めくくって終わりました。
そうしたところ、一人の生徒が、「北朝鮮など,共産主義国で訳の分からない、理解不能な国が日本に侵略してきたら困るから,自衛のためには憲法は改正すべきだ」と発言しました。すると、会場中から拍手が沸き起こりました。
この拍手からすると、これが高校生の大部分の認識なのかもしれません。これは、北朝鮮の「異常さ」を繰り返し報道するマスコミによる影響が大きいと思われます。
教師は、質問ではなかったということで、私に発言を求めようかどうしようかと迷っていましたが、これは是非回答をしておかねばと思い、わずかな時間でしたが、「現在の状況からして、北朝鮮が実際に攻めてくるなどありえないことは政府も認めている」「今の憲法9条改正の動きは、世界中でアメリカとともに集団的自衛権を行使できるようにするためのものであり、極東アジアに位置する北朝鮮は関係ないこと」を説明しました。
そうしたところ、会場がシンと静まり返りました。少しは理解してくれたと考えたいです。
講義の後、校長先生が、「政府は責任を認めようとしない。『残留孤児』事件もそうだし、沖縄の集団自決の否定もそうだ。」と日本政府の姿勢を批判しながら生徒に語りかけたため、一層、この講義が充実したものになったと思います。
印象的だったのが、講義後、この講義担当の教師が、「憲法と法律の違いを今まで知らなかった。今日、教えてもらってとてもよかった」という感想を話してくれたことです。教師ですら、憲法とは何かということを知らないことに驚くとともに、このような問題に関心のない人たち、とりわけ若い人たちに対してこそ、講演活動を行っていく必要があると改めて痛感した講演でした。