うつ病の思い出 回想 byマサコ |
正常人の家族がスースーと寝息を立てる音。
こう書くと「ホラ、耳が聞こえないといっているくせに」と言われそう。
でもこれは、からきし分からない人の言葉。
全く別の音が耳に流れ込んだ時のパニック。あれに近いもの。
音を聴いても判断力に結びつかないことを聞こえないと言っているのだ。
夜といってもやすらかではない頭。
指圧師の発言
「五体満足のくせに」とか「努力もしないつもりね」
思い返せば悪徳医師や治療師、半端者の宗教家になぶられて来た人生であった。
薬を使わない医者、見立ての良い治療家たちのみが味方だった。
夜中になってもまんじりとしない頭。
あけぼのの美しさもくすんだガス体の向こうにいるだけ。
夜のしじまに時々話し合う母に急に謝りたくなった。
「おかあさん、ごめんなさい」
母は、フト目覚めたのか、それとも起きていたのかわからない。すぐ返事があった。
「そのね、謝るのは、あなたが自分で立てないという意味なら、謝らなくていいのよ。
私があなたにピアノを弾いて欲しいのは、神さまとひとつになって欲しいから。
他のどんな事、マラソン、お習字、すべての事は神さまとひとつになる方法。
あなたの場合は、ピアノを弾くことが神さまとひとつになるもっとも近い道だ
から,お弾きなさいと言っているの。
どんなことにも負けない強い人間になってちょうだい」
これに近いことはツァラトゥストラからも16才の時に聴いた。
私の立場から言えば、妙な期待がかかるだけの話。
この件については、30才の時、かのグレン・グールドが正々堂々としかも遠慮がちにぶっ放した。
「あのね、今、一生懸命やっているピアノだけど、あなたは将来、ピアノには進まないョ。
マコにとってピアノは人生の中の小指の先くらいの部分だ。あなたは色々なジャンルに大活躍する女性になりますよ」
ピアノについては、小指の先といっても、それがダイヤモンドだったら、よかったわね。
22才でのうつ病を思い出せば、現在、まことに幸せなので、幸せの部分しか見えて来ない。
1秒1秒、どんなに肉親にかまわれて来たかを思う。
だから、ベビーシッターに行っても、子供の頃自分がされたように、毎秒、子供の相手をするのかもしれない。
「子供は、必要な手だけ掛けて、後は放っておくのが一番よい」と母。これも至言。
我が家では「かわいい」は禁句だった。
「かわいい」程、人をバカにして、堕落させる魔法の言葉はない。特に大人が小さい人たちに言うものではないと言い伝えがあった。
自分がどんなに教養の高い、思いやり溢れた人々に囲まれて育ったかは、うつ病時代の出来事を書いていてつくづくとわかった。
このページ、「あとがき」になるかしら?
つくづく思う。
新聞に連載される小説を読めば、ほとんどの人にわかるように書いてある。
私の話はタダでさえ理解されにくく、表現がしにくい。
一万人に1人位、なんとなく想像してもらえる文を書いているこの頃だ。
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