戦争体験者として by 石崎 尹劉 |
そう言えぱ、R君の家に来ていたことがあった。たしかピアノを習うとか言っていたな、と思い出しました。そしてその後、カナダでの生活のことなどを印刷物でよみ、ぴっくりしています。
それにしても貴女が、朝鮮慰安婦間題について力強い活動をしておられることを知り驚いています。私も22歳から29歳まで召集されて戦地に明け暮れました。現地に於ける慰安婦達の姿も見ています。
貴女がコリアーナと名付けた人々、日本人の身勝手な権力支配に踏みにじられた人々への思いは、誰も反論を許されない真事てす。貴女が送られた印刷物の内容は読めば読む程に私の思考をさらに奥深く誘っていきます。
日本はアジアの人々に心からのお詫ぴをし、罪のつぐないをしなければなりませんが、その中ても朝鮮の人々に対しては特別なものがあります。
単に人間の感清でとらえる謝罪とか、現代的な社会の仕組みての弁償とかいうようなものではなく、神の前に深く頭を垂れ、神の御声をきいて、自分自身を見つめることが日本入に要求されます。
お送りのプリント、どれにもこれにも貴女の言葉が深く埋められていますのて、これからも二度、三度と目を通していきます。
「かわら版」「海」「五時通信」など、同人会誌かと思いますが、あのように多くの方々と心をつないでいかれることは、なによりの心強い生活かと思います。ご活躍下さい。
それから、石崎キク様からも「神奈川平和遺族会」の出版物をいただきました。目下ページを追って読ませてもらっています。
走りがきで文字も崩れたままで書き直さずに出します。ご判読下さい。
1993年8月
「海峡」2号より
(注)このお手紙を下さった、おじさんの訃報が昨日届きました。ペーパー版「海峡」を発行したとき、励まして下さった方です。
最後に出したはがきに「インターネットで海峡を見てね」と書いたばかり。このweb版に載せることの承諾は得ていませんが、多分「いいよ、いいよ」と言ってくださるでしょう。