子規と節と拓次 by マサコ |
10代の頃、俳人は子規だけと思った。
今でもその考えは変わらない。
句は短く、名さえなければ誰が作ったのかわからない代物なのに、
どうして子規でないと嫌なのだろう。
我ながら自分の好みの激しさに恐れ入っていた。
私が感じ取る子規のエネルギーは作品以上で、
全てを投げ出して永遠の愛を捧げる気持ちになれる。
子規のように自作以外の句を研究している俳人は少ないのでは?
子規は「柿」が好き。120もの柿に関する句を詠んだ。
古代から柿は卑しい食べ物として、
題材として取り上げられることがなかったそうだ。
その子規に才能を認められていた長塚節。
短歌で日本語を、美しい草花・枝で活けられるのは節だけだ。
節の短歌は,見るだけでもとても美しい 。
節のように自分が師と仰ぐ人から、 天分を気前よく賞賛される人は幸運だ。
北原白秋は大手拓次を世に出すのに手を貸そうとしないばかりか、
私の目には「通せんぼ」したようにさえ思われる。
大手拓次は「触媒」。
自身は変わることがないのに、相対する物質、その心の化学反応を全て出させてしまう。
本人にとっては災難が待っているようなものだったと思う。
こんなことをほざいても拓次は、はにかんで笑うだけだろうけれど。
今年も3人の明治生まれの文人に励まされつつ、年を終えようとしている。
17才から、全く変わらぬ気持ちで
「しきちゃん、たかしちゃん」と暮らして来たが、
いつの間にか、少女はおばさんに。
あー、それどころか。
3人の坊やたちは、平成を のそのそ 生きている私を、
あの世から見守ってくれることであろう。
17才の時から、「たっちゃん」が入ってなかったことが、とても淋しい。
「手紙」と「言葉」のギャラリーショップを
東京 表参道のこどもの城の近くではじめました。
もしご興味ありましたら、ご覧ください。
よろしくお願いいたします。
コメント欄より失礼いたしました。
(リンクをさせていただいてもよろしいでしょうか?)
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