青春旅日記 その1 by 青丹彩 |
「逃亡者」の日
S区(東京)→K市(神奈川)
つれづれ
本日快晴されど風頗る強し。
午後12時45分、劇的瞬間。偉大なる旅行への第1歩を記す。
しみ一点なき黄色きサックと靴が印象的だなと、彼は少々きまり悪そう。
まず環6通りに出る。強い風は彼に恩恵を与え、まずは順調。
この後に自然のいたずらのき(気)ままさが彼につらく当たろうとしていたのを彼は気がつかなかった。
大橋から厚木街道に出る。厚木街道とは、のちに馬絹というところで再会することにして、環7通りに折れる。この通りを可成り行ったところ、つまり、石川台というところで、右折せねばならぬのを、彼のおっちょこさをして直進せしむ。それが為、中原街道を無視して京浜国道(第2)に出会ってしまう。当初からこの始末。先が思いやられる。
もどろうという気にならぬのが、彼らしい。右折を2回すれば、中原街道に出るだろうということは想像される。多摩川まで第2京浜を直行。そこから沿って、北上、約1時間の損失をもって中原街道に合流。川沿いにペダルを踏む時の重さ。こげどもこげども成果あがらず。上述の自然の気ままさとはこれのlこと。大腿部は酸素不足で疲労蓄積。昨日降雨ありしといえども、風のため眼には塵埃多量に飛込み来たる。この損失の、以後の走行に及ぼす影響はいかばかりであろうか(大袈裟な)。
しかしながら15:30分、Mに到着。
夜はヒナ祭、妹の合格祝い、小生の小さな前途を祝ってスキヤキパーティーを催してもらう。
第2日目 M滞留 3月6日(日)
「源義経」の日
本日極めて濃厚なる曇天。無風。
天気予報に依れば明日(7日)は雨になるとの由。
S氏宅に2泊することになってしまうので走行断念。
電報をS氏に打つ。
一日中子守に徹す。
妹の高校卒業の日である。おめでとう。
第3日目 M滞留 3月7日(月)
案の定雨。気象予報も結構あたるものだと彼は思った。
(でも気圧配置から一目瞭然といえば、それまでであるが....。)
K子、Y子両嬢に気をつかうことで半日を過ごす。
第4日目 M滞留 3月8日(火)
雨に加ふるにみぞれ。打つ手なし。ああじれったし。
自然の女神はナイーブに非ずや。
窓越しに彼は恨めしそうにどよんだ空に眼を投げ、闘志消失の様子であった。
伯父、伯母も彼に同情すること極めて大であった。
明日雨が降ったら、ほんとうにどうしようかと彼は思っていた。
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