青春旅日記 その10 by 青丹彩 |
8:30 起床。快晴(尾道では)
ここの宿には、洗面所もない。彼は歯も磨かずに、そこの老婆のすすめるお菓子と茶をおさめた。
彼女は彼をはなしたくない様子で次から次へと話をつづける。彼は、いちいち頷いた。
彼は、瞬間的な機会をとらえていとまごいをした。
宿料三百圓を払って出ようとすると、その老婆は「50円だけひいておきます」と言った。彼はとても引いてもらう気にはなれなかった。「商売は商売ですよ。結構です。まだ金はありますから。」と言って別れた。勿論その老婆の言葉には、うず潮で見たじゃけんという表現が頻繁であった。
そして見晴らしの良いとその老婆に教えられた、高台にある千光寺に行くことにして別れを告げた。
9:40であった。
千光寺からみる尾道の町は古いかわら屋根の町であった。造船業が盛んで良港でもある。志賀直哉、林芙美子、姿三四郎でも名高い町であるが、彼は西へ行くことに決めた。
12:00頃、三原市の西の本郷町で食事をとった。そして現在。
尾道では快晴であった天気も、ここら辺から怪しくなってきた。彼は、曇っている西へ向って進んだ。この曇り空を突っきろうと思ったのである。
この山を乗り越えれば広島はもう晴れ空だと思ったのである。
中国山脈はなだらかな丘陵であると学校で習った彼は、中国山脈のそれもはしくれであるこの2号線はたいしたことはないと判断した。ところがさにあらず、急勾配ではないが、波長が大きい。彼は頑張った。鈴鹿峠をのりきったことを思いだしつつ。
彼が高校2年の時であった。彼は鈍行列車で宮島、江田島へとひとり旅をしたことがあった。その帰り道、三原の西の駅糸崎駅で汽車がなくなり、夜中の12時頃、この糸尾崎駅で震えたことがあった。コートの襟を立て、当時まだたばこというものと関係のなかった彼は駅の外を散策したものであった。町全体がもう眠っていたっけ。彼はそんな事を思い出しながら、中国山脈のはしくれを乗り越えた。
16:30頃であったろう広島へ入った。雨はかなりはげしく、本降りではなかったが降っていた。大田川(広島は太田川 モニカ) のデルタで名高い広島の町は、やはり橋が多い。工場からの煙がたくさんのぼっているこの町は、道路は悪いし、町全体が改造中とあって彼の興味を全くひかなかった。彼は、この町をすぐさま通り過ぎ、先に宿があるかどうか分からなかったが、岩国まで進まんと試みた。雨は、小つぶであった。
宮島は、夕暮れと空の曇りのため、名高い鳥居がうす赤く見えるだけであった。宮島をあきらめて彼はさらに進んだ。ところがすぐ宿泊所を見つけそこに今夜の寝床を求めた。ここの宿ではもうかなり九州弁が聞かれるのである。
そして現在。20:20。
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