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by grpspica | 2005-05-25 10:59 | 命・平和・人権 | Comments(0)
2005年 05月 24日

在日コリアンの回答を読んで by A.M.

  読み進むうちに、自分の表情が変わっていくのを感じました。
  在日、という言葉の持つ言いようのない重さを思い知った様に思います。
都会に住んでいる者が、自分の故郷を懐かしく、そして誇りに思うことがごく当り前なように、在日の方が祖国を思い、そして胸を張ってほこりにできる‥‥そんなことがどうして実現しないのか‥‥と歯がゆく感じます。

  でもこの目に見えない壁を崩していくのは誰でもない、私たちの世代なのですね。
私には6才と3才の息子がいます。彼らには、何の先入観もありません。誰に対してもまっすぐ、そのままの真っ白です。そんな彼らに間違った先入観を与えないように、親である私が、まず、在日の人達のことをきちんと知り、理解していかねば‥‥と思いました。そして、そのうえで正しく子供たちに伝えようと思っています。

 幸いなことに、私は「海峡」を通して在日の方の声を知ることができます。でも日本人の多くは、在日の人達のことを知る機会が余りに少ないのです。テレビ・雑誌・新聞 あらゆる所でもっともっと在日という言葉の重みを伝えて欲しいと思います。

 「日本」は家で言うなら基礎工事に手抜きがある-- というご指摘、とてもショックでした。充分頑丈な土台と信じ切っていましたから‥‥。皆と同じということが何よりの安心感ということの恐ろしさを勉強すべきかも知れません。

 Aさんの回答なさったことで最も印象に残ったのは、お子さんへの夢・願いという項目です。
 「韓国・朝鮮人であることを個性とし、そしてそれを普通のこととして受け止める」ということを、さらっと述べておられますが、とても深みのある言葉と受け取りました。これからも「海峡」でいろんなことをお話ししてください。お願いします。 '96.03.06






by grpspica | 2005-05-24 11:30 | 命・平和・人権 | Comments(0)
2005年 05月 16日

在日コリアンの回答 その5 by 姜 光重(カン カンジュン) 

1,在日朝鮮人について一般的な説明をして下さい。
   「異国に永住することを決意しながら、その国の市民権や国籍を取得しようとする人が多数派ではない奇妙な集団」と捉えることが出来るでしょうか。勿論その奇妙さには相応の根拠や所以があるのですが。

2,ご自身が在日朝鮮人であることについて語って下さい。
  自分自身が朝鮮人であることについては残念な面もあります。
  日本の社会の中では、私のように医師であればかなり自由に活動出来るのですが、それでもアンタッチャブルなところがありますね。例えば政治活動に参加する、あるいは政治家になることは不可能です。

  それから日本人の目と朝鮮入の目という複眼で、社会のあらゆる現象を観察し、理解し、そして自分の入生にまた反映させるということが出来ますので、その意味では入生を豊かにしてくれたという風に思っています。

  医師という職業は、在日朝鮮入であっても日本の社会からは高く評価されますので、私の人生において、他者から評価されるときに、在日朝鮮人であるというより医師であるということの方が優先することが多いのです。そうすると在日朝鮮人である事を意識しなくでも生きていける・あるい在日朝鮮人であることのデメリットをより少なくして生きて行くごとができますから、私をもって、在日朝鮮人の一般像とすることは墨来ないのではないかな、私は非常に恵まれた位置にいるんではないかなと思っています。

  概して言えば在日朝鮮人というのは、社会的地位が不安定で経済的な保証も非常に不充分で危うい存在ではありますね。

3,ご両親が朝鮮から日本に住むことになった経緯にっいて教えて下さい。
  多分二人ともその親が食い詰めて日本にやって来たのだと思います。日本に来れば何とか食えるというので来たのでしょう。その背景には植民地支配と農地の収奪があったのでしようね。

4,現在のご家族について。
  妻が日本人、同い年。子供が3人、女の子。
  一番上の子は国籍法改正前ですから朝鮮国籍。下の2人は改正後ですから、取り敢えず日本国籍で、20才になったら日本国籍か朝鮮・韓国国籍を選択しなければなりません。
  両親はどちらも遠くに住んでいます。

5,ご実家での民族的な教育は、どうでしたか。また現在、どのようになさっていますか。
  民族教育は私の場合は余りなされていなかったと思います。むしろ家族は民族教育にっいては熱心ではありませんでした。
  私自身の子供に対する民族教育は、朝鮮総連系の西神戸朝鮮初中級学校に通学することで取り敢えず間に合わせています。
かなりうまくいっていると思っていますがどうでしょう。

6,ご両親の教育方針について思い出深いお話があれは1つ2つ、何か話して下さい。
  私達の両親の世代の場合、朝鮮人であるということだけで、あらゆる就業の機会、またしばしば就学の機会を奪われていました。例えば奨学金がもらえないために貧困家庭の子どもは進学出来ないとか。
  ですから自分自身に対して否定的な見解を持っていたようです。それとそういう処遇をする日本人や日本社会に対する反発というのもありまして、非常に複雑なメンタリティを持っているのではないかなと思います。けれど、エピソードというのは具体的にはっきりとは覚えていないですね。
  私の父親は事業(土建業ですけれど)に失敗して、その過程でアルコール依存症になりまして、今は、社会人としてはうまくいってないですね。お酒はやめていますけれども。

7,日本、日本人、日本文化について、感じておられる事を述べて下さい。
  重要なことは、反発したり否定したりしてもしょうがない、生産的でないということです。
つまり生きてる間に何かを産み出そうと思えば、敵は少なければ少ないほどいいわけです。
味方は多ければ多いほどいいと。少なくとも、何も達成出来なかったとしても精神衛生上、味方は多い方がいいだろうということですね。

  従って、私は最近「何事についても肯定的な評価をしよう」という風に考え方が変わってきています。
  実は私自身は、生まれてから今日までの40年間1度も臼本人から朝鮮人と言って罵られたことがないのです。どういうことかというと、私が勉強が出来て、気が強くて、そしていじめる側に廻るということが多いということで、向こうから私をいじめるとどんな仕打ちをされるか分からないので、面と向かって言われたことはないです。
 
  日本の社会というのは、秩序や調稀を優先しますね。それで天皇制を頂点とするヒエラルキーがあって、そのヒエラルキーの上下の階層構造が、その集団ピラミッドの存続や拡大発展をまず第一に優先する社会ですね。

  これはまあ俗に言う集団主義ですけれども、集団主義の良い面というのは、あることを成し遂げる、例えば経済の近代化を成し遂げるとか、高度成長を成し遂げる、そういう何か特定の目的があって、集団の力を必要とするときに非常に効率良く、目的は達成されるということですね。

  例えば、第二次大戦前の軍備の整備ですね。軍備整備についてもそうですし、高度経済成長もそうでしょう。それから、物を作るということにおいては非常に有効に働く。それから他の集団と競争するということでは、やはり集団内部の結束は有利な条件です。

  その裏返しですけれども、集団の存続や発展を最優先させるために、個人の人権や人間性が、しばしば尊重されないということが起きる訳ですね。一人一人の人間性が優先されませんので、少数者や社会的弱者はどうしても置き去りにされたり切り捨てられたりしやすい。

  在日朝鮮人がそうですし、傷害者がそうですし、阪神大震災で判りましたように高齢者がそうですね。それから精神障害者もそうですね。そういう集団ヒエラルキーの中に取り込むことが出来ない存在あるいは集団ヒエラルキーの規格に合わない存在というのがどうしても排除されてしまうという、集団主義の弱点もありますね。

  個人的に付き合えば非常にいい人ばかりです。まず柔軟で人の意見をよく聞き、自己主張はほどほどにして、調和的人間関係を保とうとする。こういうふうに穏やかですね。これは朝鮮入より穏やかです。

  朝鮮人に話してる話と日本人に話してる話、1個人を比べてみた時に、日本人と朝鮮人のどちらが侵略者であったのであるかと判断すると、話の過激振りからだけ推察すると、朝鮮人の方が侵略者だと誰でも言うと思います。それ位日本入は穏やかで調和的です。

  ただある特定の時代に、特定の民族の特性について一般的に語るというのはとても困難になって来ました。何故かと言うと、時代の変化が余りにも鋭く移り変わっているからです。従ってその時代の変化、出来事に応じて、日本人や日本文化もある程度適応しながら進んでいます。ですからこれから、そういう集団主義から速いスピードで脱皮するのではないかなと思っています。何故ならばそうでないとちょっと21世紀に日本社会が生き残って行くことが出来ないのではないでしょうか。

  その理由は1番目に他国との関係ですね。諸外国との関係が保てなくなるということですね。集団主義というのは競争を目的としています。決して共存を目的にしている訳ではありませんから、競争社会から得た多大な黒字が続く限り、他国から益々疎んじられる存在になるでしょう。だから競争社会から共存社会へ考え方を変えて行かないと臼本の社会は全く生き残って行けないと思います。

  2番目に自国内でも重要な問題が起きます。これは社会の超高齢化ですね。あと20数年で高齢者が人ロの1/4を占めます。その時に彼らは決して生産者には成り得ません。しかも社会的弱者がマジョリティーとして発生してきますから、これを今までのような弱者切り捨てでは済まされないと思っています。
  しかもそのマジョリティーは戦後の民主主義教育を受けてきた層ですから、切り捨てられることに我慢できるかどうか。多分我慢しないと思いますね。日本、日本人、日本文化というのはこれから急速に、おそらくいい方向に、共存社会の方向に変わると思います。

8,ご自身が朝鮮入であることを意識なさったのはいつでしょうか。
  小学校の先生が教えてくれた、小学校3年位からですね。
  その頃の学校の先生は戦前教育を受けた方ですので、日本と朝鮮の関係について、戦前の皇国史観的な自説を私達の前で臼本の学校で展開してくれました。そこで自分自身強く意識したと思います。

9,在日に生まれてよかったと思っておられますか。(イエスでもノーでも理由を聞かせて下さい)
  イエス。
  今は忙しいけれど豊かな人生を歩んでいると思います。それは私が在日として生まれたという条件が非常に大切だった。たまたま2番目に医者になってそういういろんな視点が持てる立場にいるということがありますね。

10,日本入になりたいと思われた事はありますか?
  中学生高校生の時に非常に厳しい就職差別があるということを知った時に、日本人であればこういう事がないのになと思いました。
  今は全くないですね。全くとは言えない、今はないですね。

11,今までで1番侮しかったた事は何ですか?
  妹が小学生の時に朝鮮入といわれて、沢山の男の子にいじめられたということですね。それを知らなかったわけですが、ひどいいじめに遭ったようですね。それが1番悔しかったですね。

12,最近の日本入の在日社会に対する変化をどう受け止めておられますか?
  かなり寛容になってしかも仲間として、受け入れようとしていますね。してると思います。世代によって違うでしょうし、階層によっても違うでしょうけれども、積極的に仲間として受け入れようという基本的な態度の変化がありますね。
  「さきがけ」がそうですね。「さきがけ」は自民党、新進党から分かれた党ですけれども、いわばリベラルな保守勢力です
  けれども彼らの態度は変わってますね。素晴らしいことだと思います。

  私はいつも言っていますが、日本というのはアジアのり一ダーですから、日本が市民社会的な文脈で民主主義国家になれば、他のアジアの国も続いて行くと思います。ですから日本社会のこの変化はとてもいいことだと思っています。

13,お子さんへの夢、願いを語って下さい。
  3人とも女性ですけれども、将来は男性に依存しなくても生きていけるようなライセンスであるとか能力を身に付けて欲しいと思っています。

14,この頃、考えておられる事を教えて下さい。
震災後の高齢者や障害者の置き去りにされた状況をどう変えていくかということを頭の中で8割考えています。

それから、私も40才の節目になりますので本を出すことを考えています。
1番目が詩集ですね。震災後にいくらか書き溜めたものがありますので詩集を出したい。
2番目が元々やっていたホスピスに関係したターミナルケアの教科書を出したい。
3番目が糖尿病の食事指導についてあまりいい本がありませんので、糖尿病の食事指導の本を出したいと思っています。
  人生の聞に1冊の詩集と1柵の小説と1冊の評論と、また数冊の臨床医学書を書きたいと思っています。

15,入生のモットー、ご自身の目指すゴール、その他、地球社会に望むことを教えて下さい。
  時間がもっとあればいいのですが、私自身は日本や韓国・朝鮮、アジアそういった価値観を越えた、人類が共有出来る普遍的な価値観を生きている間に見出せればいいと思っています。

  その一つは個人としての人権の尊重ですね。ヘンリーアキエニノミヤ氏が、「競争祇会の上に共存社会という価値観を置くべきだ」ということを言っていますけれども、彼と全く岡じ意見です。
  人類が平和共存出来るような価値体系がどこかにできたらいいな、あるいは自分がそれを作ることに寄与できたらいいな。

  そういう意味で私の全ての運動は関連があります。
  インフォームドコンセントに熱心なのもそうですね。ホスピスケアもそうですね。ガンで死を目前にしている人たちを人として処遇する。それから、阪神高齢者・障害者支援ネットワークも同じですね。弱者や少数者が生きていて良かったと思えるような環境でなければ、その社会はいい社会ではないという風に思っています。






by grpspica | 2005-05-16 11:45 | 命・平和・人権 | Comments(0)
2005年 05月 16日

オモニとアボジたちへ by マサコ

1995年9月22日

  お元気でご活躍のことと存じます。
  私が、在日朝鮮人の事を詳しく知りたいと思い、その存在の輪郭がつかめてから、約5年の年月がながれました。

  91年の6月には、兵庫県外国人保護者の会の当時の代表、I.J.さんと朝鮮に関する日本人の問題解決にカを注いでおられる学校の先生に初めてお目にかかりました。
  それから今日まで、私は数名のオモニたちと長く話込んだり、お互いを解り合う事で、友情の華を咲かせてきたと思います。

  そして色々な出版物、小冊子を丹念に読むことで、何も知らなかった頃よりは、日本人には想像もつかない在日の方々の経験、日本人が判っていない在日としての気持を考えるようにな
りました。

  今回、未だに在日朝鮮人の存在がつかめていない日本人向けにメッセージを発信することを思いっきました。
  世の中には、『アンケート・インタビュ一』という言葉はないように思いますが、文章にして回答なさりにくい場合はテープ録音でお答え下さってもかまいません。
  質問の内容ですが、やや抽象的であると思います。どうか実例をあげて答えて下さい。

  また、私自身は、私の霊体験に苦しんだ経験から「在日朝鮮入」のところを「シャーマン」に変えて、このアンケートに答えるっもりでいます。

  原稿には長さの制限はありません。答えたくない質問は飛ばして下さい。
それではどうかよろしくお願い致します。



在日コリアンの回答 その5 へ







by grpspica | 2005-05-16 09:55 | 命・平和・人権 | Comments(0)
2005年 05月 13日

在日コリアンの回答 その4 by 金 明石(きむ みょんそく)

  私にとって思い入れの多い設問群でかなり文章が長くなってしまいました。
  しかし、せっかくの蓮遁ですから、ご迷惑でしょうが最後までお付き合い下さい。

1.在日朝鮮人について一般的な説明をして下さい。
  在日1世は自分たちのことを、歴史的経緯に万感の思いを込めつつ、日本に住んでいる韓国(朝鮮)人という意味で『在日』と言っていたと思います。当然自分が韓国(朝鮮)人であるということには揺るぎはありませんでした。
  2世は、自分たちが韓国(朝鮮)人でもなく、日本人でもないという意味で『在日』ということばを使っているように思います。アイデンティティーの揺らぎは深刻です。しかし、「私は韓国(朝鮮)人だ」と思いたい人は『在日』という言葉が嫌いなようです。
  3世以降は、自分たちが韓国(朝鮮)人でもあり、日本人でもあるという意味で『在日』という言葉を使えたらなあと思っています。両方ともが自分らしさだから、両方とも否定せず楽しみたい。現在『在日』大好きキャンペーン実施中!もちろん私は3世です。

2.ご自身が在日朝鮮人であることについて語って下さい。
  私にとって民族や民族的に生きるということは、目的ではありません。自分が人間らしく生きるためのとても大切な手段なのです。特に他民族を排斥する風潮が強い日本社会では欠くことができません。しかしそれはあくまで目的ではなく手段なのです。

  従って私は民族的なものそれ自体に価値があるとは思っていません。もしそうであるなら、特に在日3世以降は生まれた時から価値の低い、あるいはマイナスの存在になってしまうと思うのです。
民族的に生きることに価値があるのではなく、民族的に生きることによって民族的劣等感を払拭し、自分を差別せず、人間としての尊厳をもって生きて行くことができるようになることにこそ価値があるのだと思います。
  祖国の統一も、統一それ自体は目的でも、それだけで価値のあるものでもなく、一つの手段でしょう。その意味で私は民族主義者ではありません。

3.ご両親が朝鮮から日本に住むことになった経緯について教えて下さい。
  父方の祖父母はなんと1923年の関東大震災のとき、すでに日本に住んでいて、駆け落ちして東京の方に行っていたということです。5円55銭といわされたが危ういところで助かったと聞いています。
  母方の祖父母もほぼ同じころ済洲島からきています。面白いことに私の連れ合いの両方の祖父母もほぼ同じころ韓国から来ています。在日のはしりですから44歳で3世だというとよく驚かれます。

  今、日本では、日本に来ている外国人に不法滞在だ、不法就労だとかいって非難したりしますが、誰が好き好んで、住み慣れた国を離れて、言葉も分からないところに来たいもんですか。でも食うためには、仕事があると聞けば、人間はどこだって行くのが自然の道理だと思うんです。
  自分たちの豊かな果実を盗みに来た盗っ人みたいに外国人を見ないでほしい。
  心の卑しさが透けて見えるから。

  在日1世たちは正にその心の卑しさのまっただ中で斗って来ました。子どもを育てるという目的のある力強い、逞しい女たちと違って、男たちは勝てない悔しさに酒まみれになった。心の弱さから女房子どもに暴力をふるった。自暴自棄になった。
  一体責められるべきはだれなのか?

4.現在のご家族について
  連れ合いとの間に小学4年2年5歳の三人の子どもがいます。日本の学校や保育所に通っています。

5.ご実家での民族的な教育は、どうでしたか。また現在、どのようになさっていますか。
  民族教育は特別には受けませんでした。親自身が受けていないのだから、特に子どもに受けさせる必要性を感じなかったようです。しかし祖父母が身近にいたので、その存在そのものが民族教育だったと思います。
  自分たちの子どもに対する民族教育の必要性は強く感じています。本名で日本の学校に通わせているから余計そう思います。在日も4世ともなると自分の韓国人の部分を探してもなかなか見つからないくらい小さくなっています。自分はほとんど日本人だという訳です。

  日本の民族的差別がそれほど強くなければそれでもいいんでしょうが、あまり小さいとそこを攻撃されたとき太刀打ちできないと思うんです。だから攻撃されてもそれをはねかえす程度には大きくする必要があると思っています。
  いま性教育をしなければ、子どもをポルノ産業に売り渡す危険性があるのと同じくらい、私たち在日が民族教育をしなければ、子どもが親も自分自身をも否定してしまう危険性があるのではないでしょうか。

  具体的には韓国人ぽい名前にしたり、ハングルやノレ(歌)やチャンゴ(長鼓)を教えたり、韓国に2年に1度くらい家族で旅行したり、普通の家よりは少し韓国や民族の話題が多かったりというところです。
 しかし家庭だけだとどうしても不足がちです。福島区は大阪でも少数地区ですので、学校の民族学級や民族クラブというよりもう少し広い地域から集まれる土曜学校のようなものを現在模索中です。
  もちろん民族教育は民族的アイデンティティーの確立が目的ではなく、民族を通して人権の大切さを理解すること。
  自分を大切にし自分を好きになることだと思っています。

6.ご両親の教育方針について思い出深いお話しがあれば、1つ2つ、何か話して下さい。
  父親が2年前の正月に亡くなったとき、連れ合いの実家の名古屋から臨終に向かう名神高速の車の中で、父親が自分になにも無理強いしなかったことに初めて思い至りました。
  長男の私に仕事を継いで欲しかったのだろうけれど、それを強制はしませんでした。
  学校や結婚のことで親の権利とばかりに拒否権を発動したりする親が多い中、子どもの人格を認めてくれていたんだなと気がついてうれしかった。

 享年65歳。若すぎるが、すべてのことをやり尽くして、いつ死んでもいいと納得していた人でもありました。

7.日本、日本人、日本文化について、感じておられる事を述べて下さい。
  いま日本はとても危険な状態にあると思います。
人間に是非ともなくてはならないもの、そしてそれがそのまま民主主義を育てるためにもっとも必要なもの、『自立』と『信頼』なんですが、いまの日本には両方ともがとても希薄だからです。いじめをはじめとする教育の危機はそこに根本的な原因があると最近ますます確信を強くしています。

8.ご自身が朝鮮人であることを意識なさったのはいつでしょうか。
  小さいころからだと思います。

9.日本人になりたいと思われた事はありますか?
 大学で民族と出会うまで、韓国人に生まれたことが自分の最大の欠点だと思っていましたが、不思議に日本人になりたいとは思わなかったです。

10.今までで1番悔しかった事は何ですか?
  長女(小4)が去年の夏、同学年の男の子からロゲンカの末、「なんや、韓国人のくせに!」といわれてしまったことかな。

 親の自分たちは通名を使って、日本人のふりをして生きてきたせいもあって、面と向かっていわれたことがなかったもんだから、自分にいわれたように悔しくて涙がでた。

 もっとも、長女は「韓国人のどこがわるいねん!」と言い返すことができたようだが、戦後50年も経つのにいまだに韓国人を見下す言葉がこどもたちの口からでてくることを重く受け止めたい。

11.最近の日本人の在日社会に対する変化をどう受け止めておられますか。
 『共生』という言葉が好きです。いろいろな文化をもった人たちが互いに認め合い、尊重し合って共に生きる。
ことにユーゴスラビア等の民族紛争をみるとき、『共生』こそ核に代わる戦争の抑止力として、被爆国日本が世界に向けて発信すべき考え方ではないでしょうか?より一層の意識変革を期待します。

12.お子さんへの夢、願いを語って下さい。
 子どもは神様からの預かり物。大人になったら、彼らの人生を歩むことになります。
  その意味で期待も夢ももちません。彼らの人生ですから。大人になるまで十分楽しませてもらっていますし、勉強(成長)させてもらってもいます。

 ただ、大人になるまでに次の2つのことをするのが親の義務だと思っています。
ひとつは子どもたちが人を信じられるよう、まず、親と子どもの問で信頼関係をしっかりと持てるようにすること。
もうひとつは、自立した子どもに育てること。自立とはなるべくなんでも自分ですること、むやみにものを与えられないこと、自分で自分の身を守ること、自分の意見をもち、自分で判断して行動することです。

  子どもと一緒にいるときには、こうすることが子どもの自立につながるか、子どもとの信頼関係を深めるか、または壊さないかと考えて行動するよう努めています。
もっとも、子どもと長時間一緒にいると、ヒステリックになることが多いですし、酒飲んで酔っ払って、エッチでだらしない父親の部分もしこたま見て、愛想をつかせているかもしれません。

13.この頃、考えておられる事を教えて下さい。
  参政権のことです。『帰化』は国籍だけでなく民族まで変わることを強要する制度ですが、『参政権』は民族を変えずに市民権を得るための運動だと思っています。

  しかし、この『参政権』を在日がなかなか欲しがらない。日本社会にどっぷり浸かっている分だけ民主主義に対する信頼感が低いせいもあるんでしょうが、なんとも歯痒いのです。
 低所得者や女性に参政権がなかった時代にはもっと参政権要求の運動が盛り上がったはずなのにと思ったりします。

  が、まだ運動は緒についたところ、あせってはいけません。いつの日かきっとこの運動が瞭原の炎の如く燃え広がることでしょう。なぜならこれは人間の自由と平等、すなわち自己決定権の獲得と自分達の人権を守るための斗いだからです。ご理解とご支援をお願いします。

14.人生のモットー、ご自身の目指すゴール、その他、地球社会に望むことを教えて下さい。
  民主主義的に生きること。即ち人間らしく生きること。自分を差別して来た心の痛みが背景にあると思います。また結婚と子育ては大きな転機でした。
生身の生活はきれいごとではなく、人と人とのつながりの大切さを普段着のまま教えてくれました。
 
  教育基本法第1条に「教育は人格の完成を目指す」とかかれています。この人格とは何か、いろんな辞書を調べたら「人格とは、真偽を識別し、他人の価値を認め、社会的に責任のある行動をとろうとする、人間固有の品位や性格である」とかかれていて、とても心に響きました。
私の社会的責任は何か、いつも心にとめています。

15.在日に生まれてよかったと思っておられますか。(イエスでもノーでも理由を聞かせて下さい。)
  もちろんYES。
  でも日本人に生まれていても、日本人に生まれてよかったというと思います、きっと。
  自分を肯定して、自分を好きになること、自分を尊敬して大切にすることは人権意識そのものだと思えるのです。



オモニとアボジたちへ by マサコ へ
在日コリアンの回答 その5 へ






by grpspica | 2005-05-13 13:22 | 命・平和・人権 | Comments(0)
2005年 05月 11日

在日コリアンの回答 その3

質問事項に対する想い
  個々の質問事項一つをとっても、詳しく表現しなければ、日本人には理解できずに誤解を招く恐れが、多分に生じる可能性が高く、誠に申し訳ないのですが、時間の都合もありますので、抽象的に簡潔に回答させていただきますので悪しからずご了承くださいませ。

1. 在日朝鮮人について一般的な説明をして下さい。
  帰りそびれている間に、国籍選択権と帰国の保障すら与えず、一方的に外国人として仕立てあげ、放置し続けてきた状態で、日本に生活を余 儀なくさせられている人々のことをいう。

2. ご自身が在日朝鮮人であることについて語って下さい。
  当り前のこととして国籍が本来あるとするならば、日本の中での在日 韓国・朝鮮人とは、まるで当り前のように否定されるべきものとして日本人の中で家庭教育され、民族教育を保障されたことがない両親の許で育った子供が、ただ親の国籍がそうであるということだけで、子が親と世間を見て、誇りを持って成長することができるのであろうか。
私にとって在日韓国・朝鮮人とは、奪われたものを取り返し、人間尊厳を取り戻していくための「シンボル」であり「十字架」であり「生き方」そのものである。

3. ご両親が朝鮮から日本に住むことになった経緯について教えて下さい。
  侵略されてまもない 1923 年に日本で父が生まれ、母は祖国で生まれ歳のころ日本に渡航して来ました。
  両親ともに、祖父母が日本で生計をたてるために、家族ともども日本に渡航してきたのであり、しかも「日本人」として 1945 年まで、一貫して日本で、選挙権、被選挙権も有しながら、納税もして生活していたのであります。

4. 現在のご家族について
 妻と子供3人の5人家族です。

5. ご実家での民族的な教育は、どうでしたか。また現在、どのようにさっていますか。
  両親は一貫して日本人になるための教育しか受けておらず、父は、日本人として赤紙を貰い、村から「万歳」のもと参戦しております。戦後帰りそびれて、日本での生活を余儀なくされ、朝鮮半島の情勢と、外国人管理取締の政策の節目ごとに、私たち子供の人生を思案し、6人の子を、民族学校、あるいは日本の学校にと進学させています。

6. ご両親の教育方針について思い出深いお話しがあれば1つ2つ、何か話して下さい。
  特になし。

7. 日本、日本人、日本文化について、感じておられる事を述べて下さい。
  家に例えれば、基礎工事に手抜きがありますので、何かあれば非常に 弱い。外来文化の消化吸収には、すばらしいものがあり、世界で群を抜きかけている。
  集団、会社、全体、平均を重んじるあまり、個々人の人格形成、市民社会に成熟が見られず、形、表面だけの幸福に満足しており、精神的な真の意味での幸福感を享受できないでいる。
  社会参加せずに、ヒマを持て余している人が、本当に多いのには驚くと同時に、日本社会の先が案じられます。

8. ご自身が朝鮮人であることを意識なさったのはいつでしょうか。
 6、7才の頃

9. 日本人になりたいと思われた事はありますか?

  否定的に生きていた中学3年生の頃までそんなことを感じていました。

10. 今までで1番悔しかった事は何ですか?
  6、7才の子供の「こころ」に両親がともに持つ祖国朝鮮に対して、 マイナスイメージを植え付けた日本社会の「風土」を、私は、許せないと思いました。

11. 最近の日本人の在日社会に対する変化をどう受け止めておられますか。
  1部の日本人有志の努力の賜物だと感謝しています。ただ、文部省教育の中に正しく反映されず、また、十分な教育的努力が全くなされていないので、将来を案じております。

12. お子さんへの夢、願いを語って下さい。
  韓国・朝鮮人という個性を普通のこととして受け止め、日本で生まれて、育ったということを誇りにしていけるような子供に育てたいですね。

13. この頃、考えておられる事を教えてください。 
  民族差別は、差別する側の日本人の心の問題であります。失礼な言い方になるのですが、先進国の中では社会資本整備が、最も遅れている日本は、まだまだ、豊かではありません。
  早く豊かになって、生活にゆとりの時間を持ち、「心にゆとり」を持ってもらう中で、民族差別解消に努力していただきたいと考えています。

14. 人生のモットー、ご自身の目指すがゴール、その他、地球社会に望むことを教えて下さい。
  モットー  いつも心に太陽を!
          いつ死すとも悔いなき毎日を!
         出会いを大切に!
   目指すゴールなんて、考えたこともありません。暗中模索中です。

15. 在日に生まれてよかったと思っておられますか。
    (イエスでもノーでも理由を聞かせて下さい。)

  文明は、偉大な先達の「なぜ?」の解明から始まったのではないかと考えています。
  私にとって「在日」とは、全て「なぜ?」につながってしまうのです。私に飽くなき「なぜ」を与え続けてくれる「在日」は、良きにつけ悪しきにつけ「大切」なものの一つであり、元気を与えてくれるものであります。


在日コリアンの回答 その4 へ







by grpspica | 2005-05-11 12:50 | 命・平和・人権 | Comments(0)
2005年 05月 09日

在日コリアンの回答 その2

1. 在日朝鮮人について一般的な説明をして下さい。
  日本の植民地政策の結果として、今日の在日朝鮮人としての存在がある。
  最近思うのだが、朝鮮籍、韓国籍、日本籍あるいは、両親のどちらかが朝鮮人である場合を含め、出自が「朝鮮」であることを明らかにすることが、差別の対象となりうる人々すべてを在日朝鮮人と規定することができるのではないか。

2. ご自身が在日朝鮮人であることについて語って下さい。
  質問が難しい。

3. ご両親が朝鮮から日本に住むことになった経緯について教えて下さい。
  1937年、父が12歳の時、祖父に連れられ渡日。
  1934年、母が 8歳の時、両親に連れられ渡日。
  共に朝鮮での生活が成り立たず、日本行きを決意。
  1945年、結婚。その後、今日まで故郷を訪問していない。
   (母は7年前に他界。)

4. 現在のご家族について 
  妻と日本の公立学校に通学する子供(中2の息子、小6、小4の娘)の5人家族。
  夫婦で「在日」に関わる会話が多く、長男は若干、閉口しているのではないかと思う。それでもおかまいなしに話すことにしている

5. ご実家での民族的な教育は、どうでしたか。また現在、どのようになさっていますか。
  私が12歳の頃まで祖父が健在だった。祖父は、パジ・チョゴリを身につけ、日本語を話さなかった。生涯、その姿勢を変えることのなかった祖父の存在が、私の民族教育の原点でなかったかと思う。
現在、私の子供には、「朝鮮」に関わるあらゆることを語りかけるよう努力はしている。その実は期待しない。

6. ご両親の教育方針について思い出深いお話しがあれば1つ2つ、何か話して下さい。
  思い浮かばない。

7. 日本、日本人、日本文化似ついて、感じておられる事を述べて下さい。
  日本、日本人、日本文化。この「日本」3連発には言葉につまってしまいます。

8. ご自身が朝鮮人であることを意識なさったのはいつでしょうか。
  物心がついてから、朝鮮人であることを意識し続けている。

9. 日本人になりたいと思われたことはありますか?
ありません。

10. 今までで1番悔しかった事は何ですか? 
  どれが1番どれが2番ということはないが思い出として残っているものを1つ。
  今から20年前、朝鮮半島見たさに対島へ出かけた。2泊3日でレンタカーを借りて、朝鮮半島を望む場所を中心に走り回った。快晴続きにも拘わらず、結局この目に朝鮮を焼き付けることなく旅は終わった。
ところが、港で福岡行の船待っていると、1人の男が寄ってきて「誰か待っているの?」と聞くではないか。
  「イイヤ」と答える間もなく、今まで乗客と思っていた回りの男たちが急に私を取り囲み、
  「警察の者や。外登を見せろ。」
  「何しに対島に来た!」
  「署へ行こう」
と、四方八方から言いたい放題。押し問答の末、出港直前にやっと解放された。明らかにいやがらせであった。
1人の朝鮮人の、祖国を見たいという夢さえ、日本は拒むのかと当時思ったのを今も鮮明に記憶している。

11.最近の日本人の在日社会に対する変化をどう受け止めておられますか
13.この頃、考えておられることを教えてください。
   

  11番と13番の質問も含めて回答します。
  最近、いろんな場所で、朝鮮のチャンダン(リズム)に触れる機会がある。
  近くは子供たちの通う小学校や保育園。ちょっと足を伸ばせば、生野民族文化祭、長田マダン、東九条マダン、奈良サンウリム等々。
ハードでいくならライヴハウスでも。それらでは、日本人も朝鮮人もともに歌い踊り、笑い、泣いている。
  あーこれが戦後50年の姿なのか。  

  しかし一方、政治家に眼を向ければ、相変わらずの歴史認識発言だ。それも確信犯がぞろぞろ。私たちはこの落差を一体どう考えればいいのだろうか。
  この日本には、かってのアジア侵略に対して反省するパブリック・コンセンサスが育っていないということなのか
  あー これも戦後50年の姿なのか。

12.お子さんへの夢、願いを語って下さい。 
  自らの出自を忘れてはならない。それだけで十分。 

15. 在日に生まれてよかったと思っておられますか。   
  もちろんイエス。在日ならではの経験をさせてもらった。



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by grpspica | 2005-05-09 10:34 | 命・平和・人権 | Comments(0)
2005年 05月 08日

在日コリアンの回答 その1 

1,在日朝鮮人について一般的な説明をして下さい。
  日本人とは?  朝鮮入とは?  在日朝鮮人とは?
  それぞれ相対的なものでは?
  日本の植民地支配によって産み出された流民とその子孫。 三世・四世の時代になり、これまでの「民族」の概念では説明不可能。
  近年、マージナルマン(境界人)あるいはマイノリティーとしての方向を模索する傾向もあるが、少数。賛否に関係なく、日本人との婚姻と日本国籍取得(帰化)の増加によって今後ますます民族的意識はうすれるだろう。

2,ご自身が在日朝鮮人であることについて語って下さい。
  質問が袖象的。在日朝鮮人でなく歴史的所産としての在日朝鮮人問題が日本人に問われるべき。

3,ご両親が朝鮮から日本に住むことになった経緯について教えて下さい。
  生活が苦しくなって出稼ぎに(?)。以来、今日に至る。

4,現在のご家族について
  韓国舞踏に励む妻。本名で学ぶ民族問題に無関心な3人の子供。

5,ご実家での民族的な教育は、どうでしたか。また現在、どのようになさっていますか。
  食卓にはキムチ、日常語は日本語、感情表現は朝鮮語。子供の健康と幸せを願うこと以外に、特別な教育はなかった。
子供に幸せになって欲しいと願っているが、特に何もしない。自ら学び取るもの。

6,ご両親の教育方針ついて思い出深いお話があれは1つ2つ、何か話して下さい。
  教育は未来への投資。その日その日を口に糊するだけで必死だった一世。教育方針は選択肢のない自由放任。

7,日本、日本人、日本文化について、感じておられる事を述べて下さい。
(沖縄を除いて)異民族に軍靴に躁躍されなかった幸せな歴史。議論の必要のない(以心伝心)文化的均一と単一民族観。 勤勉・忍耐・一丸がぴったりの国民性。
  温暖で肥沃な国土。天皇を頂とする平和な家父長国家。

8,ご自身が朝鮮人であることを意識なさったのはいつでしょうか。
  生まれた瞬間から意識することを余儀なくされていた。

9,日本人になりたいと思われた事はありますか?
  なれるはずのないことを思わせる罪。

10,今までで一番悔しかった事は何ですか?
  在日朝鮮人に生まれたことを悔しいと思わせる国に生まれたこと。

11,最近の日本人の在日社会に対する変化をどう受け止めておられますか?
  在日社会に封する変化ではなく、日本国の利益追及の結果に過ぎない。

12,お子さんへの夢、顯いを語って下さい。
  楽しく、イキイキと

13,この頃、考えておられる事を教えて下さい。
  楽しく、イキイキと

14,人生のモットー、ご自身の目指すゴール、その他、地球社会に望むことを教えて下さい
  under-take→under-stand→ケンチャナ

15,在日に生まれてよかったと思っておられますか?(イエスでもノーでも理由を闘かせて下さい。)
  選択不可能な問題はただ、under-take。

16,今までに日本人から問われた質問などで、おかしかったもの等があれば書いて下さい。
  在日を知るには、日本人の貴方が自問してみて下さい。貴方自身の問題ですから。
  日本人と在日は、両者にしか通じない特殊な意味書葉で話し、互いに囚われた関係の中にあります。鏡の中の自身の姿に思わず顔を背けるような。

☆注 ケンチャナとはハングルで大丈夫という意味


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by grpspica | 2005-05-08 11:35 | 命・平和・人権 | Comments(3)
2005年 04月 11日

鹿児島のいたましい中学生の犠牲 by 古殿 宣敬

 鹿児島市武岡は、私の子供の頃の、探検場所でした。
武岡や、城山には、防空壕があるのを、私らは知っていました。
小学生頃の昭和30年代は、まだ引揚者などが住んでいたのを覚えています。

 私は、怖くて防空壕の中に入ったことはありませんでしたが、山中で火遊びをして、山火事を起こしたことがありました。なつかしい思い出です。
 鹿児島に防空壕が多いのは、本土決戦のために、日本軍がたくさん掘ったためです。
終戦の頃の日本軍には、本格的陣地を構築するための、コンクリートや、鉄骨はもうありませんでした。
 日本軍は、防空壕に籠もって、銃剣突撃の機会を狙っていたのでしょう。軍は、国民のために、防空壕を掘ったのではありません。
 私の母なんか、「終戦の頃の兵隊さんは、防空壕堀ばっかり、しちょったど」と言っていました。

 米軍が上陸して、本土決戦になったら、防空壕は軍だけが使い、国民が入ろうとしたら、追い出していたでしょう。あるいは、壕の中で子供が泣いたら殺されていたかもしれません。沖縄戦の悲劇が、何倍の規模で起こっていたかもしれません。

 そう考えれば、この中学生たちは、戦争被害者と言うことができます。





by grpspica | 2005-04-11 12:54 | 命・平和・人権 | Comments(12)
2005年 04月 10日

憲法9条Q&A 11 byノリコ

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質問29 9条を改憲することは、憲法改正手続で、行うことができますか?

回答29
 憲法の根本部分ですから、出来ないと解するのが正しいと考えます。もし、変えた場合は、現在の憲法の改正ではなく、法的には、新しい憲法を制定したと言うべきでしょう。もっとも、通説的見解は、9条1項の改正はできないが、2項の改正は、理論上不可能ではないとしています。

質問30 9条改憲と連動する法律の改定や立法の動きはありますか?

回答30
 教育基本法の「改正」や、有事立法、共謀罪の新設など、いろいろ関連している動きがあります。

質問31 憲法改正の手続について教えてください。

回答31
 下記の憲法96条〔憲法改正の手続〕に規定されています。

「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
②憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。」


つまり
①衆議院と参議院それぞれの総議員の3分の2以上が賛成すること
②特別の国民投票(または国会の定める選挙の際に行われる投票、これは衆議院の選挙などと同時に行われる投票という意味です)で過半数の賛成によって承認されること
の2点が必要です。
1票1票が集まって半分以上になれば「改正」を阻止できるのです。

質問32 国民投票法とは何ですか?

回答32
 96条に規定されている国民投票について定めた法律ですが、まだ制定されていません。

質問33 現在議論されている国民投票法(案)について、問題点を教えてください。

回答33 日弁の意見書(案)参照


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Commented by grpspica at 2005-04-10 12:24 x
つまり、国民投票の方法を法律で作らなければ憲法の「改正」はできないのです。
「投票出来るのは20才以上なのか」
「過半数とは有効投票のか」
「ひとつひとつの改正案ごとに投票するのか、一括してするのか」
等、いろいろな輪点があります。
日本弁護士連合会の意見書(案)というのがあるので、興味がある方はそちらで勉強して下さい。



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by grpspica | 2005-04-10 11:00 | 命・平和・人権 | Comments(1)