ペーパー版「海峡」の新スタイル
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by grpspica | 2005-01-08 10:45 | グループスピカ | Comments(0)
2005年 01月 07日

子供の時(2)音楽教室 byマサコ

 小学校に上がる前に、ある幼稚園を借りて日曜日毎に開かれるこども音楽教室に通い出した。姉達が通い出したころの月謝は200円。私は400円の時から1200円位の頃まで約8年間通った。
 ↓ 祖母に見守られつつ明石こども音楽教室に通うマサコ
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建て直す前の家、ここに来た昭和29年頃、マサコの身長は、下から2枚めのガラスから顔がやっと出せるくらいで、そこから国鉄の列車が走るの見ていた。

 家の近くの停留所からバスに乗って10分。海に近い幼稚園は設備が良くて年に1回、生徒のコンサートも開かれていた。
 ハーモニ-、ソルフェ-ジュ、メロディー聴音を、美しい親切なまつもと先生が教えて下さった。チビと言えど、音楽教室に通うことは職業夫人になったような自分への誇りと喜びを感じさせた。そして教室には最愛の「まつもと先生」がいて下さる。たまに替わりの若い先生が教えて下さると何もかも嫌になる程、「まつもと先生」の存在は大きかった。

 帰りには、沢山の買い物のおつかいをこなさなければならなかった。勉強の帰り、わが家で「安い店」と呼ばれていた大原商店で家族の日用品、ちり紙、洗剤その他を買い、生きた鶏を殺してかしわにしていた後藤鶏肉店に寄ると、私の後の大きいクラスを教え終えた「まつもと先生」もよく買い物に来ていらした。そんな時は、お店の外で、「マコちやん、来週は来るのよ。かならずきっと来るのよ。来るのよ」と「さよなら」の代わりに言葉を掛けて下さった。

 体の弱い私はよく休んだ。1年に何度も、丸々1ヵ月お休みすることもあった。
 母の編んでくれた手提げ袋に入れて、何回先月分の月謝と新しい月の月謝を運んだかわからない。まつもと先生は最初の頃は「先月全部来なかったから」と丸ごと月謝を返して下さった。しかし年が大きくなると「皆に相談する」と言われ、小学2年生位になった時には、月謝は返還されないことになった。1ヵ月丸ごとと書いたけれど、実は1年、数年、丸ごと休んでいたこともある。そんな時は、「今来ないと前にいたクラスに追い付かなくなりますよ」とちやんと連絡して下さった。

 後年、私は英語とピアノの個人レッスンの先生になった。その時レッスンを月4回と決めても、何とか1回だけにして1回分払って子供に習わせたい人がいた。月謝袋を無くしたと言って先月分の月謝を払わないで済まそうとする人。最後の月謝を踏み倒して辞める人。自分の都合で休んだのにその分を差し引いて払おうとする母親というように、ご主人がちゃんとした会社に勤め、子供を私立の学校に通わせる日本の中流家庭の母親達の醜悪な心にモロに付き合うことになった。

 わが母を誇らしく思う。今の私の幸せも母の心の美しさのお陰である。子供は、生まれてすぐから母親の真心の世界の洗礼を毎日受けつつ育つのだとしみじみ思う。
 母は体が弱くて休んでいる私に「月謝を払っているのに勿体ない」とか「あんたが弱いからお金が無駄になって悔しい」というような事は言わなかった。先生が返して下さったと袋を渡すと「そう、返して下さったの」と言い、全額納入になったと告げたときも「そう」と同じような柔らかなきれいな声で答えていた。

 「まつもと先生」との懇談会の後、母はいつも「あの先生はこどもをよくかわいがっている」とつぶやいていた。

 「まつもと先生」の方は、「1ヵ月休めば月謝はいらない」と言われても、毎回、前月分も納めようとする母の姿に驚いていらしたかもしれない。でも後年、先生とはそんなお話を出来るようになる程近しくはならなかった。20代の頃、最後に先生と電車の中でお目にかかった時、「さよなら」の代わりに、やっぱり「マコちゃん、輪を広げるのよ」と言葉を下さった。
 人生にバラの香りのような出会いを与えて下さった「まつもと先生」のことは忘れられない。



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by grpspica | 2005-01-07 13:00 | グループスピカ | Comments(6)
2005年 01月 06日

子供の時 ⑴ 若葉園 byマサコ

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 近くの「若葉園」に通った。
 小さい組の時のこと、ある日園が終わって園の横道を歩いている時、あべみちこ先生に「マサコちゃん、先生と一緒にお風呂屋さんに行かない? お家に帰ってお母さんに行っていいかどうかきいていらっしゃい」と声をかけられた。母に「いい」との返事をもらい、着替えも持たずに幼稚園に戻った。
「若葉園」はプロテスタントの幼稚園で、園舎の東部分に先生達の住まいがあった。「そこの道の角まで行ってお風呂屋さんのエントツから煙が出ているかどうか見てきて頂戴」と先生。
 見に行くと、エントツから煙が出ていた。先生と私は歩いて数分の「花園湯」に着いた。銭湯はタイル張りで大きく広く、目を見張るような場所だった。大きな湯船に身を沈ませると家の狭い湯殿にはない感動が全身を包んだ。
 湯船から上がるとタオルにセッケンをつけて体を洗って下さった。あべ先生は余程お母さんがしたかったのだろう。先生は子供の世話をすることにとても幸せそうだった。

 脱衣場で着替えがすむと「ホラッ」と一包みのオレンジドロップを下さった。
私は、呆気に取られた。家ではドロップ類はおやつの品目ではなかった。たとえ一缶あったとしても親が管理をしていて私達の自由にはならなかったからである。子供はだれでも少ししかない「ハッカ」を欲しがった。子供心にも「全部ハッカのキャンディの袋があればいいのに‥」と思っていた。オレンジばかりのキャンディはロウ引きの紙に包まれていて外側の紙はチョコレート色だった。
 私は先生と別れてから全身がオレンジキャンディになりそうになりながら、家に戻った。そして引き出しの奥深くにそのキャンディの残りを仕舞い込んだ。一人になりたい時、家が混雑し過ぎていると思う時に少しづつ舐めていた。オレンジキャンディには、一人っ子の様にゆったりした味があった。

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 半年すると、同い年の「サイトー」という男の子が入園してきて幼稚園は修羅場となった。
 「サイトー君」は、きちんと椅子に腰掛けている私の椅子を左右からゆすったり力任せに引っ張っては、私が尻餅を着くのを何よりの楽しみとした。悪ガキ「サイトー」はじっとすることが出来なかったのだろう。先生の目を盗んでは襲いかかってくる。私はよく泣いた。いたずらに気付いた先生も止めに入ったけれど、いたずらを職業とする「サイトー君」には誰もかなわなかった。今思うと椅子からさっさと立ち上がってしまえば「サイトー君」も楽しくなかったのではないか?
 他の女の子も被害に遭っていたが、私ほど激しくはなかった。私はいつの間にか待ち伏せまでして人を蹴る「サイトー君」のせいで登園拒否を起した。
 そのことから、神戸市の西端の舞子にあるカトリック系のいじめっ子のいない上品な幼稚園に転園することになった。

 11歳の時、地元の小学校でこの「サイトー君」に再会した。「君のせいで幼稚園をかわったよ」と言うと「何も覚えていない」という返事だった。でも今でも幼稚園時代の彼の姿は野獣のように思い出される。「サイトー君」はきっとおもちゃに出来るウサギを見つけたトラの様な気分で毎日登園していたのだろう。ひょっとして「サイトー君」は幼き日の私を好きだったのかもしれない。




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by grpspica | 2005-01-06 18:37 | グループスピカ | Comments(0)
2005年 01月 04日

記憶とは by マサコ

 元旦は、1人きりだったので、ピアノを弾きました。ゴルトベルクを通して弾くのは体力的に1回と決めています。全曲弾くと発作を起こすので、今までは第25、26、27変奏を抜いて弾いていました。

「どうせなら第8、14、17変奏を抜いた方が良くはないか?
ブゾーニが数曲抜いても音楽会用にすばらしい曲だと言っていますが、曲の速い遅い、しっとり感から言うと、第8、14、17変奏は抜くと変化が面白くないかも」

 そうなるともう長い間、弾いていない第25、26、27変奏を集中してやらないといけないし、第25変奏は、体力の限界で15才の時、読譜しなかったので今から暗譜出来るかな?

 15才の時は、最後のクオドリベットから、同じように第25変奏を抜かして、所要時間1時間でバックオーライ(洒落のつもり)した。子供だから、妙な事をしたのだろう。今はさすがにそんな事をする気にはならないし、できないと思う。

 フォトグラフィックメモリィのない人たちはどうやって楽譜を覚えるのかしら。これがなくても「音感」のある人たちは、覚えられるのね。
 私は、震災で、磁場が頭に影響したのか、とんでもない記憶力と音感になってしまったけれど、おととしの11月辺りから、音感が少し戻ったよう。

 もうすぐ震災10年の日が来ます。怖かった。後の大掃除の時に頭が、こんぐらかって、大事なものを捨ててしまった気もする。生きていると色々な目に合う。

 現在もゴルトベルクが暗譜で弾けるのは、15才の頃の私の記憶力のメカニズムがよかったからという気がする。

「記憶」や「意識」のメカニズムは科学者たちの今世紀最大の課題。
「未来がわかる人は、未来を覚えているだけのこと」







by grpspica | 2005-01-04 10:26 | グループスピカ | Comments(7)
2005年 01月 02日

愛する国よ  by マサコ

今年のカナダのクリスマス切手は、
白いモミの木とクリスマスらしい緑と3両編成の赤い汽車ポッポ。
で1ドル40セントでカナダから日本に届く。

カナダという国には感謝で一杯。
当たり前のように他民族を受け入れている。
エドガー・ケーシーが「海水の上昇で日本は国土の大部分を失う」
と言っているが、多分そうなると思う。
その頃にはカナダの極北地帯も緑地で、日本からの移民が押し寄せるかも。

「グールド論」の口絵写真はグールドとボロボロの父上手作りの椅子。
彼の父上は、とても器用でピアノ練習室を建て増ししたとか。
温暖化が進んでも、カナダには雪が降って、
サウスウッドの家が残っていて欲しい。

こちらの図書館のグールド関係の本、貸し出しが多いのか、
ボロボロで私のを寄付したくなってしまう。

新しい年は、熱烈なグールドファンの登場を期待したいな。






by grpspica | 2005-01-02 00:00 | グループスピカ | Comments(0)
2005年 01月 01日

新しい年  by ノリコ

 2004年は個人的にはこのブログが手に入ったことが生活に大きな変化をもたらししました。ブログを通じてのやりとりはなかなかおもしろい。
 また例年12月初めころから「海峡」を作成するために莫大な時間がとられていたのですが、ブログには毎日すこしづつ時間をかければいい、載せたものを削除しない限りいつでも見る事ができる、内容に手をくわえることができるなどの利点があります。

 今年は「憲法9条が危ない」ので1月7日にたちあがる「兵庫県弁護士9条の会」に入ります。何ができるかわからないけれど、せめて名前だけは列ねたい。自然災害で命を失う事は避けられない。でも戦争をしなければ、戦争で死ぬ事は避けられる。壊した道路や水道設備を直したり設置したりするのを「人道復興支援」というのも馴染めない。あれは「原状回復のお手伝い」というべきではないでしょうか。

 以下は、ある会の新年号に載せた「新年を迎えることば」の一部を変更したもの。これを新年のご挨拶がわりとします。
 
 「他人が踏まれても痛くない」という真理の例に、その年齢にならなければわからないということがあります。

「お年寄りが薄いインディアンペーパーの聖書をめくるために指につばをつけているのを見て、子供の頃は、『なんて汚いことを』と思ったけれど、自分も同じことをするようになって初めてわかった」と母が述べていました。

 長らく心の中に眠っていたこの言葉でしたが、あるとき六法をめくるのに不自由している私に気づきました。それはどれくらい前のことだったのでしょう。今では週刊誌をめくるのにも苦労してます。

 ある夕暮れどき、開いた本の文字が読めない。それが私が老眼を認識した初めのことで、頭髪に白髪が目立つ様になった時よりはショックでした。いくつかの眼鏡のあっちをかけたり、こっちにかえたりしなければならないことは結構不便このうえない状態です。

 でもそれがフツーの人が、いつかはたどる道。これらの経験が「他人の痛みを少しでも理解できるようになりたい」と思っている私に資するものであってほしいものです。






by grpspica | 2005-01-01 21:55 | グループスピカ | Comments(0)
2005年 01月 01日

元旦の紅茶   by マサコ

明けましておめでとうございます。
旧年中はいろいろお世話になり有り難うございました。

さて、新年にあたり一杯の「紅茶」をいただきませうか。
野呂マスターの手になる紅茶のお味は如何なものでせう。

「毛利は運ばれた紅茶に角砂糖を入れた。匙でカップの底から二個の角砂糖を
すくい上げて、それが薄赤い液体に解け崩れるのを見守った。紅茶の上にの
ぞいた角砂糖は原形を保っていたが、液面より下に浸った部分はみるみる形
を失い、匙のくぼみに白く拡がり、それにつれて紅茶に浸っていなかった部
分もゆっくりと薄赤い物の中に沈みこもうとしていた。毛利は匙の上の白い
塊から目をはなすことができなかった。目醒めたときにはたちまち薄れてしまう夢の痕跡にそれは似ていた。紅茶でも角砂糖でもない。水の中に沈む物
の影像が似ているのである。ちらと灰色の海がかすめた。沈む船の甲板を洗
う水。毛利はゆっくりと匙で紅茶をかきまわした。何かが自分の内部で息を
吹き返そうとしている。それはつい目の前まで来ている。手をさし伸べれば
触わることができそうな近さである。それでいて正体を見とどけることができない。」
      野呂邦暢著「回廊の夜」より



野呂邦暢

wikihttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%91%82%E9%82%A6%E6%9A%A2





by grpspica | 2005-01-01 21:10 | グループスピカ | Comments(0)
2005年 01月 01日

北風の吹くお正月  by モニカ

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明けましておめでとうございます。

04年は個人的、世界的、地球的にも色々な事のあった1年でした。
さて新しい05年、どんな様子になるのでしょうか。

個人的には、少し動きのある年になり、
お正月3日から南国宮崎参り。
大晦日から、凍える冬の日の当地なので、
30年ぶりの冬の宮崎が楽しみです。
宮崎へはもう1度、出かける事になりそう。

世界的には、軍隊の動きが少ない年であって欲しいもの。
地球も、大きく動く事がないようにお願いしたい。

  ノリコさんの住むアパートから徒歩3分にある神社に初詣。
  20分前に行ったら、お賽銭箱の前に立つ事が出来た。
  初めての経験。退屈しのぎに喋っていたら、
  『ドーン』という太鼓の音ともに、
  『ウォーッ』、『チャリン、チャリン』
  「なんだ、なんだ?」というのが、私の新年の幕開け。

上記のような事をしっかり祈るつもりが、
その後は人の動きと共に流れて、おみくじ売り場。
7番で「中吉」だったけれど、文面は一番よかった。

いつもよく歩く境内の、全く違った様子を眺めながら、
こうして新年を迎える事が出来た事に改めて感謝し、
お祈りの不足を反省、改めて祈り直しました。

よりよき1年でありますように。






by grpspica | 2005-01-01 01:35 | グループスピカ | Comments(1)
2004年 12月 26日

One more X'mas in NY  byモニカ

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もう1つのクリスマスの思い出は、キャロリング。
クリスマス近くなると、クリスマスキャロルを歌いながらアパート巡りするグループが出現する。
誰でも参加自由で、声が聴こえたら飛び出して行って、一緒に歌ってもよい。
もちろん、ついて回るのも可。 これが楽しい。

大昔日本で、教会の方たちが我が家を廻って下さったが、
これが、ご近所に配慮したかのような静かな歌声。
そして最後に静かに「メリークリスマス!」
今は個人宅を回ることがないようだが、
人の集まる駅前といった場所では見かけるクワイヤーの人達は、
とてもお行儀がいい。

でもNYのキャロリングは違った。
ワイワイガヤガヤ元気一杯。
アパートの住人も窓を大きく開けて、一緒に歌う。

みんなやけにハイだなと思ったら、ブランデーのビンが廻ってきた。
「お酒を飲みながらクリスマスキャロル?!」と目玉を丸くすると、
「だって寒いもん」。。これがリーダー。
なんだか嬉しくなって、そのブランデーを流し込み、
夜遅くまで一緒に歌い歩いた。
「次は○○日、ブルックリンの○○に集合!
  メリークリスマス!!」
でお開き。

仕事の都合で、その後参加する事はなかったけれど、とても懐かしい思い出。

カラオケが日本で流行り始めた頃、フト思った。

日本では定期的に上手下手に関係なく、
思いきり声を出す場が日常の生活にない。
その点、週1回教会で大きな声で讃美歌を歌うキリスト者の生活は、
それだけでもストレス解消に役立っているのではないか?と。

今では、世界中に拡まった「カラオケ」。
上手な人がマイクを握ってのどを聞かせる「カラオケ」。
ここだけの話、モニカは
「キリスト者にはあまり縁のない世界...ではないか」と思っている。
なぜなら、到達度や完成度、人の評価に関係なく思いきり声を出せる機会が
週1回、もしくはそれ以上あるのだから。

みんなで声を出して歌うのは本当に気持ちがいい。



モニカの3つのXmas in NY シリーズ
   クリスマスの思い出 in NY byモニカ
   もう1つの冬の話題 in NY byモニカ




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by grpspica | 2004-12-26 11:46 | グループスピカ | Comments(6)
2004年 12月 26日

もう1つの冬の話題 in NY byモニカ

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冬の暖房はスチームで、夜、11時か12時に火を落されてしまう。
少し厚着をして眠ればいいのだけど、寝始めは暑いくらいだから、
(部屋中の物が暖まっていて、ベッドだってホカホカ)
自然に薄着で寝てしまう。
寒い時期、火入れ直前の朝5時には、シンシンと冷えてきて上掛けを探してた。

「チン、チン、チン」という冷えた鉄が暖まる音は、時を知らせる時計であり、
仕事とはいえ、朝早くからこうして心地よい暖かさを送ってくれる管理人さん達は
愛深い保護者ようで、安心して眠り直してたっけな。

一旦暖房が入ると、ガンガンで、外は雪でも半袖TシャツでOKの暖かさ。
贅沢過ぎだと思うけれど、あの暖かさは忘れられない。。

初めての冬にあわてて購入したものは外気温を計る温度計。
窓が通りに面していると、外を歩く人の服装でその日着るものが決められる。
でも私の部屋は、1ブロックを4つのアパートで囲んである中庭に面していて、
コンクリート地面の空間には、緑もなく、歩く人もいない。
4つのアパートの境界はフェンスで区切られていて殺風景この上ないもの。
部屋の温度は、外気温に反比例して上げてあるみたいで、
そうとは知らず外に出て、震え上がった経験がある。

トロントでは、家主さんは
「外気温○○℃の時は室内○○℃以上」にしていなければ、
訴えられて罰金だと言う話をきいたことがある。
NYもそんな規則があるかもしれない。
暖房ケチられたら、こごえちゃう。生死にかかわってくるものね。
また家のためにも暖房は切らないで外出するとも。
一旦冷えた家は、暖めるのも大変だし、家がいたむって。。
その点、日本のこの辺りは温暖で助かります。


写真 クリスマスカードの下にあるのがスチーム暖房機の囲い。


モニカの3つのXmas in NY シリーズ
   クリスマスの思い出 in NY byモニカ
   One more X'mas in NY byモニカ




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by grpspica | 2004-12-26 09:50 | グループスピカ | Comments(0)