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2005年 09月 29日

アメリカの意向 by ノリコ

AW様。
憲法改正の動きは昭和22年5月の施行後、何度も出ておりますが、今回の話は、イラクのクウェート侵攻に対する湾岸戦争時に、憲法9条のお陰で、多国籍軍に参加して戦争をすることができない代わりに、総額130億ドル(1兆8000億円)を供出しながら、日本の「貢献」がほとんと評価されなかったという「湾岸トラウマ」に端を発しているとみることができます。

従来は日本は自国の防衛のみを考え、あとは米軍に基地を提供し、お金を負担していればよかったのです。お金といっても、2003年度の予算で、約6600億円となり、在日米軍の駐留経費総額の75%にあたります。海外に駐留する米軍との比較でいえば、日本の負担額はドイツの5倍以上、イギリスの30倍以上だそうです。

湾岸トラウマ後は、アメリカ政府の主導する「国際平和秩序」の形成にどの程度まで積極的に関与するのかという点に重きがおかれるようになりました。アメリカは「基地とお金」だけではなくアメリカの若者の代わりに戦ってくれる「人」も提供してほしいのです。

2000年10月いわゆる「アーミテージ報告」は、端的にそのことをアメリカが希望し、日本が海外に派兵することを求めていると思えるのですが、いかがでしょうか?

「日本が(★憲法9条によって)集団的自衛権を禁止していることは、同盟協力にとって制約となっている。この禁止条項を取り払うことで、より密接で、効果的な安全保障協力が可能になろう。
これは日本国民のみが下せる決定である。アメリカは、これまでも安全保障政策の特徴を形成する日本国内の決定を尊重してきたし、今後もそうすべきである。

しかし、アメリカ政府は、より大きな貢献を行い、より対等なパートナーとなろうとする日本を歓迎することを明らかにしなければならない。われわれはアメリカとイギリスの間の特別な関係を、米日同盟のモデルと考えている」






by grpspica | 2005-09-29 11:25 | 命・平和・人権 | Comments(9)
2005年 09月 28日

改憲論者のねらい by ノリコ

自衛隊についてこれを軍隊として憲法にもその存在を明記すること
そして「自衛軍を海外に派兵すること」が改憲論の本命です。

これは日本軍が外国人を戦争(すなわち究極のテロ)で殺害することを認めることで、私は絶対に反対です。

もっともどういう場合に派兵ができるとするかについては、自民党と民社党では見解が異なるようです。
大雑把にいうと、アメリカ政府に比重をおいてアメリカがやられたら日本も一緒にやり返すという集団的自衛のために海外派兵を認める傾向が強いのが自民党の中に多いのに対し、国連安保理の枠組みにこだわり、アメリカ政府を相対化する論者が民主党に多いといえます。

なおブッシュのアメリカは、イラク攻撃のときの理屈では先制攻撃も自衛だという論理ですから、どんな戦争でもできることになりますよね。そして攻撃の口実であった大量破壊兵器がなかったことがわかっても、戦争をしかけたことが誤りだったとはいわないのです。

ところで昨今の改憲論は、アメリカからの要請でもあります。現憲法が押しつけ論だという批判についてはまた述べる機会もあるでしょう。でも今回もし改憲されるとしたら、これまた押しつけなのです。
だって国民の側から改憲したいといってるのではありません。憲法を変えたいのは政府の側で、その根っこには、仲良しのアメリカの意向があるのです。

そもそも憲法は、というと、おおげさですが、次ぎに大切なことを書きます。
憲法は、国民個人を主体として、政府に「これだけはしていいですよ。でもこれこれはしてはいけませんよ」という指示をだすものなのです

ところが改憲論者は、国家が前面に登場して、社会や個人に対して守らせるべきものが憲法であると考えているようです。

少し固い話になりました。AWさんへのお答えの一部です。






by grpspica | 2005-09-28 17:18 | 命・平和・人権 | Comments(27)
2005年 09月 25日

73才おめでとう

 
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今日はグールドの73回目のお誕生日です。
しがないファンは、ワックスフラワーとリンドウ900円で、あの世の偉大なる音楽家を偲んでおります。
邦訳の「発言集」が、ようやく出版されるようだし、死んでからも、やたら「発言」の多い方。
来月は4日がご命日で、31日はママ・グールドのバースデーと花を買う理由だらけで嬉しいナ。
それはそうと、今年はナボファンから沢山のプレゼントをいただいた。誰にって同じくナボファンへのだよ。嬉しかった。ぽろん(涙)。
世界的に見てもナボコフファンは、本当に少数。対してグールドファンは多数派なのだと思う。
グールドファンでナボについて発言しているのは島田雅彦さんだけど、この方の小説、一字も読めない。世の中、お互いに気の合う人って、そうそうはいないのだ。野分のせいで体調ガタガタ。
 
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by GRPSPICA | 2005-09-25 00:00 | Happy Birthday | Comments(5)
2005年 09月 23日

珍道中 「バスに乗るまで」  by マサコ

  出発前夜、モニカがギューギュー詰めのアパートに転がり込む。私はダイニングキッチンに座ぶとんを並べて寝る。女中だから朝も1番早いもん。

  当日はギリギリまで、子持ち3人のように洗濯をする。
  1人裏から階段出発して表玄関のロックドアまで2人を迎えに行くと、私をドアマンに間違えたか、「早く戸を開けろ」と中から指図する。
  アホちゃうか? ボタンひとつで中から開くのに。

  地下鉄の切符を誰が買うか? 頭と舌がよく回る私が、駆け出して3枚買うという。
ノリコが「カード持ってないの?」
結局私はカードで入り、ノリコがカードで2枚買う。自動販売機でカードで3人分買えるとは知らなかった。カードでは自動改札だけ通れるものと思い込んでいた。知識が増えてよかった。

  さてホームで、いつものケンケンガクガク。要するに、空港行きのバス停には阪急と阪神のどちらが近いかの論争。身振り手振りを交えてのターとチーの日本語で。
  ホームの端で時間待ちの阪急の車掌さんが、不思議そうに私達を見ている。

  ホームに滑り込んだ阪神が、満員なので急遽、阪急になる。阪神から、乗客がドッと乗り換えてくる。
「今度、暇な時、どちらが近いか調べるわ」とモニカ。

  到着したホームで1人が切符がないと騒ぐ。窓口に話して、切符なしで通過。
3人ともなくさなくて、あーよかった。

  「帰りマサコがダウンしてたら、タクシーでもいいけど、今、空港バスの往復切符を買うぞ」とマネーバンクのはずのノリコがマサコをおどかす。
「はい、大丈夫です」

  ところが、数分後、その復路の切符をどこに入れたかわからないと言い出す。お陰で、バス待ちの間、退屈せずに過ごせた。

  50代3名の旅行は、6年前の沖縄の時と違って、変な会話だらけ。



奄美旅行の本当の理由 へ



by grpspica | 2005-09-23 13:54 | 旅・国内 | Comments(0)
2005年 09月 22日

奄美の写真  byモニカ

七面鳥とニワトリの暮らす山の上からの展望
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別の種類のニワトリの一団。これも襲ってきそうで恐かった。
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お土産が一度に揃う「ビッグ」(マーケットだけれど、中でお土産物コーナーもあり5000円以上だと送料無料で送ってくれる)には、左にウサギ、ヤギ、小さなカンガルー、はとがいる「かわいいの動物園」、右にはまだ完成していない植物園があります。。動物園はちょっと可哀想な波板屋根の暑いところでしたが、植物の方は名前当てクイズなどしながら歩けてよかったです。(植物園の写真はなし)
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こんな可愛いウサギが老若男女、結構いました。
暑さのせいか、午前10時前だというのに水のみ場の前にはいつもウサギが数頭(?ウサギはなんといって数えるのだっけ?) 張り付いていました。
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話題の山、遠景
もちろんこれ全部ではありません。ここのごく一部分です。
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ダイビング、カヌー探検は水の中とその周辺。だからカメラは持たずに体験。
カヌーひっくり返ることもなかったから、持って行けばよかったかな。
でも無事だったから思うこと。

残すは「金作原散策」のアップ。

しかし、人が簡単に出来るという、写真のアップ。
長い道のりでありました。
出来るようになって ウ レ シ イ な!!




珍道中 「バスに乗るまで」 へ



by grpspica | 2005-09-22 15:35 | 旅・国内 | Comments(4)
2005年 09月 21日

初日は山に直行 by ノリコ

  マサコさんは8月に上京してからずっと調子が悪かった。予定をたててもその日にならないと行けるかどうかわからない。
  心配しながら迎えた初日。相変わらずお腹の状態は悪いが、とにかく3人で出発。ひとりだけ残ったりしたら、4日分の体験を共有できない、ということはその説明をしなければならない、それはノリコやモニカにとってもかなりの負担である。

  奄美空港でレンタカーを借り、第1次調査員であったモニカ運転の車で山に直行。
写真で見たとおりの山だが、目のあたりにすると感慨深いものがある。
  少しだけ中に入ってみた。それというのもハブの話を聞く前だったから。ハブは日中は草むらで休憩している。棒などで起こしてしまったり踏んづけたりしたら、戦闘的なので侵入者は襲われる。夜は獲物をさがして動き回るけれど、あまり道路をにょろにょろはしないので、「道のまんなかを歩きませ」

  山の南側には人家がある。北側は山なので、どこまでがおじいさんの土地かと地図と現地を見比べ、境界標が残っていないかと土を掘ってみたりしてしばし過ごす。

  宿泊地カレッタ・ハウスでは車をおいて、徒歩2分位の「あぶしまくら」で夕食をゆっくり食べてその後にチェックイン。
「フランス旅行の時、添乗員さんが部屋に入ったらまずお湯が出るか、トイレは大丈夫か点検して異常があれば連絡して下さいって言ってたよ。日本ではそんなことないだろうけど」とバスタブに湯を張る。
  りゃりゃりゃ、一向に暖かくならない。使用方法が間違ってるのではと何回も確かめ、モニカにも応援してもらうが、ダメ。フロントに架電。調べてくれた結果、3軒となりにお引っ越しとなった。
  私たちは、文句ひとつ言わないで、「サービスマンが来たらお湯がさっと出て来なくてよかった、よかった」と喜び合ったのでした。



奄美の写真  へ




by grpspica | 2005-09-21 19:19 | 旅・国内 | Comments(0)
2005年 09月 21日

奄美旅行記  by マサコ

 奄美には72時間いた。
 楽しい旅行になった訳は、レンタカーのお陰で1秒の無駄なく、島の別人のような風景に慰められたから。
 出発前は、腸けいれんでお腹がカエルのように膨れ上がって、腹水の溜まった末期ガンの患者みたい。いつものこと。電磁波は脳の中枢神経を司るところにアタックするのか、その時々で症状が千差万別。ハハハ、奄美の風景のような病いである。

 出発。伊丹空港でまず「南高梅」というふれ込みの「梅干し」を旅のお伴に。しかし、外国産の梅がほとんどであった。梅好きの私としては、商人のやり方が悲しい。人を騙すことが人生の勝利者なのか? 1人くらい、正直な梅干し関係者がいて欲しい。

 時間待ちの鹿児島空港では、韓国風麺を、「カエル腹の爆発で緊急入院の活劇が始まらないか?」と怯えつつ、食べてしまう。
 超便秘で口は苦く、全身じぃーんとしびれっぱなし。
 韓国フェアをしている。鹿児島国際空港は韓国に近いせいか、ハングルが聞こえてくる。ラジオ講座の先生のお声が、なつかしい。テキスト持参だけど、きっと聴けないだろう。

 到着空港には旅行社の人が待っていた。
 さて、一路、おじいさんの土地へ。
 祖父の土地には、パパイヤがなり、山水をためて(隣の人が畑用に)水を引いているようだった。
 子供の時から「百歩蛇(ヒャッポダ・噛まれると百歩歩く内に死ぬ)」だの「ハブ」で怖がった記憶が蘇る。草むらを棒で叩いて前進する。 

 帰りがけに祖父の山の近隣を探検する。
 少し車を走らせると、植物園のようなところがあり、ニワトリが放し飼いになっている。色々見ていいとのこと。山のてっぺんまで車で登る。七面鳥までいて、ニワトリ同様、気が強そうでヒチコックの「鳥」を思い出す。普通のニワトリだとカラスにやられるので「シャモ」との混血にしているとのこと。

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 ホテルに着くと、ノリコが「お湯が出ない」ことに気づき、部屋を変えてもらう。
 バーを覗くと人がいなくて淋しそう。
 そんならと飲んでいると、ナボコフのニンフェットを思わせる幼女を連れた家族づれが入ってくる。そこで数字の話。これが「ダイビング」に繋がる。

 レッスン初日の夜はマンツーマンで教えていただいた「マルちゃん、大ちゃん、ナオちゃん」と家族と私たちで、夕食を共にした。サンマのお刺身は、ホンにおいしかった。多国籍料理は材料の調達と準備が大変そう。メニューは見ているだけで楽しいけれど。
 後はニンフェットと遊びまくる。4才児といえど、完全に女性なのだ。ロリコンの気持ちがわかる。
 11月に出版される「ロリータ」の30年ぶりの邦訳の出来はいかに?

 もう思い出せない。
「秋名」にも行ったけど、いつだったのか? 島特産のサトウキビから作る「ザラメ」の大ファンで村の店で買う。小さな店には野菜の種だらけである。....わかった、これは2日目であった。
 初日の夕食はどこで食べたのかも思い出せない。きっと食べなかったのかも。
 あー、わかった。ホテル近くのレストランにくり出したのだ。ひどいババアになったものだ。

 こーゆー旅行記、ウンザリしません?
 もう止めますね。
 「海峡」へ、あなたのご自慢の「特異」な旅行記をお寄せ下さい。

 最後に、奄美の山と海は、いわゆる自然の匂いがなくて、それがとてもいい匂いです。
島言葉の美しいイントネーションを思い出すと、ここで薫る気がしないでもない。  



5 初日は山に直行 へ



by grpspica | 2005-09-21 13:51 | 旅・国内 | Comments(5)
2005年 09月 20日

ダウンした最終日  by ノリコ

奄美空港に向かう車の後部座席に横になって、ブレーキを踏まれたときに狭い座席からおっこちないようにと気をつかいながら、運転席のモニカと助手席のマサコのおしゃべりを聞いていた。このシーンは前にも経験したことがある。

1999年夏、香呂で1泊して「人形の館」で遊んだ後、ひまわりで有名な南光町へ向かった。ところが「人形の館」を出た後に気分が悪くなり、ひまわり畑に着くまでも着いてからも車から降りられず、ひまわりさえほんのちらっとしか見なかった。「人形の思いがついたのだ」と思った。

モニカは午後3時発の飛行機が出るまでにと笠利町を1周したが、ほとんど景色は見なかった。途中でやっと出会った人に道を尋ねていたのは知っている。

この体調不良は朝からのこと。
いつものように6時頃太陽が昇ると同時くらいに目が覚める。
ん? 頭が重い。右の首から後頭部にかけてのうっとおしさは、生き霊がついたときの感じ。マサコに指圧をしてもらう。
ん? 食欲がない。今朝は日本食の日。どうも食べる気がしない。パンなら入るかもしれないので「もらえたらパンを」と所望し、暖めたパン2個が届いたが、やはり食べたくない。

かくてダイビング2日目をキャンセルして、午前中、ベッドで横になっていた。荷造りが済んだころ立ち上がってシャワー。12時前のチェックアウト後、カレッタハウスの部屋を見学する。
「よいこダイビングスクール」に寄って、もういちど山を見た後、帰途についた。空港でも昼食が食べられないし、飛行機の中でもほとんど寝てた。

伊丹着。「どうしてもうどんが食べたい」とマサコ。
私が吐き気がしていたので奄美空港で昼食を摂らなかったそうだ。テーブルに伏せていたのでそのあたりの話は知らなかったが、「横で食事をしたら匂いがするだろう」とはなんとまぁ優しいこと。
 ここでモニカが注文したうどんとご飯のセットのご飯をおそるおそる食べてみると・・・おいしい。「もっと入りそう」で追加注文。

私の体調不良はその時には治っていたのである。


4 奄美旅行記 へ



by grpspica | 2005-09-20 17:13 | 旅・国内 | Comments(0)
2005年 09月 19日

おじいさんの山 byノリコ

奄美大島におじいさんの山があることがわかったのは1986(昭和61)年のこと。
 「国土調査をするので立ち会うか、代理人をたててほしい」と龍郷町から手紙が届いた。
突然山持ちとなった原家のメンバーは、誰も興味を持たず時は流れた。
1999(平成11)年、今度は「町道となっている土地の名義を変更してほしい」との依頼が届いた。ついてきた地図を見ると龍郷湾に沿って町道が走り、祖父の原野の一部が町道敷と表示してある。海のすぐ側が山である。「なかなか良さそうな所だな」
しかし現物を見に行こうとは誰も思わなかった。

今回よくよく謄本を見れば、1918(大正7)年に山と畑と原野を、祖父が曾祖父から買ったことになっている。祖父は二男であったが、全部で10人もいた兄弟のためにそれなりの仕送りをし、その見返りに曾祖父が祖父に土地の一部を与えたのかもしれない、などと想像する。
母が生まれたのが1920(大正9)年、祖父は結婚するまでは、なんどか島に帰ったことがあると聞く。そうすると土地を取得してからは帰っていないのだろうか。
私の想像が正しければ、そこにそんな山を持っていることは知らなかったかもしれない。無論、開戦そして敗戦・台湾からの引揚など波乱の時を過ごす間に忘れてしまったということも考えられる。

2005年5月、モニカが遠縁の叔父夫妻のお供で奄美大島に行った。
この宮崎の叔父夫妻にはマサコが17才の頃にたいそうお世話になった、そのご恩返しである。

「奄美に行くならおじいさんの山を見てきて」とノリコは、何気なく頼んだ。
モニカが持ち帰った「別荘地に最適」との親戚の話に原家は沸いた。
そして9月13日から16日までグループスピカ全員は祖父の故郷奄美大島で過ごしたのである。




3 ダウンした最終日 へ



by grpspica | 2005-09-19 11:25 | 旅・国内 | Comments(1)