ペーパー版「海峡」の新スタイル
by grpspica
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ミクシのグールド&ナボコフコミュからお訪ね下さった皆様へ---
グールドと音楽に関するマサコの文章は、
my life with gg (グレン・グールド)
に移動しました。

ナボコフ関連のエッセイは、検索して下さると、出て来ます。

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by grpspica | 2005-12-31 11:36 | グループスピカ | Comments(0)
2005年 12月 31日

はなこ様へ by マサコ

2005年の話題のひとつ
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はなちゃん、ご無沙汰しています。
おせち料理は整いつつありますか?
マサコは「ロ」ではなくて「ノニータ」
正常に発育して、目はおボロ、歯はすけすけ。

このマント、ナボコフが奄美大島のザラメとロシアの雪を混ぜて作ってくれたの。
そして天使が肩にかけてくれました。とても柔らかな暖かさです。






by grpspica | 2005-12-31 10:41 | グループスピカ | Comments(2)
2005年 12月 30日

「ややバッハ日記」様へ

■初めまして


TBをありがとうございました。
「海峡web族」の原真砂子です。

私もグールドが大好きで、今でもどんなに助けられているかわかりません。
かれこれ25年前には、カナダのトロントに押しかけて、サイン入レコード5枚を頂きました。

グールドとバッハは我が青春の金字塔。
バッハの「96のお部屋」(48のプレリュードとフーガをこう呼んでいます)も大好き。
リヒテルが面白いお話を作っていて、「リヒテルは語る」という本で楽しめます。
何番が特にお好きか、また教えて下さい。

どうかいいお年をお迎え下さい。
マサコ (2005-12-29 12:34:29)

■おや TBできないのかな
ひとつ:上記文章をTBしようとしたのですが、コメントになってしまった。アメーバ同士でないとTBできないなんてこと、ないよね。だって「ややバッハ日記」様から「海峡」にTBできるのだもの。

ふたつ:お返事ありがとう。やはり検索でしたか。それって結構時間がかかるでしょう?でも仲間を増やすためには、確かにいい方法ですね。
ノリコ (2005-12-29 12:41:35)

                           
by grpspica | 2005-12-30 00:26 | blogの輪 | Comments(5)
2005年 12月 24日

トナカイとハート byノリコ

クリスマスイブ 全世界の人々に平和と愛を
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by grpspica | 2005-12-24 09:47 | グループスピカ | Comments(2)
2005年 12月 23日

検察審査会 再び起訴相当と byノリコ

12月22日

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議決書を見上げる関係者

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吉田さんも喜んでいるよね。
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by grpspica | 2005-12-23 11:20 | 命・平和・人権 | Comments(3)
2005年 12月 22日

「ターシャの家」から byマサコ

タグ:本の感想など ←クリックで記事一覧へ


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冷蔵庫

冷蔵庫のドアに、好きな詩を貼ってあります。一度貼ったものを取り替えることはめったにないので、もう、ず一っと貼ってあるわね。
上はジョン・ダンの有名な詩「危機に瀕しての祈り」を書き写したもの。
下は、マックス・アーマンの「デシデラータ」という詩。1920年代に書かれたものだけど、今でもよい手本になるわ。

ひとりで、ひとつの島全部である人はいない。
だれもが、大陸のひとかけ。全体の部分をなす。
土くれひとつでも海に流されたなら、ヨーロッパは、それだけ小さくなる。
岬が流されたり、自分や友達の土地が流されたと同じように。
わたしも人類の一部であれば、だれが死んでも、わが身が、そがれたのと同じ。
だから、弔いの鐘は、だれのために鳴っているのかと、たずねに行かせることはない。
鐘は、あなたのために鳴っているのだ。


               ジョン・ダン「危機に瀕しての祈り」


まわりが騒がしく、せわしくても、おだやかに行動し、静けさがどのように心休まるものかに思いをはせよ。可能なかぎり、しかしへつらうことなく、すべての人と、よい関係を築け。自分をいつわらず、静かに真実を語り、人の話も、耳を傾けて聞こう。無学、無知の者の話も。彼らにも、言いたいことがあるのだから。

どんなにつまらなく見える仕事も、大切にしよう。どれも、人生を築く、貴重な財産なのだ。仕事上の油断は禁物。世の中は、落とし穴だらけだ。かといって、世の中の善を見落としてはいけない。
高い理想に向かって邁進している人は、たくさんいる。勇気ある行為は、あらゆる場所に満ちあふれている。

自分の心に正直であれ。特に、愛するふりをしてはいけない。愛に対して懐疑的になってもいけない。無味乾燥で現実主義の世の中にあっても、愛は雑草のように生き続けるものだから。

年齢による分別を快く受け入れよう。若さにしがみつくことなく、しなやかに手放そう。突然の不運に立ち向かえるよう、精神をきたえよ。しかし、暗い想像で、打ちしずんではいけない。不安の多くは、疲れと孤独から生まれる。自分を律するのはいいが、それいじょうに、自分に優しくせよ。

            マックス・アーマン「デシデラータ」から抜粋





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by grpspica | 2005-12-22 12:51 | 本の感想など | Comments(2)
2005年 12月 15日

アイスクリームの話 by マサコ

グレン・グールドが昔、両親と住んでいた小さな家は、トロントのビーチと呼ばれる地区にあった。
「サウスウッド通 32番地」がグールドの住所だった。 
クィーン通りからリィ通りを上がって行くと学校のあるウィルマソン通りに突き当たる。私はトロント滞在中、よくこの付近を散歩した。オンタリオ湖畔の散歩道は、貧弱そのものの風景だったれど、それでも昔、グールドが歩いたと思えば慰められた。

クィーン通りにはアイスクリーム屋があった。アイスクリーム店に最初に入り、アイスクリームを買った時のことは、今でもよく覚えている。
長い行列の尻尾に並び、人々がそれぞれに注文する英語を聞く時、私はまるで3才児だった。 

「プレーンコーン」は知っているプレーンなウエハース。
「シュガーコーン」は甘いのだろうか。茶色のコーンで名前のとおり砂糖が入っているに違いなかった。
「ワン スクープ」「トゥ スクープス」でアイスクリームの量がわかった。「トッピング」はお飾りで、アイスクリームの上に何か好みのものをつけていた。それはコーンフレークやビーズやチョコチップスの様なものだった。 
行列が長くて良かった。注文の要領が良くわかったからである。その後、いつも 
「プレインコーン、ヴァニラ ワンスクープ、ノウトッピング」
が私の定番になった。

今も思い出すあの散歩道、少年の日のグレン・グールドを探していた私の散歩道。
アイスクリームをなめる事が何一つグールドを失ったことへの慰めにならなかったけれど、よく歩いて、必ず最初に買った時の感動の味を思い出して、なめていたアイスクリーム。

1985年1月からニューヨークに住む姉を訪ねて何度かニューヨークに出かけた。
ピープルズエクスプレスと言う、確か今は潰れた、運賃の安い飛行機を利用するために、延々トロントからバッファローまでバスに乗り、そこから空を飛ぶという面倒くさい旅だったけれど、バスがぐるーっとバスディーポを離れる時に、グールドの死を知ったあのカナダ領事館の入っている高いビルディングが「どアップ」になる。その風景にいつもあの日のショックを思い出していた。

10月のある日、ニューヨークのアイスクリーム屋さんに入った。
注文すると黒人の少年が、プレーンコーンを片手に、肩から全力投球する格好でアイスクリームの山を削り出した。一削り、一削り、野球の投手のようだった。そればかりか、もうそれ以上は乗せられないアイスクリームを何とか乗せようとする彼の姿に私は、いつとはなく微笑み出した。その気配に気付いたのか少年は顔を上げ、つぶらな瞳で私の顔を訝しげに見つめた。  

私は多分、西洋人の言う、「名状しがたい東洋人の笑い」をしていたのだろう。だって、ただ黙ってニコニコ東洋式に笑っていたのだから。

私の顔に悪意がないのがわかると少年はまたアイスクリームを積み出した。 
 「そんなに肩を使って痛めない?」とか「たくさんアイスクリームを乗せてくれて、ありがとう」とかの思いを込めて 
“ Thank you for working so hard. ”
と言えれば良かったと思う。 

このアイスクリームは、私の心を幸せで一杯にした。誰かが人のために精魂込めて、何かをたくさん与えようとしている味がした。
あの黒人の少年の姿は、まるで、肩から全身の力を指に集めて、頭の中は少しでも美しい音を私の心に届けようとしたグレン・グールドの純粋な気持ちに似てはいないかしら?

だとしたら、私は、やっぱり逢いたかった少年の日のグールドに逢えているのだろう。
1996年1月7日






by grpspica | 2005-12-15 17:34 | グループスピカ | Comments(2)
2005年 12月 13日

新旧のリンゴ ----GG生誕70年没後20年記念盤に寄せて---- by マサコ

  「人間としての自分の味がもっともよいときに、人に食われるのをやめなくてはならない。長く愛されたいと思うものたちはそのことを知っているのだ。
もちろん、秋の最後の日まで待つように運命づけられている、諸々の酸っぱいリンゴもある。じじつ、それらのリンゴにあっては、熟するのと、黄色くなるのと、しわが多くなるのとは同時なのだ。」
           「ツァラトゥストラ『自由な死について』」より 吉沢伝三郎訳   
  ツァラトゥストラにこう言われると、前者はグールドのことだし、後者はしわが多くなった(それも脳ではなく、顔の)ツァラトゥストリーネのことと神妙に受け止める。

  2002年11月7日、グールドのゴルトベルク変奏曲の新旧CDとボーナス盤、それに新しい写真集が発売された。この気流系ポルノ、ゴルトベルク変奏曲は風と雲の生殖のように私の心をかきたてる。

  「真にすぐれた作家の処女作には、その人の全ての才能が含まれている」といわれるように、旧盤の演奏には、トマス・マンの処女作「トニオ・クレーゲル」の面影を感じる。ただし、オートバイや時にはジェットコースターに乗った青年。ヘルダーリンやジェームス・ディーンのデリカシーも満載している。

  音がカシミア・シルクのように軽くて明るい旧盤に慣れると、「いつまでも17才でいたい」から新盤を聴くのが億劫になってしまう。
  グールドのノンレガートはよく話題になるけれど、グールドのレガートの美しさったらないのだ。彼のレガートは、アイロンひとつで洋服が新品になる魔法の腕前で、撫でられると疲れた魂がシャキッとする。
  グールドはただ単に天才であっただけでなく、自分の生命を他の人の幸せのために惜しみなく削り取って与えたのである。
  そのフェニックスの翼は、グールドの肉体的、精神的犠牲によって1人1人の彼のファンに届けられる。

  その意味ではイエス・キリストのような存在であり、音楽家が哲人と宗教家の要素を供えている古代ギリシャのパノラマが見えるようだ。デリケートな指先は、詩人の言葉を紡ぎ、アクの強い土性骨とは異なる、無色無臭の香りを放つ。音楽のドラマ性においては、名俳優である。あるときは流しの演歌歌手、ある時は不良のアンちゃんを演じる器用さもあった。
この果てしない多彩さがグールドの魅力のひとつ。

  ボーナス盤はティム・ペイジとのおしゃべりのはずが、何のことはない、グールドはペイジの口をふさいで、腹話術をしているに過ぎない。キイボード上で完璧なコントロールを得ることに慣れていたグールドは、自分の世界のために生きた人間を強力に支配したがる。1981年にカナダへ渡り、グールドに近づきたかった私はその恐ろしさに震え上がるCDでもある。

  ただ個人的に嬉しいのは、グールドはこのインタビューの終りにゴルトベルクの第13変奏を用いていることだ。初々しい、清澄さを可憐な器に盛った曲で、「朝顔にあさっての莟多き哉」(子規)を思い出す。この曲は、32連符を、朝顔のつぼみのような形でいくつも重ねないときれいに弾くことはできないので、この曲を番組の最後にあしらったグールドのセンスが嬉しい。
  そして、グールドの人生は、この対話が収録された1982年8月22日から1ヶ月あまりの10月4日で終わったが、この朝顔のように、あさって(22世紀)に咲く「つぼみ」が沢山ついている。
  2002年11月10日

                             (グレン・グールド)
by grpspica | 2005-12-13 10:30 | 音楽・哲学・宗教 | Comments(8)
2005年 12月 10日

12月 byノリコ

胡蝶蘭とクリスマスカード

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by grpspica | 2005-12-10 10:01 | グループスピカ | Comments(17)
2005年 12月 06日

なつかしい人々 その1  byマサコ

 彦根では「二期咲き桜」という1年に2度咲く桜が咲いている。友好都市の「水戸」から昭和43年に贈られた桜だ。決して満開にならず、3分から5分咲きで花が入れ替わる不思議な咲き方をするらしい。
 母方の曾祖母とその娘の人生を映すような桜の開花に2人の女性を偲びたい。

 人が食べる白いまんまを取り上げてまで、自分の一族に財を蓄え、贅沢な暮らしを保とうとする人たちは、いつどこでも存在するが、曾祖母の実家は支配者層の出身であった。

 曾祖母が後妻として嫁いだ家には先妻の子供がいた。それでとても苦しんだ。
祖母が好きになった人との縁が「再婚」だったので、曾祖母は自らの経験から反対した。自分のした苦労を娘にさせたくない思いからだろう。

 祖母が、知性や教養、育ちの温度差が20度もあろうかと思われる祖父に嫁いだ事から、彼女の悲劇の人生は始まった。
 同じ苦労するなら、最初だけでも「好き」と思えた人物の方が、マシであったのでは?と子孫の私は頭で小説を書く。

 曾祖母の優れた頭脳は、祖母の超人的な才能となる。2人は、料理の名手であった。しかも決して「いりこ」の出し汁は使わない「超お嬢様のクッキング」。
今日、パリの一流シェフが「昆布」と「カツオ」の出し汁に狂っているが、誰も「いりこ」に惚れないところがおもしろい。
祖母の削った「かつお節」の美しさは、今でも覚えている。母が削ってもあの形にはならなかった。

 祖母との相性が、現在のナボコフの熱狂ファンの源ではないかと思われる。
ナボコフと祖母は、共通点が多い。
・なんでもできること
・同じ土地にズデ-ンと何年も住み続けないこと
・何もかもが中の上であること
・とこぎり苦労したり、努力するタイプであること

 つき合ったり関わったりする人々を慎重に選ぶことが、このふたりの唯一の人生の幸へのパスポートであったろう。
 人生の一部(特に幼い時)を「貴族的」なレベルで暮らせば、その時の生活習慣が脱けることはなく、程度が落ちた時の「悲哀」は、我々下々の者にはわからない程に堪えると思う。

 あっ、曾祖母のことを書こうとしたら、ナボコフが割り込んで来ている。
 けふは、おめでたい日。 どれだけの男性が、1955年と同じように、間違えて「ロリータ」を手にすることだろう!

 おっ、1955年といえば、グ-ルドのゴル嬢のデビュー年。ここでグ-ルドもようやく割り込む。 
  2005/11/30








by grpspica | 2005-12-06 11:35 | グループスピカ | Comments(1)