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by grpspica | 2015-12-26 09:46 | グループスピカ | Comments(0)
2015年 12月 25日

再び台北での日々 byマサコ

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故宮、セブンイレブン、もう一つの香り。

台北での宿は最初と同じリドホテルで通算7泊する。
フロントに着くと、「もう一枚毛布入りますか?」と聞いてくださる。
覚えていてくれた。
このホテルでは夕刻、果物とココアのサービスがある。
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サービス係が女性だからいいけど、お風呂上がりで受け取ることもある。

故宮は、前もってTVで「白菜」と有名な象牙の多層級多層球の宝物をみていたので、悪くなかった。
乗って行く地下鉄は2号線。これもまた、TVで北投の温泉地や淡水の街の様子を見る時欠かせない路線なので、馴染みがあった。
それにしても赤ん坊や子ども、それを叱る母親の発声のきついこと。それに負けずに子供の方も声を張り上げる。
このことは、母もよく話していて、その通りだった。

セブンイレブンでおにぎりとおでんを買う。
夕食にちょうどいい。
おでんには、かわいい水色の手提げサービスがあった。
重いので「破れない?」と聞くと「大丈夫」という返事。
 ↓一枚の紙に綺麗な切り込みが入っている。
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 おでんを乗せて
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 ぶら下げるとこうなる。
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おにぎりは、いくらと鮭が入っている。他のおにぎりより少し高め。
「グループ、集団旅行では、こんな息抜きが出来ないから、個人旅行はいいねぇ」と上の姉が話している。

翌日、228紀念館へ。
日本語世代のおじいさまが90歳にもかかわらず、背筋ピンで朗々と体験談を話してくださる。
合い間合い間の笑顔が素敵。
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犠牲者の遺族が「父は犠牲者ではなく........」と話しておられるフィルムを見たけれど、そうだといいなぁと思ってしまった。

紀念館隣のレストランに入るけれど、昼時なのに人手は少なく、私たちは厄介そのものらしいので、出る。
モニカさんが背中が軽いことに気づき、慌てて紀念館のロッカーにリュックを取りに行く。

それから東門町のフルーツいっぱいのかき氷屋さんに転がり込む。
今回は、氷のかき方が、柔らかでトッピングも白いババロア風ゼリーを注文して大満足。
マンゴーのおいしさは、フルーツの王と言えそう。
トケイソウ(パッションフルーツ)より、当たり外れが少ないから好きだ。
あとは2度行った小籠包で有名な鼎泰豊(ディンタイフォン)が良かった。
食器は全て白。白が多い所ほど、他のことも気に入る気がした。

さてもう一つ。
これは大変なことだった。
台湾では一般的にはトイレットペーパーを気軽に流せない。(ホテルは流してもいい所が多い)
鼎泰豊(ディンタイフォン)ではそれなりの配慮がしてあったので困らなかったが、ここ以外は香り爆弾に見舞われのだ。
律儀なアチキとしましては、帰国後もトイレットペーパーを使用後、丸め込んで、それからハッと気がついて流すのだが、今だにトイレが詰まりそう...とまで神経が働く。

そういえば昔、「落とし紙」という上品な日本語があった。死語になっていると思う。
台湾は落とし紙はダメで、備え付けの大きな入れ物に入れ込むのだけど、私の鼻には災難で、辛くて涙まで出ましたよ。。


「ハッ、あれはどこ? これはどこ?」
「あそこで出しているの見たわよ」
「昨日は、使っていないのじゃぁ?」
「夜にマスクしてなかったから持って来ていないのよ』
「ああ、良かった。お店の椅子にそのままあったわ」
「あれ失くすと生きていられないョ」
20年前の国内旅行よりもはるかに増えたこんな会話。
これからもこの内容が続くことでしょう。

でも人生を旅行を機会に仕切り直すのはいい事です。
63年の思い出は棺桶に入れて燃やしましょう。
最後に私の背中に赤ちゃんのようにおぶさってくれた赤いリュックに感謝。
願わくば、死ぬまで一緒にいたい伴侶。

それではみなさま、お一人お一人の旅行記を拝見できる日を楽しみにしつつ。

お互い旅行の話ほど、詰まらないものはないと思っていらっしゃる方の多い事を信じつつ。
これからも仲良くしてくださいませ。

マサコ


付け足し

帰国便の出る桃園空港では、搭乗検査の際、姉から借りていた肌身につけていたパスポートポーチが「いけない」との事で肌着になって外しました。年寄りなので、まぁッいいかと脱ぎました。
口の達者な姉たちが「自爆すると思われたんだわ」なんて事を言い、頭に来ました。
考えるに、飛行機が落ちて一人生き残るのが嫌で参加した旅でした。
帰りの機内では、落ちるとわかった時に口に入れる予定のカラスミをビールと一緒に食べたのです。
みなさまもパスポートポーチにはご注意ください。


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マサコさんだけ旅行を〆ていますね。
    ↓
 一人旅 byマサコ へ


ノリコは感想のようなものを書く予定です。
    ↓
 旧年のことあれこれ byノリコ へ

モニカの
    ↓

by grpspica | 2015-12-25 00:52 | 旅・台湾 | Comments(1)
2015年 12月 24日

さようなら、台灣  byマサコ

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変なもの。
手洗いの洗濯時間が1番うれしかった。
自宅では、料理、洗濯、掃除に疲れ果て、洗濯機でしか洗えない。
大きなバスタブを池に、あるいは流れる水を滝に見立て、
洗濯をする時は、童話の主人公になったようで、心が安らいだ。

1番嫌なことを思い出すもの私の特技で、旅行中もそれは変わらない。
たとえば228記念館の正面玄関脇に、
20歳から20年間騙された新興宗教の平和柱を見かけた時、嫌な気になった。

ラバウル島でこの平和柱を見かけた尹貞玉(ユンジョンオク)先生の訝しさは、
私の 想像を絶するものだっただろう。

コリアーナのおかげで、宗教団体に長年いいようにされてきたことを気づいたのだけど、
これだけ台灣の柔らかさと淡さを経験すると、まだ行ったことはないけれど、
あの朝鮮の激しさと強烈が合うとは思えなくなってくる。

人は、長期の旅に出ても、日頃と変わらない思考形態で時を過ごすと改めて思った。

そうだこの国でお土産をいただいた。
それは、「あなたのお顔は古典的ですね」であった。
でもそれって原住民に近いってことじゃないかな。




****************
by grpspica | 2015-12-24 22:29 | 旅・台湾 | Comments(0)
2015年 12月 23日

台湾1周旅行2015年11月25日(水曜日) @台北4日目

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朝、携帯のない事に気づくモニカ。
YOSHIの携帯からコールしてもらうが何の音も聞こえない。
忘れた場所はただ一つ。Toshiさんの車。。。。
慌てて電話。
出るなり「携帯を車に忘れてると父から電話があった」と言われる。
あるはずのない電話の呼び出し音にはびっくりされた事だろう。
明朝、ホテルまで運ぶと言って下さったが、忙しい朝。
こちらから取りに行く話をしたが、無理な事がわかり、お世話になる事に。

あぁあ〜。

カメラに続いて2つ目の忘れ物。
整頓能力のない人はこうしてよく物を失くすとマサコさん。
彼女のジャケットはデイパックの中から出て来た。

夜市に行った事がないという我々にToshiさんがホテルから近い2カ所を教えて下さる。
でもまずは昼食。という訳で、東門市場内の「羅媽媽米粉湯」へ。
叔母と姪達でやっている店とか。
東門市場は祖父の家に行く時に東の端をかすめ通る位で中まで入ってはいなかった。
中に入って西に進む。
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お昼頃には閉まる店も多いらしい。

途中でドライマンゴーを購入。黄色くまだ水分がある柔らかいもの。
1袋200元。3袋500元。
途中で日本語で声をかけられたご婦人に助けられ、無事購入。
子供の教育の為に大阪で10年暮らした90才の方。
とてもそんなには見えない若さにびっくり仰天。
こちらの80、90代の方のお元気な様子には感心する。

そのまま西に向かって金山南路に出る。信義路に戻って右折したすぐの路地を入るとそこが「羅媽媽米粉湯」。
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15時(おやつの時間)まで人が一杯とはよく言ったもので、みんな大忙し。
「米粉湯」は一杯20元だけはわかるけれど、その他はさっぱりわからない。
隣の親子連れのお皿を見ながら注文しようとすると20代の息子さんが「日本語わかります」と声をかけて下さる。
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無事、空芯菜炒めと油揚げと豚の内臓(黒管)を注文した事になった。
どれも淡白なのにしっかりした味で、美味しかった。

食後は宿戻り組と買い出し組に分かれて行動。
台北のカラスミ事情を覗きに西門の「伍中行」へ。
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なんだか南京町の林商店にいるような感じ。

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結構疲れたけれど、総統府はすぐ横。見ないのも残念だからと回る。
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総統府側の道路で写真を撮ろうとしていたら、警備の人に、
「ここに長くとどまっては行けません。写真はあちらで」と通り向こうを指差される。
遠くには東門が見えるので、そちらに回ると、向かい側は母の母校旧第1高等女学校だ。
(正面建物の下に小さく見えるのが東門)
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第一女子中高等学校とかなんか名前が書いてあった。

この時、もう少し意識がしっかりしていたら、総統府の隣のブロックの昔の高等法院(今の司法院)に足を伸ばせたかな。
母が幼少期を過ごした官舎もその裏にあり、法院の庭でよく遊んだと言っていたっけ。
帰国してからご愛用のストリートビューで歩いてみたら、それらしき日式家屋が残っていた。
もう少し話を聞いていたら、そんな家にも会えたかも知れない。
父方の家は、残念ながら残っていないようだった。


すぐ横の公園には卒業式の時に着るようなマントを着た男女学生が記念撮影中。
 ↓左端の集団 
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その前は蒋介石時代に弾圧され、殺された人々(2.28事件とは違い1949年から1987年までの犠牲者)を慰霊するモニュメントがあった。
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「白色恐怖」とは「権力者の弾圧」といった意味らしい。

くたびれていたので、地下まで降りずにお参り。
東門のアップ写真を撮り、
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中正祈念堂には入らずに、西側を素通りして
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MRTにてホテルに帰宅。

夕食に夜市に出かける元気もなく、ホテルそばの7&11でおにぎり、アイスクリーム、ジュースを購入。
先に戻った組は疲れて眠っていた。


次へ 再び台北での日々 byマサコ

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by grpspica | 2015-12-23 17:18 | 旅・台湾 | Comments(0)
2015年 12月 21日

台湾1周旅行2015年11月24日 @台北3日目

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昨日に続いて8時組と遅れ組に分かれて朝食。
本日は228記念館に行く予定。
台北大学は余力があれば、行く組とホテル帰り組に。

大安森林公園駅から台大病院(YOSHIの生まれた所)まで20元×4。
台大病院前駅のホームには大きな彫刻がいろいろ置いてあった。
テーマは「手」のようだ。
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地上に出たらそこが228公園。
1947年2月28日にタバコ売りの女性を捕まえた事に抗議し、その後台湾人が蜂起した事件。
当時の知識人達が捕まり、ポルポトと同じような殺戮を展開した事件だ。

  wiki二・二八事件
  小名木善行 ねずさんの ひとりごと 台湾二二八事件


上下2枚の写真で1つのモニュメント。くっつけると一体化するのだけど。。。
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大きさはこれくらい。
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ちょっとわかりにくいので、この写真も
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同行のYOSHIは、当時の台湾行政長官兼警備総司令・陳儀が秘密裏に蒋介石に応援を求め、派遣されて来た蒋介石軍の行進や、土嚢が詰まれ機関銃などがあった光景を覚えているそうだ。
93歳になる叔母は、夜、放送局に勤めている青年がやって来て、この事件をどう思うかと尋ねられた時、「あなた方(台湾人と中国人)の問題だから...」と言ってそれ以上立ち入った話をしなかったら、とても寂しそうな顔をして帰って行った姿が未だに忘れられず、その人がその後どうなったのか気にしている。
父の知人も連れ去られて戻って来なかったという話を母としていたのを聞いたモニカは、大人が連れ去られて消えてしまう事があるのかととても怖かった。


記念館に着くと、丁度日本語で案内して下さるボランティアの方が先を回っていると聞き、追っかけてお話を聞く。
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抗議デモが通ったその経路が床に書かれている。
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インパール作戦で生き残った後、1946年5月(?)に復員。新聞社に勤めていた時、事件が起こり、丁度不在の社長を逮捕に来た陳儀側に捕まり、それはひどい拷問を受けた経験を持つ方。
インパールでも逃げて回る中、マラリアと疫痢(赤痢?)に罹り、○○の病院に収容され、その後玉音放送で解放され、○○からサイゴンに木造船で運ばれ(1隻に100人くらい詰め込まれた2隻のうち1隻は転覆)生き延びた方。
一緒に記念撮影の後、飛ばした箇所を見て回り、記念館を後にする。
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腹ごしらえに隣のカフェテリアに入るも、漢字ばかりのメニューに注文する勇気も出ず、退散。

公園の西側にある有名なカラスミ屋さんを覗く話もでるが、台湾大学ツアーを中止し、ホテルに戻る事に決定。
途中、あの美味しかったマンゴーかき氷屋さんに行く。芒果皇帝(Mango King)
ここはネットで見ると、台北では良心的値段との事。
大盛り2種類とカップ入りを注文。
メニュー ↓
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隣の女性2人、日本人。後から逆隣に座った3人家族も日本人。
日本に出店しているのとは違う店だった。

宿に戻る途中にパン屋さんでパンを買う。
ミルクもついでに買って、ホテルで昼食。

夜にネット友人のToshiさんとお食事&お茶会があるので、お腹を調節しておかなければならない。
モニカはジェットバスでリフレッシュ。
兄は一休みして、貸し自転車を見がてら、目の前の森林公園を散歩。
色々な種類の鳥に出会って驚いていた。
この森林公園は昭和7年3月の市區計画街路地図に公園と記されている。
戦中にどこまでこの計画が運ばれていたのだろう。。。
今の街と照らし合わせると形はほとんど一緒だ。
この地図の通りに街づくりがなされたのだろう。
蒋介石の記念公園は歩兵第一部隊や山砲隊(と書いてあるように見える)だから
そのまま日本軍の場所として置いておくつもりだったのだろう。
 

約束の18:30に車でお迎えに来て下さったToshiさん。
穏やかで明るく笑顔の素敵な方。
彼こそが、今回の旅のハイライト「祖父の家を訪ねる」の下調べをして下さった功労者。
彼の助けがなければ、台湾入りするまで、何の情報もなかったのだ。

台北の家、その後 byモニカ

連れて行ってくださる所は「猫空(マオコン)」という、台北東部に位置するお茶で有名な山。
動物園、茶畑があり、茶芸&茶葉料理が満喫できるという場所。
茶店がたくさん ↓
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そこでお食事した後、彼が台湾茶のおもてなしをして下さるとの事。
ロープウェーの終点からさらに進んだ所で車を止め、彼行きつけのお店に。
建物というより、全体がテラスのようなお店。
神戸の六甲から見る夜景よりやや遠くに見える台北の町の光は曇りのせいか寂しい
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食事はいつも通り、とても美味しく、きれいに平らげる。
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調理場
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Toshiさんのお話は、楽しく、彼のお人柄がよくわかる。

ネットで知り合った人と会うオフ会は3度目?だったかな。
お仕事も今回初めて知る。国際的に特許や商標を取り扱う事務所に務めている弁理士さん。
キャンピングカーで2週間、3週間、30日を超える世界の旅を楽しむ人。
5才から70才を超える40人から70人を超えるメンバーをまとめて、ハイキングやバーベキューを開く人。
お料理が好きで、何でも1人でこなす。
写真も大好きで、とても素敵な写真を見せて下さった。
お名前のToshiは、生まれた時からおじいさまに呼ばれていた名前。
台湾名は別にある。でも仕事以外では使うことがないとか。
おそらくおじいさまは日本語がお出来になったのだろう。
蒋介石が入ってきた時(おそらく228事件の後)には、しばらく姿を隠して生き延びられたとか。
まるで甘耀明著「神秘列車」に出てくるお話そのものだった。

食事の後、いよいよToshiさんのお茶の時間。
素晴らしい携帯用お茶道具入れの中から、茶葉、急須などの道具が現れる。
友人からのプレゼントらしい。その布の柄ゆきから日本女性から貰ったような……
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中は、細かく部屋に分かれていて、割れないようにクッション材もたっぷり。
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お湯の温度が足りないらしく、小さなコンロをお願いする。
まずはお食事処が用意した茶葉から始まる。
この茶葉はフレッシュ茶葉を凍らせて保存してあったもの。
だから茶葉も伸びやかに広がっている。
それ用の急須に入れる。
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蓋をしてしばし待つ。
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分け注いでいただく。

台湾の人でもこの茶葉のお茶を飲める人は滅多にいないそう。
とても軽く、香りも柔らかい。

次はToshiさんご持参のお茶をいただく。
先ほどの茶葉よりしっかりと丸く縮んでいる茶葉を小さな急須に結構入れる。
この茶葉がゆっくりとお湯の中で葉を広げる過程で、色々な味が楽しめる。
1煎目は捨てて器に残った香りを楽しむと聞いたことがあるが、今回はそのまま飲む。
2煎目はホッとゆるんだような、甘い味がする。
3煎目は少し渋みが出てくる。
4煎目はまた少し甘い。。。。。と何度か一度入れた茶葉で楽しむ。
6、7煎いただいただろうか。
一回入れた茶葉で6杯位は十分に楽しめる。

お話をしながら、ゆったりと過ごす時間。

茶葉を入れ替えながら、さて何杯いただいたことだろう。。。

その茶殻がこれ。(横は後半に使った急須)
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お食事でいただいたおかゆにだったかに茶葉が入っていたのを思い出し、この残骸から茶葉をつまんで食べてみる。(そんなことする人はいないと呆れられた)
香りはまだ十分にあって、出がらしという感じではなかったが、特に味があるわけでもなかった。

ゆったりとお茶をいただいた後、Toshiさんに勧められてお水を飲む。

甘露、甘露。。。。
いつも飲むお水が、甘〜い水に。。。。
味覚がこんなにも変わるものか。。。

びっくり仰天の我々の顔を、楽しそうに見ているToshiさんがいた。

Toshiさんの運転で、一路ホテルへ。。。

Toshiさん、心のこもった、楽しいひと時をありがとう。


車に置き忘れた携帯で、またご迷惑をかけるのも知らずに、幸せな帰路だった。


〜〜〜〜〜
追記  お茶の夜、その後のこと。

1993年の台北旅行で台湾茶にハマったけれど、
その後、カフェインall outとなり、一切のカフェインを絶っていたモニカ。
この夜はToshiさんのおもてなしを無駄にしたくはなくて、
徹夜を覚悟でふんだんにお茶をいただいた。

あらら、不思議。。。
ホテルに戻ると、いつもより少し遅い時間午前2時頃には眠ってしまった。
以来、また台湾茶にはまる生活に。
お土産にいただいたお茶を飲み干した後、日本のネットで購入。
似たような桜の写真が入ったパッケージを選んだけれど、似て非なるもの。

友人が2、3年前から台湾にハマっていて、年に2、3度出かけると聞き、
Toshiさんの協力を得て、目出度く、同じお茶が手に入るようになった。
2016年6月のこと。
ありがたくいただいている。


次へ 11月25日 @台北4日目

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by grpspica | 2015-12-21 16:09 | 旅・台湾 | Comments(0)
2015年 12月 20日

台湾1周旅行2015年11月23日(水曜日) @台北2日目

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台北に戻って2日目。
朝の日本語ニュース紙面で17日の台北の気温が33度1分だったと知る。
11月末の記録を更新したそうだ。
道理で山の中にいたけど、あまり寒くなかった訳だ。

今日はゆっくり眠って、早起き組は8時、遅起き組は8時半過ぎに朝食。
故宮に行こうという話が昨夜から決まっており、10時を目標に出発。
一番近いMRTの駅が東門ではなく、目の前の森林公園駅だとわかったのでそこから士林まで。
タクシーは135ドルで到着。
ツアー用の観光バスが故宮のだいぶ手前から沢山並んでいる。見終わった人を迎えに行くまで待機しているのだ。

荷物をコインロッカーに入れて、日本語説明の機械を2台借りて400ドル。
ホテルに置いてきたパスポートを出せと言われて、慌てるも、日本の運転免許で済んだ。
返還時に返してくれる。
「3階から見るんだよ」というノリコの後をついて回る。
団体客が止まっている所、あるいは後から追いつかれた所は避けて回る。

有名な白菜が出て来ない。
ウロウロしたら人混みの中にちらりと見える。
入り口を聞いて、並んでいる人の後を付いて行く。
ご対面。。。。。
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(これはもちろんカメラで撮った写真ではない)  

NHKの故宮のシリーズ番組があり、録画が1つだけあった中に出ていた。
実は96年に亡くなった伯母と兄夫妻とで台北に来た時に見たのだが、
その印象はもっと小さかったように思っていた。
ゆっくり見ようとすると「止まらないで前へ進んで下さい」と言われる。

モニカ、そのドキュメンタリーの中で見た、象牙細工のボールを思い出した。
「確かあれはここにあるはず。。。」係の人に尋ねてその場所に行き着く。

宿に戻って、ブログメモを始めると、故宮象牙多層球で検索。
たくさん出てくるのに、今日見た物がなかなか出て来ない。
あれれ、象牙多層球ってこんなに残っているのか。。。とびっくり。
1つしかない貴重な物かと思ったら(思い込まされた)、層の数も色々な物が結構あるようだ。
故宮にも別の象牙多層球があるのかも知れない。

で、今日見たものはこの写真。
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   画像は「MARIKO美麗台湾」から
記憶に違いがなければ、大きい球体24層、小さい球体が9層ということだったけれど、
なにせ怪しいこの頃の記憶。。。

おみやげの卓上カレンダーと紙製の象牙多層球を買って、食事して
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建物を撮して故宮を後にする。
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名所旧跡観光地に縁のない私達の旅だが、今日は故宮訪問ができた。

次へ 11月24日@台北3日目

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by grpspica | 2015-12-20 20:10 | 旅・台湾 | Comments(0)
2015年 12月 19日

再び台北へ  byマサコ

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同じホテルに連泊すると、料理の味が担当者によって、コロッと変わるのに気づく。
ハイライホテルの1日目のおじやは何もかも私の好みだった。
2日目は、おかゆの中に卵やカシワが山ほど入っていて、汁気がなく、
コロッケを潰した様子に、きっと、こっちを美味しく思う人もいるとして食べた。

一泊だけの花蓮での朝食は、少々物足りなく思いつつ、誘惑に負けて散歩。
プラットホームに繋がる駅の手荷物一時預かり所に大きなスーツケース3つを預ける。
荷物なしで、待合所にいると
「プラットフォームに早く行こう」という組と、「もう少しここにいてもいいじゃないの?」という組に分かれる。
「プラットフォームには椅子がなかった」ということらしい。
ところで台湾ではプラットフォームのことを「月台」という。
日本ではいつから「プラットフォーム」と言っているのだろう。GHQが来てからか?

もうそろそろと月台に行くと、始発のようで汽車はもうプラットフォームにいた。
「ホラ、早くても良かった」が「早くて、本当に良かった」に変わる。
それは、車両の入り口付近のスーツケース置き場が狭く、後になると置けなくなるからだ。
「何でも早め」組は、勝利に酔う。

車窓は台北に近づくにつれて、マンション、高層ビルが増えてくる。
自動的に空気も汚れてくる気がする。
前回出発するまでの4日間、咳が激しくなりコリゴリの日をまた過ごすのかと思う。
広い広い広い、台北駅をゴロゴロ荷物を引いて、どこに行くのかわからないけど、タクシー乗り場に向かう。
スーツケースをノリコさんが違う方法で引っ張るとすごい音が出る。
「ちょっとうるさいよ」
「引っ張るより押す方が楽なんだから」
4人乗りで大型車に乗りたかったけど、順番通りを譲らない運転手のために、狭い車中となる。

また、あの東門の家に行くのだ。
 ↓ 門の前に立つ祖母
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 ↓ 庭
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 ↓ 洗礼を受ける日の母
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 ↓ 室内 (お座敷の様子がちょっとちがうから、東門の前に暮らしていた、
             現在総督府の近くだったと聞く裁判所官舎の物かもしれない...)
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 ↓ 縁側
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 ↓ 玄関前
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母の兄が軍属として出征し、ふたたび くぐることのなかった門。
祖父母と伯母は戦後すぐにこの家から引き揚げた。

教育関係者としてしばらく留め置かれた父は、官舎からこの家に家族を引き連れて引っ越し、2.28の嵐の直後に家族と引き揚げた。
幼い子供の手を引いた母が、2度と来ることがないだろうとお別れした家。
 ↓ 引き揚げの数日前、中央が両親、左端父の母、そのとなり近所の人、右父の妹、子供はYOSHIとノリコ
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それが存在していることを知ることもなく、訪れることもないはずであったあの東門の家。
トロント時代も台湾の人に、「祖父母の家は東門にありました」という言葉すら出なかった、その家。
そこに68年後、子孫が首を揃えて訪れることになるとは!

台湾に残る日式家屋は、それぞれどんな物語を知っているのだろうか?

「家を見に台北へ」から「台北とカラパイだけだと、4人でケンカばかり」を避けるべく、
「汽車旅なら動かず、汽車が運んでくれるから、その間はおとなしくしていられる」と台湾一周になった。

「ならば新幹線はやめて在来線の旅にしよう」から
「荷物抱えての乗り換えは1つでも少なく」ということになり、
予約した全線在来線をキャンセルし、高雄までの半分を新幹線にしたり、
中国語しか通じないドライバーとの電話連絡騒動もあったり、
英語を喋っているのに「 Do you speak English? 」と聞かれて憮然としたり、
日本より物乞いの人が目に付いたり、
歯科の看板が「牙」になっていて可笑しかったり。。。。

「ああ、今までの人生、全部ほかして、台湾に来た事から記憶し始めてもいい」と思えた旅。

それでも後、4泊5日に縮まったのだ。


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by grpspica | 2015-12-19 00:46 | 旅・台湾 | Comments(0)
2015年 12月 18日

台湾1周旅行2015年11月22日(日曜日) @台北1日目

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花蓮2日目の朝

「朝食はセブンイレブンの隣で」と聞いた。
宿の隣にはイタリアンカフェがあり、その隣がセブンイレブン。
とっさに「隣のカフェ?」と聞いたら「そうだ」とのことだったので、隣に入りかけると×。
セブンイレブンを曲がった隣に、食事処があった。
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漢字ばかりのラミネート加工されたメニューを渡される。
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赤鉛筆で数を入れて行く方式。
さてさて、漢字ばかりではさっぱりわからない。
「今日はスープがあります」の紙をみて、それがどこにあるか聞いたり、
「これは何だ? これは何だ?」と言いながら、隣の人のを眺めたりする。
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隣の親子連れが、説明してくれてもよくわからないと突然、7才くらいの女の子が
「スパゲッティ!!」「フレンチトースト」とか英語の単語で教えてくれる。
単語一つでも大助かりだ。

少し散歩をしようとブラブラするが日差しが強い。 ↓ この陰の濃さ
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面白そうな路地を見つけて入り込む。
古い日本の家が並んでいたような場所だった。

戻ると、「10時がチェックアウトです」とおじいさんに言われる。
時間オーバーしそう。
慌ててパッキング。
「荷物をここに置いて、どこかに行って来たらいい」と言われるも
凄い日光光線でマサコさんは元より、他の3人も歩く元気もない。
でしばらくお話。
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公務員をしていたおじいさんは2代前に広東から台湾にきたとのこと。
日本がまだ来る前の話。新竹から花蓮に移り、おじいさんが生まれたそうだ。
在職中から釣具店を始め(そうだったっけ?)、退職後、息子に譲ったらしい。
釣りの好きな友人達がやってくるのに安く止まれる所がないので、民宿を始めたとか。
元の住居をリフォームして、今の形に。
当時はエレベーターをつけるなんて考えられず、階段に。
花蓮駅の近くにも土地があるので、もう1つ民宿を作ろうと思っているとか。

タクシーを探しに行ったYOSHIがなかなか戻らず、暑さにやられて倒れたのではと心配する。
携帯も電源が入っていないので繋がらない。
ようやく戻って来たタクシーに乗って駅へ。
コインロッカーには入らないね。
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各自昼食を仕入れて、乗車。
早めにプラットホーム(月台)に行ったら、電車は既にホームに。始発だった。
ほとんど乗客がいなくて、スーツケース置き場を確保出来た。
3時間の乗車。
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戻ったホテルは最初の麗都(リド)ホテル。
チェックイン後、一休みして、また鼎泰豊(ディンタイフォン)へ。
相変わらず店の前は凄い人。
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まずは店頭に立っている人から受付票 ↓ をもらう。4人様を17:51に受付、30分〜50分待ち。
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赤字の書き込み(18:36~19:30)は、席についてから食事が済むまでを示す。
つまり45分後に呼ばれたわけだ。店の人の読みはほぼ正確!
待つ間におじいさんの家に散歩に回って、フルーツを買って店に戻る。
店先には番号が3通り表示されている。
3256という表示(真ん中)は、4人席はあと11組で私達の番が来るという、一周りして帰った時の数字。
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時間待ちに、外から見える調理場を1枚撮って……湯気がたくさん
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皆が撮る記念写真を1枚っと。
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待つ事しばし、入店出来た。
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美味しく戴いて、帰り道、ホテルの前の大安森林公園に入ってみる。
大安駅も見てホテルに戻る。
他のMRTの駅に比べて、人の姿がほとんどない。
都会の中の深閑とした駅。その雰囲気をどうぞ。
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次へ 再び台北へ byマサコ

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by grpspica | 2015-12-18 23:31 | 旅・台湾 | Comments(0)
2015年 12月 17日

花蓮にて(11/21) byマサコ

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高雄から花蓮への汽車旅は、海と山の景色を味わえて左右を眺め、しかも同じ風景がありそうでない、夢のような時間だった。
この風景が100年後もそっくりそのまま残っていて欲しいと程よい列車のスピードと共に、しみじみ鑑賞した。
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司馬遼太郎さんが台湾を詳しく説明している本の中で、花蓮はそんなに紹介されてはいない。
しかし花蓮には、トロントでの音楽生活を共にして下さり、私に愛とはどんなものか示してくださった周夫人が待っていてくださるのだ。
今回の旅ほど、人とのつながりがどんなものか、身に沁みて思えた旅はない。
という事は充分初老に達したという事なのだろうね。

ユニークな民宿で荷をほどき(と言っても、何もかもノリコさんがする、と言っても1泊だけだからスーツケースからほとんど出さない)、一人だけ車で迎えに来る周さんを出て待つ。
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食事会のホテルはすぐそこだから車に乗る必要もなかった。
こちらは4人、あちらはフィリピンから来たという介護役のグレイスとの食事になった。
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ヴァイキング形式で、我々が入った開店直後は、エビが山盛りだった。
少女が楽しそうに取っている横合いから一匹取ろうとしたら、なんとエビたちが滑り、床に落ち、少女に思い切り睨まれた。
食料は、真っ直ぐ正面から一人きりで落ち着いて取らなければ.....と床の数匹を別のお皿に拾い、紙ナプキンで丁寧に汚れを取っ て、皮をむいて食べた。むく皮があって本当に良かった。
食事中盤には、エビのお皿はイカの大盛りに変わり、誰も取らないみたいだった。

ワインは、デカンタに入っていた。売れ行きはエビ程ではなかった。
そのワインなのだけど、一生に一度のワインにするにはもったいないほど、美味しかった。
ぶどうジュースのようで、軽くて香りの良い赤ワイン。
途中で周夫人に挨拶に来た支配人(次男チャイの英語の生徒)にどこのワインか訊ねるべきだったが、頭が回らなかった。
帰国後、台湾にも素晴らしいワインがあることを知った。あれは台湾産だったのだろうか?

お別れの時、周夫人のホッペにキスをした。
カナダでは、何となく心残りの男性に「May I kiss you?」と言った。
相手のホッペにするつもりが.....、もっと楽しいことになった。
周さんの頬はとても柔らかく、手もそうだけど、デリケートながら、筋金入りだった。

若き日は働き者で、洋裁の仕事でミシンを踏みすぎて、疲れから腸がねじれた事もあった。
そんなカナダの生活から6年前、花蓮に帰国して、今年6月脳の手術を受けた。
「歩こうとすると倒れるのよ。元気が一番ね」とおっしゃった。

翌朝、民宿指定の朝食を出す店に入った。中国語のわからない我々に中国語のみのメニュー。
お店の人には忙しい時、迷惑な一行だろう。
隣り席の家族連れの父親が、助けようとしてくださる。でも通じない。
彼の7歳くらいの娘さんがハツラツと英語で教えてくれた。

平常、母国語だけで暮らすと、言葉の魔法を忘れて、すべてに鈍感になってしまう。
「どんなに英語が通じるドイツでも、少しでもいいからドイツ語を話すと、相手の方は喜んでくださいます。だから皆さんもドイツ語を学んで ください」と話してくださった先生の言葉を思い出す。
英語や日本語が飛んでくると天使に出会えた気持ちになれる。

だから言葉を学んで現地に行く事は大切なのだが、時間切れと老化脳の問題がある。
それでもいい。今が始まりとばかり、心がけたいものである。
民宿のご主人は貴重な日本語世代。
グールドのように台湾アチコチに家を持っている。

最後に宿泊した部屋のトイレに入った時、部屋全体を眺めた。
だけどチェックしなかった。疲労困憊気味の姉はiPad miniの充電器をソケットに差し込んだまま、忘れてしまった。
いつも甘えて、不器用ゆえにパッキングをしない妹は、責任感なく、最後のチェックをしなかった。なんと恐ろしい事だろう。

花蓮でも日差しは強烈。朝食後、誘惑に耐えかねて散歩したけれど、肌の損傷はすごかった。
ラベンダーの原液をつけて、やっと痛みが治まった。新たにシミを、多分100個は作ったかな?
残念ながら花蓮というのに蓮の花ひとつ見なかった。
唯一、Klapai の白とピンクの蓮の花。
↓バリホテルの睡蓮の池
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「グレン(紅蓮)がなくて、出番がないわね、グールドさん」とからかっていた
バリホテルのあの池の花が瞼に浮かんだ。あの池の花でまかなおう。



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by grpspica | 2015-12-17 15:45 | 旅・台湾 | Comments(0)
2015年 12月 16日

カラスミの調理法@高雄(11/21)  byマサコ

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高速鉄道新竹の駅は、台湾ドラマの撮影で人々が集まっていた。
何度も何度も繰り返し同じシーンを撮っている。
通行人がびっくりして「アレッ」という顔をしたり、覗き込んだり、はしゃいだりすると、すぐNGになっていた。
俳優さんたちの過酷な時間にびっくりして、退屈しなかった。
 ↓出番を待つ女優さんと子役の女の子
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高雄は「世界ふれあい歩き」で紹介されて、その時、私の耳には「高雄の人々がたらふくカラスミを食べている」という情報が入った。ところがそんな事はなかった。

以前、カナダで5才くらいの日本人の男の子が「羊羹、羊羹」とはしゃいでいるので、びっくりしたっけ。
母親に「こんな小さな子が羊羹好きなの?」と聞くと
「そうじゃないの。何もわかっていないけど、年寄りや大人たちが羊羹だと騒ぐから、その気になって真似しているのよ」と答えた。

私のカラスミも全く同じ現象だった。
母が、カラスミがどんなに美味しく、おばあちゃんが甘辛く煮て、卵で閉じて......。
「お弁当のおカズに入っていると思っただけで学校に行くのが楽しみで」と声を張り上げて話していたのが、 移っただけなのだ。

実際、高雄でもカラスミは高く、結婚式に出るくらいで、出ると我先がちに、みんなが取るとの事。
また、祖母の甘辛く煮付けたカラスミに卵をかけるという料理法を話すと、90才のおばあさんは変な顔をしていた。

今では私もおかしいと思う。カラスミはそれだけで美味しい。
魚の卵の燻製に卵とじなんて、料理上手の上に高級品を幼い頃から食べていた祖母のレシピとは到底思えない。
母は何か別の子を「カラスミ」と騙されて食べていたのだろうか?
祖母が母のクラスメートに気を使い、カラスミを卵で隠したのか?
祖父母はお酒を全く飲まない家なので、カラスミの必要があったのだろうか?
カラスミの謎は深まるばかりだ。

高雄のハイライホテルは最高で、竜宮城に迷い込んだみたいだった。
これは室内の写真
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朝食バイキングは、何から何まで王宮(行った事はないが)に負けないくらいの名品揃い。
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空気清浄機のお陰か咳も出ない。
お部屋の烏龍茶からして夢見心地。
ホテルの玄関には大ぶりの百合が山のように入っていた。
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その香り、正しく台湾の香りだった。
Heart of Asia と列車のカバーに書いてあるけど、日本人の悲劇とはアジア人という自覚が持てず、アジアを見下げては喜んでいるところだと思う。
日本でこんな言葉は使っていない。
台湾には、香り良いアジアの人の心が残っている。
英語や日本語を話せる人は、いつも駆け寄って助けてくださった。
ソウルはこれから行こうと思うけど、自信がなくなるくらい、台湾は過ごしやすい。
これは中国人が台湾人を殺しに殺したからなのだけど。
比べてマシだったと思われているせいだ。

高雄では I 先生に再会できた。
海外で一人、根を張り暮らしておられる日本人は誇らしい。
ハイライホテルは世界の食通が来ても台湾料理を絶賛すると思う。

台北で求めた干しマンゴー。
美味しくて止まらなくなる。
東門町は都市部のエリート地区で、そのせいが名店が多いそうだ。
だけどもう年で胃袋が、台湾ラーメン一杯でも多いほど縮んで来た。
一食抜いては、胃を休めた。

今もどうしているか台湾の人々。
食べものが食べものらしい国は、人も人らしい人が多い事を祈っている。
飲み物にやたら氷を入れる習慣がない台湾では、それだけ人を大事にし、真っ当に商売する伝統があるのだろう。
みんな倖せでいてください。と祈りながら、旅を続ける。


次へ 11月21日(土曜日) @花蓮到着

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by grpspica | 2015-12-16 15:42 | 旅・台湾 | Comments(0)