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# by grpspica | 2004-09-21 13:39 | blogの輪 | Comments(0)
2004年 09月 20日

今週の園芸 by 原 真砂子

去年1年、園芸ライフを徹底したお陰で園芸関係の文や雑誌の内容がよく汲み取れるようになってきた。
園芸力を引き出すのに絶妙な文を書く人。
園芸を哲学につなげる人。
イングリッシュ・ガーデンを否とする人。
小泉さんじゃないけど、人って様々。

前々より相性が悪く好きでない花は、作ってみてもやっぱり無駄だった。
グラジオラス・ベゴニア(ソレニアシリーズ以外)は、
なんともイケ好かない花で、どこか人のタイプに似ている。
1,動きがない(あっても少ない)
2,変化に乏しい
3,おとなしい(しゃべらない、あっしと違う)
  横にいるだけでイライラしてくる。
という訳でひとつも咲かない。

気になるタイプの園芸家、過激な人は水をどんどんやる植物が似合っている。
いつも手みやげを気にする御仁は「水」をおみやげに(水なしでは見回りができない)、相手かまわずじゃぶじゃぶ、ぶっかける。チューリップの球根を腐らせた時は「業」を感じた。

花より気になるのは、私が殺す虫たちである。
20匹のカメムシの赤ちゃんをすりつぶす。
バッタの首切り。げんこつたたきのナメクジと、あたかも殺人狂。

虫にしたら、とんでもない天敵の私を抹殺するのに、
何かいい薬はないか? (化学物質過敏症で呼吸困難になる私)
電気じかけの懲らしめ法はないか? (ハハハ、電磁波過敏症)
と思っているだろう。

ガーデニングができないマンションに暮らしては、ピアノをポットに見立てて花作り。
去年殺してしまったチューリップたち(それも1個80円する大きな親子咲きの美しい白とクリーム)が、供養の気持ちで音となって咲いてくれますように。





# by grpspica | 2004-09-20 13:29 | グループスピカ | Comments(0)
2004年 09月 18日

Re 永遠のいのち byマサコ

永遠のいのち。(マサコさまへ)

いつも楽しいお話をありがとう
亀さまの文を読むと、上手に弾いているモーツァルトやベートーベンのピアノソナタ全楽章のひびきを感じる。バッハが、「うん、そう、これが言いたかった」と言ってるみたい。特に人間の観察力に優れている。

永遠のいのち、それはうらみ、悲しみを捨てた、さやかな流れ。
「有限・無限繰り返しゲーム」はまさにフーガですもの。
「今が永遠」はニーチェの「永劫回帰」であります。

私にとって「しあわせ」は、自己満足ではありません。そういう人がいるので書いてみたの。むしろ「しあわせ ふしあわせ」にこだわらない心が好みです。

22才なら「しあわせ」を追いかけて当然。
青いチューリップいっぱいのシーツに寝そべるマサコさまは、なんといっても30才年上。

私には「死への恐怖」がわからない。個人的体験として、多くの体の異変を味わったので、むしろ「憧れ、救い」のイメージを持っている。

ジュリエットは、愛する人とあの世という場を共有したくて「出発」してしまった。
「旅立ち」を神にゆだねるのか、自分で決断して実行するのか。
自殺そのものも運命の業(技)か、神の手くだしなのか。

とにかく人のことも自分のこともよくわからない。
わからなくなる。
考えない!
分析は止め。

ロミ・ジュリは、後追い自殺のタイミングが、普通のカップルより少しずれていたことが、シェークスピア的なのかしら。
結論。ロミオが早く死なないで、ジュリエットの分まで生きようとすればよかったのに、それほど恋しい人であったのだ。うらやましい。

引用で思い出したけど、人の文章の中でその人が引用した他人の言葉を覚えるって、しかも元の発言者の名前を正しく覚えるのは結構大変ね。
「永遠のいのち」の節は、ヴィトケンシュタイン(のことば?)だったと思うけど、誰が引用して、どの本で見つけたかを忘れてしまった。

誰かなんとかしてくれ。

そこでニーチェのおじさんは言った。
「人に引用される文を書かなきゃダメ」
だから気が狂ってしまったのかな?

ソクラテスについては、昔テレビでソクラテス役をしてた十朱久雄(多分、十朱幸代のお父さん)のイメージしかないの。
プラトンはなんか、乙に澄ましているようで、もうひとつ虫が好かない。
バイロンが「ドン・ジュアン」で ムッチャ プラトンの悪口を書いている。

ハハハ、人の噂が多すぎる。

亀さまのおうちは小さいそう。大きな家はお掃除がたいへん。
マサコさまは掃除婦もしています(涙と汗)。






# by grpspica | 2004-09-18 11:24 | blogの輪 | Comments(0)
2004年 09月 17日

しわあせ・・・・byマサコ

頭の軟らかい人(マサコさまへ)

人類は「しあわせ」という概念にまで惑わされている。
しあわせは自己満足?

知人・友人、ずいぶんの人が自殺した。
3万人もの人が毎年自殺している日本。
今、感じる不幸が永遠に続くと思う時、自殺するのか?
イメージ自殺なら王者は三島由紀夫。
自殺する人の状態やきっかけは様々だと思う。
人生に絶望・不治の病・鬱病・自己表現(他人へのあてつけ)・突発的衝動。
躁病も大変。しゃべくる・やたら買い物をする・恋をする(相手におかまいなし)。
 
 
マサコは22才の時、狂気に襲われた。ちょうど30年前。
夜中に
「お母さん、ごめんなさい」
と言ったら、横で寝ていた母が
「自分を取り戻したいのならピアノを弾いて神様とひとつになること、
 大通りを堂々と歩く人間になれ」
とか言ってたなぁ。

52才の私にあるものは、家族と15才の時のゴルトベルクの演奏と発作に痙攣する肉体と頭痛。
おかゆとお塩が特別においしい体の状態は、それほど嫌いじゃない。

人生はシンプルなのが一番。愚痴を言わず、得意にもならないのがマサコの「幸せの絶頂」


p.s.その1
D.H.ロレンスが、アンナ・カレーニナを殺したトルストイがわからないと言ってます。


p.s.その2
うな重に山椒かけるのは
1,生臭さが消えていい。
2,いつもかけるのはダメ
3,かけたい時に山椒の粉があるのはうれしい
従って、マサコは山椒をかける人の気持ちがわかるタイプ


p.s.その3
コシヒカリアイスの形容がとても楽しかった




# by grpspica | 2004-09-17 11:34 | blogの輪 | Comments(0)
2004年 09月 13日

頭の固い人 by マサコ

ロミオ&ジュリエット(海峡web版さまへ)

 ロミオとジュリエットは肉体亡き後魂が結び合わさり幸せに暮らしたでしょう。あの世でハハハと笑って再会するのです。

 ある哲学者が「『永遠のいのち』なんて言ってみても、『永遠のいのち』の立場に立ったら、結局『永遠のいのち』なんて、何がなんだかわからない」と言ってた。

「人生は夢と同じ布地に作られている」と言ったのはシェークスピアで、私達は自分で創った夢を見に生まれてくるのだと思う。

 人生と夢がなぜ似ているのか?
1,消えていくから
2,自分ではどうしようもないから
3,臨場感があるから
4,他人の見る夢は決して見れないから
 人間は、心(記憶)の在るところに住んでいる(肉体保持者も魂になった人も)。

 ついでながら、トルストイはシェークスピアがわからなかったそう。マサコもよ。
トルストイはニーチェのこと「頭の変なやつ」と言っている(北御門訳「文読む月日」より)

 文学めいたお話、大好きです。

 自殺については、船戸与一の「龍神町龍神13番地」に
「自殺するやつは、自分自身について勝手に作り上げたイメージを追い求めているんですよ。自殺するのはおのれの存在を確かめるためにほかならない」(マルロー「王道」川村克己訳)があったけど、少しきつい言い方のような気がする。

 野里子は「ボツ」が好きだからこの辺で止めて送っておく。



# by grpspica | 2004-09-13 19:30 | blogの輪 | Comments(0)
2004年 09月 07日

もらんさんへ fromマサコ

後追い日記1981年--My life with GG-- by 原 真砂子

コメントありがとう。
後追い日記を楽しんでいただけてとてもうれしいです。
もらんさんお手製のベルガモット・グレープフルーツ・ゼラニウムのハイドロラット(化粧水)、とてもいいです。私はバラが大好きなのにエッセンシャルオイルのローズ系にはアレルギーです。

アレルギーといえば、昨日、新しい歯医者さんで、金に隣接しているアマルガムを取り除きました。そしたら夜、お風呂で肌がすべすべしているのに気づきましたし、電磁波もちょっぴり楽かなぁ。
電磁波ブロッカーは、東京の横内医院のものが私には最高(これがないと死ぬ)。
歯医者さんの所にも「安心丸」というカードみたいなのがあって、笑ってしまいました。
最近水をけちる歯科医が多い。コップも小さく、水の出もちょろちょろ、うがい中の匂いをい流してくれる水の装置がついていないという具合に。でもこの歯医者さんのところは、水をたっぷり使えて、掃除の水もたっぷり出ている。
とてもユニークな歯医者さんで、使う薬品が私にも刺激の少ないものばかりでとてもよかった。

さてイランイランは「おムコさんはイランイラン」と言って育てました。朝陽と夕陽を追って場所を変えた去年。ひなたぼっこにテラスに出そうと抱きかかえると「キュッ」と香って私にサインを送るかわいい人です。
地味で典雅で、実に長い間、緑の花、そして落ち着いた黄色(クリーム)になります。
あれから1年。
人間は、いやなことだらけですが、植物はステキですね。植物と動物はどっかまではDNA一緒だったっけ。
長いおしゃべりお許しを。


マサコ




# by grpspica | 2004-09-07 14:17 | blogの輪 | Comments(4)
2004年 09月 04日

修道女モニカ by 原 真砂子

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 クープラン作曲「修道女モニカ」は、ピアノ学習者によってよく弾かれる小品である。
 プロのピアニストで聴いたのは、田中希代子さんの演奏のみ。この演奏は、田中さんの名演の中でも私のもっとも好む演奏の一つである。
 Aセクションのトリルを聴いただけで、田中希代子さんが天才だとよくわかる。Aセクションは整っていて、田中さんのトリルの美しさが「形」として、響く。落ち着いて、明晰。修道女モニカの日々の生活ぶりもかくありなんと納得がいく。
 ところがBセクションになると、にわかに空がかき曇り、ドロドロした人間のどす黒い感情が流れてくる。田中さんは美しい音の中に激しさを、慟哭を、暗い色調で流してくる。
 心の中でこの曲を繰り返し鳴らしているといやが上にも、人間の「整える力」と、「自分を解き放ち、むき出しにしたものが流れる力」を感じる。

 これだ。ニーチェのいう「アポロ的」なものと「ディオニュソス的」なものとは。
 2000年は、ニーチェの没後100年にあたり、世界中で50以上の出版物が刊行された。その中の「白眉」とされる、リュディガー・ザフランスキーの「ニーチェーその思考の伝記」から説明を引用する。

 「アポロは形式、明晰さ、堅固な輪郭、明るい夢の神、何よりも個性化の神である。彫刻、建築、メロスの神々の世界、叙事詩の精神——これらが全てアポロ的である。一方、ディオニュソスは解体、陶酔、忘我、無礼講酒宴(オルギアスムス)の荒々しい神である。音楽と舞踏が特に好まれる形式である」

 芸術は人生でもある。
 感情をむき出しにせず、にこっと笑って済ますのが「アポロ」なら、おどろおどろしい気持ちが内部でとどまらずに発散するのを感じる「ディオニュソス」も人の心というものだ。
 大脳皮質の左右半球の異なる役割で、主要な言語中枢《アポロ》、非言語的な観念構成の《ディオニュソス》。「顕在意識と潜在意識」。「コントロールできるもの」と「コントロールしない(発散させる)ことによって抑制状態へと促す」この二つのものが人生、人間を生きるものにとって不可欠なのだろう。

 楽曲形式のABA型は、我々の心のパターンかもしれない。簡単にいうとアポロは視覚、ディオニュソスは聴覚である。

 ニーチェの言葉
「一切の存在の基盤である世界のディオニュソス的根底は、アポロ的な浄化力によって再び超克されうるぎりぎりの限度においてのみ、個別的な人間に意識されうる」

 田中さんの「修道女モニカ」は、ニーチェの思想を音現化した極めて稀な演奏といえよう。 





# by grpspica | 2004-09-04 16:45 | 音楽・哲学・宗教 | Comments(0)
2004年 08月 30日

お願い宮部さん、添削して その2 by 原 真砂子

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今日の文章教室は「手紙文」です。

 手紙文の一番のむつかしさは、誰が誰に書き送るかによるでしょう。愛や恋の手紙なら何かを成就するきっかけにしたいものです。ファンから有名人ヘ、読者から作者への感想を送る手紙。あ-、これらも小説よりむつかしく感じるのです。

 2001年の連休は「模倣犯」、2002年の連休は「あかんべえ」で過ぎていきました。宮部先生の才能は、コンコンと湧きいづる泉のようで、その中に星の光、花の香りが入っているから、たまりません。人間がこれ程、性描写抜きで小説が書けるのか? こんなことにも驚いてしまいます。

 全く驚くのは先生の文体です。句や短歌、詩歌の味わいを型の上でなぞりながら、綴り方の手触りを含有し、しかもEメール文の時代の風を投げかける。1グラムの軽さを100トンにし、1000トンの重みを0.001グラムにする。人を日常に浸らせつつ、字宙に翔ばして、才能、文才などの言葉も見つからないほど。そう、あのレジェロ(軽くすべるように弾くこと)、稀有のピアニストの奏でる音色、タッチで体がころがるように「あかんべえ」拝読させていただきました。

 シャーマニズムのすべて。人間の悲しさ愛しさ。いつもながらの数学の公式のような乱れのない文の作り方。ディケンズそっくりのユーモラスな語り。お料理の現物が婦人画報のようにこの作晶のとりまとめ役になっていますね。ファンたちは言っています。
「宮部ってどうなっちゃってるの?」

 先生、私は、シャーマンでございます。シャーマンとして、一番痛切に感じましたことを書かせていただきます。
 以前、あるピアニストが亡くなって、私を霊的に訪間した時のこと、その合図に私の頬を指で押していると書きましたら、ある人が
「そんなのへんだよ。おかしいよ」
と言って来ました。
でも先生も、あんまさんだった人の霊が人をもみ出すことを書いておられますね。私は、その人に手紙を書きました。
「このピアニストは生前、自分の指を特別大切に思っていたと思います。それでその演奏を慕って生きて来たファンのことを知り、とても嬉しかったのでしょう。人の気を引くとき、自分から騒ぐよりも向こうから動いて欲しい性質の人がいます。最初は思わずほっぺたを撫でていた。でも気づかないふりをされると長い間には、気持が強いだけ、相手には押すように感じられたのではないですか。ちょうどドアベルを押し続けるように」

 私はうるさいなあと思いながら、それでもまだおかしいと言う人のために、その部分を書き直しました。そして、すっかり書くのが嫌になり全部をほったらかすことにして、今日に至っております。

 元はといえば「人に理解を求める」ために自分のことを書き出した動機そのものがいけないのでしょう。
 読者全員を「あのマコ、原麻沙子(私の小説の主人公の名」にしてしまう程の腕がない文章力なのですね。

 ピアノだって「これなら受け入れられるだろうか?」くらいで弾くなんて、バカげた演奏ですものね。
 小説家になるには、調理道具も調味料もいる。最初からコース全体を通して、どこで何をどんな目的のために出すか、計画が必要なようで、事実だけでは、小説になりません。
 でもなぜ、私の実際の体験が「うそや、ほんまや」といわれ、宮部さんの作品となると「ウソでもホンマでも、どうでもよくなるのでしょうか?」

 先生のコメント、先に書いていいですか?
「それはそれ、人には料理上手ってこともあるし、あなたの文が、それなりに貧弱だから読者の持っている本来の想像力を何も刺激できないからよ。話の泉を引き出すような文が書けていないの」
 先生、一人二役は、こんなもんでいいでしょうか?

 突然ですが、小説家になりたい気持ちも、この手紙を書くことも、ここで終りにします。書きたいことは山々あるのですが、なぜって、読者に「この人、今度は宮部先生に一体どんな手紙を書くのだろう」って『想像』して欲しいからです。

PS 自分の作品の感想が来ているんだもの。きっと最後まで読めたよね。




# by grpspica | 2004-08-30 13:23 | グループスピカ | Comments(0)
2004年 08月 28日

HAPPY BIRTHDAY!

1928年8月27日~2005年8月20日 展子さま

あお 谷川俊太郎 シャガールと木の葉より

よるのやみにほろぶあおは
あさのひかりによみがえるあお
あおのかなたにすけているいろはなにか

うみのふかみににごっていくあおは
そらのたかみにすみわたるあお
あおのふるさとはどこか

こくうをめざせばそらのあおはきえる
てのひらにすくえばうみのあおはすきとおる
あおをもとめるのはめではない

かなしみのいろ あこがれのいろ
あおはわたしたちのたましいのいろ
わたしたちのすむこのほしのいろ



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1909年7月27日~1972年3月22日 謙さま

父(ザルツブルグ)へ
……
最愛のパパ
ぼくは詩のようには書けません、詩人ではないから。文句をうまく配置して、影と光が生じるようにはできません、画家ではないから。手振りや身振りで、気持ちや考えを現わすことさえできません、舞踊家ではないから。
でもぼくは、音をもってなら、それができます。ぼくは音楽家です。それで、明日カンナビヒさん(???)の家で父上の襲名祝日かつ誕生日を祝って、ピアノを弾くことにいたします。
………
では、音楽的な祝辞で結ぶことにします。音楽において作るべき新しいものがもうなくなるのに要するくらいの長い年月を、パパが生きていて下さるようにと願っています。 
…………….
 モーツアルトの手紙


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1933年7月14日~2002年9月27日 リャン・敏さま

"si je puls" もし私にできるなら 
                 ウィリアム・モリスのモットー


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1949年6月22日 モニカさま

お誕生日おめでとう。
2005年はダイナミックな年になりそうですね。

   緑の締金         大手拓次

        --私の愛する詩人リリエンクローンへ--

葡萄の実をふくんだやうにすずしく、
おまへの唇がわたしの思ひでとなつて生きるとき、
太陽はきいろく、マルメロのやうにかをりはじめる。
太陽は上手な庭師のやうに樹樹(きぎ)に花をつけ、葉をつける。
かげをつくつて、そのしたにゆきどころのない憂鬱をあそばせる。
太陽は わたしの胸へ勿忘草(わすれなぐさ)の芽をうゑる。
おお おお よろこばしい黄色い太陽よ、
わたしはこのうすいろの帯についた緑の締金(しめがね)をかたくしめて、
ゆかうよ、堆肥(つみごえ)のあたたかく蒸(む)れる畑の隅へ、
ゆかうよ、ねむさうな眼をした牛がおたがひに顔をなめあってゐるところへ。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1942年6月2日 進様

 時の香    大手拓次

この ひとわたりすぎさつた時のにほひは
うらさびれた奥庭のなかにちらばふ影
そのあしあともなく うしなはれる
まどろみの ねむりの花



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

時の香1939年5月12日 マリーナ先生 

五月の姉さんへ    大手拓次

わたしの好きな五月の姉さん、
せうせうお待ちください、
あなたのおみやげをよろこんで拝見いたしますから。
さっぱりとした五月の姉さん、
おわらひにならないで、
わたしの妙な物言ひぶりをごらんくささい。
おお もうあなたはお口のあたりに微笑をたたへていらっしゃる。
わたしはいま、あさみどりのふくろから いろいろの物をとりだしました。
そつとわたしの手につかんだのは
やはらかな それでゐてしやんとした白いつつじの男花、
それから 手のひらにのせてみたのは
あをい木蔦(きづた)にからまれた真珠のやうなマアブルのきざみ像、
サイネリアと、あヤしい吸枝(きふし)をふくらませる黄色い蘭の大輪の花、
それから、すっとわたしの指にふれてなまめいたのは
わかい女の人たちのよくゆめにみるチユウリツプ、
またにやにやとうすわらひするのは
毛むくぢやらな室咲(むろさ)きのイスピシア、
おとなしくわたしの手にだかれたのは
おもはゆいやうな顔をした淡紅色(ときいろ)のばらの花、
そのあとにおともしたのがヒアシンスの紫の花、
ああうれしい、わたしの好きな五月の姉さん、
あさみどりのふくろからまたころびでるのはなんだろう、
水色と紺との羽根をはやし すいすいととぶ銀とんぼ
ばらばらとまくやうにおちてくるのは
さくらんぼ、いちごやぐみの漿果(このみ)のあられ、
夜と昼とをからみつける
うすくらがりの沈丁花、
くらい樹立(こだち)にまようてゆく隠し児のやうないぢらしい
野のあらそだちの白い小花の名無し草、
ああ だれもみんなおいで
わたしはお前たちをみんな抱いてやる、
さうしてかはいがってやりませう、
ひとりごと言ひながらはしやいでをりますと、
いつとはなしに
しめつぽい雨がふる、
間遠に屋根をうつひつそりかんとした雨が
五月の姉さんの背中をはつてゆく。
わたしの好きな五月の姉さん、
五月のゆめをみる月です、
黄色い花や白い花がみじまひをして
たちうちをする男こひしい闇の月



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1935年3月31日 村田 久様

大いなる春の月あり 山の肩  杉田久女

×月×日
第4コーナーからホームストレートにさしかかったときに   
どこからか ある日忽然と現れた人   
なぜこんなにメールが待ちどおしいのでしょう?   
なぜこんなに会いたいのでしょう?   

でも会えば幻滅するかもしれないことが怖い   
幻滅させてしまうかもしれないと思うと怖い   
会えばもっともっと気持ちが高まることが怖い   
そしてそのあと今よりもっと苦しくなることが怖い   

ある日パソコンの中のメールが全部消えていて   
あれは夢 というような日が来ませんように   
「今」ができるだけ長く続きますように
 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1916(大正5)年3月25日 石崎キク様

香料の顔寄せ 大手拓次

とびたつ ヒヤシンスの香料、
おもくしづみゆく 白ばらの香料、
うづをまくシネラリヤのくさった香料、
夜のやみのなかにたちはだかる 月下香(テュベリス)の香料、
身にしみじみと思ひにふける伊太利の 黒百合の香料、
はなやかな着物をぬぎすてる リラの香料、
泉のやうに涙をふりおとしてひざまづく チュウリップの香料、
年の若さに遍路の旅にたちまようふ アマリリスの香料、
友もなくひとりびとりに恋にやせる アカシアの香料、
記憶をおしのけて白いまぼろしの家をつくる 糸杉(シブレ)の香料、
やさし肌をほのめかして人の心をときめかす 鈴蘭の香料。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1983年3月23日〜1990年8月  ヤコブ グリンガス様

私たちが あらゆるものを
「空」とするために 削り取り
削り取ったことさえも削り取るとき
私たちは深い理性をもち
「空」なる知恵を身につけたものになれるのです
 
                   柳澤桂子「生きて死ぬ智慧」より


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1932年2月5日〜1996年2月25日 田中希代子様

What is Poetry? Who knows?
Not the rose, but the scent of the rose;
Not the sky, but the light in the sky;
Not the fly, but the gleam of the fly;
Not the sea, but the sound of the sea.
Not myself, but what makes me
See, hear and feel something that prose
Cannot; and what it is, who knows?
 
        Eleanor Farjeon

詩とは何でしょう? 誰か知っていますか?
バラではなく、バラのかおり、
空ではなく、空のかがやき、
虫ではなく、飛ぶ虫のきらめき、
海ではなく、海のたかなり、
わたし自身ではなく、なにかをわたしに見せ、聞かせ、
感じさせてくれるもの、
散文ができないことをするもの、
それはなんでしょう? だれか知っていますか?
         むろの会 訳

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1月28日  muso様

竹の子を堀りて山路をあやまたず 杉田久女


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1756年1月27日〜 1791年12月5日 モーツアルト様

   白くあれ 大手拓次
わづらひは 草のごとくしげれども
ただ しろくあり
とらへがたなく はびこれり

ひびきを咬みて あらはるる
その くろき言の葉は
さまもなく たたずみをれり

しろくあれかし
なにごとも かたちなく かたちなく
しろくあれかし



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1920.1.23〜1980.7.28  香里様 

   音 楽 シャルル・ボードレール 大手拓次訳

音楽は をりをりに 海のやうに私をうばふ!
あをじろい わたしの星にむかつて、
はてしない霧のふかみに また ひろびろとした空のなかに
わたしは帆をあげてゆく。

帆布(ほぬの)のやうに
胸をはり 肺に息をすひこんで、
夜の闇におほはれはてた
たかまれる波の背に わたしはよぢのぼる。

なやめる船の
そのさまざまの苦しみに わたしは身ぶるひをする。
おひての風も 暴風も その動乱も

底しれぬ淵のうへに
わたしを ゆりゆり眠らせる。——また或時は なぎやはらいで、
わたしの絶望の大きな鏡!



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1月17日  勢津子様 

   しろい影 大手拓次    
なにものともしれない影におひかけられ
眼をひらいて あしもとにたたずみ
うつらうつらと むらさきの時をきざむただよひ
影はしろくあり
色もなくあり
葉ずゑにわらふ ひざしのにほひ
わたしのうしろから やさしくつもる このしろい影
地のなかにのびあがりゆく しろい笛のね
おしたわめられ なでやはめられ
そのあぎとのなかに のまれる現(うつつ)の花びら 
    
                       

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1888・12・25〜1962・12・15 石崎加壽恵様

   祖母に送る詩
中夜怱自起 中夜忽ち自ら起き
汲此百尺泉 此の百尺泉を汲む
林木含白露 林木白露を含み
星斗在青天 星斗青天に在り    賈島(かとう)

  つと起き出でて小夜ふけを
  この井戸ふかく清水汲む
  木立ちの樹々の露けさよ
  ひさかたの星きららかに          佐藤春夫 訳
       
     

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1947.12.15〜1996.7.4 K子さん

  よみがえり 大手拓次
すべてのものをすてて、
わたしはよみがえる。

ものをすて、身をすて、たましひをすて、
うつし世のなごりをすてて、
わたしは野辺の草のやうによみがえる。

けれども、そのさびしさは黄金の月のやうに、
過去のほほえみをわたしの胸にこぼしてゆく。


「千の風になって」でより広く世に知られた社会活動家のK子さん。
ご家族や友人知人から、これほど尊敬される方もいない。
愛がどんなものか知りたくなる時、あなたの事を思い出します。
あなたが愛を語りかけている地上に、今はお好きだった
「ワレモコウ」になって帰っていらっしゃるのでしょうか? マサコ


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1901年11月22日〜1996年1月6日 ラッセル・ハーヴァート・グールド様

星の優しい輝く光はもっとも恒久的、規則的な夢想の1つ、
眼差しの夢想をひきおこす。
想像力の世界では、光り輝くものは、すべて「まなざし」なのだ。

                                ガストン・バシュラール

  夢想家、芸術の神様の息子をこの地上で助けた父親は、
  きっと音楽の神様にお仕えする天使だったのでしょう。
  ゴルトベルク変奏曲の第9変奏は、
  あなたにふさわしい「天使のまなざし」のカノンです。 マサコ


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11月16日 ノリコ様

みどりのなかに 生ひでた 手も足も風にあふれる薔薇の花。 大手拓次



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1890年10月31日〜1975年7月26日 フローレンス・グールド様

音楽のない人生は失敗である ニーチェ

  時代の最先端を歩く方でした。11才年下の夫。41才の初産で自然分娩。
  一人息子は、いまだに世界の音楽会を風神のように牛耳っています。
  子供をこれほどの音楽家にした母親も数少ないでしょう。  マサコ


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1844年10月15日〜1900年8月25日  ニーチェ様

  一人のために万人のために    大手拓次
一人の生きるために、
万人の生きるために、
民衆のうへにみどりの火をかざせ。

一人の死をとむらふために、
万人の死をとむらふために、
民衆のうへに青銅の鉦(かね)をならせ。



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1916年9月29日〜1945年4月1日 石崎和彦様

   ゆふぐれ    大手拓次
ゆふぐれは そこにちかづいて
ことばを さしいれる、
きえてゆかうとする あをいことばを。

ゆふぐれは うすいろのきものをきて、
こころのおもてに
うまれない星を ちりばめる。

ゆふぐれは あのひとの こゑのないことばを
そよそよと そよがせ、
みづのように こころをふかくする。

ゆふぐれは はなればなれの思ひを
けむりのように つなぎあはせ、
かくれてゐる おどろきをそだててゆく



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1932年9月25日〜1982年10月4日 グレン・グールド様

刈麻(かりあさ)や どの小娘の恋衣   正岡子規
 
    ゴルトベルク変奏曲の第18変奏
    Canone alla Sesta(6度のカノン)が大好きだった音楽家へ
    72才おめでとう。   マサコ



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2004年9月16日 マサコ様

撫子に蝶々白し 誰の魂(たま)  正岡子規
   
    ねぇ、お誕生日にどんな言葉が送って欲しい?
    そんなん、自分で捜してよ。
    文学的素養がないし、捜す時間もない。
    そんならと、ご本人が選択した俳句でした。  ノリコ 



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2004年8月28日 亀様

私たちは輝きにおいて眩しく、完璧な単純さにおいて、素朴な絶対的真実の間近にいるのを感じる。

ナボコフが自身の作品の登場人物に語らせた言葉です。
あなたさまの世界に触れると、この言葉を思い出します。 マサコ

過去の年月が長かったとしても短かかったとしても、
地球規模・宇宙規模でみたら次の1万年なんてすぐ来るわ。   ノリコ




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# by grpspica | 2004-08-28 09:28 | Happy Birthday | Comments(9)
2004年 08月 27日

お願い宮部さん、添削して その1 by 原 真砂子

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宮部みゆき様

 天才とは何か! 
「才能」をなんと定義するかについて、かつて私のピアノの先生は「どれだけ早く習得して、どのくらいゆっくり失うかよ」とおっしゃいました。
 これはピアノやスキー、語学に通じる見方なのかもしれません。この見解と平行して私は「先生の教えることのできない、他人のまねられないもの」と定義してきました。
 しかしあなたの一連の作品を拝読して、
「天才、才能とは人に喜びを与えつつ、人を悔しがらせたり、地団駄を踏ませるものだ」ということが大変よく分かりました。
 ところで宮部さんは、「私淑」という上品な言葉の文字と意味を勿論ご存知ですね。私がこの言葉を知ったのは、佐藤春夫の年譜を読んだ時。
「父親は子規に私淑した人で『よく笑えどちら向いても春の山』という子規の句から『春夫』と命名した」とあったのでした。
 すごい。子規について俳句を習っていたと思いきや「私淑」とは(「孟子」離婁下の
「子は私ひそやかにこれを人よりうけて淑しょとするなり」から)
   直接に教えは受けていないが、ひそかにその人を師と考えて尊敬し、模範として学ぶこと 「私淑 する小説家」(小学館「大辞泉』より)
 そう、私は宮部みゆきさんを正に私が「私淑する小説家」にしたのです。

 自己紹介をさせていただくと、私は松本清張の小説に登場する文才のないグループの1人「何を書いているのか分からなくて、内容をこちらから見当つけて読んでやらないといけない」文を平気で書きます。この松本先生のご診断には、体がオットセイに変形する程笑ってしまいましたけど。

 では文章教室を始めましょう。
その1、日常的なことをおもしろく書く。ネタは家庭生活から。
 宮部先生は、これがお上手ですね。もっとも先生は全てお上手ですけれど。
 それじゃ私もパッチワークの一部分、頑張ってみますか?
『僕は同居人と暮らしている』
  ブー! 同居人と暮らすのは当たり前。
『僕には同じ自由業の同居人がいる。自由業は、いつも家にいてほとんど気ままな時間帯で働く人のことだ』
  ブー! 自由業というのは、公務員、会社員に対して、医師とか弁護士とかいう職種の人たちのことでは?
  これも1/4ブー! 自由業とは、勤務時間に縛られるなどの制約を受けない「作家」や弁護士のような専門的職業のこと。
  ね、日本語は正確にね。

 ハーー!
 大きくついたため息にクーラーと扇風機の風にそよいでいた花瓶のトルコギキョウも同情してくれるようであった。
 本音 ーー あのう、あなたならお金みになる文章が、私のはならないのが悲しい。
 宮部の忠告 ーー 結論を急いではいけない。

 私はお姉さんと住んでいます。
 2人とも、いわゆる日本でいう「行かず後家」。英語なら「スピンスター」というシンプルな星のような言葉で言い表わすのに、日本語では、心の中にドクロを描いたようなおじさんたちが作った、きっと昭和40年代あたりの造語でしょうか?
 宮部の注意 ーー よく調べるように

 この間、お寿司やさんでセクハラにあいました。夜の7時だというのに他の客がいない。1人でおすしを食べていました。お店に同情して「今夜は寂しいね」と言ったのがいけなかったみたい。店ではなく、お客様ご自身のことだと思われたみたい。
 次に「おいしいものを食べたい」と普通に言ったのが、益々よくなかったみたい。つまり、何か別なものが欲しいのだろうというのです。もうこのすし屋には来てやらないぞ。やっぱり銭湯みたいな、人が大勢いるレストランに行こう。断然安上がりだもん。

 今朝のこと。姉がわめいている。
「いやーね。また、こわしたのね」
「ええ、こわしたのよ。だってハンカチが見当たらなくて頭に来て、引き出しにのしかかったら横棒が折れてしまったの。なだめたら、ちゃんと入るんじゃないの?」

 姉は、またわめいている。話が少し違うようだと見に行くと、掃除機のこと。
 先日、吸いが悪いと袋を変えたら閉まらなくなった。そこで袋の先の紙のところをチョキンチョキン切ってはめたら、フタがバカになったのか、ポカンと開いてくるので、ガムテープでしめてやった。グレイの買い替えたばかりの品。 
 思いきり叩いたのがよくなかったのかな?
「紙の形が合わないのよ」
「前の古い型の吸塵袋が残っていたかしらね」
 2人でジャングルのような納戸の中を吸塵袋をさがす。
「なんで、下取りセール付きでモデルチェンジするのよ。売らんかな主義だわ」
 妹、ヒステリックに会社批判!
「15年も研究してチェンジしたんだから、いいじゃないの」
 大型ハンドバッグの形に口を整えて一語一語怒鳴る姉。

 数分後、
「あなたが吸塵袋を切ったからいけないのよ」
 吸塵袋は、プラスティックの止めの下をくぐらせると見事におさまるようになっていた。つまり上においたから、ぶ厚くなってしまらなかっただけなのだ。端を切ると寸法が足りなくて開いてしまう。
 ーーこんなこともわからないバカなの!
 テレパシーで聞き取る姉の声はすごく大きい。
 それ見たことかと姉は、チョン切られた袋をゴミ箱に捨てた。まるで商業主義が勝利したかのように。

 この姉は、心をこめて購入したスウェーデン製のノンフロンの冷蔵庫の引き出し部分のプラスティックを、そそっかしいこの家の長女がこわした時も半狂乱になっていたっけ。

 ーーあんたいつも1人で住みたいって言っているけど、これでは私がいないとどうなると思ってんの! 
 これもまたテレパシーで私の体にどんどん入ってくる。
 ゴミ箱に投げ込まれた袋は、まっさらに近く、勿体なくて仕方がない。いいことを思いついた。
「ねぇ、この袋、新しいから、さっきみたいにして使ってよ」
「本当だ、そうしたら使えるねぇ」
 ガムテープはまだ掃除機の本体の横に張り付けてあった。

 こみ上げて来る笑いが飛び出さないように歯でかみつぶすと、のどの奥に逃げて行ってくれた。そしたら胃のあたりでもっとおかしくなってしまった。
「ねぇ、お姉さんが珍しく掃除しているし、私は朝早く、お水撒きしたから、今日は 絶対、雨が降る。珍しくフトンも干してるし」
「うん、そうだね」
 あちらは、笑いをどこにしまったのかな?
 それにしてもハンカチが見当たらないくらいで引き出しに突っかかるスピンスターはやっぱり暴れん坊。おすし屋さんのご主人の意見も当っているような気がする。






# by grpspica | 2004-08-27 17:30 | グループスピカ | Comments(0)
2004年 08月 26日

空色と紫の花 by 原 真砂子

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プルーンバーゴは、やわらかな空色が魅力の邦名「ルリマツリ」、タイ名「パャクモク」、学名「plumbago capensis Thumb =P.auriculata LAM(Plumbaginacea) の花木である。
「タイの花鳥風月」の著者、レヌカ−・ムシカシント−ン(旧姓秋山良子)さんの表現によるとその青は『「みそらのいろのみずあさぎ」よりさらに淡くあどけない』

へぇ−、あさぎって黄色じゃないのなんて、野暮な事をお言いではないよ。空色というと水色と青があるが、デュランダ(タカラヅカの愛称あり)の紫色とセットで植えると頃合のいい絵の具箱のような庭になる。半つる性だからツルっぽいプルーンバーゴだけれど、デュランダもやわらかな枝をあちこちに差し込む事もできる。水色にこだわっているけれど、このルリマツリには白もあるんだ。そして、デュランダにも「アルバ」と呼ばれる白がある。


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「オキシペタラム」は、これまた、やわらかな水色の花。「ブル−スタ−」ともいう。しかし花は、蕾の時は、薄いピンク。芯は濃い青で、色彩感覚豊かな取り合わせ。特に、水色の花とピンクの蕾が風に揺れているのが可憐で「眠れる森の美女」の魔法使いが、1人はブルー派、もう1人はピンク党で、王子と躍るオーロラ姫のドレスをピンクやブルーに変えたあの願いを実現したかのような、やさしい響きを持つ。

少しベルベット風な肌ざわりなので、薄い花びらのルリマツリに比べると秋っぽく思える花弁である。花を放っておくと淡いグリーンの唐辛子を長くしたような形となり、やがて割れて、中から、ファンタジーのような綿と共に、種が風に飛ぶ用意をするのが楽しい。触ると量、質感共に「モスリン」のムードがして、ため息が出てしまう。私はチビだから、花まで持ち主のプロポ−ションに似るのか、背丈は50㎝から70㎝とあってもせいぜい30㎝の高さにしかならない。水色がお好きなら、この二種をおすすめ致します。






# by grpspica | 2004-08-26 10:05 | グループスピカ | Comments(0)
2004年 08月 22日

Comment(コメント)について  By モニカ

 コメントが読めないと言われる方に。

 まず全体の頁を開くと端の方(模様に寄って右や左に移ることあり)に「最新のコメント」あるいは「最新のトラックバック」という欄があり、あすので、読みたいところをクリックして下さい。そのコメントが読めます。

 また本文の一番下に並んでいる横文字(Trackbackあるいは Comments(4))をクリックすると本文についてのコメントが読めます。カッコ内の数字はコメント数です。

  コメント投稿者の名前が赤ければ、クリックするとその方のHPに飛ぶ事が出来ます。黒ければ飛べません。

 最後に、コメント欄をクリックしてその下に開く窓に書き込んで、投稿者の名前の欄とパスワード 欄に適当な番号か文字を「書いて、送信ボタンを押すことで、あなたの文章を投稿することもできます。

 いただいたコメントが内容的にどうかと思われる場合は、開設者も削除することができます。1度わが「海峡」も攻撃の対象となったことがあり、その後は先に目を通してから公にするかどうかを決めることにしています。

 以上、ブログ初体験の方へのご案内でした。(実は自分も初体験だったモニカでした)




# by grpspica | 2004-08-22 10:06 | 初めてのかたに | Comments(0)
2004年 08月 17日

イランイランですよ byモニカ

サイズの変え方までは習熟してません。
ぐじゃぐじゃ文を書いて左右の指定をしたらいいのかな。

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その後のイランイラン関連日記です。

  イランイランの新芽  by モニカ

  イランイランとランタナ  by モニカ

  カナダいくら・鎌倉かりん・イランイラン byモニカ



# by grpspica | 2004-08-17 13:06 | グループスピカ | Comments(7)
2004年 08月 17日

これがヘリオトロープ byマサコ

お好きな黄緑です。

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# by grpspica | 2004-08-17 10:35 | グループスピカ | Comments(2)
2004年 08月 16日

戦争体験者として  by 石崎 尹劉 

 真砂子様からのお便りをもらった時、びっくりしました。
 そう言えぱ、R君の家に来ていたことがあった。たしかピアノを習うとか言っていたな、と思い出しました。そしてその後、カナダでの生活のことなどを印刷物でよみ、ぴっくりしています。

 それにしても貴女が、朝鮮慰安婦間題について力強い活動をしておられることを知り驚いています。私も22歳から29歳まで召集されて戦地に明け暮れました。現地に於ける慰安婦達の姿も見ています。

 貴女がコリアーナと名付けた人々、日本人の身勝手な権力支配に踏みにじられた人々への思いは、誰も反論を許されない真事てす。貴女が送られた印刷物の内容は読めば読む程に私の思考をさらに奥深く誘っていきます。

 日本はアジアの人々に心からのお詫ぴをし、罪のつぐないをしなければなりませんが、その中ても朝鮮の人々に対しては特別なものがあります。
 単に人間の感清でとらえる謝罪とか、現代的な社会の仕組みての弁償とかいうようなものではなく、神の前に深く頭を垂れ、神の御声をきいて、自分自身を見つめることが日本入に要求されます。

 お送りのプリント、どれにもこれにも貴女の言葉が深く埋められていますのて、これからも二度、三度と目を通していきます。
 「かわら版」「海」「五時通信」など、同人会誌かと思いますが、あのように多くの方々と心をつないでいかれることは、なによりの心強い生活かと思います。ご活躍下さい。
 それから、石崎キク様からも「神奈川平和遺族会」の出版物をいただきました。目下ページを追って読ませてもらっています。
 走りがきで文字も崩れたままで書き直さずに出します。ご判読下さい。
1993年8月

「海峡」2号より

(注)このお手紙を下さった、おじさんの訃報が昨日届きました。ペーパー版「海峡」を発行したとき、励まして下さった方です。
最後に出したはがきに「インターネットで海峡を見てね」と書いたばかり。このweb版に載せることの承諾は得ていませんが、多分「いいよ、いいよ」と言ってくださるでしょう。




# by grpspica | 2004-08-16 12:07 | 命・平和・人権 | Comments(0)
2004年 08月 16日

原さんちの交換ノート byノリコ

まえがき
 1973年4月原家のトイレに1冊のノートがおかれた。
 1年前の3月に父が死亡。当時の家には長女、次女、三女、母親の4人が住んでいた。その後東京にいた長兄がUターンし2階の寝室のひとつを独占。女性4人はひとつの寝室で過密状態。兄は78年に結婚して家を出る。80年母の死、81年三女のトロント行き・85年次女のニューヨーク行きによって長女がひとりとなるまでの12年間、家族はもちろん来訪者がトイレでこのノートに書き続けた。

 公表を予想していない個人的なノートの最初の7日間をこのような形でblogに載せるのは、スピカの面々もそれなりに年をとったということか。私達の将来の手持ち時間は、過去に共有した時間よりはるかに少なくなった。

 それでは、白秋の短歌と共に春を過ごしたあの当時の日々を思い返そう。

4月26日長女:ミニ・コミ・ボードには思想が書けないとのマコの訴えを慎重に考慮した結果、ボードをあらためるところのノートがここに誕生。1973年4月26日午後11:45
 自由に埋めていけばいいものの、各自の「日記なるもの」の方をお留守にされぬよう。

三女:お願い、バイロン作「ドン・ジュアン」の全文知りたし、けいさいを望む。

長女:ドン・ジュアンの難船-再び愛と死について
 23名の中にペコとチッチがいてあとの21名は他人で、
 ①くじ引きに当たるのが1名でよいとすればチッチが名乗る。
 ②運の悪いのが2名以上必要だとすれば、くじにまかせ、もし ペコが当たれば、他の1人にかわってチッチは船をおりる。(手を取り合ってだ。チクショーメ)
この点マコと同意見。悲劇はチッチがくじを引いたにもかかわらず、ペコは・・・ああペコは!!

次女:そんな男に恋するより、大きな愛に生きるべし。

4月27日三女:今日のテーマは、「その人のために生きることができるか」である。(出願者マコ)

長女:一昨日モルガンの「地球の重み」を読む。リシュー♀にしてみれば夫であるピエール・タラーグが“政治”に関係し妻子との平和な生活を放棄することが納得できない。彼女にとって“その人”とはせいぜい夫・子供・親の域を出ない。
これに反しピエールにとって“その人”とは虐げられている人間一般なのだ。それゆえ妻子のために生きることが目標ではなく、みんなのために生きること即妻子のために生きることであると強弁する。
特定のその人のために生きること即みんなのために生きることであるような状態はありえないのか?

次女:みんなのために生きる「ピエール」に恋し愛するに至るリシュー。彼を愛し助けて生きて行くリシュー。

三女:なるーにネ。しかし最終の2行 リシュー=チッチではないのかのぅ。

 一人は万人のために万人は一人のために 灘神戸生協COOP。その大きな存在の意義 無公害洗剤「せっけん」、一人のため=万人のため

長女:交通ゼネスト。起床11:00am インヴェンションをひく 優雅な!!1日。

三女:交通ゼネスト関係なく4/27きょうの1日右腕のリューマチにしてやられ、かぐわしき紅茶のような1日である日和に恋も語らずはたまた20歳の賛歌もせず、ムリヤリ愛する万能楽器に30分は遊んでもらったけど、後グールドのいう「人間の魂の暗い夜」まっぴるまを経験し、まぁたまには芸術家にとってはいいけれど、精進を望む若き血潮には相変わらずの日々。

しかしこれでさえも音楽とするなら人間生活ならばバベガシが我家にやってきた事。ピアノの調律がなされている事に愛するつつましい調、ト長調の喜びを感じよう。

長女:ト長調は何故につつましいか説明を請う。
  告 森山良子の“片想い”知りたし 提供者には薄謝

4月28日三女:N氏よりなぜにト長調がつつましい調であるかの釈明を求められた。自らを芸術風に愛するM嬢にとっては心を彷彿させられるような質問である。

 これについてはBACHの48プレリュードとフーガが、6つのパルティータ、フランス組曲、English Suites モーツアルトのソナタ、ベートーベンの32のソナタその他諸々の調を持たされた曲の中からト調の物を選べばその一貫性がつかめるものと思う。

 パルティータの5番、フランス組曲の5番、いづれもト長調であるが、そのやさしい美しさはあたかも夫によく愛されている妻のような雰囲気である。G Dur は48曲のWell-Tempered Clavier(平均率)の中にわずか2曲みられ、7つのトッカッタの中には1曲。モーツアルトピアノソナタ中1曲。Beethovenの中に子供なら誰でも弾くピアノソナタの他Op.14 Nr2、Op.49 Nr2とOp.79、イタリア趣味のソナタOp.31 Nr1がト長調。バガテル集Op.126の第1曲と5曲がト長調。

 色々調べる暇がないからピアノ・コンツェルト第4番で止めとくけど、これらの曲のイメージをさぐる時、我々はここにある女性像を見いだすし、また非常にさっぱりした男性の魅力、そしてト調の持つ広がりというのが家庭的であるのに気づくと思うのである。

 2つの音が違う ♭ ひとつのヘ長調は簡潔な雰囲気はよく似ているが、ト長調よりいくらか華やかで独身者の自由があるように思えるし、ハ長調はあきらかに新生の始まりをより効果的に表せると思う。

 ハ短調はより多くのセックスアピールを秘めていると思うし、ニ短調は社会的な憂いもいささか個人的な要素が強いと感じられる。これらの事をまとめるにあたってカナダのお兄ちゃんグーちゃんの言葉を非常に参考にしたし貸していただいた。

以下、出典《イノック・アーデン》
多くの他の17世紀の作曲家同様シュトラウスの調性に対する先入観は、調号という物理的に相対的な機能を絶対的なものにとする考えにかたく結ばれていた。そして、調の個々の性格と特殊な関係をもつ傾向は生涯を通して残っていたのである。それゆえ大胆で決断力に富み、無私の自己放棄ができる男であるイノックには変ホ長調が与えられている。シュトラウスの想像する英雄の調である。イノックの友達でライヴァルでもある、物静かでひとあたりがよく、頼りになるフィッリップ・レイはホ長調である。

<両方の可愛いお嫁さん> (The little wife to both)であるアニイ・リィはト長調 -多くの他の作曲家にとってもやさしい、つつましさを表すものと思われている調である。・・・・・  [解説 G・G 三浦淳史 訳]

G・G:そうです。そう感じますね。各曲を支配する雰囲気と言ったものが、たしかに存在すると思います。その雰囲気がどこまで「調」の雰囲気なのかということは、非常に論議の多い問題であって、そこにはバッハがある精神状態に合わせてある調を選んだのかどうかという問題が絡んで来ます。そうであったことを物語る例もバッハにいくつかありますし、バッハ以後のあらゆる作曲家がある程度までそういう調の選び方をしました。もっともスクリャービンに至ってその過程は論理的な不合理さにまで達しましたけれども。

しかし、それがどの程度まで交換可能な関係なのか。例えばハ短調パルティータが<マタイ受難曲>終曲のハ短調の合唱とどの程度まで同じ「意味をもつ」のか。あるいはハ短調という調が同じ種類の思考をかき立て、違いはただ目的が世俗的か宗教的かということによってのみ生じるのか。こういったことは、ここで確信するにはあまりにむつかしい問題です。

   バッハ クラヴィーア・パルティータ グレン グールドとの対話 [角倉一朗 訳]

  カナダのおしゃべり男グールドありがとう。  
  リューマチのマコ ごくろうさま。

4月28日三女:おトイレコーチバン
 マコとお母サンは、いつもキューくつ キューくつして寝ます。これは子供話に、きゅうりがくつの中に入ってキュークツキュークツといった事によるものです。

 いんげんとにんじんで作ってみましょう。にんげんとじんいんが出来ました。これを見て人間・人員、なんか思いませんか。そう思いました。この間の、いや先日のスト。

 人間である事を求め、人員を集めストをする。
 人間である事を無視し、企業が人員整理をする。

 この人の一人よがり度           60点
 この人の社会性にめざめたいココロ 80点
 この人の甘えたゴコロ           100点

長女:バイロンは長編の詩「チャイルド・ハロルドの遍歴」と「ドン・ジュアン」を作った。
 本屋で調べたかぎりにおいて、「ドン・ジュアン」の全文を載せた本はなかった。抜粋の中にも「ドン・ジュアンの船」は載っていなかった。バイロン全集で捜さねばならないようである。 以上 第一次回答

次女:“ドン・ジュアンとヘイデ”一碧書房。バイロン詩集にあり。全文はなし。

4月29日三女:白秋詩集「桐の花」より

・昼餐(ひるげ)どきはてしさびしさ春の日も 紅茶のいろに沈みそめつつ

・よき椅子に黒き猫さへ来てなげく 初夏晩春の濃きココアかな

・サラダとり白きソースをかけてまし さみしき春の思ひ出のため

・いつしかに春の名残(なごり)となりにけり 昆布干場のたんぽぽの花

「初夏晩春」より
・猫やなぎ薄紫に光つつ暮れゆく人はしづかにあゆむ

・薄暮(たそがれ)の水路に似たる心あり やはらかき夢のひとりながるる

・いやはてに鬱金(うこん)ざくらのかなしみの ちりそめねれば五月(さつき)はきたる

「銀苗哀慕調」より
・やはらかき赤き手糸をたぐるとき 夕とどろきの遠くきこゆる

・なまけものなまけてあればこおひいの ゆるきゆげさへもたへがたきかな

・ものおもふわかき男の息づかひ そなたも知るやさるひあの花

・夕かけて白き小鳥のものおもひ 木にとまるこそさみしかりけれ

「白き露台」より
長女:もの思う若きおみなの息づかい そなたも知るや むらさきすみれ

4月30日三女:カナダのピアニストグールドはその演奏中にポケットからボタモチを投げてくれます。それをもらってガキは喜ぶし、グールドもうれしそうです。
 グールドがこのボタモチを得る資金作りは、薄闇まぎれて手拭いで顔を隠し、取りモチ持ってお宮さんや神社のさい銭箱を荒らしに行くことで、そのためそのボタモチはいっそう価値あるものになるのだそうです。

 グールドははるかカナダの地でまだ見ぬ京都御所そして春には美しい花を咲かす桜の木についての感想を語り、そんな時たまたまトロント大学が数百年の歴史をほこるかのようにその校舎が輝きヒューロン湖からの風がビロードのようにキャンパスを吹き渡るときそこに居合わせた人々はこの地上でこの場所が一番うれしくて楽しい場所のひとつだと考えるのでした。

長女:このボタモチをマコのために取ってきたいものですね。

三女:お姉さん、私は時々彼からボタモチをもらいます。レコードを聞いている時、夢の中で。でもまだ1度も食べたことはありません。でもずっとむかし中国で1人のお母さんが作ったボタモチを分け合って食べた事はあるのです。だからそのボタモチもきっとあのボタモチと同なじ味だろうと思います。

三女:2年前の今日と言えば○○の○○が○○を発って○○に帰った日です。
みなさん。2年前私はまだわずか18才でありました。ふりかえってみれば、その頃でさえ私の頭は老人性を代表するかのように物事ばかり考えジンジンしており、自分では今より若いつもりでいたのです。

 この日を記念し、また5月を迎えるにあたり、この1ヶ月間のこの場所においてマコが責任を持ち、アンケートを取りたいと思います。
テーマ 「私が人生において幸福を感じる時」 執筆者は署名をして下さい。

三女
・1週間晴れが続きそれがためもう一生晴れ続きだろうと見込み違いをしているとき
・ 自分が思わなくても人生が思い通りになるらしいという気持ちが1ヶ月に3分間あるとき

長女
・ 陽がサンサンと注ぐベットの中で、夢ともなくまたうつつともなく、マコのピアノの音など聴くともなく、聴かぬともなく、安らかな憩いを怠惰にむさぼるとき(つまりこの2日間なのだ)
・ 彼の横にすわっていて、彼が白い華奢な指で、リズミカルに紅茶を入れてくれるのをながめているとき(ただしこれは過去形なのだ)
・ からっとしたお天気で、下におりてきたとき、マコがさわやかな顔で満足気に立ち居振る舞いをしているのを見る朝のひととき。
・ 世の中全てのことがうまくいき、全ての人が幸せで、全ての人を愛せそうな気がするとき。 1ヶ月に10日位?
・ 自分の顔がことの他美しくみえるとき。
・ 事務所の自分の机に座ると、ガラス越しにくっきりと山の緑がみえるとき。
・その他無数

三女
みなさん、棚からボタモチ買います。
     個数は1個でよろしい。
必ず棚から落ちてきたものにかぎります。

愛と希望の募集板
  モニカ、可愛いモニカ、あなたの投稿を、待っています。
  おばさま、今まで死んだ数々のピアニストがもう一度生まれ直してピアノを習おうかと注目している日本における音楽家のうちの一人。字を書くことは脳軟化症の予防にもなると思います。投稿をお待ちしています。
  原家におけるくみ取り容量アップにご協力の皆様、どうか遠慮なく。

?:裕三展 5/3-5/27 近代美術館 没後45年

長女:署名お忘れなく
 見てきた人の声、是非行って見て下さい。お話はそれから。

三女:「Nさん。とってきたいものですね」を「とっておきたいもの」と読んでしまいました。ほんとに貴女1人でもいいから、行って取ってきて下さい。メープルの青葉を忘れずにね。カエデの新芽も一緒にね。
 5月と言えば加奈陀の新緑状態はいかに。

長女:カナダにおける初夏の緑に関する一考察と題したものの、資料ならびに想像力不足ゆえ、先がつづきませぬ。
  しかしながら、ばべがしの登場をつぶさに見て、緑の人に与える安らぎと希望はいずこにても同じものと思われます。

三女:私にとって「棚からボタモチ」はグレン・グールドが棚から落っこちてくるようなものです。でも彼がこう言ったらガックリだね。

 「マコ、なんかいいことあらへんか!」

5月1日三女:近日トロント地方にお出かけの方は、ヒューロン湖からの風がト大のキャンパスまで行くものかを、オンタリオ州気象台にてお調べ下さい。

長女:5月wunderschön?? Monat Mai、麗しき5月。麗しかるべき5月。
  去年、5月は苦しみをノリコにもたらした。外界の美しさが、心の虚しさに比例して輝くばかりであった。あれから1年。時は過ぎ、人は去る。去りし人への想い、新たに去った人への想い。この重みをしっかり受け止めてゆきたい。

:wunderschön??←??

長女:追記 ドイツ語文法初級  その1
 形容詞は次に来る名詞の性・数・格によって活用する。性とは男性・女性・中性の3種、数は単数・複数の2種、格は1格から4格までの4種(I, my,me,mineみたいなもの)。ノリコはMonat の性を記憶していない。多分男性である⇒ とすればerをつければいいが、語学に自尊心を傷つけられたくないので、書かなかったというわけ。

:大変楽しい時がこの場ですごせるとは!!!
  我が人生に於いて素晴らしい発足の1つなりと我家の3姉妹に感謝!!!
  マコのご親切なお誘いおすすめに応えて、脳軟化症予防と、書くことにしました。

三女:オカーサンの文には普通の人より!!!が1個多い。

長女:本人にかわりまして申し上げます。音楽の本質をとらえ、それを教えるべき数名の弟子を持ち、さらに愛らしい3人の娘と頼もしい息子を持ちまして、目下のところ幸せとはこのようなものかしらと思う日々です。
  この上はよき男友達と、素敵な恋をしてみたいというのは欲張りでしょうか?

文学の散歩道 5月例会
    例会賞受賞発表作品
「あなたに飲まれる紅茶にわたしはなりたい」
作者: (知性派冷血詩人) 原 真砂子

姉に捧ぐ 1973(昭和48)年5月1日

あなたに飲まれる一杯の紅茶にわたしはなりたい。
暖かくつやのある白い陶器の中の静かな液体。
あなたの手首が、かしぐまま、あなたの口元に運ばれて、
あなたの疲れた体に滲みわたる。
ああ-1口の熱い液体。

異国の地に根をはり、白い霊気に葉をふるわせ、
人の手に摘まれ、四角の箱に治まって、
今宵もわたしはあなたの部屋にいる。
あなたが人の愛が欲しい時。
あなたの繊細な指が蓋を開け、スプーン1杯のわたしを量る。

今宵のあなたは1人きり。
熱い湯がそそがれて、わたしは1杯の液体に変身する。
それが、わたし。

あなたの思うまま、あなたの中に滲みわたる。
ほのかな香り、やさしい色を
あなたはいつわたしのものだと気づいてくれるでしょう。
今宵もわたしはあなたの白いカップの中にいるわ。

理事長寸評:この詩は後半の方が前の部分に比べ平凡でありふれている。

次女:読者評:「あなたの飲む」1杯の紅茶の方がいいと思うヨーン。

長女:捧げられた姉評:しあわせです!!

三女:作成した詩人の言葉:確かにその方がもっといいわ。そのはずだったんだ。でもそれでは みつはしちかこ のなんかの詩に似てはしまわないか。

ミニ・コミの出現によるわが家の変化
 トイレの便座はその大部分を椅子と化した。人々はいまのところ、読むために書くためにトイレに入ってきて、そのついでに用をたす。誰がトイレに入ったか確かめる風が強く、近くにいれば耳を澄まし、今どこを読んでいるか考えたり人が入れば、何か読めるものと考えている。熱を入れて書いたり長く座り込んで読んでいると思わぬ余得がある。即ち一度出たものがもう一度出る。

 明日ミニコミは隠される。
 そして近日中に発表される作品は「コーソを送る歌」コーソの歴史、コーソによる人々。そしてコーソのありし日の姿をしのぼうと思う。各人、コーソの思い出を書いて下さい。
 このミニ・コミにもっともよく合うのは即興性だと思う。11:05pm

次女:幸せな時
・イーストが計算通り4倍にふくれた時。(継続) 

5月2日三女:トロントとはインディアン語で集合の意を表します。トロントがむかしから人の集まる所だったということがわかります。それでそれを記念して、男の子が生まれたら「集」(シュウチャンデス)という名をつけようかと思っています。

長女:男の子の名前は 耕(こう)か周(しゅう)か 準(じゅん)です。

あとがき 1988年5月。マコはトロントでの思い出と共に帰国。その半年前にモニカがニューヨークより帰国。3姉妹はまた1つのトイレに押し合いへし合い。

 93年5月一人暮らしの快適さに慣れていた三女が長女に、別居を申し出、長女が事務所所在地に住まいを作る。2000年夏、次女と三女は2世帯住宅に改築。次女の生徒用トイレ・次女専用の浴室・トイレ・台所・洗濯機を設置。

 住まいは区分したものの、スピカの中での ①おしゃべり好き ②音楽 ③グールド は、今も30年前と少しも変わりません。







# by grpspica | 2004-08-16 11:13 | グループスピカ | Comments(0)
2004年 08月 14日

入力できた!  by モニカ

どういうわけかimacからはこのblogに日本語入力が出来ませんでした。化けてしまうのです。
そんなバカな事が.......? AppleのLive HPのトップにはpowered by exite.ってあるのにです。でも実際には困ってる人が随分いたみたい。
久し振りにあきらめ気分で今試してみたら、オオッ!出来るではないですか。誰かがどこかで苦労して下さったようです。
英文入力しか出来ないmusoさんの問題がどこにあるかわかるといいね。

お盆は全員集合の2日になりました。

名無しのゴンベイ改め、モニカ






# by grpspica | 2004-08-14 13:10 | グループスピカ | Comments(4)
2004年 08月 13日

シリウスの白 by 原 真砂子(マサコ).

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「夢用絵の具」という楽しいテレビ番組がある。
「ピンク」には主に宇野千代さんにスポットが当てられていた。「青」ではイタリーの青。「白」には幸田文さん母娘の着物にまつわる「白の物語」が編集されている。
番組の中では呉服屋さんが「白いユカタ地が似合う人、白地を着こなせる人は滅多にいない。そんな美人がいたら‥‥。」と話していた。

同じ白でも色々あるが、本来の白の魅力は他の色のぶつかり合いを避け、全てをつなぎ合わせることにあるのではないかしら?

カナダ産のスイトピーの白は夜空に輝くシリウスの白に近い。この白い花は、スイトピーの花束を作る時に色々な色を見事に1つにまとめる力がある。日本産の白のスイトピーにはその力がない。私にとっては「白」に「濁象牙色・濁黄緑色」が混じっているように思われる。
花束を作って見るとすぐにわかるけれど、混ざり合う色の衝突のうっとおしさを避け、全ての色にその色本来の特質を輝き出させるのは、あの「白」以外にない。「人を寄せつけない白」でもなく「やたら自分についた汚れだけが目だって気になる白」でもない。

毎年、同じ朝顔から種を採り続けていると最後には全部真っ白の花になったという話を聞いたことがある。全ての色を含んでいながら「白」でいられる。この白を何と呼べばいいのだろう?

音楽院の学生だった頃、クラスメイトの手作りニットの展示会でハーモニーのクラスの先生と顔を合わせた。その時に「マコはウィンタータイプ(冬型)だから、白ならexact white。看護婦さんの制服のような白が似合うよ。」とにわかカウンセラーになって言われた。
この「exact white」の「exact 」をどう日本語に訳せばいいのかしら? 「完全な、全くの、〜の中の〜、精密な‥‥」

シリウスの魅力は全天で一番明るいこと、地球に1番近いことにあるのではなく、あの高潔にして気さくな色と万色を受け入れるあの「白さ」にある。 
シリウスが忙しく瞬いて色を変える印象から、シリウスを「えぬぐぼし(絵の具星)」と呼ぶ地方がある。
私にとってシリウスが他の色に光って見えたことはないが、この地上でシリウスの白を宿した百合の花にで出会えたら、いや、シリウス星には、星の色と同質の百合の群生があるだろうという幻想にひたりながら、シリウスの白をこよなく愛している。  

心にシリウスの白を持とう。人間が発色出来るならやっぱりシリウスの白を発光しよう。



写真 カナダのスイトピーではないけれど......




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# by grpspica | 2004-08-13 16:46 | グループスピカ | Comments(0)
2004年 08月 08日

バラのいたずら by 原 真砂子.

 ロシアのピアニスト、今は亡きリヒテルが「墓参りに来る時は、白バラ一本と紫のグラジオラスを手向けて欲しい」と言っているのを知り、白いミニバラを鉢で育てることにした。
「リヒテルは語る」は生前の彼の言葉をまとめた本なのだが、共感覚者であるリヒテルの住んでいた感受性の世界が、彼のピアノ演奏より数倍魅力的である。
 私には気の合う人だとわかったので何度も恐山のシャーマン(巫女)のようにリヒテルの霊を招霊しようとした。ある時は、彼の好きだったタバコと日本酒を供えて、お出でをお待ちしたが、何も答えてくれなかった。庭に石を置いて拝んだこともある。
 ハハン! リヒテルは自分がグールドより重きをおかれていないから、出て来ないのかもしれないと、それでも諦めずに花を育て、語りかけていた。

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 そのバラは白といってもクリーム地、外側の花びらは咢に近い感じで緑がかっている。
毎日、挨拶に行くと花びらの量や形でさえ、一度たりとも全く同じ花が咲かないことに気づく。私の好きなシリウスの白を宿した花が三本咲いても、まだ気づかなかったが、ある日、淡いピンクの花に、ようやくリヒテルの心を感じた。リヒテルは、私の色好みに答えてくれるかのようである。

 その横で、我をはっているのが「グレン」と名付けたミニバラ。色はセクシーなパープルピンク。バーガンディとも。アンリ・マティスという名のバラみたいなスプレー系で、花の中に白い模様が入る。花の大きさはうずらの卵がやっとのところなのに、枝によっては六つも花をつけて、六本の指でピアノを喋らせたグールドの片手みたいに見える。
 色なし自慢の彼の音にしたら、花びらは有色で、そのうち透明バラを咲かせるつもりかもしれないが、今のところ、朝鮮語の「  (モッ)〈オシャレ・粋・優雅・雅致・真珠〉」が、このバラの「ため息」というところ。
 このバラは、丸っこい端の形のはずが、一輪だけ、四角の形を取り出した。花びらの数も少ない。出来損ないが育つと見守った。
 色はどんどん紫に傾いていく。紫が白味を帯びたピンクを覆いかぶすような花びらを手にしてテーブルの上においた。
 
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 グググーと体が唸る。そっそれは「フィアルタの春」色であった。こころなしか、花びらが唇の形に見える。
「フィアルタの春」は、ナボコフの短編で、作者と読者の私が最も好む作品の一つである。
読後、あまりの衝撃にこの「情事」を記念して口紅を買おうとフィアルタの春色を求めて、デパートを歩いた。思っていた色の口紅があった。しかし何千円もするので買わなかった。そんなことをグレンというバラが逐一知っているのではないかと思うほど、あの口紅そっくりの色バラが産出されていたのである。これでは「ナボコフ・スローニム(ヴェーラ夫人の旧姓)」の名のバラを育てると、どういうことになるのか今から楽しみである。

 バラの絵といえば、お嬢様っぽい少女や奥様が、金持ち風のガーデンに咲くバラの中にいる絵が多いのに、イギリスの画家、チャールズ・キーピングの描いたバラを見つめる少年の絵は忘れることが出来ない。人生の苦渋があどけない顔にのっている。少年の潜在意識がバラの花びらの角度に乗り移ったかの様。人間とバラのサイケックな感性を表わしている作品にバラの甘ったるい香りはしない。貧しい生活と希望の匂いがする。

 二階のバラたちはテラスに住んでいる。
 そのバラの横に、しわがれだらけの、葉も縮くれている病気だらけの「MAKO」と名付けたミニバラがいる。グレンと同じプランターに入れておいたが、仲が悪そうなので離してみた。グレンは意気揚々と次々に咲き出したが、MAKOは固い蕾が一つ付いただけ。それでどうやら透明な赤のバラらしいことがわかってきた。
 マコや、あんた、いたずらをする元気がアルン?と分身に向かって話しかける。

(注)ハングル文字が入力できないので空白の部分があります






# by grpspica | 2004-08-08 19:44 | グループスピカ | Comments(0)
2004年 08月 08日

亀さま中毒 by マサコ 

夕立。(マサコさまへ)
受験生にこんな重労働させてしまっていいのかしら? マサコサマは悩んでいます。

亀って泣くの? どんな声?
亀の卵のスープというのは聞いたことがあるけど、亀のお肉、食べようとは思わない、マサコは牛肉・鶏の卵アレルギーなのです。

花や草、愛情を掛けるのが園芸なのか?
人の家の庭は気楽だと思う。今日もはしごにのってカメムシつぶし。指先に匂いがついているのか夏の初めより指を近づけるだけでカメムシがポロッと落ちる。危険を察知して逃げるのか、それとも死んでしまうのか。

こちらは夕立もないのに、虹が20分出ました。最初の20度くらいのとき、空の(その時は灰色一色だった)青と緑に気づいて近所が騒ぐまで、虹を知らせる電話がかかってくるまで、2Fのテラスで。虹には七色の音調という兄ちゃんらしい言葉がある。

マサコのツルは、スィートピー・朝顔等つる性の植物が好きなことから。人にからみついて自立する、甘ったれの自立。これが私の人生みたい。

父の選んだのは「針なし」のサボテン。自分の白髪と称して、なるほどよく似ていました。針なら小児ばりとかいって体にいいものもあるけど、それが毒バリならちょっと困るなぁ。亀のどこに針があったの?
青春って、ややこしい。10代20代は実につまらない年代である。不安定!

マサコサマは37才の時、トーウィックが870ありました。もうすっかり落ちちゃってるでしょうね。
カメムシに変身するかもしれないマサコより。





# by grpspica | 2004-08-08 11:51 | blogの輪 | Comments(10)
2004年 08月 07日

blogについての質問ほか by ノリコ 

1,あなたさまのblogを訪ねますと、文章が1つだけ載っているとき(次の頁を押すことになる)とたくさん連なって出てくる時とあるように思うのですが、WHY ?

2,あなたさまのblogには、うちのblogの右の欄の一番上の方に出てくるエキサイトの「あなたの好みで変えられる」というかなり大きなスペースが登場しません。
HOW CAN I ERASE THIS ?
つまりカテゴリが目に入りやすいようにその位置をできるだけ上にもっていきたいのです。

3,そのためにカレンダーも消すか、位置を変えたいとすると??

4,ついでにマコから亀さまへの下記文章の上のほうの海峡WEB様へというブルーの文字は、あるべきではないと思いますが、消してもいいのでしょうか。

5,「ニラとレバー」「中国と韓国」のおばあさま、生き生きとしてますね。あなた様にDNAの一部を受け継がせた方の人生は、私の持っている群馬の女というイメージに合うのでしょうか。




# by grpspica | 2004-08-07 11:06 | blogの輪 | Comments(0)
2004年 08月 06日

あさがおとカメムシ by マサコ to 亀さま

「海峡web版」さまへ。

2004年8月5日
マサコサマは、朝4時に庭に駆け出して行き、朝顔に「早く起きて」と声をかけます。この夏は、たくさんみかけるカメムシが朝顔を1本のひもにするのがはやっています。
カメムシの滑るような動きと数匹固まって静かに遊んでいる姿がモーツァルトのピアノソナタの2楽章に似ている。カメムシ、いつも指でツブしている。臭いは気にならないヨ!

亀さま
私はあなたの文才に遠くおよびません。亀と井戸、月のお話、水木しげるが絵を描いたようで、読んでいるとポーッとしてしまいました。幼き日、近所のルミちゃんの家の井戸は使っていないし水もなかったよう。そのまわりで遊ぶのが楽しかった。
星・井戸・月。限られた水面に神秘を映す。何か亀の視点に近づけそう。

そういえば、トマス・マンの「ヨゼフとその兄弟」で、月と井戸、確かヨゼフが奇妙な振る舞いをして父親に見つけられるところがありましたっけ。
君は、ヨゼフのようじゃよ。なんといっても乙女座の主星は、水星でコミュニケーションに優れている。
ここでいう「主星」は占い的には、その人のホロスコープでの主なる星のこと。私の星の事典には、「主星・首星」どこにもないです。そう、「星の事典」の著者は鈴木駿太郎氏でした(前に俊としたのは間違い)。
星座中、もっとも明るいのは、シリウス(天狼星)ですよね。私はこの星の白が、たまらなく好きです。

「雑草」は、亀さまの文章ですよ。自分の文章が一番いとおしいスピカの三姉妹に比べて、なんと高貴でいらっしゃること!
エマーソンは、ニーチェに影響を与えた人だそうです。私には興味がない研究ですけれど。
雑草、花に比べ、ひがんでいるのか?
花は認められ、雑草は、抜かれる。しかも腹立たしげに。あー亀さま、メモは残さない約束でしたね。

群馬は父方の祖母(「つる」さん)の父親の出身地。その姓「赤堀」という地名もありますね。尾瀬と伊香保温泉に一度行った事があります。タクシーの運転手さんが偶然連れて行ってくれた滝で、私はクラクラして前生のことを思い出して、、、、、。
マサコさまはいつもこういう空間に住んでいるのです。

一度、最寄りの駅から学校までを教えて下さい。ルートを辿ってみます。
亀さまが1982年生まれなら、その8月はグールドがトロントでティム・ペイジにピアノを弾いてあげた頃。私もトロントに住んでいた。
歴史は流れる。

ps
サボテンで思い出したのですが、ある日父が、自分の頭に似ているからと白髪のサボテンを買ってきました。
おかしかったのは、サボテンを「反社会性」と表現する亀さまの感受性。
父は「反家庭性」でした。家庭を社会とすると立派な「反社会性」の男性。
化学者で実験に没頭し、化学物質過敏症が原因(と私は思ってる)の「全身性エリテマトーデス」で亡くなりました。女性に多い病気ですが、薬品を扱う人にも発症するとか。
その父が40年位前に叔父から貰ってきた浜木綿が毎年花を咲かせます。浜木綿は海辺の砂地好きで水嫌いのよう。それが我が家では水飲みのジンジャーの隣で生きています。
今年は一段と葉のツヤがよろしいようですが、父はズボラで園芸はとても無理な人でした。こんな事を書くのもお盆が近いせいかしらね。






# by grpspica | 2004-08-06 16:52 | blogの輪 | Comments(0)
2004年 08月 05日

カマスゴとポピー by 原真砂子.

       
 私の住む町では、イカナゴの成魚を「フルセ」と呼んでいる。
このフルセ、三重産は「カマスゴ」と呼ばれて市内に出回る。

 カマスゴは、柔らかでつぶれやすい。その割れた腹から、卵や白子がそれぞれに春らしい色(サーモンピンク系)でシックな魚が芸術品に見える。
 1月の三重県からのカマスゴは子持ちで、本来産卵前は獲ったらいけないはずなのだが、この時期の親魚は、水産試験場が資源量と成熟度を調査し、解禁時期を決定するために、漁業者に依頼して「試験曳」を行っているものとのこと。
 関東では「小女子」、仙台・宮城地区では「メロード」、英名は「サンド・イール(砂のウナギ)」と呼ばれる早春魚を柚子の果汁をたっぷりしぼりかけて、そのまま食すると、遠い日の思いでとの差異にしばしば時を忘れる。

 私が子供だった頃、フルセは魚の匂いを嫌う母のオカズのひとつだった。
酢醤油を入れた容器を用意して、練炭を入れた「七輪」の上の金網に、店で買った釜あげされたフルセを並べる。母は、「よく焼き上げて、つけ汁につけた時ジュッという音がしたものが美味しい」という。
 油ののったフルセは、焼くとその油がよく火に落ちる。
その度に炎が、練炭が、音を発する中で、フルセを黒こげにしてはいけないし、生焼けでは母の好む「ジュッ」という音は出ないので大忙しだった。
 我が家ではこんな苦労をしてフルセを食していたのである。

 店売りの釜茹フルセをポン酢やショウガ醤油で美味しく簡単に食べる事が出来たのに、なぜこんな手間をかけたのだろう? 雅量の狭い祖母の「こだわり」だろうか? それとも他所者だった祖母か母が、地元の人に習った調理法だったのかもしれない。今となってはわからない。
 ともかく、油ジュージューのフルセは滑りやすく、しかも潜り込むにはうってつけの穴の多い練炭だから、穴をめがけて金網の目やお箸から逃げ出して、潜り込んでいく。
そうなると長い菜バシを燃え盛る火の中に入れて、そのフルセを拾い上げなければならない。魚もハシも黒こげのイメージがある。いやそれよりも網の上で、燃え過ぎるフルセも多かったかもしれない。

 「釜茹フルセ」はそんなに臭みがないのに、このオカズの時は、酢醤油がしみ込むように早く準備を始めて〈二度焼きするため〉、しかも少し熱く(あたたか味程度)ないとおいしくない。
したがってお弁当のオカズに入っていたことはなかった。
母としては「カルシウム」をねらって、子供達に食べさせていたのかも。焼き役が兄なら、フルセが食卓に辿り着く前に兄の腹の中に全部納まっただろう。

 平成不況の日本は物が売れなくなり、あちこちで価格破壊が始まった。
「カマスゴ」は老人の私にはちょうどいい量が100円で、しかもこの壊れやすい小魚は四角のビニールザルの上にのっている。捨てるには勿体ないザルを見ていて、その活用法を考えたくなった。
 ある園芸家は、卵ケースを開いた形にして前もって底になる部分に穴を開けておき、種まき用の床にするという。移植可能の小さな苗、コントロールしにくいすぐ厚播きになるような種の種類に、このザルはどうだろうか。
 
 生まれて初めて、「虞美人草(ポピー)」の種を播いた時、私は困惑してしまった。
ひと袋で100本から120本の種は、今まで手にしたどんな種よりも意のままに地面に落すことが出来ない。
 そこで、重なりあうように発芽した苗を大きめの小鉢60個を用意した場所に植え替えると、ナント、まるで亡命者のように新しい土地に馴染めず、一つ、また一つと消えて行った。
ところが、例外はあるもので、10余りが残る。しかも3本ぐらい束になって成長してくるのだ。

 それを今度はまた地面に植え替えた時、どんな根をしているのかと眺めた。移植を嫌うスイトピーの根とは全く違った細い雨のような根が、春雨を切ったように一杯伸びている。
 種袋には、間引くように書いてあるが、勿体なくて、どれか1本に出来ないまま冬が過ぎて行く。直播きのまま苗になっているものもスコップで数本ごとに広い所に移す。
 
 この作業は、私につくづくと移住、移民を思い起こさせた。
 人間も土着の根深になると他の土地に移ることは困難になる。
移った先の土地がその植物(人間)に合うか合わないかで、消えるも花が咲くも自由自在になる。

 もしも日本が攻撃されて、安全な国に逃げるとしても、私が2才から28才まで、36才から16年も住み続けた土地を離れると、この苗のようなことになりかねない。

 私は7年住んだカナダで、日本にいては到底得ることのないチャンスに恵まれたが、もしも行き先が英語圏で、私の知人・友人が残っているカナダであるとしても、異国で生涯を暮らすその苦しみはどんなものになるだろうか?

 ビニールの網の目をくぐれそうな細い根のポピーの様子に、自分の根の種類を想像する。そして1919年にロシアを永遠に去ったナボコフが、ヨーロッパを転々として1940年には、アメリカに渡り、「ロリータ」の収益による経済的安定で60代は再びヨーロッパに戻り、スイス、モントルーのパレスホテルで暮らした、その波乱の人生にナボコフは一体どんな形の根を持っていたのか見てみたい気がするのである。







# by grpspica | 2004-08-05 17:24 | グループスピカ | Comments(0)
2004年 08月 05日

32のピアノソナタ ・・ 酒奈鈴の録音で・・ by 原 真砂子.

 ベートーヴェンは全部で32のピアノソナタを作曲した。この全ピアノソナタの中でどれが一番好きかといえば第16番のト長調のソナタである。
 この曲はイタリア趣味ということで、ベートーヴェンの堅苦しさがやわらいで優美な動きが多い。ユーモアや機知に富んだモティーフに心が和む。
 私は子供の時からト長調の柔らかなパステルカラー好きで、ト長調の曲なら何でも好きになる。

  ピアニストのアルトゥール・シュナーベルが1932年から1935年にかけて全曲録音したSP盤は、グレン・グールドの宝物であると同時に、私の母の10代の宝物でもあった。母は2番を愛し、終生、全楽章を家事や育児、看病の合間に弾いていた。勿論他のソナタにも打ち込んでいて、母がピアノを弾くとご飯やおやつが遅れるので腹を立てていた私であった。しかし今となると、それは食べ物以上の親からの贈物である。

 母やグールドを夢中にさせ、今も私が首ったけのシュナーベルの演奏とは?
 料理でいうと、お酒の違いである。料理に調味料としての酒の有る無し、その品質は味に大きく関わる。音楽も同じである。
 音符の一つ一つの味を充分に引き出して、かつ香り高く、全体をまとめる音楽酒の存在は、その酒が100年に1度の名酒であれば、当然、他の演奏家を大きく引き離す事になる。

 次に遠近法である。遠くはヒマラヤ連山の借景、近くに1輪の花の大写しとシュナーベルの音楽の絵は平面的ではない。

 3番目は音は澄み渡っているが、人間の恥じらい、激怒が自由に表現されていることである。

 最後に、神経は細やかなのに、ヒマラヤ聖者のように心の山を一翔びにする神業のようなアーティキュレーション(音楽の心を語る話し方の技術)である。彼のフレーズの長さは天文学的である。
 音楽におけるフレーズとは、起承転結の事で、殊にこの「承」に当たる1小節の最初の音を打つと全体のフレーズは、すぐさまバラバラになる。
 全体を4小節のフレーズ(小楽節)とするフレーズは珍しくないけれど、8小節のフレーズ(大楽節)、さらには16小節と、シュナーベルの場合は、時には32小節が一フレーズにまとられていて、これが世界に類のない演奏となっている。言葉の意味としてのフレーズ感が、文学的である。

 このシュナーベルの演奏を愛した母は、子供達を音楽家にしようとは思わなかった。
「シュナーベルのように弾ける人が音楽家になるのである。他の人々は止めておいた方がいい」と10代の時に心底感じたのだろう。
「音楽は趣味でやり、プロの世界から呼ばれた人だけがプロになればいい」とも言っていた。

 お陰さまで、私は毎日、空を見る度にシュナーベル氏が我が家に与えて下さった幸せに感謝する。毎日の生活は音楽で飯を喰わない喜びで一杯である。

 グールドも又シュナーベルを尊敬していた。旧グールド家に飾ってあったシュナーベルのSPを見る度に、グールドに関する情報の余りない時代に、グールドの演奏を聴いただけで、
「シュナーベルに夢中だったはず」
とグールドの事を言い当てた母の洞察はスゴイと思ったものだった。

 バレンボイム(指揮者でありピアニスト)の自伝によると「精神的な人以外シュナーベルの演奏に見向きもしなかった」そうである。

 ベートーヴェンのソナタの他の曲では1番が好きだが、母はその1番が嫌いだった。弾きにくいと言っていた。
 しかし2楽章のシュナーベルの演奏は、母の話し方に似ていて、母の声音も懐かしく思い出す。

 母は私のグールド狂いとカナダ行を快く思っておらず、毎年9月25日のグールドの誕生日に、お菓子を焼くとあきれていた。自分の誕生日には焼いてくれないので怒っていたのかもしれない。

 ベートーヴェンピアノソナタ32曲のその価値を世界遺産として子供に伝えた母の思慮の深さと音楽への愛を思う。そしてベートーヴェンの「自由と静寂は最大の財産」という言葉を思い出す。
ベートーヴェン・シュナーベル・グールド・母と四人の音楽家に感謝の心を込めながら。    2004.3.25     







# by grpspica | 2004-08-05 15:38 | 音楽・哲学・宗教 | Comments(1)
2004年 08月 03日

初めての方に

「海峡」へようこそ。

あなたが「阿波丸」からたどってここにきてくださったのなら、また本文の外の「カテゴリ」の「命・平和・人権」をクリックして下さい。石崎キク様が夫の石崎氏に関連して投稿しておられます。また音楽・哲学・宗教の「8月のゴルトベルク」「ゴルトベルクをめぐる8章」にも石崎氏から母へ渡された楽譜のことがちらっと載っています。

カテゴリの「目次」をクリックすると「海峡」全体のカテゴリ別のタイトルが出てくる---
はずだったのですが、作業がおいつかないうちに

「月別」の目次の見方がわかりました。目次のところに書いていますので見て下さいね。

ここで「海峡」の説明をしましょう。

「海峡」(ペーパー版)がミニコミ誌として発行されたのは1993年6月。

当初からの編集方針は

1. 執筆者と内容に制限がないこと

2. モザイクのように、いろんな文章が集まっていること

3. 編集者の意見と異なるという理由では、ボツとしないこと

でした。

それと「出したい時に出して、あげたい人にあげる」という決まりもありました。

また「これは」という文章を見つけたら、執筆者や出版社にその転載の許可を求めることもしました。そのためにミニコミ誌を40も集めていた時もあります。

だから「ペーパー版海峡」には、実に多くの方のさまざまなテーマの文章があります。もっとも理科系に弱いという弱点あり(笑)。

しかしあれから10年。
どこかにいい文章がないかと捜したり、その転載依頼をすること、いいネタをもっている方に執筆依頼をすること自体がしんどくなり・・・

印刷送付の手間暇もだんだんと負担になり・・・
 
ホームページにしたらという話は以前からあったのですが、それもまた、たいそうなことに思えましたし、パソコン世代でない方のことを考えてのためらいも。

そしてペーパー版53号(2004年1月発行)の編集後記に「廃刊のことば?」が登場し、5月海峡web版誕生となったのです。

なおweb版では、社会性が薄まり、趣味的な発信(公表する場を得たマサコさんがこれまでに山程書きためた文章など)が多くなると思います。





# by grpspica | 2004-08-03 16:35 | 初めてのかたに | Comments(1)
2004年 07月 23日

声なき死者は訴える - 緑十字船・阿波丸の悲劇  by 石崎キク

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 私は台湾の台北で生まれて育ち、1940年に結婚しました。
日本が植民地支配をしていた当時の台湾帝国大学の地質学教室に勤めていた夫は、1943年12月に陸軍省燃料廠の軍属(軍人以外の者で軍の要員)として、東南アジアの「ボルネオの石油資源調査」という任務で招集されました。

集結地の東京で夫は軍関係の人たちと1ヵ月ほど過ごした後、任地ボルネオへ向かったようです。敗色濃いアジア太平洋戦争の末期でしたから、任地から一度はがきの便りが届いたあとは、生死もわからず年が明け年が暮れ、消息を断ったまま敗戦の年1945年を迎えました。

 「石崎遭難せり」の公報
 この年の3月末に、台湾総督府地質調査所の技師で、夫と共にボルネオへ赴任された方が突然、訪ねて来られ、「昨日飛行機で帰って来た。石崎も一緒に帰ることになっていたが、急に軍の都合で予定が変更され、石崎は阿波丸に乗船ということになった。この阿波丸は安導券(安全な航行を保証するもの)を所持し、国際法の保護を受け、病院船に準じる交換船で飛行機以上に安全だから、あと1週間もすれば帰ってこられる」という思いがけない嬉しい知らせをもってきてくださいました。

 しかし、1週間を過ぎても何の音沙汰もなく、4月に入ってしばらくすると、ラジオで阿波丸の遭難が報道されました。その内容が果たして真実なのか、また私の夫が確かに乗船していたのかわからないまま、夫の両親と私は不安な日々を送っていました。

 照りつける日射しのきびしい台湾の暑い夏、6月に入り、「石崎和彦、阿波丸に乗船し、4月1日遭難せしこと判明せり」という戦死の公報が届きました。

 「石にかじりついても生きて帰ってくる」と言っていた夫は、帰国後の研究に期待をかけ、ボルネオへ発つ前、東京にいる間に手に入った本を次つぎに台北の留守宅へリストを同封して送ってきていました。
 当時は送ったものが届かずじまいになることも多かったのですが、送った本は全部届いて持ち主の帰りを待っていました。しかし肝心の持ち主はついに帰らず、28才の命を無残にも断たれてしまいました。

 「白十字マークの安全な船が、、、」
 阿波丸という船は日本郵船の商船で、戦時中米軍から要請があり、「日本が占領していた東南アジアにいる連合軍の捕虜や抑留者に救援物資を阿波丸で運んでほしい。その代わり、帰路はその地域の日本の民間人を乗せて帰ってよい」という交換条件で出航した船です。船腹には緑の地色に白十字のマークがくっきりと描かれ、夜もあかりを煌煌とつけて走っていました。航路は指定されており、軍人を乗せたり、軍需品を積むことは当然禁止されていました。

 しかし、当時日本海軍の連合艦隊作戦参謀だった千早正隆氏の「呪われたる船・阿波丸」という文章によりますと、日本政府はこの時、法を侵して軍人を乗せ、大本営(戦時中の最高戦争指導機関)の指示に従ってスズやゴムなどの戦時禁制品を積み込んでいたということです。
 その上、万一連合国側に臨検された場合に、国際法違反が発覚するのを恐れて、船底には最悪の場合に備えて自沈装置が取りつけられていて、船長の押すボタン1つで船が沈むことになっていたのでした。

 「2070名の阿鼻叫喚」
 最も安全だと考えられていたこの船が、実は危険きわまりない船であることを知っていたのは、政府や軍関係のごく限られた人と船長だけでした。安全を保証されているこの阿波丸をのがしては、もう帰国の機会はないというわけで、乗船者は定員137名の13倍を越えたということです。

 3月28日シンガポールを出航した阿波丸が4月1日、台湾海峡にさしかかるまでは何事もなく過ぎ、もうすぐ故国の土を踏めるという安心感を抱いて乗船者が静かな眠りに入った夜半11時過ぎ、アメリカの潜水艦クィーンフィッシュ号から発射された4本の魚雷に命中によってわずか3分で阿波丸は沈没しました。

 乗員1名が潜水艦に救助されただけで、帰国の喜びを間近にしながら乗員乗客あわせて2070名が阿鼻叫喚の苦しみの後、海中に没したのでした。

 「真相究明を放棄した政府」
 この阿波丸事件に関しては、いくつもの謎を残したまま、日本政府は1949年、アメリカに対する賠償請求権を自発的に(実際は米国側に強制されて)、無条件に放棄し、事件の本質について調査もせず、この問題に終止符を打ちました。私たち遺族に真相は何も知らされないまま今日に至っています。

 その一方で国は、遺族の意思に関係なく1954年、阿波丸遭難者を靖国神社に合祀し、無残な死へ追いやられた2070名は「英霊」とたたえられ、遺族の悲しみは栄誉にすり替えられ、戦争美化の一役を担わされています。

 1979年以降、阿波丸遭難者の遺骨の一部と遺品の一部が中国政府の手で引き揚げられ、中国の好意で日本政府に引き渡されました遺骨は千鳥ヶ淵戦没者墓苑と芝の増上寺境内の阿波丸遭難者墓所に分骨して納められています。

 増上寺の墓所の碑文では、事件の真相を究明しない日本政府の姿勢を問い、戦争の悲惨さと空しさを訴え、中国の好意への感謝を表明しています。
 碑の両側に遭難者2070名の氏名が刻まれています。ぎっしりと並ぶ名前に左右を囲まれてここに立つ時、私は生きて今ある者の責任と使命を改めて考えさせられます。

 「犠牲者にむくいる道は」
 53年前の敗戦まで、軍国主義体制の下で教育を受けて育ち、戦争を問い直す姿勢など全くなかった私たちも、戦後の歳月の中で歴史の事実を学び、聖戦と教えられた戦争の、残虐な加害の実態を知り心を抉られました。東洋平和のため、大東亜共栄圏建設のためなどと、美名の下に国家が戦争への道を進む時、犠牲になるのは、いつも戦争を望まない弱い立場の者であることを痛感させられました。

 武力によって平和をかち取ることはできないことを過去の歴史が物語っています。

 非業の死を遂げた戦没者たちは、決して戦争が美化され、「英霊」とたたえられることを望んではいない! 無残な死を通して彼らは今を生きる私たちに、2度と国内外に戦没者や遺族をつくらないように力を尽くせと語りかけている。
 この声に耳をかたむけ、この課題に取り組んでいくことこそ、彼らへの、そしてアジアの2千万を越える戦争犠牲者への真の追悼であり、その死にこたえる道だと思います。

月刊「ジュ・パンス」1999年1月より








# by grpspica | 2004-07-23 18:14 | 命・平和・人権 | Comments(2)
2004年 07月 20日

戦場のピアニスト byモニカ

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 今年(2003年)評判になった「戦場のピアニスト」。あるピアニストがナチスの迫害から逃れようと逃げ回った実話を映画化したものだ。多くの人に見るように勧められたが、映画館に足を運ぶ事が出来なかったのは、私にとって少し生々しい話だったからだと思う。

 我が家の楽譜棚には購入年月日と購入者のサインが記された色の変った古い楽譜がたくさんある。母の兄の物だ。
 音楽を愛し、自らもピアノを奏でた彼は、招集されて台北から上京した時に、彼の専門である地質学の本と共に手に入れた何冊かの楽譜を実家に送っていた。戦争が終ったら又静かな研究生活に戻り、その曲を勉強出来る日を楽しみにしていたのだと思う。

 しかしその生活は実現しなかった。敗戦の年の4月1日、地質調査に派遣されたボルネオからの帰国途中、乗船していた船がアメリカの潜水艦に撃沈されたからだ。お互いに攻撃しないと約束されていた緑十字船「阿波丸」が攻撃された理由は、本来積込まれるべきでない鉱物資源を「喫水線」まで積込んだ日本軍の「約束違反」とされている。
 伯父はその時28歳。待っている妻の元に帰ることなく、楽譜は我が家に残されて、今も大切に使われている。
 
 現在、活躍するピアニストの中にも、音楽家だった両親を殺され、祖母と一緒に逃げ回る中、5歳の時にその祖母にも先立たれ、孤児院に収容されていた人がいる。
 父上の同僚だったピアノの先生が戦後、「あの人には子供がいたはずだ」と探し回り、彼が10歳の時に見つけ出され、養子になってピアノを学び始めたというのが、クリストフ・エッシェンバッハのお話だ。

 またレジスタンス運動に入り、捕まって大切な指を痛めつけられたピアニストをはじめ、同様の話は沢山あったと思う。これは何も音楽家だけに起っていた事ではない。いろいろな分野で活躍していた人、あるいは活躍出来るであろう子供達の未来の生活、いのちを破壊してしまう。それが戦争なのだ。

 今、本当に今の今、イラクの、アフガンの、その他の地域での争い事・戦争の中で、それが現実に起こっている。

 1人1人の命がいかに大切かといいながら、止められない戦争。誰かの欲のために都合の悪いことは意図的に隠され操作されて表に出てくる情報。そんなことに振り回されていては戦争なんて無くならない。

 中山千夏さんの「なんで戦争はいけないの?」は誰にでもわかりやすく、大義名分・主義主張で始まる戦争の理由付けに対し、素朴にしかし的確に戦争の正体を描き出したものだと思う。こうならないためにどうすればいいか。短絡的に武器に頼るのではなく、平和の大切さを真摯に考え、歩み寄る知恵を絞り出していけるのが人間ではないだろうか。

「海峡53号」2004年1月より

「なんで戦争はいけないの?」






# by grpspica | 2004-07-20 17:21 | 命・平和・人権 | Comments(2)
2004年 07月 18日

なんで戦争はいけないの? by 原 野里子

 月に一回の美容院での楽しみは、なんてったって女性週刊誌。2種類8冊を読むためには読み飛ばすしかない。知らない芸能人の記事はパス。続き物もパス。ところが読み飛ばせなかった記事がある。中山千夏が「なんで戦争はいけないのか」を娘に説明しているのだが、目が釘付けになって2度も3度も読み直した。
「ねぇ、この週刊誌。古くなったらもらえない?」
 そのことばをちゃんと覚えていてくれた「おしゃれBOX」の美容師さんが、切り抜いて渡してくれた。
 で、以下引用します。

ひとつ、戦争は破壊する。
 家や町、古い遺跡や美しい山河をあっという間に破壊する。もちろん貴い生命も破壊する。

ひとつ、戦争は腹がへる。
 田畑が破壊され、交通機関が破壊され、店が破壊され、食べ物がなくなって、とてつもなく腹がへる。

ひとつ、戦争は人殺しを強制する。
 いくら人を殺したくなくても、兵士になれば、平気で人殺しをしなければならないし、たいてい無理やり兵士にされてしまう。

ひとつ、戦争は自由を奪う。
 戦争の足しになることをする自由はあっても、戦争の邪魔をする自由はまるきりなくなる。

ひとつ、戦争は病気を持ってくる。
 破壊された不潔な町には伝染病がはびこり、細菌兵器や原爆による病気がはびこり、兵士たちの間には精神病がはびこり、爆弾は地球全土の水や空気を汚染して生き物を弱らせる。

ひとつ、戦争は男を威張らせる。
 なんたって戦争の主役は男だから、世の中の役に立つのは男、ということになってしまって、人間としての女の価値は必ず下がる。

 娘よ、こんなバカなことをしたがるのは、
1.正気じゃない、
2.戦争になれば儲かったり威張ったりできる、
3.そういう連中にだまされている、
のどれかさ。 
 覚えておおき、軍備をしない、国家間のもめごとは必ず話し合いで解決する、と決めている日本の憲法第9条は、だから、世界一かしこい憲法なんだよ。


日本国憲法 第2章 戦争の放棄
第9条
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 ②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

CHAPTER II. RENUNCIATION OF WAR
Article 9.
 Aspiring sincerely to an international peace based on justice
and order, the Japanese people forever renounce war as a
sovereign right of the nation and the threat or use of force as
means of settling international disputes.
 In order to accomplish the aim of the preceding paragraph,
land, sea, and air forces, as well as other war potential, will
never be maintained. The right of belligerency of the state
will not be recognized.

「海峡53号」2004年1月より





# by grpspica | 2004-07-18 13:39 | 命・平和・人権 | Comments(0)
2004年 05月 11日

いよいよwebで登場

1993年6月から2004年1月(53号)まで「海峡」は、印刷物として発行されました。
きょうからこのblogで、運転を開始します。
まずはこの文章を送ってみるところから。野里子
# by grpspica | 2004-05-11 14:46 | グループスピカ | Comments(0)