ペーパー版「海峡」の新スタイル
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ミクシのグールド&ナボコフコミュからお訪ね下さった皆様へ---
グールドと音楽に関するマサコの文章は、
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に移動しました。

ナボコフ関連のエッセイは、検索して下さると、出て来ます。

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# by grpspica | 2005-11-03 12:23 | Happy Birthday | Comments(0)
2005年 11月 03日

大手拓次へのふみがら 11月3日に by マサコ

大手さん、お誕生日おめでとうございます。
悲しいまでに切ない体や心を持っていないと人は、芸術家にはなれないと思います。
人間の一番体の弱った時に持つ心を「良心」という人もいるのです。
一生を孤独と病苦の中で過ごされた大手さんが育んだ詩の世界。
私のような者は、あなたの世界を表現することは出来ません。

「蛇」と「薔薇」をよく取り上げて、匂いにも敏感な詩人の世界は、そうそう一般受けするものではないかもしれませんね。
私の体は、「蛇」になったり「薔薇」になったりします。
あなたの詩作から、お供えの花を!

ああ
しろばらよ しろばらよ しろばらよ
おまへはみどりのおびをしめて
うすきいろく うすあをく にほってきました。


あなたのことを考えると田中希代子さんを思い出します。
あなたは、あなたの持っているものを持っていなかった詩人達から、嫉妬されて、生前は詩集も出ませんでした。あなたの死後に彼らが書いた悪意に満ちた文章は、田中希代子さん向けて書かれた評論家の気が狂った文を思い起こさせます。

真の詩人は、生前、そして死後も一部の人たちにしか理解されないのかもしれません。
今は、神様の国に在って、あなたの詩作を喜ぶ人々の真心を受け取って下さい。







# by grpspica | 2005-11-03 12:22 | Happy Birthday | Comments(0)
2005年 10月 30日

ママ・グールドへの手紙 2005.10.31 by マサコ

ママ、お元気ですか?
日本は軍事色が強まった様相を呈して来ました。近い将来、戦争に巻き込まれたり、悪政が国民を苦しめることになりそうです。今まで読んだり聞いたりしただけだった世界中の悲劇を思い起こしています。

サウスウッド32番地は、ママが1925年から1975年まで、半世紀も幸せに過ごされたすばらしい場所ですね。私は人形の家に入るように、いまだにあの家に入っていきます。
目の前に1947年にロンドンからグレンに贈られた本があります。今でもお宅の匂いがしていますよ。
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    1947年にグレン・グールドに贈られた本  
      庭からの花は 白フジバカマ、千日紅、デュランタタカラヅカ
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1999年に初めてあなたへのお供えにスプレーバラを求めたのですが、枯れたときに捨てようとしたら、あまりに芳香なので「花びら」をカップに入れました。それが6年経ってもピンピンに薫るのです。長い間、バラのせいと思っていたけど、これはきっとお母さまのいたづら?
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      裏表紙に書かれたグールドのメモ
          左花瓶には、マサコさんがGGと名付けたバラと秋明菊

もしもそうなら、これからもお三人が楽しく過ごしていらしたときの平和が、地球上の人々の上にくまなく存在できることに手を貸して下さい。
  みな食べ物がありますように。
  寝床がありますように。

お話は変わって、この間久しぶりに息子さんの1955年のゴルトベルクを聴きました。音楽以前の「オーラ」だったわよ。
あれはママが心に想ってらした音楽ではなくて?

人間の心に勇気と生きる希望を与えることのできる音楽を奏でたグレンとその花が咲くように見守り続けたご両親に深い感謝の心を捧げつつ
2005年10月31日

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    彼のグールドもツェルニーを練習してたんだねぇ

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アメリカ人のグールドファンに読んでもらったけれど解読不能だったメモの一部分







# by grpspica | 2005-10-30 17:21 | Happy Birthday | Comments(2)
2005年 10月 30日

語理横丁に迷い込んで by マサコ

 朝5時半に起きて、午前9時過ぎまで多国籍語理のつまみ食いをしている。その間、体操を2回して。かつて1980年代に7つの英語放送を聴いてTOEICを受験した時代とは全く異なる経験である。

 まず先生の善し悪しが、すぐにわかる。ほとんどの番組が、気楽にショー的な流れで楽しめるようになっている。がしかし、地道には身につかない。

 次ぎに、超初級、すなはち、嬰児に母乳を与えるように「おっぱい」を飲ませ始める両親のような講座がほとんどない。あれを入門というなら、どうしようもない中級崩れにも、初級にも上級にもつながらない教え方をする番組だらけとも言える。
 例えば、ピアノの最初の1ヶ月に生徒にこんなに教えると、その先生は、即クビになるだろうのに。

 11月からは、独語とスペイン語を止めて、仏・露・中国語に専念する。そのうち、1カ国語にしぼる。

 それにしても、日本は将来、小学3年生から、英語の授業を始める計画があるということだけど、一体、誰がどんなテキストを作るのだろう。
 日本人の第一外国語は、中国語か朝鮮語にして、歴史もよく習えばよかったのに。私がこの国に生きるのは、長くても後30年だろうが、地崩れして行く国の恐ろしさが、しみじみ伝わってくる昨今である。
 ヨーロッパの文化というのは、他国の侵入に身を震わせながら、生きることから成り立っているのかもしれない。

 私にとっては、ボケをかき回すに過ぎない「語理」の時間なのだが、彼のニーチェに影響を与えたといわれるエマソンの次の言葉を支えに。

 A retentive memory may be a gook thing, but ability to forget is the true
token of greatness.

「記憶力のよさはいいことかも知れないが、忘れる能力こそが偉大さを示す本当の証(あかし)である」

 これって、語理のこと、それとも史実の事?





# by grpspica | 2005-10-30 16:28 | グループスピカ | Comments(2)
2005年 10月 23日

「ライファーズ」を観て byマサコ

 おしろい花が咲き誇るようやく秋らしくなった夕方、弁護士会館の講堂でドキュメンタリーフィルム「ライファーズ--終身刑を越えて」を観ました。
 アメリカの刑務所で、死刑や無期刑の受刑者たちが、他の収監者に更正プログラムへの参加を呼びかけて、受刑者たちの新しい生き方に力を貸している、その様子が淡々と描かれています。
 身を乗り出して見つめた世界には、貧困・性的暴力・殺人・薬はもちろん、犯罪をベースに人生を送ってきた人々の辛い過去と、同じ体験者が更正して、受刑者の世話にまわった様子が対照的に映し出されます。

 「あなたにとって安全な場所(サンクチュアリ)はどこでしたか?」と問われてひとりづつ回答を書いていきます。ふたり一組で相手の手を触りながらじっくり観察してそのときの思いを述べます。
 ある受刑者は10才の時に犯されます。彼は大人になって理由らしい理由もなく人を殺すのですが、本当に殺したかったのは、10才の時の彼への犯罪者であったと思えます。人一倍純粋で、人を喜ばせたい心を持つ子供が、信頼していた相手(親しく家に出入りする知人)に性的暴力を受ける。その後もその人は何事もなかったように家に出入りする。彼は親にも話さなかったし、家族は子供の状態に気づきませんでした。そのことが悲しい結果につながっていったのだろうと考えさせられます。

 似たような経験をしない者は、相手の体験を想像することはできても、奥深いところまでは理解できない。だから受刑者の発言は受刑者には重く受け止められる。でも現実には、私は囚人ではないけれど、心の中はいくつもの鎖で縛られていて、今まで人を殺さなかったのは偶然が重なり合っていただけのことでしょう。

 どの囚人も、人の思いやりある心に接している時は、顔が輝いてみえました。
 映画の最後近くで、刑務所でのクリスマスディナーの場面が出てきます。寄付で集まった食料です。このような更正プログラムの背後には、アメリカ社会にしっかり根付いるキリスト教の影響がみえます。

 おいしい食事こそが、人が人に守られている安心感と愛情を伝えることができるもの。TVで凶悪犯罪が報道され、ワイドショウで「人格・性格」が問題にされる時、「その人が、幼い時から何を食べてきたのか、少なくともこの1年、どんな食事をしたのか、と考えてみてほしい」と思うのです。

 クリスマスには人からのプレゼントを期待するのではなく、人に勇気と希望を送れる食べ物を届けられる生き方をしたいと願います。






# by grpspica | 2005-10-23 18:07 | グループスピカ | Comments(3)
2005年 10月 23日

いじめ by マサコ

ちえこさま

郵便ポストに入れたことを確実に知っているのは、まず差出人関係者でしょう。
他人が、人がいつ入れたかをチェックして盗むことは出来ません。

ずっと以前、切手のミシン目から少しずれたところを切った切手を貼っていたら、局の人が「認められないから、剥がして新しい切手を貼って持ってくるように」と言いました。
誰が見ても真新しい切手です。

カナダではまず、こんな類いの「いじめ」はありませんでした。
異国人でも公共の場に行って、「理不尽」を噛み締めさせられたことは、7年間なかったです。

うーん?! やっ、ありました。
今でもどうかは知りませんが「ベル・カナダ」は、私のいた当時は独占企業でした。
で、留学生が帰国直前に使った海外通話の通話料金を踏み倒して行くケースが沢山あって問題になっていたことは知っていましたが........

ある日、私の電話の発信音がしない。。もちろん料金はちゃんと払っています。
問い合わせて下さったカナダ人の家主がどんなに話をしても、ベル・カナダは驚く程横柄な態度で「何百ドルから払わなければ元に戻さない」と言い張り、「どうしようもなかった」といわれました。

昔のことではっきりした金額は忘れたけれど確か200〜300ドル(家主もビックリの金額)を支払ったと記憶しています。支払った途端に直してくれました。
その時、家主と「ベル・カナダ」が独占企業だからこんなことが出来るのだと話したことでした。

10年前、「郵便局は潰れるといい」と思いました。物事には色々の局面や立場の人々が絡んでいて、「これが絶対」ということはないのでしょう。

お話は変わって、JRの「日勤教育」、
日本人は「教育」と「いじめ」を取り違えているみたいですね。
彼の「K」氏も郵政省に「いたときにいじめにあって、その仕返しをしてるという見解があります。






# by grpspica | 2005-10-23 18:06 | blogの輪 | Comments(0)
2005年 10月 23日

マサコの占い 

ゴールドベルク変奏曲

ねね先生。沖縄の方言では「ねーね」は「お姉さん」、「にーに」は「お兄さん」です。甘えっ子のマサコは、先生が「ねね」で感激。
曲の場合は数字ではありません。
「アリア」がお好きなのは「胎内回帰願望」つまり、「魂」に憧れていらっしゃる。-----さすが、マラルメの弟子! うむむ。
25番は、私もかったるいです。多分、あっさり、はっきりしたご性格では?
数字は、バースデー・電話番号・住所など何でも呼び寄せている数字を教えて下されば占えます。
住所の番号は、例えば3人家族とすると、その数字の影響を受けている人は3人となりますし、電話番号も家族全員が使うのか、ケータイでひとりしか使わないのかで、結果はちがってくると思います。確実なのはバースデー、それも自分がふだん使っているものがいいですね。時々戸籍とちがうこともありますし、外国旅行や海外生活が長い場合は、西暦が主になります。マサコ

なおバースデーなどをコメントに投稿されるときに非公開のところをチェックするとスピカのメンバーにしか読むことができません。回答の方は結果だけでよければ公開でお届けできます。ノリコ






# by grpspica | 2005-10-23 14:39 | blogの輪 | Comments(7)
2005年 10月 23日

フランス語 by マサコ

はじめまして

ねね先生、お返事をありがとうございました。
まぁ(tiens)、グレンチカ・グールドベルク のファンでいらっしゃるの?
よし(bon)占いをさせて下さい。
31の曲の中から、
beaucoup (とっても好き)
passionnement (死ぬ程好き)
a la folie
pas du tout
な曲を教えて下さい。

ふら語は私にとってやはり「仏さまの語」。 le Chinois(中国語)に似ているという人もいますね。
le nenuphar は la position du lotus といわれ、あーこれもまさしく「仏縁」というべきご縁かな。






# by grpspica | 2005-10-23 11:14 | blogの輪 | Comments(1)
2005年 10月 23日

ライファーズ by ノリコ

AWさま。御社の社員のご主人が26才でイラクで亡くなったとのこと。
ご家族、奥様や小さな子供さん、ご両親の悲しみを思います。

「夫の死が人のために役に立った」と確信できる死であれば、ある程度は受け入れることができるかもしれませんが、少なくとも私には、米兵のイラクでの死には、これを肯定できるだけのものがあるとは思えません。

数日前、弁護士の仲間のメーリングリストに、「ファルージャで何が起こったか」、というレポートがありました。転載することもできるようですので、「海峡」にも載せられるかもしれません。

金曜日には「ライファーズ---- 終身刑を超えて」という映画を観ました。
(マサコさんがその感想を書きましたので、いずれアップします。)

簡単にいうとアメリカの刑務所における再生プログラムのお話です。
この映画に出てくる、ひとりひとりの人間(囚人)に対する接し方・見方は、さすがにアメリカと思わせる物があります。日本では考えられないような発想です。

人はともすれば自分のことのみ考えがちですが、それでも、こんな心も持っているということに救われる思いがしました。







# by grpspica | 2005-10-23 10:55 | 命・平和・人権 | Comments(1)
2005年 10月 22日

ねね様 by マサコ

はじめまして
「海峡」のマサコです。こちらを覗いて下さってありがとうございました。

Le nenuphar は lotus のことで、花言葉は、Manque d'armour (冷淡さ・冷えた愛)だそうですね。くしゅん!

ヨーロッパの言語は、なぜしつこく「男性・女性」にしがみつくのでしょう。その言語習慣が生まれる文化的背景は、何に由来するのかしら?






# by grpspica | 2005-10-22 13:21 | blogの輪 | Comments(1)
2005年 10月 22日

災害用郵便(被災郵便)をめぐって その2 byマサコ

 * 報道について                      
 地震直後からTVで被災地宛の小包と義援金の振込みが無料というのは何度も聞いて知っていた。 ところが種々なニュ-スを見てはいたが、被災地に認定された地域から出す定形・定形外・はがき・速達料金が無料になったとは知らなかった。

 この点についてTV局に電話すると、被災郵便取扱い期間中に私の電話を受けたTV局の人たちは知らなかった。ただ前述の被災地宛のものが無料という情報のみ知っていた。

 3月7日、私は、被災郵便の報道がいつなされたかについて、大手新聞2社と地元新聞社に問い合わせた。
 「1月24日の朝刊」と答えたのは地元新聞社。後の2社は、「他の無料の情報はデ-タ-ベ-スに入っているが、その件に関しては出てきません」と回答した。

 明石市内の小学校教師は、教科書を失った神戸の青空学級の話を聞いて、教科書を送るために自宅近くの郵便局に出かけた。宛先と内容を局員に告げ、無料で送れないかを聞いたところ、局員は「無料の制度はない。またこんな時期だから速達にした方が確実だと思う」と返答した。

 一般市民に情報が行き渡らないのはともかく、局員すら全く知らないのはどういう訳だろうか。狭い郵便局では、空いて入れば人の声はよく聞こえる。局員が間違った答えをしているとき、近畿郵政局からのFAXを受けとっていた局長や、通達を知っている他の局員は何をしていたのだろう。

 2月初めに明石市役所に電話をして、市の広報(続々と号外が出ていた)に情報を載せるように頼んだ。市は他に載せる重要なものがあると取り合わなかった。

 郵政省にも電話をして、今からでも各局に通達公示の貼紙を入口に貼ること、また窓口でも利用者に伝えるように指導していただきたいと要請した。郵政省は「公示義務はあるが口頭で伝える義務はない」という返答であった。
 この制度を知らなかったために、自分の属する会の全国の会員に多額の郵便料を払って援助の訴えをした例も聞いた。

 この間、被災地各地の友人・知人に情報提供の依頼をした。
・貼紙の無い所(神戸の被災の激しかった地区内でも、貼ってなかった所があるという)
・目立つ所に大きく貼紙をしている所
・窓口で教えている所(1ヶ所のみ)
等があることがわかってきた。

 こんな微笑ましい被災郵便の実用例がある。
断水の続く被災地から実家の母親のもとへ洗濯物を送っていたのである。洗濯物を抱えて避難所から実家のある他府県へ里帰りをした話もあるから、この話はある局員のいう「内容は地震関係の物に限る」という制限(?)にもぴったりだ。

 私は、神戸中央郵便局に問い合わせた。
「被災郵便っていうのは、一体どういう制度なのですか?」
「なぜ一人一人に教えないのですか?」
「みんなに言わないのは郵便物が一度に沢山来たら困るからですか?」
 ノラリクラリの局員は、「後で総務課の人が電話する」と言って電話を切ったが、電話は掛ってこなかった。

 * 使わせない理由                      
 この制度は「被災地の方は物入りでしょうから、せめて郵便代くらいは……」という愛の心で始まったと私は考えている。だのに、なぜ多くの局が無視し続け、料金を取り続けて平気でいられるのか?

 私の頭の中では3つの事しか考えられない。
1、各郵便局の売上げが、その郵便局のマ-ジンとなって、局長や局員の収入に影響する。(郵政省は、収支は郵政省で合わせるから、そんなことはないと言うが、年賀はがき等を「うちで買ってね」と頼み、買えばおまけが付くのはその表われではないのか)

2、被災郵便を受け付けると数を数えたり帳面につけたりで、事務仕事が増えて、ややこしい。時間を取られる。

3、郵政省が、「出来るだけ使わせないように」指導している。
 郵便局は、かなり広い地域に一つしかないという意味では、その地域の独占企業である。悪用されないためになされたことらしいが、その地域の局員には、お客さんが地元住民個人であるか会社関係者であるかという区別がつかないのだろうか。
 もし局が乱立して競争が激しければ、利用者を自局に引き込もうと各局はこぞって、無料郵便物の宣伝をしたかも知れない。

* ある被災地区の局員から聞いた本音の話
 「あれは元々、着のみ着のままで家から逃げ出し、電話も掛けられずにいる人が、自分の生存を知らせるためだけのものです。今の間に出そうとする余計な人は、防ごうと努力しておりました。各郵便局でいろいろ違いが出るのは、局長の気持一つだからです」

 私はさしずめ、この局側の言う「余計な人」になるのであろう。しかし、局長一人の考えで通達を押さえたり出来るのだろうか。また、局や局員に被災地住民一人一人の被災度を認定する権限があるのだろうか。

 確かに明石市は神戸市より災害が軽かった。しかし家こそ倒壊しなかったけれど、家屋の修理に百万円以上の出費を強いられたり、収入が半減した住民は被災しなかったと言えるのだろうか?
 DM業者の悪用を防ぎたいという面もあるだろうが、年賀状や暑中見舞を多量に利用する人が、自分が無事でいるという手紙を同じ様に出せば、「明日からは受け付けません」と電話をかけてきたりするのは、なぜなのだろうか。「今の間に利用しよう」と思っても送る相手や送る内容が無ければ使えるものではない。

 私は、これまで郵便局とは国民から親しまれ、一般市民が公正なサ-ビスを受けられる場所だと信じ切っていた。でも値上げの時には一斉に実施されるのに、この通達を無視した営業はどう考えればよいのだろうか。

 たかが郵便、されど郵便。
 小さな事がその国の文化を表す。
 被災者郵便のこの顛末は、日本の行政のあり方や行政官の対応のおかしさをよく表わしていると感じた。


利用した郵便局
2月2日~9日・14日・17日 もよりの郵便局
10日・17日 西明石駅前郵便局・明石郵便局
13日     西王子郵便局・明南郵便局
14日     玉津郵便局(神戸市)
15日     茶園場郵便局
17日     東仲之町郵便局
20日     明南郵便局

問い合わせた所
郵政省・神戸中央郵便局・明石郵便局
行政監察局(東京・大阪・神戸)
テレビ朝日・読売テレビ・毎日テレビ
朝日新聞社-東京本社・神戸支局
毎日新聞社-大阪本社・神戸支局
神戸新聞社・赤旗・ジャパンタイムス
兵庫県警(生活経済課)
便乗値上げ予防センタ-(西宮)
生活科学センタ-(神戸)
生活情報センタ-(神戸)
公正取引委員会(大阪)
明石市役所
(ペーパー版「海峡」18号1995年9月より)


災害用郵便(被災郵便)をめぐって その1 へ戻る




# by grpspica | 2005-10-22 11:32 | 命・平和・人権 | Comments(0)
2005年 10月 21日

災害用郵便(被災郵便)をめぐってその1 byマサコ

 * はじめに                      
 郵便法第19条の2と郵便規則第6条により被災地からの第一種・はがき・速達料金は無料のはずであった。定められた期間は、被災地と認定された日から1ヶ月間である。神戸市の場合は1月18日から2月18日まで、明石市は1月21日から2月21日までであった。
 被災地住民の中には、この法律の施行を知り、トラブルも無く郵便物を出された方もいらっしゃるだろう。だが私が情報を得た人々の間では、この制度が必ずしもスム-ズに本来の機能を果たしたとは思えない。
 日本では、利用者に権利があっても、それを知らずにいると使えないということが一般常識らしい。今回、郵便局を通して私が体験した事が、一般市民の「窓口で詳しく知る権利」と、行政官の「口頭で公示する義務」について再考する機会となる事を願ってやまない。

 * その経過                      
 私は平素、明石市と神戸市に半々に暮している。私と郵便局の関わりは深い。40に近い団体への送金、いくつかの運動支援のための物品販売の送金、そして数限りない資料や本の送付等、ほとんど毎日のように郵便局に出かける。郵便局の人たちはいつもとても親切だった。

 1月17日(注1995年)の阪神淡路大震災で、明石市も被災した。地獄のような揺れにもプレハブ住宅の我が家にはほとんど被害はなかったが、家の中は大混乱。食器はほとんど壊れ、数々の落下したものは使い物にならなくなった。又、家の東西両側のブロック塀は倒れかかった状態となった。

 1月21日、私は、地震後初めて郵便局に行った。いつも行く局が少しも壊れていなくて嬉しかったのを覚えている。
 実は、地震直後から、「郵便が無料」の情報が、TV・ラジオ・新聞を通じて流れていたというのであるが、私は知らなかった。
 沢山の世帯が停電していた。どれだけの人がTVやラジオを聞くことができだろう。あるいは、あの大混乱の中でどれだけの被災者がいつものようにゆっくり丁寧に新聞を読めただろう。

 2月1日に初めて災害用の郵便を知った。それまでずっと切手を買い、1㎏までの郵便料金を払い続けていた。局員から、親切に教えてもらった事は一度もなかった。

 2月2日、初めてはがきを2枚災害用郵便として郵便局に持参した。
 何と、年若い女子局員が私のはがきの内容を読むではないか。びっくり仰天して「内容が地震のことでないといけないのですか?」と聞くと頷いた。

 2月3日、はがきを3枚出しに行く。昨日の人よりは、丁寧に読まない。「3枚だからかな?」と思った。
 その日初めて、私は貼紙に気づいた。
 「兵庫県南部地震による被災者(個人)が窓口へ差し出される郵便物について--第一種郵便物等に限り2月21日まで料金が免除されることになりました。詳しくは窓口でお尋ね下さい」
という文字。
 「なぜ、第二種のはがきが受け付られたのか?」という疑問を持った。
 問い合わせた神戸中央郵便局の情報では、「はがき、第一種(4㎏1350円まで)無料。内容は何でも良い。個数制限なし」という事だった。

 2月6日私は、沢山の郵便物を持ち込んだ。
 この時郵便局では、私のそばに長い行列が出来ていて、お年を召した方が計量してもらい、料金を払っておられた。私は、その肩を叩いて、「今は無料ですよ」と教えてあげたかったが、なぜだか出来なかった。

 局の人は、不愉快極まりない表情で私の郵便物を取り扱っていた。この日に限らず、局員が利用者に被災郵便の事を教えているのを見ることはなかった。相変わらず、にこやかに、明らかに地元の人とわかる人々に切手やはがきを売っていた。その笑顔が私には恐ろしかった。

 2月7日、私は、「なぜ一人一人に災害用の郵便の事を教えないのですか?」と聞いてみた。  「教えています」と最初、私のはがきを読んだ職員が答えた。
 「(個人に限っているから)会社の人にいうたかて仕方がない。ここにちゃんと貼紙も貼っています。」
と、いつの間にか窓口の横に引越しした貼紙を指さす。
 「どなたも読んでおられないでしょう? 皆さん、料金をお払いになっていらっしゃるじゃありませんか? 貼紙は入口に貼って下さい。」

 それ以後この貼紙はピンクのマジックでマ-クされ少し目立つようになっていたが、入口に貼られることはなかった。
 2月8日、ますます白い目をむく恐ろしい局員たちの視線に、私は「これは余程の事がある」と考えていた。
 2月9日、郵便物を前に女子職員は、局長の方を何度も振り返って指示を仰ごうとしていたが、局長は無視していた。そこで彼女はスタンプを私に手渡し、私は自分で封筒に「災害用」スタンプを押した。聞こえがよしに数を数える声が聞こえた。

 もうわかった。他の局はどうしているか調べに出よう。
 2月10日、別の郵便局でも、災害用郵便は甚だしい違和感を持って迎えられた。

 「この局では、災害用の郵便のこと、一人一人に教えていらっしゃいますか?」と問うと、顔を赤くし、口を押さえた局員が、
 「みんなにはねぇ」と答えた。
 「私は知っているから感謝して使わせていただいてますが、ご存知ない方もいらっしゃるので、どうか皆さんに教えてあげて下さい。」と頭を下げて局を出た。

 日頃から郵便物の多い私は、期間中自分の足で隣接する神戸地区1ヶ所と明石市内数ヶ所の局を調べて歩いた。
 貼紙の無いところ、窓口の職員さえ知らない所と様々であった。
 62円切手を買おうとした人にも「今は80円ですよ」と80円切手を売っていた。

 被災郵便のことを教えている所は1ヶ所もなかった。窓口職員が、局長の所に持っていって「局長がいいといってるから・・」と受け付ける所もあった。
 「被災郵便」と申し出ているのに計量して料金を取ろうとした女性局長は、「お客さんが被災なさったのですか?」と、私に呆れ返ったといわんばかりに言った。

 一番ひどかったのは市内一の大きな郵便局である。窓口の職員は「避難所にいるのか? 証明書を見せろ。被災郵便は避難所にいる人だけのものだ。」と応対し、押し問答となった。
 奥の部屋に局長と副局長らしき人がいた。窓口職員は局長に私の言い分を伝え、局長は「そうやで。第一種、はがき、速達はみんな、普通の人でもただや」と告げた。

 飛び上がらんばかりに驚いた局員は「普通の人もただやったんか!僕は切手やはがきを売り続けてた」と人間らしい声をあげた。
 私はこの時、速達も無料だと初めて知った。この局には災害用のスタンプも用意されてなかった。貼紙も貼っていなかった。後日、局は「貼っていたけれど、出入りの人が多くて、剥がれてしまった。」と弁明している。

 帰りがけに窓口局員は、「使わせへんかったのは、悪用されんためや。会社が宣伝用に使うからや。あんた、僕等を国家公務員と思っているやろ。郵便局はそれぞれ別個のもんや。手紙の内容は地震のことだけやで。地震のこと以外何も入れたら、あかんで」と言った。
 私には局員が国家公務員ではないとか、定形外で4㎏まで受け付けながら内容は地震に限るというのがどういうことなのか理解出来なかった。



災害用郵便(被災郵便)をめぐって その2 へ










 
# by grpspica | 2005-10-21 19:27 | 命・平和・人権 | Comments(4)
2005年 10月 21日

ア・ラ・カルト by マサコ

10年前、地震の時、郵便局の人たちのやり方があまりにも「官僚的」であったので、レポートをまとめたことがあります。「海峡」の読者のすすめで、「K」という政治家が、郵便局や郵政省を嫌っているので、それを送ることになりました。結果はなしのつぶて。

郵便局や局員は、そのころは、「既得権益」を振り回していたように思います。このブログにもあの報告を載せてもらうようにしましょう。

このたびの郵便局の民営化というのは、日本にとっては過去の「日韓併合」の際の「朝鮮」の立場になるようなひどいことと拝察しています。

日本はアメリカにヘナヘナで、アジアのクニには「悪魔」を振りかざしている、その象徴が「ヤスクニ」=安ものの国。

古殿さまのお話のなかで「学校」の問題は、私にも少しなら考えられます。
「学校」は、生徒を守る場所であってほしい。私は学校へは行きませんでしたが、そのお陰で得たものは山程あります。

超私的な意見ですが、勉強すべきことは、基本的には「畑仕事・語学・料理」の3つです。どれも生半可では、習得できず、技術的にも上達しないから。
「K」という政治家が、中国語やハングルを学べば「ヤスクニ」へは行けないのではないでしょうか。

ところで今晩は、TVで「熟年離婚」を見ます。松阪慶子さんが出演。彼女の父上は、日本と朝鮮の歴史の一部を目の当たりに経験された方です。

とまぁ、とりとめもないお話でした。





# by grpspica | 2005-10-21 09:45 | blogの輪 | Comments(0)
2005年 10月 18日

不戦の誓い by ノリコ

靖国問題についてのいい文章を見つけた。「ちくま」の2005年2月である。

太平洋戦争を含む15年戦争での日本人犠牲者は、戦死または戦病死した軍人・軍属約230万人。外地で死亡した民間人約30万人、内地の戦災死亡者約50万人の合計約310万人。このうち満州事変と日中戦争における死者は、それぞそれ約4000人と約18万9000人。(以上は平凡社「世界大百科事典」より)
日本が中国で殺傷した中国人は官民合わせて約2400万人だそうである。

太平洋戦争での日本側の死者は、1944年10月のレイテ戦以降に集中しており、筆者は、この人たちのことを、勝てる見込がなくなった後にも終結を引き延ばした戦争指導者によって死に追いやられた人々といい、戦後まで生き延びた国の指導者らが、彼らを間接的に殺したといってよいともいう。(余談だが、母の兄もこの範疇に入る。)

そこで靖国神社の話。
ここでは戊申戦争の官軍と大日本帝国の軍人・軍属だけが祀られている。
筆者はこれを「特権的死者」といい、靖国は、同じ戦争被害者でありながら原爆死者や空襲による死者を差別する象徴であるという。
すべての戦争被害者を対象にしていない場所であるから、不戦を誓う場所としてはふさわしくないというのが筆者の見解である。

さらに軍人恩給を復活させたのは、今の2世3世議員の祖父や父であること、彼らの孫の多くが靖国に詣でること、靖国に祀られている死者の遺族が戦後の保守派の最大の圧力団体であることなども取り上げ、次の言葉でまとめている。(つまり小泉さんが靖国参拝を公約にしたのは、それなりの値打ちがあるからなのね)。

「官の戦時死者だけが祀られ、そして官の戦時死者の家族だけが補償を受けられる国がこの国だ。靖国は国際問題になりがちだが、官民問題でもあるのだ。しかし、その点から取り上げられたことはあまりない」






# by grpspica | 2005-10-18 13:09 | 命・平和・人権 | Comments(18)
2005年 10月 17日

ニーチェさん、ごめんなさい  byマサコ

お誕生日は10月15日(1844年)だというのに、
すっかり忘れてしまったニーチェさんの誕生日。
私としたことが........あせっちまった....。

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        庭に咲いた花々を添えて
   (ジンジャーの花と紅白のフジバカマ&水引き草)
    ジンジャーの白がフラッシュで形が取れてないのが残念






# by grpspica | 2005-10-17 23:50 | Happy Birthday | Comments(0)
2005年 10月 16日

マサコの語理コーナー by マサコ

ハングル体験 ーー生徒と先生の本音

私は現在ハングル通算9ヶ月目の学習に入りました。
手始めは1991年4月から4ヶ月、長いブランクの後、2005年5月から8月まで。
そして今秋は応用編を10月から学習しています。
超初級だった頃、W先生は歌で、あっという間に生徒の世界を拡げて下さいました。
2番目の先生は、文法と本文テキストの内容が優れていました。
現在は映画のシナリオから学んでいますが、楽しくて仕方ありません。
映画は、人間の心情を吐露する波長の音なので、まず聞き取れません。
しかしシナリオがテキストになっていて音読すると「ナンダ、コンナコトカ」なのです。
応用編の先生は、とても上手にポイントを押さえて、キビキビと例文を作っておられます。

さて私にとって相性のいい先生とは?
 1.声が良い。
 2.覚えたくなる例文が作れる。
 3.授業に無駄がない。
 4.しなやかで、覇気のあるエネルギー。
 5.生徒を喜びの中にガリ勉に駆り立てることが出来る。
さてさて、先生からの理想の生徒は?
 1.遅刻しない
 2.予習か復習をする
 3.先生に惚れるか、惹かれる
 4.あきらめないで、どこかは聞く
 5.目的があって習う

私は30代にフォニックスを通して英語の発音を習い、
どういう訳か数年間先生をしました。
その時の体験が、今も学習に役立ちます。
「学習」といわず、「パズル・音のブロック遊び、トンチ旅行」で、語理を!






# by grpspica | 2005-10-16 12:39 | グループスピカ | Comments(2)
2005年 10月 13日

マサコのちょっと「語理」 byマサコ

「語理」は、ナボコフの弟子(ただし「愛」は付かない)の私の造語で、
「語学」と「料理」を合わせて÷2にしたのです。
「学料」でもいいけど、おっとどっこい、
この「学」の字が言葉をむつかしいと思わせるのである。からには、「言う吾、王さまの里」のキャッチコピー「五十口」で、口の中のお話をしたいなぁ!

料理は口から食べるけど、語は口から出すものである。
で、口を鍋だと思いましょう。
ナベといっても、唇は「蓋」と考えて、喉はガス火くらいに思いましょう。
うーんと、「歯」は何にしよう....。ナイフにしとこうかな。

さて「M」の音「ムー」は鍋の蓋を合わせて(2つだよ)「ム」。
そうそう「舌」は杓文字(しゃもじ)か柄杓(ひしゃく)ね。

「N」は、この舌先を上歯茎につけて、鼻に抜くような音色。
日本語では「カンダ(神田)の「ン」あるいは「ヌノ(布)」。
「B」は、鍋蓋2つで、一気に「ブッ」。
日本語の「ぶう」ではダメ。

さて、日本語の「しんばし」。
この「ん」を発音する時、「ば」の準備のために「ん」が口唇を重ねて出す「M」の音になっているのを気づいた人はいますか? 
「しむばし」といっているか、ちょっと試してみて!
「新聞」はどうですか。
「1円」を「いちえむ」と言っている人もいらっしゃるそうで、
ご本人は全く気づいていないと思うけど。

最後に「りんご」と言ってみて下さい。
この「ん」は何でしょうか?
「ご」が喉の音なので「ん」はすでに「喉」めがけて移動しているゆえに、
「ん」が「ng」になっていることが感じられますか?

チャネル(海峡)語理コーナーの専属コーチを務めるマサコでした。







# by grpspica | 2005-10-13 10:00 | グループスピカ | Comments(2)
2005年 10月 12日

いきて いきて  by 橋本幸子

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           私の八十年の人生は
           戦争と
           災害と
           労働と
           子育てと
           無我夢中に生きた

              孤独も
              絶望も
              修練ずみ
              もう地獄だって
              こわくない

           本当の私は
           優しい心と
           美しい身のこなしと
           ゆたかな趣味と
           平和に生きたかった

           自慢の出来るものは
           何もない







# by grpspica | 2005-10-12 21:23 | blogの輪 | Comments(0)
2005年 10月 09日

マサコから hide さまへ

 あなたに詩と音楽の話をしていいでしょうか?
文章に「10代、20代」とあると、我が身のその頃ばかりが、なつかしく、反戦などどうでもよくなってしまいます。今、この生活が、平和によって与えられている自覚がない。

 反戦にぴったりの音楽、それはバッハ作曲「ゴルトベルク変奏曲のアリア」。
  半世紀前にカナダの22才の若者が、このアリアによって、音楽界に新風を吹き込みました。この人はアリアを1分53秒で弾いています。
 そしてそれは、生まれたばかりの「赤ん坊」にそっくり。いたいけな無抵抗のものが、その後、失望・恨み・競争心・支配欲・成功感をすっかり身につけて、お互いを傷つけ合う世界に住む、その前の球根のような生命に溢れるアリアは反戦活動のテーマにふさわしい。

 2000年代、2005年、数字からいうと人類は、戦争などしているはずはないのですが。
しかし、ありとあらゆる武器は、心の中に持っておるんですよ。はあはあはあはあ!

  ところでhide さまは、30才になられるとのこと、
 ニーチェのツァラトゥストラも30才の時にしゃべり出しました。hideさまも、もっとお話して下さい。
 ある詩人が30才になったとき「さびしきみち」という詩を書きました。私が10代から愛する詩で、おそらく最期の時も道連れにしてしまうでしょう。この詩をhide さまにプレゼントしたいので、バースデーを教えて下さい。

 ご希望なら、アリアはCDの貸し出しができますし、「さびしきみち」に出てくる「もつやく」は、香りをお届けできます。 マサコ







# by grpspica | 2005-10-09 13:15 | blogの輪 | Comments(6)
2005年 10月 07日

若者の行方 by hide

 古殿さまから,今の若者はどんな考えをしていて,彼らにどんな声をかけたらいいのか?との問い合わせを受けてこの文章を作成しました。
 
 まず第一に,先の総選挙について,我々20代の投票率が飛躍的に増えたことが単に「改革派」小泉肯定の票に繋がったということが,私にとっては大きなショックでした。
 雰囲気的には十分予想できたんですけど,目の当たりにしたらショックでした。
 
 でも,どうしても納得できないのは,どんどん実現しつつある純自由競争的社会の中では,

勝ち組=一握りの人たち(ホリエモンなど)
負け組=大多数

のはずです。となれば,多数決が選挙なのですから,多数派=負け組に優しい社会を謳う政党が票をたくさん獲得するはずなのに,そうならないということが不思議です。
 考えることなしに,「改革」=オールオッケーの投票行動としか,理解できません。

 だから,「自分たちの利益はどうでもいい」「ノリにあわせることが大事」が20代だと述べたのです。
 あの子が持っているから私もシャネル,ヴィトンみたいなのと同じノリです。その為のクレジットの支払の利率は計算しません。本当にそのシャネルの鞄が「かゎぃい」と思ってるのかい? もまた疑問です。
 考えようぜ,と言いたいです。

 ま,しかし,どなたでも経験があると思いますが,確かに20代というのは一番モノを考えている暇がない時期なんですよ,みんな忙しい,仕事で精一杯。
 最近でこそ私も子が出来て将来や社会のことを考えるようになりましたが,それまでは日々の仕事や遊びのことで頭一杯,頭を国や社会の在り方のことに向ける気なんて起こらなかったわけです。
 そう考えると,私の場合,圧倒的に,20代よりも10代のときのほうが「考える」時間が長かった。

 選挙で「棄権」というのはそりゃ確かに良くはないことだと思います。
 しかし,全然考える余裕もなくて選択することもできないならば,(今まで多かった20代の)「棄権」というのは,自然だと思うのです。
 むしろ,考えないで,何か変に(中身も分からず)「改革しなくては」でこぞって投票にいくほうが恐ろしいと思います。

 ところで,私は10代のころ,20代のひとたちは十分に「おっさん」「おばさん」だと思っていたし,そう呼んでいました。とても批判的な目で見ていました。
 私達が10代のころは,比較的日本の旧秩序がしっかり残っていました。神戸市の中学校は丸坊主だったと思います。
 「旧秩序=理不尽,不合理」という考えでモノを見ていました。
 すると,ある程度理解できるのですが,小泉改革の謳い文句は「旧秩序の打破」ということなので,私達20代が不合理と思ってきたものが打破されるんだ,俺たちの思いいが叶うんだ,という勘違いが心の底で生まれているような気がします。

 しかし,私が思うのは,
「本当に大事なものまで壊そうとしてないかぃ!?」
ということです。
 そして,それが,上の流れからはもう20代の人たちの目には見えにくいのです。
いずれ気づくでしょうが。
 
 でそういう20代の行動というものを,批判的な目で今見つめているはずの10代の人たちは,「あいつらおかしい。」と気づくはず,あるいは既にそう思っているかもしれません。選挙権がないのがもどかしい,とまで思っていてくれたら…というのは私の願望ですが。
 上の世代が教えるもんじゃなくて,彼らが十分に考える機会などがありさえすればよいとおもいます。
 
 若い人にどう語りかけていいか?ですが,そりゃもう極力「単純に」語りかけるのが有効だと思います。
 若者からみたら,軟弱なオヤジは嘲笑の対象ですが,一本筋の通った頑固オヤジが真剣に優しく分かりやすい言葉で語りかけてくれたら「おお,熱いやんけぇ~」ということになって,十分耳を傾けますよ。
 「アツい」ものに飢えていますから,若者は。
 
 「熱血なんてもう古い,流行らない」時代が暫く続いていましたが,そのお陰で,本当に若者の周りから「熱い」もの,「熱い」人が消えてしまいました。そのせいで,逆の逆になり,「熱い」「熱血」は,「今時珍しい」といわれ,素直に肯定的評価される時代になってきたように思います。特に若者社会の中では。

 熱く単純に平和・いのちの尊さを訴える!これは,必ず今の若者の心に響くと思います。

「あなたやあなたの恋人が戦争で命を落としてもいいんですか?」
というのを「現実の話」として考えてもらう,ということです。

 
 私はまだ若者のつもりですから,単純に叫びます(サンボマスター風で)↓
 
 誰かに言われて軍隊を外国に出すのがアツいんじゃないぜ!!
 本当に大事なものを勇気を持って守るのがアツいんだぜ!!
 戦争が起こらないようにするのがアツいんだぜ!!
 平和憲法はアツいんだぜ!!
 世界はそれをアツいと言うんだぜ~~~!!
 





# by grpspica | 2005-10-07 09:58 | 命・平和・人権 | Comments(5)
2005年 10月 06日

護憲について真剣におもうこと by hide

 先の総選挙。
 もう,この国の国民のノリノリぶりにはもう唖然です。
 なんなんでしょう・・・?
 このまま自然な流れとしては,ノリで改憲です。
 非常にアメリカンなノリです。

 もっというと,私も含む20代が一番やばいのです。ノリで改革,ノリで改憲です。
 自分たち自身の利益を考えていません。全てはノリに任せるという感覚です。
 「右にならえ」の現20代です。
 
 ここから,マジで私が考えていることを述べます。
 基本的に現20代はダメダメ世代だと考えます。
 護憲のための一大ムーブメントが,これから成人する10代を中心に湧き起こるしかないと思います。
 「俺たちの命や暮らしはどうなる?」
 「自分自身は血を流す覚悟もないくせに,軍隊を持とうなどという大人の嘘を俺たちは許さない。」
といった心の素朴な熱き叫びが沸き上がる以外に,方法はないと思います。
 要は10代です。

 いつか「敗北」したのと同じ構図じゃないか?との声が聞こえてきそうですが,それでもなおしかし,「ノリ」の波が押し寄せるというとき,それを押し返すのは確信を持った心の声,熱き魂の共感がつくりだす「熱波」しかないと思います。
 軽薄な「ノリ」に負けない,信念を持ったいくつもの魂の塊が大きくなれば,希望は見えてきます。
 
 さて,20代はダメダメ世代と述べましたが,10代の熱き魂に触れたとき変わる可能性は十分にあります。我々20代の父母は安保世代です。そのDNAが覚醒するのです。

 もひとつ。平和の鍵は音楽かもしれません。
 イラク戦争のとき,misiaさんは「no war」のTシャツでライブに出ました。純粋な彼女らしくて感動しました。
 平和の叫びを広く伝えるのにミュージックは力を発揮します。
 ジャンルを超えて,平和の歌の連帯を広げるのです。
 歌うことは幸せです。
 歌えば,何で互いが殺し合う=死に急ぐ 必要があるのか,素朴な疑問が湧くでしょう。 
 反戦音楽ムーブメントが起きることが,護憲に資するかもしれない,と真剣に思います。
 それも,大企業の商業主義に乗らない,草の根的なものが力を持つだろうと思います。






# by grpspica | 2005-10-06 10:04 | 命・平和・人権 | Comments(12)
2005年 10月 04日

グレン・グールドからの贈り物 byモニカ

我家の宝物の1つ。
それは、今日ご命日のグレン・グールドさんからマサコさんに贈られた
「サイン入りレコード」です。
では、そのレコード達を感謝を込めて、ご命日にアップしましょう。

       サインのついた貴重品の表側
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       サインのついた裏側
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       サインのアップ
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”For Miss Hara  best wishes  Glenn Gould"と書いてあります。

みなさん、有名になって人にサインをあげる時には、
  インク切れのボールペンなんかでサインしないようにしましょう。
みなさん、有名な人からサインを貰ったら、
  そのサインが擦れないように大切にカバーをかけて保存しましょう。

     同時に貰ったレコードをまとめて一緒に(1枚のみサイン入り)
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# by GRPSPICA | 2005-10-04 23:10 | 音楽・哲学・宗教 | Comments(1)
2005年 10月 04日

グレグルさんのご命日   byモニカ

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     ご霊前(?)のお花は庭の 酔芙蓉とプルンバゴ(るりまつり)

今日はカナダのピアニスト グレン・グールドさんのご命日です。

もう23年も昔のことになるんだ。
私モニカは届いた夕刊で知りました。
トロントのマサコさんはどうしているかと心配しても
彼女はビザのためにアメリカに出ていて連絡がつかず
それはそれは心配しました。
バッファローの領事館でしたっけ、でそのニュースを知った彼女の様子は
後追い日記に詳しく書いてましたね。
カナダCBCでは別に特別な放送もなさそう。

グレグルさん、あなたのすばらしい音楽の世界をありがとう。






# by GRPSPICA | 2005-10-04 21:18 | memorial day | Comments(1)
2005年 10月 03日

金作原散策  by モニカ

さて、金作原散策のお話。
ここはどのガイドブックにも、「決してガイドなしで出かけてはいけない」
と書いてある、奄美の秘境。
現地に行くまでの道は、行き慣れた人でないと本当に怖いところ。
名瀬から1時間くらいのドライブで到着する。
車から降りれば今までの様子が嘘のような森林浴ブラブラ散策コース。
繁っている木々の様子が「ここは南国奄美大島!」というか
「ジュラシックパーク」なのです。

説明は私達の参加した観光ネットワーク奄美K'NA(略称かな)のツアー案内
観光ネットワーク奄美K'NA
の他、奄美大島観光ガイドの案内をご覧下さい。
奄美大島観光ガイド
で、そこで見てもらう写真の方が完成度は高いけれど、、まあ、ここは素人写真で行きますね。
入り口看板
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食わず芋の葉っぱ 人が写っていてよかった。葉っぱの大きさがわかる。
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2分されたヒカゲヘゴ 下の部分 人が写ってなくて残念。大きさがわからん。
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上の部分
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別のヒカゲヘゴ まだ納まらない
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ヒカゲヘゴ全貌
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ほんの少し下ったところで見たブナの木根っこ これも大きかったよ。
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ブナの木 上
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次世代の芽
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育ちつつある次世代の森の芽達
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帰り道
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ブロッコリー現象の奄美の森
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このブロッコリー現象についての説明を聞いたけれど、忘れちまった。

台風の影響で、随分荒れてしまった金作原だったそうです。
でもそうやって、毎年の台風を乗り越えてずーっと山は生き延びて来てるのです。
倒れた木から芽が上にのびて来て、森に育っていく様子。
森の再生というお話。

それにしても、出来るようになったと思っていた写真のアップ。
マニュアルメモを見ないでやったら、見事失敗。
なんとかやっと写真のサイズがまあまあに納まった。

しかし写真付きの投稿は2台のパソコンを使って出ないと出来ません。
iBookで写真をアップして、iMacで文字を入力するという手間がかかるのです。
誰かiBookのエクスプローラーにおける化け文字現象、解決法教えて!!下さい。





# by grpspica | 2005-10-03 21:13 | 旅・国内 | Comments(2)
2005年 10月 01日

10月1日

前田静子様 1921.10.1 ~ 1978.10.1

題灌山小隠 明  王陽明

一自移家入紫煙   一たび家を移して紫煙に入りてより
深林住久遂忘年   深林 住すること久しくして遂に年を忘る
山中莫道無供給  山中 道うこと莫れ 供給無しと
明月清風不用銭   明月清風 銭を用いず

家を移してもや深き山中に暮らすようになってから、
森の奥での生活が久しく続き、歳月の流れも忘れてしまった。
山中には物が少なくて不便だなどと言うことはない。
明るい月、さわやかな風、こののどかな環境は、お金では買えない物なのだ。






# by grpspica | 2005-10-01 10:02 | Happy Birthday | Comments(0)
2005年 09月 30日

奄美旅行の本当の理由 by マサコ

 家族というのは味方であると同時にまことに厄介な代物である。
 他人のように縁を切られたり、切る事が出来ないから。

 私は、朝ゆっくりすると体調が整う傾向にある。ところが朝飯の用意で、すでにややこしいところに「服を出せ」と言ってくるのはもう止めて欲しい。自分で勝手に選べばいいのだ。更に去年、二度と戻るまいと逃げ出した家から、他人のはずの人間が押しかけて来て、通算何百食も食べたり、持ち帰る。

 私がするから悪いのだということになる。
 この18年間、怠け者のために家事をしたお陰で、どれだけ神経を使ったかは、何の価にもならない事がしみじみわかる。

 この主婦と家事業について、ようやく名文に接した。
「婦人通信」10月号No.568の「キウイ通信」職業・家事 西蘭みこと氏のニュージーランドレポート。宝塚の美しい女優さんのような女性が、頭の良いこと丸わかりで書く文章。運びも内容も最高である。
 証券ディーラーとして家庭のことはお手伝いさんに任せる程に活躍してた女性が、40代でのニュージーランド移住を機に「誇り高い家事職人」を目指すとのこと。

 家事を丹念にすると図々しい同居人にどんどん押されて家の中に自分の時間、ペースを全く失う。特に相手が一ヶ月間みっちり24時間べったり、家庭を中心に生活をすると、被害は私の取り返しのつかない人生へと導かれる。

 昔、私は「専業主婦志願」だった。ただし、夫は1人の。その「夫」たる人は、頭も努力も充実した人となると数が限られるのだ。今では珍奇な体調に恐れをなして、新しく自分の家庭を持ち、人に迷惑をかけないでよかったと思う。

 人は尽くせば尽くす程、相手の都合やわがままを言ってくるもの。家族に100%以上、身も心も捧げるのは、間違っている。 年間1000食以上、家の食事の世話をすれば、ストレスが溜まる。

 特に人に理想をいう相手なら、尚更、腹が立つ。
 掃除、洗濯、料理、園芸。1人で住めばこそ、自分の働きとペースが、つかめて行く。

と思って「奄美」にくり出したのだが、あそこは、3人でやっと生きて行くところであった。  
 生きるのに「健康と収入」が何より必要という人生の基本は、わびしいけれど仕方がない。   
 この2つを永遠に欠いていく私の人生は、それほど恵まれたものであったかにゃあ。



金作原散策 へ


# by grpspica | 2005-09-30 18:07 | 旅・国内 | Comments(0)
2005年 09月 29日

アメリカの意向 by ノリコ

AW様。
憲法改正の動きは昭和22年5月の施行後、何度も出ておりますが、今回の話は、イラクのクウェート侵攻に対する湾岸戦争時に、憲法9条のお陰で、多国籍軍に参加して戦争をすることができない代わりに、総額130億ドル(1兆8000億円)を供出しながら、日本の「貢献」がほとんと評価されなかったという「湾岸トラウマ」に端を発しているとみることができます。

従来は日本は自国の防衛のみを考え、あとは米軍に基地を提供し、お金を負担していればよかったのです。お金といっても、2003年度の予算で、約6600億円となり、在日米軍の駐留経費総額の75%にあたります。海外に駐留する米軍との比較でいえば、日本の負担額はドイツの5倍以上、イギリスの30倍以上だそうです。

湾岸トラウマ後は、アメリカ政府の主導する「国際平和秩序」の形成にどの程度まで積極的に関与するのかという点に重きがおかれるようになりました。アメリカは「基地とお金」だけではなくアメリカの若者の代わりに戦ってくれる「人」も提供してほしいのです。

2000年10月いわゆる「アーミテージ報告」は、端的にそのことをアメリカが希望し、日本が海外に派兵することを求めていると思えるのですが、いかがでしょうか?

「日本が(★憲法9条によって)集団的自衛権を禁止していることは、同盟協力にとって制約となっている。この禁止条項を取り払うことで、より密接で、効果的な安全保障協力が可能になろう。
これは日本国民のみが下せる決定である。アメリカは、これまでも安全保障政策の特徴を形成する日本国内の決定を尊重してきたし、今後もそうすべきである。

しかし、アメリカ政府は、より大きな貢献を行い、より対等なパートナーとなろうとする日本を歓迎することを明らかにしなければならない。われわれはアメリカとイギリスの間の特別な関係を、米日同盟のモデルと考えている」






# by grpspica | 2005-09-29 11:25 | 命・平和・人権 | Comments(9)
2005年 09月 28日

改憲論者のねらい by ノリコ

自衛隊についてこれを軍隊として憲法にもその存在を明記すること
そして「自衛軍を海外に派兵すること」が改憲論の本命です。

これは日本軍が外国人を戦争(すなわち究極のテロ)で殺害することを認めることで、私は絶対に反対です。

もっともどういう場合に派兵ができるとするかについては、自民党と民社党では見解が異なるようです。
大雑把にいうと、アメリカ政府に比重をおいてアメリカがやられたら日本も一緒にやり返すという集団的自衛のために海外派兵を認める傾向が強いのが自民党の中に多いのに対し、国連安保理の枠組みにこだわり、アメリカ政府を相対化する論者が民主党に多いといえます。

なおブッシュのアメリカは、イラク攻撃のときの理屈では先制攻撃も自衛だという論理ですから、どんな戦争でもできることになりますよね。そして攻撃の口実であった大量破壊兵器がなかったことがわかっても、戦争をしかけたことが誤りだったとはいわないのです。

ところで昨今の改憲論は、アメリカからの要請でもあります。現憲法が押しつけ論だという批判についてはまた述べる機会もあるでしょう。でも今回もし改憲されるとしたら、これまた押しつけなのです。
だって国民の側から改憲したいといってるのではありません。憲法を変えたいのは政府の側で、その根っこには、仲良しのアメリカの意向があるのです。

そもそも憲法は、というと、おおげさですが、次ぎに大切なことを書きます。
憲法は、国民個人を主体として、政府に「これだけはしていいですよ。でもこれこれはしてはいけませんよ」という指示をだすものなのです

ところが改憲論者は、国家が前面に登場して、社会や個人に対して守らせるべきものが憲法であると考えているようです。

少し固い話になりました。AWさんへのお答えの一部です。






# by grpspica | 2005-09-28 17:18 | 命・平和・人権 | Comments(27)
2005年 09月 25日

73才おめでとう

 
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今日はグールドの73回目のお誕生日です。
しがないファンは、ワックスフラワーとリンドウ900円で、あの世の偉大なる音楽家を偲んでおります。
邦訳の「発言集」が、ようやく出版されるようだし、死んでからも、やたら「発言」の多い方。
来月は4日がご命日で、31日はママ・グールドのバースデーと花を買う理由だらけで嬉しいナ。
それはそうと、今年はナボファンから沢山のプレゼントをいただいた。誰にって同じくナボファンへのだよ。嬉しかった。ぽろん(涙)。
世界的に見てもナボコフファンは、本当に少数。対してグールドファンは多数派なのだと思う。
グールドファンでナボについて発言しているのは島田雅彦さんだけど、この方の小説、一字も読めない。世の中、お互いに気の合う人って、そうそうはいないのだ。野分のせいで体調ガタガタ。
 
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# by GRPSPICA | 2005-09-25 00:00 | Happy Birthday | Comments(5)
2005年 09月 23日

珍道中 「バスに乗るまで」  by マサコ

  出発前夜、モニカがギューギュー詰めのアパートに転がり込む。私はダイニングキッチンに座ぶとんを並べて寝る。女中だから朝も1番早いもん。

  当日はギリギリまで、子持ち3人のように洗濯をする。
  1人裏から階段出発して表玄関のロックドアまで2人を迎えに行くと、私をドアマンに間違えたか、「早く戸を開けろ」と中から指図する。
  アホちゃうか? ボタンひとつで中から開くのに。

  地下鉄の切符を誰が買うか? 頭と舌がよく回る私が、駆け出して3枚買うという。
ノリコが「カード持ってないの?」
結局私はカードで入り、ノリコがカードで2枚買う。自動販売機でカードで3人分買えるとは知らなかった。カードでは自動改札だけ通れるものと思い込んでいた。知識が増えてよかった。

  さてホームで、いつものケンケンガクガク。要するに、空港行きのバス停には阪急と阪神のどちらが近いかの論争。身振り手振りを交えてのターとチーの日本語で。
  ホームの端で時間待ちの阪急の車掌さんが、不思議そうに私達を見ている。

  ホームに滑り込んだ阪神が、満員なので急遽、阪急になる。阪神から、乗客がドッと乗り換えてくる。
「今度、暇な時、どちらが近いか調べるわ」とモニカ。

  到着したホームで1人が切符がないと騒ぐ。窓口に話して、切符なしで通過。
3人ともなくさなくて、あーよかった。

  「帰りマサコがダウンしてたら、タクシーでもいいけど、今、空港バスの往復切符を買うぞ」とマネーバンクのはずのノリコがマサコをおどかす。
「はい、大丈夫です」

  ところが、数分後、その復路の切符をどこに入れたかわからないと言い出す。お陰で、バス待ちの間、退屈せずに過ごせた。

  50代3名の旅行は、6年前の沖縄の時と違って、変な会話だらけ。



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# by grpspica | 2005-09-23 13:54 | 旅・国内 | Comments(0)