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# by grpspica | 2004-12-04 10:15 | 命・平和・人権 | Comments(0)
2004年 12月 04日

仮設からの証言 その3 by 橋本 幸子

仮設の男たち 

国や自治体の被災者支援の方針は「仮設の住民は平時の生活に戻った」として援助を打切っった。しかし実態はひどい。仮設の男たちの話である。

Aさん
正月のお節料理をおすそ分けした79才の男性は、月、水、金と週3回の透析でようよう命をつないでいる。妻は10年余り前に死亡、事情があって内縁関係で、娘が一人いたけれど久しく逢ったことがないという。

 障害者手当が月に9万円あるAさんは、日々の暮らしに困ることはないし、友愛ボランティアの巡回やカリタス住吉の人達やシスターが入れ代わり立ち代わり訪ねて、身の廻りの世話をしている。死ぬときはシスターの世話になれると信じているのだが、それだけが唯一の生き甲斐なのだ。

Bさん
正月3日の朝3時40分、我家の前を救急車が通り、目が覚めてガウンを羽織り飛び出した。この仮設は男の一人ぐらしも多いけれど男性は無口なので、「何処にお勤め」と尋ねたら「地震の後まだ定年まで間があるが退職した」ということで、それ以外のことは語らなかった人である。

 妻子があって家事には縁がなかった男性が、地震のために死別したり離別して一人ぐらしになると栄養失調になるのは必定で、朝はコーヒーとパン・昼はラーメン・夕食は鮭の茶漬けというパターンである。惣菜は市販のものを買ってくる。それはみんな甘くて辛いものが多い。腐らぬように添加物も入っている。塩分の取り過ぎになりヤケ酒を飲むようになると年令にかまわず高血圧・心臓病・腎炎になる。この男性は高血圧であった。病院は申し訳
に点滴をして、一晩泊めて帰すのである。

Cさん
明治39年生れ 90才。妻は昭和39年に死亡、以後32年間再婚せず子供はない。理由を聞くと、「女はクドクド言うてうるさい」ということだったが、90才になって32年も前に死亡した妻の命日を2月15日と覚えている。察するに妻以外の女性には安心して甘えられなかったようで、始め私にも警戒的であった。

 豊中の生協に勤めていた年金が12万560円、「毎月額か?」と聞き直したが年額だとのこと、それに老齢年金が年額80万円ある。1ヶ月の生活費は8万円足らず。区役所へ何度も行って月1万5000円増額したという。

 ガスも電話もない。朝と夕はパンと紅茶だけ。昼は魚崎まで六甲ライナーとバスを乗りついで居酒屋へ食事に行く。11時に家を出て2時頃に帰ってくるのが日課なのだ。心臓と足の悪い老人が魚崎の町へ出ようとすると、モノレールの高い駅までスロープを登らなければならない。これが難行らしい。雨の日も風の日も大変だろうと聞いたが、頭を横に振った。ガスがないので銭湯へいくのだが、風呂代は神戸280円・大阪が290円・京都が300円、で神戸の公定価格が一番安いという。

 生き倒れにならないとはいえない人を哀れんで被災して高槻市に住んでいる弟さん(70才)夫婦が、隣の仮設(空き家になった)に入れるよう、区役所に申請したがダメ。本庁へ行ったら陳情書は受けとったがその後、音も沙汰もなし。
 この老人は水墨画家をしてその絵が売れていたらしく、残る絵を居酒屋の酒代に当てているという。

Dさん
95才といえば明治34年生れである。長田で被災し倒壊家屋の下敷きになっている時に「火が来るぞ」という声が聞こえてきて、もう焼き殺されると覚悟したという。痩せた腕に夢中で這い出した時のアザが紫色に残っていた。

 かって夫婦で工場を経営していた時は、釣りを楽しむ優雅な暮らしであったらしい。晩婚で男・女二児を残し妻が死亡したのは久しい昔らしい。女の子は東北へ嫁ぎ、男の子はアル中になり入退院を繰り返すので、その連れあいが保険の外交で生計を立てている。

そんな事情があって義援金で貰った20万円も、見舞金の14万円も、90才以上の老人への特別加配の30万円も孫の大学の入学資金になったという。近畿大学へ入った孫だが訪ねてきたのは一度だけ。

この老人は生活保護を受けている。生活保護費の支払通知書が来る度に区役所へ貰いに行く。受け取る人の行列が出来ていても窓口は10時40分にならないと支払を始めないし11時55分で終了する。仮設に来てから銀行振込になって生活保護者であることが人に知られぬようになったけれど……という。

 地震までは5万7200円の生活扶助と2万5000円の家賃扶助の計8万2200円が支給されていた。被災後、狭心症で入退院を繰り返し、一昨年暮れに入院して今だに退院出来ないが、役所は「仮設は家賃は不用だから」と家賃扶助をカットする。入院中は食費も不用というわけで、支給金額は手取り4960円になるという。仮設は留守でも光熱費の基本料は必要だし煙草代もいる。私はこの実情をあちらこちらで話してきたので改善された
かどうか。爺ちゃんが退院したら尋ねようと思っている。 

Eさん
中央区の市営住宅が全壊状態になったのに補修して住んでいた。神戸製鋼所の溶鉱炉のカスをハンマーで叩く仕事をしていた。汚れた衣服は会社で洗濯していたので洗濯機がない。仮設の近くには銭湯もコインランドリーもないので新開地まで洗濯に行く。洗濯機と乾燥機を使うと600円、往復の交通費が1000円いる。失業して収入がない生活に洗濯代は負担である。

 女の独居老人は盲目の人の家でも小綺麗に掃除がしてあって家具も花もある。一方、男の独りぐらしは炬燵はあっても掛ける蒲団がない。冷蔵庫など家具もない。蒲団の下は湿気って黒かびが生えている。戸を開けないので空気が淀んで臭う。お茶を沸かしても湯のみがないのでジョッキで呑む。


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# by grpspica | 2004-12-04 10:10 | 命・平和・人権 | Comments(0)
2004年 12月 04日

仮設からの証言 その2 by 橋本 幸子

残留孤児とその夫

 今年(1997年)1月22日の朝、私は吹雪の中を出勤した。まだ暗い仮設は眠っていて、雪道は私の前に二筋の靴あとがあるだけで、それもみる間にうまってゆく。JRを乗りつぎ乗りつぎして往きながら、私はこの年になって何故こうも働くことを続けるのか?と自分に問いかけた。この思いは帰路にも続き、まだ雪の残る夜道を帰っていたら、仮設の夫婦と一緒になった。

 群馬県の伊勢崎で生まれ、家が貧乏で9才で女中奉公に出され、13才で銘仙織の女工になり、19才で開拓団に入り結婚した姉について中国に渡る。戦争が始まって義兄は現地で召集され、姉は5才と3才の子供を残して死亡する。この二人の子供を育てかけたが生活が不能になり、やむなく養子にやって、やがて今の夫と結婚、5児を育てたが残留孤児で日本に帰り、以後、念願がかなって8年前に永住権を得たという。

 私はこの75才の女性と同年代を生きて来たわけで、この残留孤児の老女に比べたら、私の悩みは贅沢というものか。

 彼女は須磨に落ちつき、夫も子供も呼んで日本の国で平和な生活を送れるようになった。その矢先に地震が来たということで、「不幸が不幸を呼ぶ」とはこのことだろう。
 夫の仕事は仮設の清掃で住民に感謝され称賛の的になっている。私は言葉の通じぬこの夫に何時も笑顔で礼をいっていたが、妻の話によると、夫は中国に帰りたがり、暴力を振るうこともあるという。察するところ清掃は夫婦喧嘩の果ての逃避だったのか。
 「もう二度とつらい生活をした中国の奥地へは帰らない」という日本女性と、文化果てる大地でも故郷に骨を埋めたいと希う中国男性が仮設で同居しているのである。
 この夫婦に平和な日が来るように ! !

災害と都市文明
    月日かさなり年経にし後は
           こと葉にかけて言い出ずる人だになし

 鴨長明が「方丈記」で痛感している。彼は810年前に被災して居を移した。私は昨年の暮に東京へ陳情に行き、有楽町の駅前で国に対する補助金の要請ビラを配ったが、受け取る人はほとんどなかった。震災は既に風化して立ち直れない被災者だけのものになってゆく。

 地震は天災だ。しかし災害は人災である。私の住むこの人工島では、港湾と幹線道路が異常な速さで見違えるようになった。しかし仮設住居の床下は水が溜まっている。地震で亀裂の入った街燈のない夜道は真暗で、疲れて帰りを急ぐ会社員が転んで背広の肘を破り新調したなどは笑ってすませる話ではない。1000年に1度といわれる大地震に遭遇し、もろくも崩れた都市文明を目前にして、便利な文化生活が市民にとって決して幸福なものではな
かったのだと改めて確認せざるを得なかった。

夫と妻と
 結婚して妻になり、姑に代わって主婦となり、今独居して女になって、戦後50年の時代と共に生きてきた。夫に服従したり依存したりすることに疑問を持つ間もなく死別してしまったが、それ以後、社会の中の性差別は存分に体験した。そんな私が被災体験を生かし、仮設の人々とふれあって、約1年9カ月の間、聞き書きを続けることができた。

 48才の女性8名に「夫に従属しているか」と尋ねてみたら「従属しているつもりはない」、
「依存は?」「経済的には依存している」が「敬意ある相互関係」と「平等」を意識している。
NTTに勤め震災後退職した女性は、夫を支配することだってあったという。

 それに比べて、仮設の70%は高齢者であるから長持ちした夫婦も多いけれど、彼女たちとは違って妻の従属は社会的に当然視されていたし、妻の独立は非難の的になった。そんな時代の人たちだ。長持ちした夫婦の到達点が仮設というのは一寸寂しい。

災害と男と女
 人の扱いが上手な女性がいるもので、避難所でも仮設でも自然発生的に60才がらみの女性がリーダーになってイニシヤチブをとった。震災1日目2日目は男の人はウロウロと歩き廻るだけで役に立たない。これからの対策を熟慮していたのかもしれないが、何とも歯がゆかった。

 夜があけると、各家庭の米を集め、冷蔵庫の中の味噌や漬け物を集めて炊き出しを始めたのは主婦たちだった。女性は子供を育てながらコミュニティを作っている。パート労働の経験もある。女性の生活力と母性愛が温かい握り飯や味噌汁になった。生きている限り繰り返す仕事を持つ女は、暮しの中で自分の場所を持っている。

 男性は事に処するに慎重だ。思うに会社人間の体質は受け身であり孤独なのだ。失敗は許されないから安全な道を選ぶ。隣に病人が出たら女はまず医者をと考える。それに比べて男性は「医療費はどうするか?」と金の都合を考えるのではないか。

物資の配給など救援活動に参加したのは大工さんや個人タクシーの運転手さん、商店主などで、会社人間は交通機関もないのに何時間もかかって出勤した。忠誠を示さねばならぬ男の世界も大変だが、戦場さながらの被災地で何故にそうまでしなければならなかったのか。被災の現場で、生活することよりも産業社会の規範が優先する様をみせつけられた。


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# by grpspica | 2004-12-04 10:00 | 命・平和・人権 | Comments(0)
2004年 12月 03日

仮設からの証言 その1 by 橋 本 幸子

はじめに
 1995年1月17日5時46分、それは私が40年も住みなれた家を失った運命の瞬間だった。轟音と宙に体が浮いた激しい振動の22秒間に私の家は倒壊した。梁はねじれて裂け、柱は傾き、屋根は道を塞ぎ、雨戸も硝子戸も吹っとんで、余震の続く夜明けまでの間、私は動きもやらず、声も出なかった。

 夜明けと共に這い出したら周囲の家はすべて倒れ、我家の天井がない。私は「オー 空が見える」と叫んで瓦礫から滑りおりた。
 隣も向かいの家も家族全員が埋まっていて、そのいずれも、美しいお嬢さんや奥さんが掘り出されたが死体であった。悲痛な泣き声が響く。次々と死体が掘り出される。私の声が届くほどの範囲で16名の圧死者が出た。

 東灘区の魚崎町だけで90名もの死者が出たのだ。町別の死者の数をみると深江町に次いで多い。その中で生き残った私は、よほど悪運が強いというか、父母や夫が守ってくれたのだ、というより他に言いようがない。
 家の下に活断層が走っているとも知らず、安穏と老後を送るつもりであった。家を地震で失うなど74才のこの年までついぞ案じたことはない。

 震災から2年もたって、私が仮設に入ってからでも1年9ヶ月が過ぎた。家を再建するホンの当座の仮住居にするつもりだったのに随分長居をしてしまった。この頃になって、この仮設の人々に両極のタイプの人が存在することが分かってきた。今までに知らなかった世相が見え出すと、もうたまらなくここを出たいという焦燥にかられる。その一方に出るに出られない極端な弱者がいるのだ。

 仮設は鍵ひとつで飛び出せる気安さと、身辺の物を失くした身軽さで、昨年は1月に埼玉県の藤久保中学へ「地震から学ぶ」授業をしに行き、5月には森池教授に誘われて陳情団に参加した。山梨の草の根フォーラムにも参加したし、年末には上京して、日赤本社に義援金の配分の陳情に行った。
 県や市の交渉にも何度か足を運んだし、我ながら信じられない程エネルギッシュに働いた。死ぬのを待っているような仮設の人たちを、私はどうしても見捨てることが出来なかったのだ。

 年末には「正月は新居で」と望んで、仮設から転出する人が多かったが、新年早々も懇意だった隣人が出られた。転居しても家族一人が残ったり、鍵を返さぬ人があって、空き家の実数は把握し難いけれど、ガスメーターが零で基本料金未納の家が多いらしいから、その気になれば行政はすぐにでも処置出来る筈だけれど、放っている。妙なところで寛大なのだ。これほど空き家が増えてくると、残っている人が案じられる。いよいよ弱者が置きざりになるからだ。

 寝耳に水の千年に一度といわれる大地震に、自然の力に敬服しながら、仮設のくらしの中で、ここでなければ出来ない聞き書きの仕事をしようと決め
た。これはその一部と私の思いをこの時点でまとめたものである。

光を失っても 
  全く明暗もわからない女性がいる。まだ50才そこそこで、なかなか気丈な性格だ。昨年の春頃はまだ微かに視力があって、隣の女性と仲良く買い物に出かけていた人だ。夫が死亡した10年前から悪うなりかけたらしいがこの震災で急激に悪化したという。夜も昼も分からぬ眼で仮設の独り暮らしが出来るのは女ならこそではないか。彼女は身ぎれいにして、家の中も吾家よりも整っている。

 声をかけたら、「先生、公共住宅の募集が来たら頼みます」といわれ、涙をこらえた。バリヤーフリーの家が必要だ、と切におもう。目明きでも危ない段差の多い仮設だ。ついの住家が決まるまで無事でありますようにと祈りながら手作りの惣菜を持参したら見えない眼に涙が光っていた。

栄養失調で死亡!
 避難所の劣悪な食事でも栄養失調で死ぬ人はなかった(但し、ボランティアの炊出しがあったからだけれど)。それなのに仮設で栄養失調の死者が出た。栄養失調で倒れたのは4名で、うち3名が女性、死亡したのはその中の2人だった。その事情はこうである。

 死亡した72才の女性は兵庫駅前の飲食店でパート労働をしていたらしく、通帳には地震前の1994年12月まで毎月5万3000円の入金がある。明けて1月17日、大震災でパート収入の道が断たれ、この年の末で通帳は残高0になっている。
 彼女が「この金に手をつけたら人間でなくなる」と話していたもう1冊の通帳には19万円の残があった。この金の受け取人を警察に探してもらったが縁故者はなかった。

 彼女は死んだら捨てられる犬や猫ではなく、人間でありたいから葬式費用にとっておいたんだ。そうに違いないということになって、19万円の葬式で見送った。後にカップラーメンが冷蔵庫に1個だけ残っていた。
 年金もなく、生活保護も受けず律儀にすぎた生き方を選んで死んだこの人に、どんな喜びがあっただろうか。きっと死んでこの世の柵から抜け出して自由になりたかったに違いない。

 今一人の死亡した68才の老女も似たもので、60才から年金をもらいかけたが、その額は年収で26万円そこそこだ。仮設に来るときに冷蔵庫と洗濯機を買ったもので、残りは僅かになった。この人も金より他に頼るものはないために、医者代金と食費を削って仮設のくらしを続けたのだ。

 高令者婦人に働く仕事はない。新しい収入のない人は始末するより他はない。ルームエアコンはあっても電気料金を2000円以下にとめなければならぬ生活では、使えない。
 彼女は葬式代に残した生命保険があって生活保護はとれなかった。

 今一人の女性は、湾岸道路が迂回する島の幹線道路に近い、騒音と排ガスのひどい仮設に住んでいた。
 食事をとらなくなって衰弱し、家の中を這うようになって、近所の人が医者にかかるように進めたがききいれず、孤独死になっては近所が困るというので、ついに急救車を呼び入院させたが1週間後に死亡した。
 この老女は人に逢うのを嫌うというので、訪ねる人もなかったのだ。

 ローソクが溶けてゆくように命を縮めて死に至る。このようなケースは私の知る限りでは女性である。後は野となれ山となれと、酒びたしになり孤独死した女性は知らない。
 世間体を気にして意地を通すのは、女性の専売ではないが、葬式代を残して死ぬことが唯一この世で”名誉”を守った証であったのだろう。

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# by grpspica | 2004-12-03 15:45 | 命・平和・人権 | Comments(1)
2004年 12月 01日

あれこれ  byマサコ

はなこさま
 狭いマンションで同居人がTVや電気をつけると死刑執行になるこの辛さ。。電磁波は、風には散るようですが、換気が悪いと溜まります。たとえば30分つけてから消してある場所でも、換気されてない限り、その場に近づいただけで体に染み込んでしまいます。症状は多岐にわたり、残酷極まります。

 霊魂なら、向こうが気持ちを変えた時、こちらは楽になるのですが、電気の類いは感情ではないので、ONにしないか、散らすか、どこまで近づくかで調節するしかありません。
居候させてもらってる家主は、ストレスの高い職業なので、TV、ラジオ、コンピューターゲーム等でストレスを解消しているので、つけないでという私の要求は気の毒。

 けふの11月30日は、人生思い出深いことばかり起きた日。22才の時の混乱、38才の時のコリアーナ(朝鮮人従軍慰安婦)の声、45才の人様の守護神からの伝言と、なにか11&30に関係あんの?と私の記憶は数字にかこつけて覚えることが多いです。

 世界のカレンダーに「32」の日付けがないので、人類は神の「僥倖(ぎょうこう)」に恵まれないのかな?
 ナボコフは「32」という日付けについてのコメントしていますね。ロリータの前身といわれる作品の中に。

 記憶といえば、胎児が母親の胎内にいた当時の思い出や記憶が、生まれた後の人生に影響しているか? の視点で書かれた本が出版されました。この手の解釈は結構あるようです。妊娠中の母親の情緒の種類、怒っている、泣きたい、幸せ、不安定、イライラ度等で、胎児のその後の人生すべてが決まるなんて、余程、気をつけて過していただきたいもの。

 ちなみに11月30日生まれって、友人知人に1人もいません。おっと秋篠宮さまを忘れてた。







# by grpspica | 2004-12-01 11:08 | blogの輪 | Comments(3)
2004年 11月 09日

はなこさまへ   マサコ

フジバカマの芳香。紫が薫るとこんな匂いかしら?
ハナコさまはラヴェンダー色に何か思いがありますか?
ナボコフ作品では、「すみれ色」の形容が一番多いとのことです。
エレンブルグのSFの主人公も藤色のパジャマでしたね。
「シブミ」でも色の話(コンピューターの色分け)がおもしろかったです。
「賜物」ではナボコフの「白」への見解が、印象深いです。

さて、志村ふくみさんの本「色を奏でる」の読後感想を友人
(musologさん、カナダ暮らし、車を捨てた飛行機、自転車乗りです。
 最近はモーターバイクに乗るようになりました)
のbbsに書込んでいます。
   http://otdi5.jbbs.livedoor.jp/535261/bbs_plain

随分前なので一番下の過去ログで158、159番を出してみて下さい。
そこにはこの2つ以外にもいくつか書込んでいます。(210,211,215,220,231,240)






# by grpspica | 2004-11-09 19:40 | blogの輪 | Comments(6)
2004年 11月 08日

(無知ゆえに)読みたくないのか、読めないのか? byマサコ

「ロベルトが虚弱体質であったことは確かなことだが、私の直感では、彼はそのことで軽度のヒポコンテリー(心気症)にかかっていたようだ。つまり彼の羞明(極度に光を嫌う光線恐怖症)の半分は、黒胆汁による鬱の気質に起因するもので、後の半分は何か原因不明の過敏症によるものだろう」

みっつけた。この一文、まるでグールドのことみたい。

ねばり、盛り沢山。胃弱なマサコには、「クマノイ(消化薬)」のお助けがないと胃アトニーになりそう。55gの「鹿角霊芝(ろっかくれいし)」にて、胃潰瘍はまぬがれるか?

私には第37章の「考える石」のみ、超おもしろい。
第9章の「アリストテレスの望遠鏡」、題はご立派だけど、意地悪な言い方をするなら、「こういうの、読む程、自分の人生に退屈してません」と一言で片づけられる本かどうか? 
相性度2%。。

「知性ってこうふんするものなの?」
何となく気になる第16章の「共感の粉」を再読を試みるが、こういう本当っぽい、嘘っぽいダラダラはこちらの神経が高ぶってしまう。

一番好きな個所。
第36章の「尊厳死」のロベルトの母親の口癖。
お料理のオンパレードに続いて、「これがあなたのご先祖さまたちの生きる知恵なの。だから、同じようにしていれば、幸せな暮らしができて、何の苦労もしなくていいのよ、、」という言葉。
島育ち。 「前日島」なんとなく気になる島が地球上にできてしまいました。

P.S.ジャック・ヒギンズ作品を菊池光氏の訳で、いかがでしょう?
他の翻訳者では、90才代の現役石井桃子氏(児童文学)の訳業もすばらしい。
ドイツ文学者の訳文は高橋義孝氏かしら?

 (グレン・グールド)






# by grpspica | 2004-11-08 10:36 | blogの輪 | Comments(1)
2004年 11月 07日

ジョウビタキ byモニカ

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この2週間、玄関の横に置いてある車のドアサイドに
頻繁に鳥の落とし物が目につくようになった。
今までも落されてはいた。でも場所が定まっていた訳ではない。
今回は違う。
何が違うって、いつもドアガラスの周りなのだ。
一体どんな鳥が、こうも毎日同じ所に置いて行くのだろう。
それも1ケ所ではない。

やっと昨日、現場を押さえることができた。
犯人は「ジョウビタキ」。
まるで化粧直しをしているかのように、
ドアガラスに向かいながら、尾ッポを忙しく上下に動かして
カタカタ忙しく右に左に横走り。
物音に気づいて、飛んで行ったけど
ちゃんと落とし物をしてました。

あまり聞かない鳴き声を意識したもの2週間前くらいだから、
「ヒッヒッヒッ」と聞こえていたのは「ジョウビタキ」の鳴き声だったんですね。
「カッカッカッ」とも鳴くらしい。

眺めるにはきれいないろどりの鳥ですが、落とし物には困りましたね。
でもなんで、ドアガラスの所で遊ぶんだろう。
自分の姿に見愡れてるのかな。


ジョウビタキの鳴き声





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# by grpspica | 2004-11-07 20:36 | 蝉・蝶々・駝鳥・他生き物 | Comments(2)
2004年 11月 05日

秋ですね。  by モニカ

Chum Salmon Spawning in Nearby Creeks

初めてトラックバックしてみます。
こんな写真見たら5年前のリルエッタへの旅を思い出します。
鮭が上流に向かって飛んでいました。
ここはかなり上流ですか?
周りの落ち葉が秋一色ですね。
今年の紅葉はきれいのかしら。
こちらは台風の塩害で、多分ダメだと思います。

さてうまく送れるのかな。






# by grpspica | 2004-11-05 22:35 | グループスピカ | Comments(1)
2004年 11月 04日

訳は役?(はなこさまへ) マサコ

楽しいおしゃべりをありがとう。
ナボコフ・コレクションが着々と進んでいるご様子、心よりお喜び申し上げます。

本といえば「白鯨」のことで、ちょっと訂正。
私が八木敏雄さんの新訳の「白鯨」を注文したのは、
ターシャ・テューダーのせいではなく、
D・H・ロレンスが、その一部を引用した訳文の美しさのお陰です。
訳者によっては、どんな名作も駄作のレベルに落されてしまいます。
訳者のせいで読み損なっているとすれば、別の訳書で再読したいのです。

八木さんは、ロレンスの「アメリカ文学講議」を訳した方ではありませんが、
今回の岩波の新訳は、字、行間の大きさ共に、疲れにくい文庫本で
ロックウェル・ケントのイラストが楽しい。
ロレンス引用文と同じ個所を見つけて、比べてみたいし、ワクワクものです。

はなこさまの書評でも訳者のフルネームをお書きになればわかりやすいのでは。

ターシャのことを「一人暮らし」というのはあまりの事。
息子さん一家の隣に住んでいるのです。確かにご自分の家では1人で住んでいらっしゃるのですが、それを知るとイメージが違って来ます。

編集者は何を思って「一人暮らし」を強調しているのでしょう。


秋晴れの京都。どんな美しさでしたか?






# by grpspica | 2004-11-04 17:34 | blogの輪 | Comments(1)
2004年 11月 01日

ハットピンは何本?(はなこさまへ) マサコ

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ご感想とおもしろい体験話をありがとう。

「アニルの亡霊」
 マイケル・オンダーチェが精巧に並べたトランプカードの1枚1枚をスライド写真にして、自分の頭で映画にする読み心地。オンダーチェは、しっかりした詩人で、言葉の飛翔的弱音の確かな物書き。

 さてさて、エンターテインメントといわれるには、読者をワクワク・ドキドキ・ハラハラさせることが条件なのかな。
戦争・テロ・殺戮の原因は?
 残酷な話の中に、セイロンの風土・花・飲み物・食べ物が異国情緒を誘うしっとりした見事な心理小説でもあります。

 サラスとガミニの兄弟の確執。うなづく人も多いことでしょう。
ガミニミの医師としての生活や個人的な様子が、生い立ちを含めて、一番印象的でした。

 特に気に入った表現は、
「眠っている時と覚めている時の境界は、ごく薄い色の木綿糸のようなもので、越えたのか越えていないのかわからないことが多い」
「この性質の良い兄が触媒の役になったればこそ・・・」
 締めくくりの「世界からの、この優しい感触」にマンの「魔法の山」の最後のくだりを思い出しました。
 オンダーチェの真意が込められていると感じたのは、
「われわれの思考は神にとらわれている。その神と同じ側に身を置いてしまうところに間違いがある」というレオノラ・キャリントンの言葉をそのまま書いているところです。
 ところで183頁の「ヤクサ」は「ヤクザ」ではないかしら?

 好きな作家は、現代日本の小説家では、宮部みゆきと阿刀田高。マコの作文の中の「みゆき先生への手紙」に「あかんべぇ」の感想をほんの少し書いています。






# by grpspica | 2004-11-01 09:27 | blogの輪 | Comments(2)
2004年 10月 30日

思い込みと漢字 by 原 真砂子.

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小学2年生の頃、
「〇〇線で事故があり、××駅と△△駅間はただ今『ふつう』になっています」とか
「土砂崩れのために電車は一時『ふつう』です」というニュースを聞く度、
「どうして『普通』なのにわざわざ言うのだろう」と思っていた。

絵の下手な私が小学生の絵のコンクールに入選した。 
通学していた私立小学校の廻りの土の色がよく描けていたと評されての入選であったが、「原真砂子さんの絵が佳作に入りました」と先生であるエルマナの発表に憮然とした。
1等でも2等でもなく、特別賞でも優秀賞でもなく「かさく」だという。
それを「下作」だと思い込んだ私は、「下手なので『賞』とは違うのだ」と思ったのだ。

エルマナはスペイン語で「お姉さん」の意味。
スペイン系カトリックの学校では生徒は先生である修道院のシスターをこう呼んでいた。

幼稚園の通園帳でも学校の通信簿でも、1番嫌なところは「三女」と書かれた「続柄」コーナー。
長女、次女なら漢字で上品だけれど、漢数字とはいえ「三」という文字が番号みたいで嫌だった。
いつも心の底で兄姉が多過ぎると思っていたせいもある。

ともかくこうした小さな事件は子供の頃、しかも年齢の低い時のみに起きることだと思っていた。

ところがつい最近の話・・・
ここ数年「原さんはキトクな方ですね」と言われることが何度かあり、
「はぁまぁ、ほほほ・・」と喜んでいた。
私は「キトク」を何となく「貴徳」と思っていたのだ。

数日前、「奇特」を見つけて息を飲んでしまった。
「キトクってこんな字なの?ひょっとするとワープロミスかも‥‥」と思いつつ、
ショックのため数日たってやっと辞書を引いた。

「あったぁぁ」 まず「きどく」の読みの方を見る。
 『不思議なしるし・効き目・霊験』 ついでに霊験を引いて見る。
「れいげん」と読むんだって。ずっと「れいけん」だと思ってた。 

さて「きとく」の読みの方は、
 『特にすぐれていること・行いが感心なこと・殊勝』
と書かれている。
しかし私には「奇特」はどうしても、せいぜいが「特別に奇妙なこと」としか思えない。

この要求を満たす言葉に英語の " peculiar " がある。
 『独特の・特有の・特別の・特殊な・妙な・一風変わった』

ともかく言葉は母国語もよその国の言葉も正確に覚えていきたいものである。



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言葉 「奇特」と「貴徳」   by マサコ へ









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# by grpspica | 2004-10-30 11:12 | グループスピカ | Comments(2)
2004年 10月 29日

大統領選とアフガニスタン戦争 by ノリコ

まわりの読書熱に感染したノリコが、たまたま手元にあった白鯨(上)を手にとりました。
八木俊雄訳岩波文庫の64頁に、

「合衆国大統領をえらぶ大選挙選」

  「イシュメールなる者による捕鯨航海」

「アフガニスタンにおける血なまぐさい戦闘」

とあったので、わが目を疑いました。
えっ、突然、何の話? 誰の言葉?

イシュメール(語り手)が、自分が船に乗る事を、芝居のビラにすると、
上のような感じなるだろうというだけのことだったのですが、おもわず注を見ると・・・

アメリカ史上初の喧噪を極めた1840年の大統領選挙で、
インディアン殲滅戦で名をあげ、オハイオとインディアナ州を白人入植地として解放する(=分捕る事:ノリコ注)きっかけをつくったウィリアム・ヘンリー・ハリソンが、
ホイッグ党を代表して民主党の現職大統領マーティン・ヴァン・ビューレンを打ち破って
第9代大統領になったが、選挙戦の疲れが元で就任わずか1ヵ月で急死したそうな。

1842年1月、ロシアとイギリスのアフガニスタンの覇権をめぐる第1次アフガン戦争で、イギリス軍はカブールにおいてアフガン人に手痛い反撃にあい殲滅されたそう。

うーん、人間はやっぱり話し合いより戦争が得意??





# by grpspica | 2004-10-29 12:02 | グループスピカ | Comments(3)
2004年 10月 28日

けふの帽子はどこに落ちたでしょう(はなこさまへ)

まずは「マルゴ」のご入手おめでとう。 うらやましいなぁ。

ナボコフの名花が、シュナーベルの華でもあらせられるのですか? うぅぅーー。

シュナーベルは、ナボやグレグルのように「エクスタシー」という一般人に誤解される言葉を自分の芸術への思いとして使う事を思いつかなかった芸術家でありましょう。
共通点を感じているこの二人(ナボ・グー)のように、いかがわしい路線を走らなかった...とはいえ大物3兄弟の話は、小物の脳ではさばききれないので、ちょっと小休止。

はなこさまの他の書評もぜんぶ拝見しました。
文章のリズム感・フレージング・透明度には、確かに酒奈鈴の薫陶を感じる。
へへへ白状しますと、「アラビアン・ナイトメア」は、脱落組です。
その後偶然この本をつかむと「キャツ」という過敏反応すら出ました。
はなこさまのハンカチを頼りに再度読んでみますね。

マイケル・オンダーチェは、「家族を駆け抜けて」を読んだ事があります。個性的な方ですね。
一番読みたいのは「オババコアック」。理由は、人文系の好みに合いそうなので。

全体として「奇怪ファンタジー、エンターテインメント」に弱いの?
エッセイストとしてのはなこさまに頭が下がるのは、ご自分に厳しく、特選品の文章しかお出しにならない事、この文章を読めば、外でもないこのかた、はなこさまが書いたとわかるところ。
主観・独自性・個は、西洋文化の花形なのでしょうね。
日本文学には、はなこさまのハンカチが落ちない理由もわかるような・・・





# by grpspica | 2004-10-28 18:48 | blogの輪 | Comments(6)
2004年 10月 27日

マサコの帽子落とし(はなこさまへ)

はなこさま
「アーダ」と「記憶よ語れ」の感想文を拝見しました。
まず「はなこさんのハンカチ落とし」と名付けたセンスの良さは、
子規の句のような宇宙的広がりを感じます。
女性であることと愛らしさがこのキャッチコピーに凝縮されていて脱帽しました。

あなたはナボコフの作品を読むために生まれた人。
ナボコフ作品は、多くの人にとってグチャグチャで文字を追う事ができない、
楽譜であれば読譜すら困難を極めるというのに、
あなたはナボコフの感性・神経回路の鉢合わせ・正義(なぜならナボコフと正義は反対のようなもの)をくまなく受け取っていらっしゃるご様子がよくわかります。
まさしく「ナボコフ」文学上のニンフェットに、私は出遭えたのです。

「アーダ」のお別れの言葉
「そして私、読んできたすべてが虚無の彼方に消え去ろうとしています」 呆然!!
私は、どんなハンカチを落とせばいいのでしょう?

「自伝じゃないの」
ここでは冒頭に著作からの写し書き。このやり方は私は好きです。
はなこさまはご自分の文章についてどのような評を得ておられるか存じませんが、私が、このようにした時、「自分の言葉で文章を書きましょう」と言われたことがあります。

それに続くはなこさまの独自の表現による至れり尽くせりの説明、
それは私にとってパリの高級靴屋さんのショウウィンドウを眺めたり、
上等のセーターを着込んでその肌触り・色・艶を味わう様な最高の文章でした。
愛好家のこんなに「膠質」の状態のいい文に接して、全身弾力をいただいたように感じています。

私のナボコフに関する文章は、ピアノでいえばバイエル程度の人でも読める、
しかもほんのちょっぴり出てくるだけです。
もしも興味があればカテゴリー「マコの作文」の中の「カマスゴとポピー」と「バラのいたづら」を見て下さいね。

はなこさまは、ナボコフ論をお書きになる時、ニンフェットらしく、ホルモンの分泌がおよろしいようですが、「ナボコフ考」に挑んだマサコは、年齢のせいか、関節がガクッガクッとはずれていくようだったので止めたのでした。





# by grpspica | 2004-10-27 16:50 | blogの輪 | Comments(3)
2004年 10月 24日

「グリーンマイル」と「シックスセンス」 by 原 真砂子.

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数年前、TVが「シャーマニズムは世界的に大流行の兆しを見せている」と言っていた。

「何をバカなことを。昔から霊体験をした人がいて、その話を信じる人と信じない人がいるだけ。それだけのことなのに、今さらどうやって流行するのだろう」と思ったものである。

私は、シャーマンとして生きることを余儀なくさせられた人間である。
「シャーマンって何ですか?」と聞かれれば、私の場合
「肉体消滅後も様々な気持で肉体界を振り返ったり覗き込んだりして、その切ない苦しみに満ちた感情を誰かの手で慰めてもらいたいと渇望している霊魂の世話をすること」に尽きる。

この映画に登場する主人公たちは、二人共「霊の気配を感じ、過去の出来事をフィルムのように見ることができる人」なのである。何の団体にも霊能的人物にも関係せずに暮らしている。

「グリーンマイル」は、死刑囚と電気椅子を取り上げているので、ごく普通の家庭生活の中に霊体験を取り上げる「シックスセンス」よりはるかに強烈で、ショッキングな場面が多い。しかし、その内容をやわらげるのは、主人公が、貧乏くじを引いたような自分の人生に対して、愚痴一つ言わずに運命を受け入れていく無欲さ。神様のような心と力である。 


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一方「シックスセンス」では、頼ってくる霊魂を怖がらずに対話し、その深い嘆きに誠実に対応し、隠された事実を明らかにしていく主人公の少年の姿が頂点として私の心に残っている。

 先だっても母親に毒殺されようとした少女がいたけれど、「シックスセンス」の少年は父の後妻の悪事を知らせ、毒殺された姉と同じ運命を辿るはずであった妹の命を救う。

 物語はその後、この少年の悩みを助けようとした医師のドンデン返しで観客を唸らせる。一回見ただけではよくわからない位内容が濃く、完成度の高い名作である。

 「今までのシャーマニズムは宗教団体の詐欺の方便だったり、霊能者が人をたぶらかしていたが、そういう時代は過ぎ去りつつある」

 これがこの2つの映画を見た私の感想である。
人はむやみに霊的職能者に頼ることなく、自分の問題を見つめ、自力で解決出来るような力を開発できる。その哲学的思考にシャーマニズムが基礎となる時代が到来したということなのだ。

 流行とは「シャーマニズムが個人の思考の中で育つ文化が創造されていく意味だったのだ」とこの2本の映画を見てつくづく思った。

「シャーマニズムの世界的大流行」のお陰で、霊の世界が広く多くの人の常識として浸透すれば、あの有名なゴーギャンの言葉「私たちはどこからきて、どこにいくのか」の答えがそれぞれに得られる。

 とかく怪し気に見られがちな霊話をまとめることは容易ではない。
特に「シックスセンス」の脚本を書いたシャマラン監督の秀逸な頭脳と想像力には心からの賛美を送りたい。
 インド人の哲学の大きさときめ細やかさに21世紀の映画界のリーダーを見た。これからもその方向性と普遍性に、どれだけ多くの人々の心が癒されるだろうか。
 




# by grpspica | 2004-10-24 11:25 | 音楽・哲学・宗教 | Comments(8)
2004年 10月 23日

クロスオーヴァー音楽会 byマサコ

ピーター・コレットさんから、音楽会のお知らせをいただきました。
    日   2004年11月22日(月曜日)
    時   19:00〜
   場 所  カナディアン・アカデミー
   電 話  078(857)0100
   入場料  大人 1500円
        学生 1000円
当日券の有無は11月18日にカナディアン・アカデミーに 直接お問い合わせて下さい。

プログラム
  キャルリエ:弦楽四重奏のための劇音楽
            “War Sensations”より
  チャイコフスキー:「子供のためのアルバム」より
  ドフレーズ:ピアノ五重奏のための「主題と変奏」(世界初演)
  マッケイブ:ピアノと弦楽四重奏のための「海辺の女性」
      創作舞踊:ハイディ・S・ダ−ニング(日本初演)
      着物意匠・屏風製作:サラ・ブレア−
  ドフレーズ:初めてのワルツ−ロマンティック・ワルツ−神聖なワルツ
  ショスタコーヴィッチ:ジャズ組曲第1番より
     出演者ダンス:ハイディ・ダ−ニング
     ピアノ:寺嶋 陸也
     弦楽四重奏団:ルビオ・クァルテット
     美術:サラ・ブレア−

 音と印象、舞のすばらしい企画です。

第11回大阪ヨーロッパ映画祭の催しの一環として、映画と演劇のために書かれた作品、またそこからインスピレーションを受けて作曲された作品を舞踊、弦楽四重奏、ピアノ五重奏、オリジナル背景でお楽しみいただきます。

ベルギー出身の弦楽四重奏団ルビオ・クァルテット、京都をベースに活動中の舞踊家・振付師ハイディ・ダ−ニング、才能を嘱望されているピアニストの寺嶋陸也、美術家サラ・ブレア−らが、このクリエイティブなイヴェントに挑みます。

マッケイブ作曲ピアノと弦楽四重奏野ための「海の女性」は溝口健二監督「山椒大夫」にインスピレーションを受けたもの。第9回大阪ヨーロッパ映画祭で映像と共に演奏されたこの曲を、今回はハイディ・ダーニングのオリジナル振付による舞踊と共にご覧いただきます。

2001年世界初演のためにアメリカ人美術家サラ・ブレア−が製作した背景セット(屏風)と、創作意匠した着物が公演に用いられます。





# by grpspica | 2004-10-23 12:04 | グループスピカ | Comments(2)
2004年 10月 22日

キムチナベ byマサコ

亀さま 

「キムチナベ」に「ザ」がつくと一段とおいしそう。
 こちらは、最低気温がまだ21℃で、球根類の植えつけには、まだまだのよう。
15℃にならないと発芽しないし、早く植えると、腐ってしまうのです。

 ウィ-ン出身の哲学者は、ウィトゲンシュタイン。
 エイゼンシュテ(タ)インはロシアの映画監督で、
「バレーメカニック」を褒めたのです。
 後は、アスペルガ-といわれる大物アインシュタイン。
 以上、混乱していたシュタイン族の訂正です。

 ブログ開設が4月7日とは、47で嬉しいなぁ。
「海峡」は5月11日。
このネット活動は一体、大樹になるか船型なのか、汽車系なのか?
10年後が楽しみです。

PS1 若島先生は、アファナシエフの引用、ナボコフか
   どうか、わからないとのこと、

PS2 大樹かetc…の私の形容、こういうの、いつもさっぱりわからない
   といわれます。

PS3 亀さまの文章力の秘訣は、人によくわかるように書くことだそうですが、
   「リュシス」は小学生に語りかけるようですね。
   中学生がこういう内容の本を読んで、センスを養えるといいのになぁ。

アレルギーと動悸が切実なマサコより 





# by grpspica | 2004-10-22 17:10 | blogの輪 | Comments(0)
2004年 10月 14日

ニ−チェの誕生日に寄せて by 原 真砂子

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ルサンチマンというのは、「サンドイッチマン」と同じで日本人の造語と思っていたら、
れっきとしたフランス語で ressentiment=恨みや憎しみが心の中にこもって鬱屈した状態 というのがもともとの意味。

 
 ルサンチマンといえばニ−チェということですが、弟子である(と自認する)私は、先生のルサンチマン主張は、どうでもよく、自分のは「負け犬のトーボエ」、先生のは「負け犬のオーボエ」と自己流に解釈しておりました。

 どちらも、あまり間違っていない気がします。(はぁ)←初めて使ってみました。

 ニ−チェの発言(大量虐殺に都合がいい)がナチスに利用されたとして、
ニ−チェを責める人たちがいます。
 それでニ−チェに責任を取れということなのでしょうか?

 ニ−チェを読んで立派な行ないをしたドイツ人もいます。
「ニ−チェがこんなこと言っているけど、人を殺してはいけないよね」
で終らずに、「ニ−チェがこう言うから、人を殺してもいい」と
人を殺した人は、結局手を下した人の責任ではないですか?
(ここまで書くとニ−チェにも責任がある気がしてきてヤバイ)

 日本でもファシストたちが、ニ−チェの同情心についての言葉
(単なる同情心のあり過ぎる人たちへの警告に過ぎない)
を発展させて、「だから福祉はいらないのだ」
といいます。

 果たしてニ−チェの真意はそこにあったのかしら?

 ニ−チェは体の具合が悪く、現代でも理解者が少なく、
まして存命中に彼の著作はどれだけ売れたのでしょう?
 萩原朔太郎氏経由の情報によれば、ツァラトゥストラの初版を全ドイツで買ったのは、
たったの3人。氏は、ヨーロッパでもニ-チェはほとんど読まれていないと。

 淋しさと活火山のような(肉体的苦痛から来る正反対の脳内物質の過剰流出による躁状態+滅法、人が良かったことから、表現が激しく片寄ったものになった)エネルギーが、運悪く当時のファシストに利用されてしまったのでしょう。

 ところで「勝ち犬」って、だあれ?

 先生を一言で言えば
「これ程人に理解されず、こんなに人に影響を与えた人はいない」

 これは、バースデーパーティーにおける生徒さんの発言。
 何卒、先生への花向けの言葉になっていますように!





# by grpspica | 2004-10-14 09:29 | 音楽・哲学・宗教 | Comments(0)
2004年 10月 09日

陰陽(亀さまへ)  by マサコ

自転車なんだよ人生は。(マサコさまへ)

 あるホスピスの医師が
「人は生きて来たように死んでいく」とくり返し言いました。
「成る程」と思っていたら、数年後、それがユングの言葉であることを知りました。

 別にたいしたことではないけれど、「人生はマラソン」は、
普通の人だって思うよ。説得力もある。

「自転車なんだよ人生は」は気に入った。
 なぜなら、GG(グレン・グールド)の最初のG(ゴルトベルク変奏曲)は
オートバイみたいで、乗るのはいいけど、聴くのはたいへん。
再録音は、能役者の足運びで近寄りがたい。

 そんな時、Gの生家から自転車で墓地に行くGべルクがある。
水仙の花が2、3本、前のカゴに入っている。これマサコの人生よ。

 球根は、自分の心の土に植えてこそ。
 花咲くように土を調整する。球根の幸せな生育に「墓参り」も楽し。
 ソクラテスの庭に咲いたリュシスには興味なし。

 亀さまは、コンピューターがないときっと文だらけで自家爆発してしてしまうね。
ユーモアとヒューモア。長いのにくり返しなのに重量を増さない不思議な重力感の文体。
 読み聞かせてあげたいお母さんの心!

「甘美なる来世へ」のピアソンの文体は、亀さまのとちょっぴし似ている。
 この「ちょっぴし」は普通の「ちょびっと」ではなく、何せピアソンは、稀なる文型の持ち主。

 陰陽師となると「おんみょうじ」
 何かオドロオドロした発音になります。

 考えた末、「甘美なる…」からの書き写しは止めて、大辞泉にて「おんよう」を調べる。
 占い師のことですね!



# by grpspica | 2004-10-09 12:20 | blogの輪 | Comments(0)
2004年 10月 09日

夢か..?   by モニカ

見たのは夢じゃなかったと思うんだけれど........

UFJの話。いつかTVで見たドラマか映画の話そのまま。
タイトルも、設定(会社or銀行)も忘れた.....

ながら族で見ていたので、よく覚えていない......
でも、都合の悪いものをパソコンから消したり、
ロッカーに隠したり、破いたり、
確か、飲み込む話もあったぞ。

まるで茶番と笑って見流してた。
でもあったんだ、現実に。
UFJを実体験した人が作ったかな。

誰か、この番組見てませんか?




# by grpspica | 2004-10-09 10:56 | グループスピカ | Comments(0)
2004年 10月 07日

あたった by ノリコ

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めっぽう忙しかった9月が終った。
ほっとしたら背中に蕁麻疹発生。
いろいろあってやっと楽になったかなぁというきのう、
地下街のセールであたった薔薇の花束。

地下街の30周年記念ですって。
1万本の薔薇プレゼントのうちの30本です。
この地下街が出来た時には、もう仕事をしてたから、
あれから30年以上か、疲れるはずだ。





# by grpspica | 2004-10-07 16:23 | グループスピカ | Comments(3)
2004年 10月 05日

沖縄料理の店  by モニカ

今日、用あってわが町にやって来た友人と一緒に
お食事処を探していて、
以前から居酒屋だと認識していた店が沖縄料理店だと判明、
入ってみました。

開店4年目。最近まで沖縄料理を看板に出していなかったため
店の存在は知っていても、ただの居酒屋でしかなかった店でした。

沖縄料理プラス居酒屋料理、
メニューにはなくても、結構、いろいろあります。
5時半から、10時半まで、
マスターやら、隣に座った熊本出身のお兄さんと
いろいろなおしゃべりを楽しみました。

隣で静かに日本酒を飲んでいたその人は、
一度、夜校列車で降り立った、
あの、あまりにも何もない、寂れたというか、取り残されたというか、
「これが、県庁所在地の駅かァァァァ!!!!」
と絶叫したくなる駅のすぐ近くの出身。

なぜ駅前があんなにさびれているのか、という問いに
「西郷ドンに味方した反骨精神ウンタラカンタラ....」に
妙に納得し、
「『肥後もっこす』の言葉があるでしょう」といわれて、
「もっこす」というラーメン屋のオーナーも熊本出身かな??
なんて思ってしまったモニカです。

沖縄に行った時、おみやげに皆が沢山買っていた「海ぶどう」も食べました。
メルヘンチックな、「神様に乾杯」といいたくなるものでした。

シークヮーサ−のチュウハイから始まって、
最後は43度(?)の泡盛まで、
だんだん度数を上げて5杯。
いいコンコンロ持ちで帰って来ました。

なんで早よう、沖縄料理って看板、出してくれはれへんかったん?



# by grpspica | 2004-10-05 23:39 | グループスピカ | Comments(2)
2004年 10月 05日

数と色(亀さまへ)byマサコ

「色彩療法」(テオ・ギンベル著、日原もとこ訳・フレグランスジャーナル社)を読んでいると亀さまと話がしたくなります。

口絵写真にピタゴラスの紋章。脊柱の色と音に関する図表、8主要色のスペクトル。半分に切られた赤キャベツ。5つのプラトンの立体etc…というようにのっけからユニークです。

ピタゴラスの発言は、「数字には色がある」と思う私には、「数=色」の作用で、わかるような気がします。つまり数式といっても色の配分、順序や並び方としての公式なら。(数学、全く知りません)

何かを断言しないために人と議論出来ないのは、素敵ではないかしら。

p.s.1 先生の訳書を教えて下さい。
p.s.2 「階段のふもと」 この「ふもと」の表現よかったです。
p.s3 目の見えない人になっての現場での想像力、見事!




# by grpspica | 2004-10-05 18:31 | blogの輪 | Comments(0)
2004年 10月 05日

ニーチェヘの手紙 6~あとがき byマサコ

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ニーチェヘの手紙6  2000年4月23日

 ニーチェ様

 3年経ちました。
 あなたへの手紙を人に読んでいただくと、「難しくて分かりにくいから書き直すといい」と言われました。

 最近の情報をお伝えします。世界一高い山、チョモランマの頂上近くは、かつては海の底といわれていましたが、波打ち際との新説が出ました。浅瀬にいて人生を犬掻きで済ますことのできる人間をうらやましく思うので。山と海になぞらえる「最高最深」説はくつがえされました。

 街で美味しいコーヒーを出す喫茶店で読んだ週刊誌のエッセイ。
ナチスに利用されたニーチェとユダヤ人差別とは反対の生き方をしたことを示す草稿の紹介。思いもかけない場所で会えると嬉しい。

 さて、三角と丸について。
 レジェ&マーフィーのフランスのアヴァンギャルドシネマ「パレ工・メカニック」(1924年製作)の中で(ジョージ・アンタイルの曲が素敵)真丸の中の三角形が逆になったり、
元に戻るシーンがくり返されるところがあります。
三角形の角があの丸い円に繋がっているから
アニメ(映像)ならこの表現で充分。
 
(注 ここにも図が入ります)

 「ツァラトゥストラ」の分身たちは、素敵な人たち。
 柳澤桂子さんは、奇跡的に回復なさって「ふたたびの生」という本を出版されました。イエス・キリストが肉体を伴う復活をなさったよう。
 川田龍平さんは、ますます青年イエス。ニーチェは、キリスト教や聖職者が嫌いで、イエスが気に入らなかったのではない。

 この世に3年、生きると色々足していかれます。
「これが生か。よしもう1度」は永劫回帰の根幹。
愛と感謝を込めながら、「生きることはすばらしい」と、そう思います。
 

ニーチェヘの手紙7  2000年6月14日
 日本には梅雨というものがありまして、梅雨の晴れ間がのぞいています。湿気に鋭敏なあなた様ならば、梅雨にどう身を置かれたことでしょう。

 今年はニーチェの没後100年で、あなたのことがどれだけ話題になるか、楽しみにしていましたのに、私の知る範囲では今の所、梨のつぶてです。

 没後100年のオスカー・ワイルドの特集を組んだムック本は出版されました。シンポジウムもあるそうです。

 生誕100年のサンテグジュペリ(新聞に「夜間飛行」についての解説が載り、文中にニーチェの名が出ました)、作曲家ジョージ・アンタイルとE・フロムは話題になっています。

 本屋さんにこの1年の出版物のコンビューター検索をお願いしました。その結果は?
 ニーチェは、話題になるようでならない人です。

 そんな訳で、指揮者ゲオルク・ショルティの自伝でショルティが引用しているニーチェのビゼーのオペラ「カルメン」についての言葉を読んで、誰かの心の中にニーチェが住んでいるのを喜ぶ、これは心理学では、なんと言うのかな。

 「音楽を地中海化せよ」とはグールドと反対のコンセプトですね。
この件については1991年に出版された「グールド大研究」の中に篠原資明氏の「北を語るな」の興味深い文章があります。
 あなたとショルティは「カルメン」のファンですが、グールドの好きなオペラは「ヘンゼルとグレーテル」。
 
 20世紀末になりシャーマニズムに光が射してきました。
 「グリーンマイル」と「シックスセンス」という映画が製作され、主人公たちが私に酷似しているので、自分の説明は必要がなくなりました。

 ある研究家がグールドの55年盤ゴルトベルクについて密度が高くて読みやすい文章を発表しています。グールドがゴルトベルクの内容について読み取ったものに自分の視点を加えて、あなたが「ツァラトゥストラ」で語りたかった事の一部を。

「結局のところ、ここにうかがえるのは完結性への憧れと、ある種の超越願望である。グールドは始原と終末のある直線的な時間論や因果論を乗り越え、永遠性を獲得する営みを<ゴルトベルク変奏曲>に読み取ろうとしたようだ。実際彼は解説の前の方で、<ゴルトベルク>の「円環」を、「不滅性の表現」であり、作品は「本質的に霊的なもの」とまで語っている」

 いずれにせよ、ニーチェ、グールド、シャーマニズム、ゴルトベルクは私の人生の根幹をなすもので、それゆえ私はあなたを愛し続けることでしょう。
 それにしても50年生きているのに、「原真砂子に恋をしたから、難解なツァラトゥストラが数時間で読めた」との報告がないのは淋しい。
 私は、もてないことにおいてもニーチェに似ている。

ニーチェヘの手紙8  2000年6月20日
 ストケシアの青混じりの淡いフジ色が涼風を呼んでいます。
 シナモンバジルのたおやかな香りが初夏の強烈な腸光をやわらげてくれます。

 この15日に出版された解説書を求めましたが、「快速リーディング ニーチェが速く面白くわかる新発想によるスーパーレクチャー」と帯にあって、「コンピュター検索でニーチェがわかります」みたいね。
「90分でわかるニーチェ」の「永遠が見える華麗で刺激的」の方がキャッチコピーになっているかも。訳者は後書きで「ニーチェと対決していただきたい」と。

 「対決」とは何でしよう?
 住井すゑさんがTVのグルメ紀行に出演する人が、料理を前に「挑戦します」といって食事を始めたことをあきれていらしたけれど、ニーチェは読者と対決したくて書いたのではない。死後100年、あなたのことがわからないのは「文化人として恥」と思っているのかな?

 今までに読んだ短いエッセイの中では「いとうせいこう」のものが一番よかったです。絶妙なバランスのニーチェ論。それと児童文学者のジョナサン・コットの「グールドの演奏はニーチェの芸術のコンセプトのままだった」が嬉しい。

 気に入っているセイロン産ヌワラエリア高地の紅茶(紅茶のシャンパンといわれている)のようなニーチェに関するエッセイをいつか読みたい。

ニーチェへの手紙9  2001年1月3日
 新世紀、明けましておめでとうございます。
 去年の終り頃、ようやく雑誌の特集1つとムック本が出版されています。

 さっきまで、FM放送の「ニーチェとその時代」を聴いていました。
司会は、去年の12月19日にお亡くなりになった如月小春さん。
落ち着いた明るい月夜の雰囲気を漂わせる女性が、
その肉体を見ることのない国へ旅立たれて淋しいです。
 出席者の阿刀田高さんには「ニーチェについて書いて下さい」と便りを出すつもりでいたのです。
 もう1人の出席者、三島憲一さんから、プロテスタントの牧師家庭に育ったニーチェと家族の苦しみ、ニーチェが日本に引っ越したかったお話を伺いました。
 如月小春さんの「ニーチェは芸術の持つ力をよくわかっていた」
とのまとめはさすがだと思いました。
如月小春さんがニーチェファンに遺した言葉はニーチェの核心をついています。

 番組では、あなたの作曲作品がかなり紹介されていました。
いつも思うけれど、もう1つ出来の悪い物ばかりです。

 ニーチェの分身グールドは文章家ですが、
「何度読んでもさっぱりわからん。頭が痛くなる」
「文字にしてあるのを読むのは辛いものがある」
といわれております。

 私の中では、ニーチェ&グールドは、繋がっています。
どう表現するかが、21世紀の課題ですが、そのための努力はしないつもりです。

 お正月は1人で過ごしています。家族と一緒だと煩わしいから。
16才の冬に、苦しみの中にツァラトゥストラがアリアと共にやって来た1週間を思い出します。
 バッハのスペシャリスト、チュレックは、バッハを弾いている時に失神したことがあるそうです。
 柳澤桂子さんは極限で神秘体験を、草木染めの志村ふくみさんも「ある時、不思議な体験をした」と草木の精の世界に転がり落ちたことを書いています。
 プラトンが日の出を見に行ったことを、カーライルはプラトンの「幻想」といっているけれど、プラトンにとっては「現実」だったはず。
 プラトン以外は女性ばかりなので気が引けるのですが、女性は男性より神秘体験をしやすいということなので、私の体験も痛みのために頭がおかしくなったのではなくて、実際にあったこと。

 世の中の人が、こういう体験に恵まれますように....。
 21世紀にシャーマニスティックな作品である「ツァラトゥストラ」が、どんな読まれ方をして行くのか? シャーマニズムの世界的潮流は、時代が私を追い越していく。
 人の数程に違った読みをするのが「ツァラトゥストラ」の求めている内容への理解かしら? 幸せとは主観的なもの、だからツァラトゥストラは幸せになるために直感で読めばいい。

 内容に感じた色で魂を染めたと感想を送ります。
 「植物から色が抽出され、媒染されるのも人間が様々の事象に出会い、苦しみを受け、自身の色に染めあげられていくのも、根源は1つであり、光の旅ではないだろうか」 志村ふくみ

 ニーチェとのつながりは光の旅にツァラトゥストラが道連れになったこと。
 4年になるこの便り。今夏には、見知らぬ人々に読んでいただきましょう。

あとがき 2001年5月5日
 シャーマニズムは、宗教・哲学・芸術を含む世界です。
 ニーチェは生前、数少ない読者から感想が来ると、喜びのあまり手書きをして、知人友人に送っていたそうです。
 果たして、ニーチェは同じことをするでしようか? ニーチェにとっては「まるでわからない」手紙になっているのかもしれません。
 萩原朔太郎によれば「ニーチェという人は常に読者に宿題を残す人。直観で読む人が感情する」とのこと。

 私は宿命的にシャーマンを生きてきました。
 ひどい痛みに襲われるニーチェは、哲学シャーマンといえましょう。
 上橋菜穂子著「精霊の守り人」は、国家・権力・人民・シャーマニズムを、知性と普遍性で織り上げた名著です。文化人類学者の多彩な文化考察が実を結び、「ツァラトゥストラ」よりは、わかりやすいです。
 その他参考としてヒマラヤのブルーポピーの写真集と志村ふくみさんの「色を奏でる」をご覧いただけると幸いに存じます。
 少数の人から、心の中に住むニーチェのスケッチが届くことを願いつつ「晩年」に入っている私の人生を楽しんでいきたいです。
 白とピンクのミズキの花が満開の町にて

*本文中のツァラトゥストラの引用は
 中央公論社「世界の名著ニーチェ」手塚富雄訳
*<参考図害>
・「ブルーポピー」
  藤田弘基 写真集 茂市久美子 文
  フォトルピナス講談社
・「色を奏でる」
  志村ふくみ 著 井上隆雄 写真 ちくま文庫
・「だれにでもわかるニーチェ」
  西口徹 編集 KAWADE夢ムック  河出書房新社
・「ツァラトゥストラはこう言った」(上下)
  氷上英廣 訳 岩波文庫
・「精霊の守り人」「闇の守り人」「夢の守り人」「虚空の旅人」
  上橋菜穂子 著 偕成社
・「シャーマニズムの文化学」
  岡部隆志・斉藤英喜・津田博幸・武田比呂男著 森話社
・「ニーチェ その思考の伝記」
  リュディガー ザフランスキー著 山本尤訳 法政大学出版局・「エクスタシーの人類学」
L.M.ルイス 著 手沼孝之 訳 法政大学出版局
・「悦ばしき知識」
  ニーチェ 著 信太正三 訳 ちくま学芸文庫
・「ヨーロッパの仏陀」
  新田章 著 理想社
・「空と夢」
  ガストン バシュラール 著 宇佐美英治 訳 法政大学出版  局
・「共感覚者の驚くべき日常」
  リチャード・E・シトーウィック 著 山下篤子 訳 草思社
・「ツァンポー峡谷の謎」
F.キングドン-ウォード 著 金子民雄 訳 岩波文庫
参考CD
・Bidu Sayao ビデュ・サヤン
  オペラアリア集とブラジル民謡 MHK62335
 オペラアリア集 MHK63221 ソニークラシカル





# by grpspica | 2004-10-05 09:48 | ニーチェ | Comments(0)
2004年 10月 04日

音の味覚 ーーGGの日に by 原 真砂子

 アンリ・ゲオン著「モーツァルトとの散歩」は1932年の著作。
アンドレ・ジイドのモ−ツァルトのピアノソナタK333を聴いたゲオンは、第3楽章の最初の小節、左手の3番目の音がF音でなくG音で、そのニュアンスをはっきりわかるようにジイドが弾いたことを褒めている。
 左手のG音は、突き出した、違和感のある味覚を与え、なんだFじゃないのかと改めて確認したくなるような香り。もし形なら、大きめに切ったきゅうりがサラダで目立つのである。

 ゲオンは、モ−ツァルトの歴史を調べた。
そしてピアノソナタK309の第2楽章に、モ−ツァルトが、びっくりする程にクラヴィコードを弾いた少女のイメージを盛り込んだ。そのハイライトは、40小節目から始まる45小節にほんの少しかかる部分だ。
 しっとりした主題からの32連符が効き味の見事な変奏。リズムのひっくり返しと、64連符の4つの音でアニメタッチ。名手の刺繍のような楽譜。そこに愛する人の雰囲気を託したモーツァルト。
 ゲオンが至福の箇所とするところは、お茶席での簡素な動作のよう。
 お薄と繊細なお菓子をいただいた時のような味覚が広がる。

P.S. 霊的おふざけ
 グレン・グールドの伝記を書いたオストウォルドは、グールドの309のソナタを名演という。
 私は賛成しません。ピアノ・ソナタの中では、グールドが大好きだったK284のニ長調が、演奏者と作品の最高の相性と思う。でもK330ハ長調の最初の録音は、その時限りの精霊おろしのような稀有の演奏で、必聴に値する。

 さてきょうは、10月4日の命日とはいえ、朝早くから、胃が痛いファンを起こし、「アンドレ・ジイドのピアノなんか前座々々」とわめき散らし、近親憎悪でモーツァルトにイチャモンをつけ、グールドは、またもやブログに登場したがる。
 こんなに長くなると「ブログに載せてもらわれへんよ」となだめつつ、寝巻き姿でエンピツでひた走り。

 題は「アンリ・ゲオンの主題による、グールドのモーツァルト変奏曲」にしましょうか?

 特別な日だから、お供えは何がいい?
 あの日、私はアメリカ滝からカナダを眺めていた。ナイアガラの空気が夕方、紫色になったことが忘れられません。画家のバ−バラ・クーニーが「ビムロスの空」として、大気の色染めを絵本にしています。

 神様の国に帰っているのなら、もう少し温和しくしていてね。
 でないと「成仏していない」と言われてしまうわよ。
「生きていたときのように、喋りまくれるのなら成仏する気はありません」と屁理屈こねているようだけど。






# by grpspica | 2004-10-04 00:00 | memorial day | Comments(0)
2004年 10月 02日

引用(亀さまへ)

使い古された言葉。(マサコさまへ)

亀さま
 自分の言いたいことを、他の人が上手にわかりやすく表現している時、その引用によって私の文を読んで下さる方が、なおはっきり全体のイメージを描くことができ、私の考えていることが.わかっていただけると判断した時に用いております。
 引用を避けるために「つまりマクルーハンの言いたいことは….」とご自分の言葉で解説なさる方もありますが、原文や訳文が素敵な場合には、すっかりそのまま載っている方が私の好みです。

 D.H.ロレンスがアメリカ文学を講義したすばらしい本がありますが、引用というよりは、文の美しさを紹介したかったと思える長い書き写しがあります。
私にとっては、数行の引用もない他の作家の章に比べ、はるかに実り多き読書感が残ります。

 引用が長い、多過ぎるという批判は、読者が執筆者の言いたい根本内容をあまり楽しむことが出来ない場合に起こるのかもしれません。

 しかし「リュシス」のように、何の引用もなく、著作そのままだけで表現された解説に出会うと成る程と思わずにはいられません。「リュシス」だけを母体にした静かな説明と解釈。
 ソクラテス・プラトンが天からそのまま降りて来たような文章は、見事な球根を手にした時のように嬉しいものです。



# by grpspica | 2004-10-02 15:54 | blogの輪 | Comments(0)
2004年 10月 01日

リンクって難しい(亀さまへ)

HOW TO 。(ノリコさまへ)

本日は、仕事をしないでリンクの研究です。

ご指導に従って、「投稿画面」で水色の丸が付いてるアイコン
→「Explorer ユーザー プロンプト」へは行けました。

そこにリンク先(カテゴリ「マコの作文」の中の「修道女モニカ」)のアドレスをコピーすることは出来ます。

しかしカテゴリ「目次」の中に並んでいる目次の「修道女モニカ」)これがリンク元??
と(投稿画面または外の何か)結び合わせることができないのです。


亀さまのプラトンの最初に1とか2とかの水色表記があって、そこをクリックすると1とか2へ飛んでいくようにしたいのです。

ご指導よろしくお願いします。 ノリコ




# by grpspica | 2004-10-01 12:42 | blogの輪 | Comments(3)
2004年 10月 01日

ニーチェヘの手紙1~5  by 原 真砂子

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長いまえおき2001年1月4日
 
19世紀の哲学者、ニーチェと20世紀の音楽家グールドが思想的にどれほど結びついているのか。世界の楽壇でもっともユニークな存在であったグールドが、ツァラトゥストラの面影を宿した芸術家であることは、ハイティーンの頃から気づいていました。すべての発端は、私が15才の時に、ゴルトベルクを弾いて、グールドの気を引こうとしたからなのです。
幼い時からの身体的な苦しみは20代も続き、いい状態を知らないから「健康」と思いこんでいましたが、ピアノの練習や英語の勉強はできない毎日でした。語学力がないためにグールドに手紙も書けません。

グールドは1982年の10月4日にあの世に旅立ち、私の1番のショックは、もう「ツァラトゥストラ」やニーチェに対するグールドの意見が聞けないことでした。
1986年の12月、父親のラッセル・ハーバート・グールド氏に会った時、私の英語力では話が曖昧になるので質問しませんでした。

S先生、こんにちは。

夏体みをいかがお過ごしでいらっしやいますか?
数カ月前、このサイトのことを知りました。
私はニーチェの研究者ではありませんが、ニーチェについて、特に「ツァラトゥストラ」のことを語り合うことが私の長年の夢でした。17才で「ツァラトゥストラ」に触れてから、人生の大部分がニーチェへの関心で占められてきました。
生活という実践の場でニーチェの「超人思想」と「永劫回帰」に励まされて、ニーチェが人の心に光を投げかけているのを見つけるのが楽しみとなっています。

今日は、ある曲の中に感じた「永劫回帰」とある演奏家の中に見い出した「ツァラトゥストラ」の面影について書きます。
バッハの「アリアと30の変奏」一深遠なる音楽的かつ人間的記録一は、1742年に出版され、バッハの弟子ゴルトベルクによって演奏されたことから「ゴルトベルク変奏曲」と呼ばれます。
変奏曲として珍しい例ですが、主題のアリアが最後にもう一度登場します。これを「回帰のアリア」「再生のアリア」、「潜在性の実現の結果」「始原への回帰」「あらゆる音楽の中で最も崇高なる瞬間」と表現する音楽家がいます。

私にとっては「時の円環」「輪廻転生」「自らが1つの点ではなく、ある円周の1部」であると体感出来る。直線的に進んでいる時間がくるりと地球を回って背中から戻って来る。バッハとニーチェのドッキングで、まろやかな法悦を感じるアリアです。

1955年にこの「ゴルトベルク変奏曲」でレコード界へのデビューを飾ったカナダのピアニスト、グレン・グールド(1932一1982)。グールドは32才の時にコンサートを止めてスタジ才録音のみに専念しました。彼はコンサートホールに来る何千人という人々(民衆)相手ではなく、マイクロフォンの向う側にいるただ一人の聴き手(伴侶)に音楽を届けたかったのです。

「ツァラトゥストラ 序文9」には、グールドの音楽精神と演奏家としての思想が溢れ、「ツァラトゥストラは民衆に語るのではなく伴侶たちに語るのだ」「創造する者が求めるのは伴侶。新しい価値の表を新しい板に書き記す創造の参加者である。己れの鎌を鋭利に研ぐことを知っている者」などニーチェの言葉によって言い表わされます。

グールドは、新しいバッハ演奏を音楽界に送り込み、死の前年の81年には、「ゴルトベルク変奏曲」を再録音しました。

バッハとグールドとニーチェは音楽と哲学で人類に財産を、(バッハは作曲で人生哲学と宇宙の神秘を、グールドは独自の解釈で超能力者のように演奏を通してニーチェの思想を)残したのです。

S先生
 お返事をありがとうございます。

1981年に撮影されたグールドのゴルトベルクをバックミュージックに書いています。
ブゾー二は彼の校訂した楽譜の前書き(1914年)でゴルトベルクのテーマは、「アリアの右手パートではなく、左手のベースにあると指摘している」とのことです。これはピアノの先生が教えて下さったことですけれど。

ブゾー二はアリアの左手のテーマとその変奏を10曲程譜例として載せています。
シユーマンの「アベッグ変奏曲」のようにAB(♭)EGGのメロディーが鮮やかに表れませんね。だから最後にアリアをもう1度弾くのでしょうか?

「『ゴルドベルク変奏曲』はグランド・バス(低音進行)を基礎とした和声の上に成り立つ変奏曲であり、旋律主題を操作していく傾向の変奏曲ではない」(グールドのライナー・ノーツより)

カナディアン・ブラスのブラス・クィンテットの演奏、FMで聴きました。5人が違う5つの楽器で吹き分けている音色と声部をいくらピアニストが10本の指があるからといっても頭1つでやりこなすには、無理があるのを実感する名演奏です。
 チェンバロはワンダ・ランドフスカのものが強烈ですが気に入っています。特に第16変奏のトリルのしつらえが、眺躍的な付点りズムを崩さないで見事です。

ところで私は独断と偏見に満ちた「ゴルトベルク占い」をしています。特にお好きな曲がありますか?
私は「アリア」と13変奏と最後のクォドリベット(ラテン語で「お好きなように」の意味)。自己診断は「幼稚」です。
さてさて、ニーチェの掲示板でこんなおしやべりをしていいのでしようか?
不都合があればおっしやって下さい。
(2000年にあるサイトに投稿した文章)


コンサートをドロップ・アウトしたグールドの真意は、私の感性にはツァラトゥストラを通して、このように映っています。

ニーチェに何故、手紙を書きだしたのか? 「淋しかったから」です。この世に生を受けて、もうすぐ半世紀。ニーチェについて語り合うことがありません。
ニーチェもグールドも亡くなり、事実を突きつけあってみても、「噂」をしているに過ぎないので、ニーチェやグールドの芸術への愛の光を受けて輝いている人間を知りたい、ニーチェを研究対象にしている人の文ではなくて、ニーチェを愛している文が読みたい。
今回のニーチェヘの手紙が、世界の片隅からお友達を連れて来て下さったらうれしいです。


ニーチェヘの手紙1 1997年5月7日

ニーチェ様
ロッテ・レーマンが歌うメンデルスゾーンの「歌の翼に」を聞きながら、お便りを書いています。曲には、美のハイライト部分(「歌の翼に」の場合は最後のハミングとピアノのエコー)があります。私はあなた以外の哲学者に夢中になれません。ニーチェ通ではなく、著書は「ツァラトゥストラ」のある部分が経験によって少し解る。

歌はモーツァルトの「すみれ」に変わりました。ニーチェを愛読していたグレン・グールドとあなたに新茶をお供えしました、
若き日に「ツァラトゥストラ」に触れた私はその後、ニーチェの解説書を読み絶望し、積極的に人に尋ねました。
「ニーチェについて書かれた美しい文をご存じありませんか?」
皆「知らない」と答えました。
著名な方にはお便りを出しましたが、返事はありませんでした。

「自分の書いた物を理解出来る人はめったにいないだろう」と言われ、「ツァラトゥストラ」では、題名の下に「万人にあたえる書、なにびとにもあたえぬ書」と。
この言葉は副題で、皆に解って欲しいけれど、解ってくれない人には、あげる気もしない。その気持ちを書かれたのでは?

お話は変わって、先日昔幼稚園で受けた
知能テストの内容を思い出しました。
「丸の中に三角を1つ書きなさい」
というもので、正解は右図のようなものでした。

「ツァラトゥストラ」は右のような形で
説明出来ます。三角形と逆三角形です。

(注 図を載せる方法がわかりませんので空白です)

「ツァラトゥストラ」の1部に出てくる
「超人」についてこう考えます。

「ツァラトゥストラ」の中では人間の苦しみは
一貫して「海」。それが、左側の逆三角形。冷たい海の波。
地上に上がることを許されない苦悩。
海底に沈められて辿り着く。
逆三角の頂点すら越えてしまう悲しみ。
右側の三角形地位が上がったり、貯金の多さを表わす山ではなく、あなたが書いている「山」。
超人に至る山へは、海に落ちて山を登る。
なぜなら山々があるところは、昔、海だったから。
海に落ちたことのない人には登るべき山がない。
海に落ちた人の感受性がなければ山に気づかない。
これが、「海底に真珠、花は山」の超人思想の内容?

逆三角形と三角形の頂点は絆。2つの頂点を結ぶ線は道のり。
山のてっぺんと人間のドン底は円周にふれている点で同じ?
円周は人間に内在する不可欠なスピードであり
「ツァラトゥストラ」の2部の終わりから4部にかけて書かれている「永劫回帰」の円では?

「永劫回帰」・「時の円環性」、今が永遠ということですね。
全ては永遠の一瞬で、円で表わせるし、円の中に無数の点を書いて人の一生にl秒を見てもいい。
海山は永遠なるもののただ中で「そのどこにいても大丈夫なのだよ」と励ましているのでは?

私にとって「ツァラトゥストラ」は、仏教の「大乗」。
人間が苦しみにのた打ち、あるいは歓喜の時も永遠なる一瞬で、存在そのものが千年に1度しか飛ばない鳥でり、千年に1度しか咲かない花であると人間を歌いあげている。
サイエンスライターの柳澤桂子さん、薬害エイズの川田悦子・龍平さん親子。1960年代後半に起ったカネミライスオイル事件のカネミ油症患者の紙野さんご一家も私の目には「ツァラトゥストラ」。

ニーチェへの手紙2  1997年5月19日

ニーチェ様

その後、お変りございませんか?
友人から畑でとれた春菊の花とかすみ草、かきつばたの花束を戴きました。お花を眺めながら書いています。図書館では「この人を見よ」を借りてくるはずでした。でも貸し出し中でした。
ニーチェさんの書かれた本を中心に話題を拡げたいと思っても、自分中心に内容が進みそうです。
若き日より今日まで、あなたを語ることは自分史を読むこと。これからもニーチェ ルネッサンスの糸を紡ぎ、この織りによって人生を創る。これが最愛の哲学者への思い! 

「この人を見よ」の中で「ツァラトゥストラ」は、ご自分の作品の中でも「独自」のものと。そして「奴に襲われたのだ」と。
年譜によると一部は10日間で書かれたとのこと。これをウソだという解説者がいますが、わたしは事実だと思います。ニーチェが「ツァラトゥストラ」を書いたのではなく、ツァラトゥストラがニーチェに書かせた。

私がツァラトゥストラに会って約束をした話しを聞いてください。
発病してほぼ7年、治る見込みもなく悲しみが深まる1967年の夏、
「できることから始めよう」
大人の失笑を買うミーハーのおバカゆえに、自分のピアノをグレン・グールドに聞かせて気を引こうとは、ハイティーンなら考えつかない。この状態で15才を終えるのはもったいない。私は自分で自分の精神生命を助けたかったのです。

あなたは終生、お体の具合の悪い方でした。そしてグールドも。
2人に続いて私もというのは気恥ずかしいが、不調にかけては、ひけを取らない。現在もですが、当時もピアノを弾くのは無理でした。選んだ曲目は『ゴルトベルグ変奏曲』。倒れては起き上がってピアノを練習する。紙に○を書いて15~30分弾く都度、それを潰し休み休み練習する。
なぜ、弾き上がったのか? しかし弾き始めて4ヶ月後に整体の治療を受けたら弾けなくなりました。治療の刺激が脳に伝わり触感が著しく変化し別人の演奏になったのかな? 
混乱のまま程なくすさまじいシャーマンの修行が始まりました。

ニーチェは父親譲りの頭痛と眼痛に子供の時から悩み、「我が人生で最も暗い冬、118日間」を過ごしている。それを遺伝性の梅毒が原因としたがる噂があるけれど、私は信じません。
私の場合は、先祖の作った因縁の犠牲者達の苦しみを肉体を通して浄化する巫病ですが、それがわからずに、医者や治療家を訪ねていました。

1969年1月の7日間、午前2時過ぎに、酷さを通り越した、いつもの2時間にわたる半身ずつの大発作が終わると涙で枕を海のように濡らしている私に、音だか光だか女の人なのか、変化しながら山の頂きからゴルトベルクのアリアが聞こえてきます。
音楽が済むと「さあ、行こう」と私たちは空に飛び出したのです。

これは多くのシャーマンがカミダーリィや霊的原体験のときに経験する現象です。シャーマンの介添として現われるのは、民族によって鷹やさまざまな他の動物です。
見知らぬ天使か仙人かおじさんと外出するのは、痛みのために寝ることが出来ない私の夢ではありません。シャーマニズムでいう変性意識で、脳のチャンネルが変わり、違う波調が入ってきた。平たく言うと「気違い」。
肉体は寝床の中で、痛みは感じながらの旅行で、有史以来の芸術家たちの「憧れ」が住む山と日の出を見に行きました。
ツァラトゥストラを再読し、海と山、希望と夢は理解できましたが、「永劫回帰」はさっぱりわかりません。

ニーチェヘの手紙3  1997年5月22日

緑の山々がシンフォニーを奏でています。お体の具合は如何ですか? 狂気に倒れたあなたを思うと、どうしておられるかしら? と考えずにはいられません。
子供の時からよく無縁仏に頼られ、体が不自由になりましたが、私の40代の幕開けは、旧日本軍の医学界の人体実験の犠牲者の苦しみを受け、中年期は、日本の持つ因縁に関わることになりました。

東京オリンピックの時、公募して選ばれた言葉は「世界は一つ」「生命は一つ」宗教家なら誰でも言いますね。
体が、惨状を再現する場となり、亡くなった方の苦しみを映す。人間には共生・共有の原理があるから可能です。
死の説明も簡単。私たちは「生命は一つ」の証しで肉体を離れる。生命に帰る営みが「死」=肉体消滅。
ところが「死」を「終わり・無くなる・こわい・わからない」と不安がる習慣がある。

お話は変わって「哲学」を一言で言えますか? あなたがイタリーを好きだったことは読みましたが、スパゲティがお好きだったかまでは知りません。日本のうどんはイタリーのスパゲティの様に日本人が広く食しています。うどん好きが「すうどん」(何も具の入っていないもの)や、釜揚げのうどんを皿に盛り、少しの醤油やだしで食する理由は、うどんとだし以外があると味の良さがわからなくなるから。カロリー計算や栄養のために具が入るのはいいことでしようね。
人生とは永遠性と人間性への探求。「かけうどん」のように、メンとおつゆがあり、出来具合いが最高、これがほんとうのうどん通ならぬ人生通よね?
 
「天才とは珍しいことをするのではなく、当り前のことを珍しいまでに立派にすることである」
単純なことほど難しい。「ツァラトゥストラ」は、思想としては超人思想と永劫回帰の2本立て。その他は、あなたの理想に反する生き方と性質を持つ人達を回りくどく、ある時はぼかして表わす。
主旨は、プラントハンターのフランシス・キングドン-ウォードのように「メコノプシス・ホリデュラ(ヒマラヤの青いケシの花の植物学名)が咲く高みまで。ガレキに囲まれ、強風に咲く花に霊気」

私が地球を去る日、「ツァラトゥストラ」を守護霊とする音楽家グールドが言う。
「花を求めているうちに花になってしまって。風がビュンビュン吹く中で煩悩が飛んでしまう。君の持っていたあの『真珠』、手渡して来たの? トランぺッターが『誕生』と『ものみなうるわし』を吹いている」
*注 真珠:海底にある人間の魂の秘密を知っている真珠。ゲーテ・ヘルダーリン・ハイネによって表現されている。

私の「死」ヘのイメージです。肉体がある間に死後も持ち続ける魂を好きな色で染める。色見本が「ツァラトゥストラ」。
私は、あなたを「本質的に耳の人」と見ている。手塚富雄さん訳の「ツァラトゥストラ」は、優れた音楽でもあります。
グールドの作曲した作品を聴いた時、グールドの作品には「ツァラトゥストラ」のあの山があると風景画を見るようでした。
少女期に与えられた夢をいつまでも・・・。


ニーチェへの手紙4  1997年5月27日

春から初夏にかけて「楠」が新緑に衣替えする時、モダンな香りがします。この香りはアロマテラピーの「リンデン」の匂いのようにのんびりとできずに全神経がしゃきっとします。
芳香を切り進みながら夕暮れに法律事務所のパートタイムの仕事から家路につくとき、シューマンのメロディー(狂気と正気との境目。健康な狂気)が弾力のように私を捕らえて離しません。引き回すようにハミングする音楽の妖精の調べに乗って「永遠なるものの世界」に届いてしまう魂の実在を感じます。

お話は変わってバッハ・ベートーベン・シューマンとあなたの出身国ドイツは、音楽の精霊に恵まれていますね。

ニーチェ先生がスイスのエンガディン峡谷の村、ジルス・マリーアで「永劫回帰」の思想のインスピレーションを得たという事実には確信が持てます。
でも、超人思想が、いつ降りかかったのか。
頭痛と眼痛の発作がひどかった冬の数カ月?
それともイタリーはジェノヴァ近くのポルトフィーノ岬への散歩道での襲来?
「ツァラトゥストラ」は男の人、あるいは女性?
霊界であなたとグールド、ツァラトゥストラと私で語り合えたら、その時に色々なことが分かる。

さて、お話を「永劫回帰」に戻します。
1972年8月、自然に「永劫回帰」がわかったのです。その様子を書いた葉書は、投函せずに日記帳に残っています。

「8月も終わり、9月に入りましたが、いかがお過ごしですか?
私は毎日喫茶店にバイトに行っています。
ボーッとしていると人間なんて、行き当たりばったりの犬と変わらないのだなあと思います。高い思いもなく、頭をもたげていると、自分というものが真直ぐに水平線を目指して走り、海を超え、地球のどこの深さでもいい円周を回って、背中の方から戻ってくるような気がします。時間が最高によったものが永遠なら、この生活も同じではないかしら?(1972年9月1日)」

私の拙いニーチェ研究での7不思議の1つは、「なぜあなたは先に『永劫回帰』に、後になって『超人思想』に目覚めたのか?
なぜ「超人思想」は「ツァラトゥストラ」の第1部にあり、「永劫回帰」が2部の終りから最終部に?

私の場合、先に「超人思想」を体験した故に悩んだ。
ある日、「永劫回帰」に気付き、「ツァラトゥストラ」を読んで納得。あなたは先に「超人思想」を持ち、「永劫回帰」は後だったのでは?

私の悩みは、「ツァラトゥストラ」との約束を果たそうとするなら、芸を高めなくてはならないのに健康がない。そのギャップが辛かった。

「ツァラトゥストラ」を求めて「どこにいるの? ツァラトゥストラ」と日記のなかで呼んでいた私に、「ツァラトゥストラ」がメツセージを伝えたと思える文。

「千晴へ
 君は宇宙の中の塵芥
 なぜ世界を征服できよう
 風に吹かれるタンポポの綿毛
 だのに空中で逆い、そして考える

 君はひとつの思想に従属する
 人間「ツァラトゥストラ」
 山と超人への階段を知っている
 
 2拍子呼吸に怠情な空白
 嫉妬の原っぱに辿る道も
 誓いは希望の超人路
(1972年5月1日)」

(「千晴」というのはある霊能者が私に付けた名前。シャーマンになる人は、多くの問題の為に先輩に助けてもらうのが定番で、霊能者にもらった「千晴」をカナダに行く前まで使っていました)

いかがでしよう? 写し書きして、面白いなと思います。
そして時は流れて「永劫回帰」に気づいた私の言葉もあります。
「自らが一つの点ではなく、円周に属する1部分であるということを自覚せよ」
(1973年3月19日)


青春の「ツァラトゥストラ」変奏曲を楽しんで下されば、嬉しい。私は、「永劫回帰」に気づき、「超人思想」から解放されてた。

14才の8月、グールドにピアノを聴いてもらおうと決心した日から、20代最後の8月にようやくトロントで毎日1時間ピアノが弾けるようになるまで、「ツァラトゥストラ」の申し子ともいうべき15年間。


ニーチェヘの手紙5  1997年5月28日

親愛なるニーチェ様

書き上げた手紙は、あなたの住所を知らないし、地球には宇宙に住んでいる人に届ける通信設備はないので、私の出している「海峡」に公表します。

ある方がポーランド系アメリカ人マーク・ロスコという画家があなたについて美しい文を書いていると教えて下さいました。彼の後期の絵は、ニーチェの影響を受けているそうです。
ニーチェファンは、秘やかに住んでいるの?

「独り隠れ住んでいる者にわたしはわたしの歌を歌って聞かせよう。
またふたりして隠れ住んでいる者たちにも、そしていまだかって耳にしなかったことを聞く耳をまだ失わないでいる者の心を、わたしはわたしの幸福でずっしりと満たそう」(序文9より)

私とツァラトゥストラの原点は、16才の冬にツァラトゥストラが、聖霊として私を訪ねて下さったこと。コリアーナの訪れがなければ歴史に興味を持てないように、ツァラトゥストラが来なければ、私はニーチェさんに会えなかった。

難解な著書を一言でいうなら、ウラジミール・ド・パハマン(ピアニスト)が教えてくれたドイツの古い言棄、「心と唇が1つに歌うとき、音楽は最も美しい」
いつかビデュ・サヤンの歌声でピアノでシューマンを歌えたら・・・エンガディン逍遙と思っているアベッグ変奏曲には、岩場と小花が沢山よ。

第3部の「さすらいびと」から。
「さてツァラトゥストラは山を一歩一歩登りながら、若い時からのさまざまの孤独なさすらいを追想して、自分が今までにどんなに多くの山々、尾根、頂上に登ったかについて考えた。
わたしはさすらい人であり、登高者である。とかれは自分の心にむかって言った。
わたしは平地を愛さない。わたしはいつまでも静かにすわっていることができないらしい。
これからも、たとえどんな運命や体験がわたしを訪れようとそれにはかならずさすらいと登高とが含まれることだろう。
われわれの体験とは、結局ただ自分自身を体験することなのだ。(中略)

かなたへ、上へ。おまえがおまえの星々をおまえの下に見ることが出来るようになるまで。
そうだ。自分自身を、そして自分の星々を見おろすこと、それこそが自分の頂上の名にあたいするのだ。それが自分の最後の頂上として残されていたのだ。(中略)

ああ、わたしの足もとに広がる黒く悲しい海。ああ、この身ごもっている、夜闇のなかの苦渋。ああ、運命と海。おまえたちのもとへ、わたしはいま降りてゆかねばならぬ。
わたしはわたしの最も高い山、わたしの最も長いさすらいの前に立っている。それゆえわたしはまず、今までにしたよりもいっそう深く下らねばならぬ。
わたしが今までにしたよりも深く、苦痛のなかへ、苦痛の最も黒い潮のなかへ下ってゆかねばならぬ。わたしの運命がそれを欲するのだ。よし。わたしは用意ができている。

最高の山々はどこから来たのか。そうかつてわたしは問うた。そして、それらが海から生じたといういことを学び知った。
そのことの証明は、最高の山々の岩石と、その頂上の岸壁に書き込まれている。最高の場所は、最深の場所から、その高みに達するのでなければならない」


詩人高村光太郎は30才の時に「さびしきみち」を書きました。この詩にもツァラトゥストラの面影が。光太郎が「植物はもう1度少年となり少女となり」と表現した青葉若葉の頃は、ニーチェを語るにふさわしい。

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# by grpspica | 2004-10-01 11:47 | ニーチェ | Comments(0)
2004年 09月 30日

詩人たち(亀さまへ) byマサコ

HOW TO 。(ノリコさまへ)

亀さま

長姉のマンションの水道水を飲んでいたら、化学物質過敏症が進行してしまい、あわてています。次姉の家では、庭に出ると水道水を飲み、水分は充分なのに、住居が変わると条件が違います。

亀さまのコピーは、ほとんど読み捨てて、わからない経済のお話は、取っています。
それで、空をさまよう体調で、人恋しくなると、記憶からの亀さまの文章に返事を書く訳です。

相田みつを
よく見かけています。大きな(といっても画面は小さく、葉書程度)絵、文字で、悪口派の言い分がわからないでもない。
しかしみつをさんが私を攻撃してこないので、みつをさんのことを言う気になりません。

「こんなの詩じゃない」の意見を一般論に。
金子みすヾも大手拓次も生前に詩集すら出なかった。
詩か、詩ではないかは、難しいところ。

言葉少なく、文が短くても詩になることもある。
それは芸術作品に伴う霊気を発する作品か、ただの説明かの違い。
そしてそれは、受信者の感受性に任される。

ナボコフは、いち早く「二流の詩」と評し、ナボコフが感じているところの「一流の詩」と分けている。ナボコフのこの気持ち、わかる。
一流は、作者独自の感じ方、視点、表現力、連想(想像力)、色、香りが噴霧し、読者を別次元に導く。二流以下は、鈍さと低迷な表現力が正比例していくだけ。
ブルッと来るのです。
文学の基本は、詩という意見に賛成。

ちなみに私のたまに書く詩も詩ではありません。説明を短くしただけ。
バイロンの「ドン ジュアン」、ニ−チェの詩も怪しい。

(野里子は、マサコのルサンチマン風のゴチャ書きが好きでない。料理もあっさりはっきり好みなのに、「アンコウのキモ」だけは、ノド越しが良いのかツルツル入るのは不思議)

この詩歌文学ミニ説教が検閲をパスするか?
モニカも没好き。「マサコのガタガタの綴り方を清書タイプしていると
ワープロの腕まで落ちてくる」と言う。

マサコは、姉たちの控え目かつ上品(本人たちはそう思っている)な文を「没」にしたり、リモコンで「非公開」にする作戦からは、遠くはずれてしまった。

コンピュータ−画面を見ることが出来ないので、昨今、私の原稿がイキになっていたり、没になっていたりしている様子が、噂で入って来る。
ともあれ、コンピューターが、直情、かつ無鉄砲なマサコの性質と仲良くできる「怪獣」でないことは、よくわかる。
電磁波過敏症で「安全圏」にいるのは、間違いのない幸せである。





# by grpspica | 2004-09-30 15:31 | blogの輪 | Comments(2)