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by grpspica | 2004-09-13 19:30 | blogの輪 | Comments(0)
2004年 09月 07日

もらんさんへ fromマサコ

後追い日記1981年--My life with GG-- by 原 真砂子

コメントありがとう。
後追い日記を楽しんでいただけてとてもうれしいです。
もらんさんお手製のベルガモット・グレープフルーツ・ゼラニウムのハイドロラット(化粧水)、とてもいいです。私はバラが大好きなのにエッセンシャルオイルのローズ系にはアレルギーです。

アレルギーといえば、昨日、新しい歯医者さんで、金に隣接しているアマルガムを取り除きました。そしたら夜、お風呂で肌がすべすべしているのに気づきましたし、電磁波もちょっぴり楽かなぁ。
電磁波ブロッカーは、東京の横内医院のものが私には最高(これがないと死ぬ)。
歯医者さんの所にも「安心丸」というカードみたいなのがあって、笑ってしまいました。
最近水をけちる歯科医が多い。コップも小さく、水の出もちょろちょろ、うがい中の匂いをい流してくれる水の装置がついていないという具合に。でもこの歯医者さんのところは、水をたっぷり使えて、掃除の水もたっぷり出ている。
とてもユニークな歯医者さんで、使う薬品が私にも刺激の少ないものばかりでとてもよかった。

さてイランイランは「おムコさんはイランイラン」と言って育てました。朝陽と夕陽を追って場所を変えた去年。ひなたぼっこにテラスに出そうと抱きかかえると「キュッ」と香って私にサインを送るかわいい人です。
地味で典雅で、実に長い間、緑の花、そして落ち着いた黄色(クリーム)になります。
あれから1年。
人間は、いやなことだらけですが、植物はステキですね。植物と動物はどっかまではDNA一緒だったっけ。
長いおしゃべりお許しを。


マサコ




by grpspica | 2004-09-07 14:17 | blogの輪 | Comments(4)
2004年 09月 04日

修道女モニカ by 原 真砂子

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 クープラン作曲「修道女モニカ」は、ピアノ学習者によってよく弾かれる小品である。
 プロのピアニストで聴いたのは、田中希代子さんの演奏のみ。この演奏は、田中さんの名演の中でも私のもっとも好む演奏の一つである。
 Aセクションのトリルを聴いただけで、田中希代子さんが天才だとよくわかる。Aセクションは整っていて、田中さんのトリルの美しさが「形」として、響く。落ち着いて、明晰。修道女モニカの日々の生活ぶりもかくありなんと納得がいく。
 ところがBセクションになると、にわかに空がかき曇り、ドロドロした人間のどす黒い感情が流れてくる。田中さんは美しい音の中に激しさを、慟哭を、暗い色調で流してくる。
 心の中でこの曲を繰り返し鳴らしているといやが上にも、人間の「整える力」と、「自分を解き放ち、むき出しにしたものが流れる力」を感じる。

 これだ。ニーチェのいう「アポロ的」なものと「ディオニュソス的」なものとは。
 2000年は、ニーチェの没後100年にあたり、世界中で50以上の出版物が刊行された。その中の「白眉」とされる、リュディガー・ザフランスキーの「ニーチェーその思考の伝記」から説明を引用する。

 「アポロは形式、明晰さ、堅固な輪郭、明るい夢の神、何よりも個性化の神である。彫刻、建築、メロスの神々の世界、叙事詩の精神——これらが全てアポロ的である。一方、ディオニュソスは解体、陶酔、忘我、無礼講酒宴(オルギアスムス)の荒々しい神である。音楽と舞踏が特に好まれる形式である」

 芸術は人生でもある。
 感情をむき出しにせず、にこっと笑って済ますのが「アポロ」なら、おどろおどろしい気持ちが内部でとどまらずに発散するのを感じる「ディオニュソス」も人の心というものだ。
 大脳皮質の左右半球の異なる役割で、主要な言語中枢《アポロ》、非言語的な観念構成の《ディオニュソス》。「顕在意識と潜在意識」。「コントロールできるもの」と「コントロールしない(発散させる)ことによって抑制状態へと促す」この二つのものが人生、人間を生きるものにとって不可欠なのだろう。

 楽曲形式のABA型は、我々の心のパターンかもしれない。簡単にいうとアポロは視覚、ディオニュソスは聴覚である。

 ニーチェの言葉
「一切の存在の基盤である世界のディオニュソス的根底は、アポロ的な浄化力によって再び超克されうるぎりぎりの限度においてのみ、個別的な人間に意識されうる」

 田中さんの「修道女モニカ」は、ニーチェの思想を音現化した極めて稀な演奏といえよう。 





by grpspica | 2004-09-04 16:45 | 音楽・哲学・宗教 | Comments(0)
2004年 08月 30日

お願い宮部さん、添削して その2 by 原 真砂子

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今日の文章教室は「手紙文」です。

 手紙文の一番のむつかしさは、誰が誰に書き送るかによるでしょう。愛や恋の手紙なら何かを成就するきっかけにしたいものです。ファンから有名人ヘ、読者から作者への感想を送る手紙。あ-、これらも小説よりむつかしく感じるのです。

 2001年の連休は「模倣犯」、2002年の連休は「あかんべえ」で過ぎていきました。宮部先生の才能は、コンコンと湧きいづる泉のようで、その中に星の光、花の香りが入っているから、たまりません。人間がこれ程、性描写抜きで小説が書けるのか? こんなことにも驚いてしまいます。

 全く驚くのは先生の文体です。句や短歌、詩歌の味わいを型の上でなぞりながら、綴り方の手触りを含有し、しかもEメール文の時代の風を投げかける。1グラムの軽さを100トンにし、1000トンの重みを0.001グラムにする。人を日常に浸らせつつ、字宙に翔ばして、才能、文才などの言葉も見つからないほど。そう、あのレジェロ(軽くすべるように弾くこと)、稀有のピアニストの奏でる音色、タッチで体がころがるように「あかんべえ」拝読させていただきました。

 シャーマニズムのすべて。人間の悲しさ愛しさ。いつもながらの数学の公式のような乱れのない文の作り方。ディケンズそっくりのユーモラスな語り。お料理の現物が婦人画報のようにこの作晶のとりまとめ役になっていますね。ファンたちは言っています。
「宮部ってどうなっちゃってるの?」

 先生、私は、シャーマンでございます。シャーマンとして、一番痛切に感じましたことを書かせていただきます。
 以前、あるピアニストが亡くなって、私を霊的に訪間した時のこと、その合図に私の頬を指で押していると書きましたら、ある人が
「そんなのへんだよ。おかしいよ」
と言って来ました。
でも先生も、あんまさんだった人の霊が人をもみ出すことを書いておられますね。私は、その人に手紙を書きました。
「このピアニストは生前、自分の指を特別大切に思っていたと思います。それでその演奏を慕って生きて来たファンのことを知り、とても嬉しかったのでしょう。人の気を引くとき、自分から騒ぐよりも向こうから動いて欲しい性質の人がいます。最初は思わずほっぺたを撫でていた。でも気づかないふりをされると長い間には、気持が強いだけ、相手には押すように感じられたのではないですか。ちょうどドアベルを押し続けるように」

 私はうるさいなあと思いながら、それでもまだおかしいと言う人のために、その部分を書き直しました。そして、すっかり書くのが嫌になり全部をほったらかすことにして、今日に至っております。

 元はといえば「人に理解を求める」ために自分のことを書き出した動機そのものがいけないのでしょう。
 読者全員を「あのマコ、原麻沙子(私の小説の主人公の名」にしてしまう程の腕がない文章力なのですね。

 ピアノだって「これなら受け入れられるだろうか?」くらいで弾くなんて、バカげた演奏ですものね。
 小説家になるには、調理道具も調味料もいる。最初からコース全体を通して、どこで何をどんな目的のために出すか、計画が必要なようで、事実だけでは、小説になりません。
 でもなぜ、私の実際の体験が「うそや、ほんまや」といわれ、宮部さんの作品となると「ウソでもホンマでも、どうでもよくなるのでしょうか?」

 先生のコメント、先に書いていいですか?
「それはそれ、人には料理上手ってこともあるし、あなたの文が、それなりに貧弱だから読者の持っている本来の想像力を何も刺激できないからよ。話の泉を引き出すような文が書けていないの」
 先生、一人二役は、こんなもんでいいでしょうか?

 突然ですが、小説家になりたい気持ちも、この手紙を書くことも、ここで終りにします。書きたいことは山々あるのですが、なぜって、読者に「この人、今度は宮部先生に一体どんな手紙を書くのだろう」って『想像』して欲しいからです。

PS 自分の作品の感想が来ているんだもの。きっと最後まで読めたよね。




by grpspica | 2004-08-30 13:23 | グループスピカ | Comments(0)
2004年 08月 28日

HAPPY BIRTHDAY!

1928年8月27日~2005年8月20日 展子さま

あお 谷川俊太郎 シャガールと木の葉より

よるのやみにほろぶあおは
あさのひかりによみがえるあお
あおのかなたにすけているいろはなにか

うみのふかみににごっていくあおは
そらのたかみにすみわたるあお
あおのふるさとはどこか

こくうをめざせばそらのあおはきえる
てのひらにすくえばうみのあおはすきとおる
あおをもとめるのはめではない

かなしみのいろ あこがれのいろ
あおはわたしたちのたましいのいろ
わたしたちのすむこのほしのいろ



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1909年7月27日~1972年3月22日 謙さま

父(ザルツブルグ)へ
……
最愛のパパ
ぼくは詩のようには書けません、詩人ではないから。文句をうまく配置して、影と光が生じるようにはできません、画家ではないから。手振りや身振りで、気持ちや考えを現わすことさえできません、舞踊家ではないから。
でもぼくは、音をもってなら、それができます。ぼくは音楽家です。それで、明日カンナビヒさん(???)の家で父上の襲名祝日かつ誕生日を祝って、ピアノを弾くことにいたします。
………
では、音楽的な祝辞で結ぶことにします。音楽において作るべき新しいものがもうなくなるのに要するくらいの長い年月を、パパが生きていて下さるようにと願っています。 
…………….
 モーツアルトの手紙


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1933年7月14日~2002年9月27日 リャン・敏さま

"si je puls" もし私にできるなら 
                 ウィリアム・モリスのモットー


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1949年6月22日 モニカさま

お誕生日おめでとう。
2005年はダイナミックな年になりそうですね。

   緑の締金         大手拓次

        --私の愛する詩人リリエンクローンへ--

葡萄の実をふくんだやうにすずしく、
おまへの唇がわたしの思ひでとなつて生きるとき、
太陽はきいろく、マルメロのやうにかをりはじめる。
太陽は上手な庭師のやうに樹樹(きぎ)に花をつけ、葉をつける。
かげをつくつて、そのしたにゆきどころのない憂鬱をあそばせる。
太陽は わたしの胸へ勿忘草(わすれなぐさ)の芽をうゑる。
おお おお よろこばしい黄色い太陽よ、
わたしはこのうすいろの帯についた緑の締金(しめがね)をかたくしめて、
ゆかうよ、堆肥(つみごえ)のあたたかく蒸(む)れる畑の隅へ、
ゆかうよ、ねむさうな眼をした牛がおたがひに顔をなめあってゐるところへ。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1942年6月2日 進様

 時の香    大手拓次

この ひとわたりすぎさつた時のにほひは
うらさびれた奥庭のなかにちらばふ影
そのあしあともなく うしなはれる
まどろみの ねむりの花



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

時の香1939年5月12日 マリーナ先生 

五月の姉さんへ    大手拓次

わたしの好きな五月の姉さん、
せうせうお待ちください、
あなたのおみやげをよろこんで拝見いたしますから。
さっぱりとした五月の姉さん、
おわらひにならないで、
わたしの妙な物言ひぶりをごらんくささい。
おお もうあなたはお口のあたりに微笑をたたへていらっしゃる。
わたしはいま、あさみどりのふくろから いろいろの物をとりだしました。
そつとわたしの手につかんだのは
やはらかな それでゐてしやんとした白いつつじの男花、
それから 手のひらにのせてみたのは
あをい木蔦(きづた)にからまれた真珠のやうなマアブルのきざみ像、
サイネリアと、あヤしい吸枝(きふし)をふくらませる黄色い蘭の大輪の花、
それから、すっとわたしの指にふれてなまめいたのは
わかい女の人たちのよくゆめにみるチユウリツプ、
またにやにやとうすわらひするのは
毛むくぢやらな室咲(むろさ)きのイスピシア、
おとなしくわたしの手にだかれたのは
おもはゆいやうな顔をした淡紅色(ときいろ)のばらの花、
そのあとにおともしたのがヒアシンスの紫の花、
ああうれしい、わたしの好きな五月の姉さん、
あさみどりのふくろからまたころびでるのはなんだろう、
水色と紺との羽根をはやし すいすいととぶ銀とんぼ
ばらばらとまくやうにおちてくるのは
さくらんぼ、いちごやぐみの漿果(このみ)のあられ、
夜と昼とをからみつける
うすくらがりの沈丁花、
くらい樹立(こだち)にまようてゆく隠し児のやうないぢらしい
野のあらそだちの白い小花の名無し草、
ああ だれもみんなおいで
わたしはお前たちをみんな抱いてやる、
さうしてかはいがってやりませう、
ひとりごと言ひながらはしやいでをりますと、
いつとはなしに
しめつぽい雨がふる、
間遠に屋根をうつひつそりかんとした雨が
五月の姉さんの背中をはつてゆく。
わたしの好きな五月の姉さん、
五月のゆめをみる月です、
黄色い花や白い花がみじまひをして
たちうちをする男こひしい闇の月



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1935年3月31日 村田 久様

大いなる春の月あり 山の肩  杉田久女

×月×日
第4コーナーからホームストレートにさしかかったときに   
どこからか ある日忽然と現れた人   
なぜこんなにメールが待ちどおしいのでしょう?   
なぜこんなに会いたいのでしょう?   

でも会えば幻滅するかもしれないことが怖い   
幻滅させてしまうかもしれないと思うと怖い   
会えばもっともっと気持ちが高まることが怖い   
そしてそのあと今よりもっと苦しくなることが怖い   

ある日パソコンの中のメールが全部消えていて   
あれは夢 というような日が来ませんように   
「今」ができるだけ長く続きますように
 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1916(大正5)年3月25日 石崎キク様

香料の顔寄せ 大手拓次

とびたつ ヒヤシンスの香料、
おもくしづみゆく 白ばらの香料、
うづをまくシネラリヤのくさった香料、
夜のやみのなかにたちはだかる 月下香(テュベリス)の香料、
身にしみじみと思ひにふける伊太利の 黒百合の香料、
はなやかな着物をぬぎすてる リラの香料、
泉のやうに涙をふりおとしてひざまづく チュウリップの香料、
年の若さに遍路の旅にたちまようふ アマリリスの香料、
友もなくひとりびとりに恋にやせる アカシアの香料、
記憶をおしのけて白いまぼろしの家をつくる 糸杉(シブレ)の香料、
やさし肌をほのめかして人の心をときめかす 鈴蘭の香料。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1983年3月23日〜1990年8月  ヤコブ グリンガス様

私たちが あらゆるものを
「空」とするために 削り取り
削り取ったことさえも削り取るとき
私たちは深い理性をもち
「空」なる知恵を身につけたものになれるのです
 
                   柳澤桂子「生きて死ぬ智慧」より


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1932年2月5日〜1996年2月25日 田中希代子様

What is Poetry? Who knows?
Not the rose, but the scent of the rose;
Not the sky, but the light in the sky;
Not the fly, but the gleam of the fly;
Not the sea, but the sound of the sea.
Not myself, but what makes me
See, hear and feel something that prose
Cannot; and what it is, who knows?
 
        Eleanor Farjeon

詩とは何でしょう? 誰か知っていますか?
バラではなく、バラのかおり、
空ではなく、空のかがやき、
虫ではなく、飛ぶ虫のきらめき、
海ではなく、海のたかなり、
わたし自身ではなく、なにかをわたしに見せ、聞かせ、
感じさせてくれるもの、
散文ができないことをするもの、
それはなんでしょう? だれか知っていますか?
         むろの会 訳

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1月28日  muso様

竹の子を堀りて山路をあやまたず 杉田久女


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1756年1月27日〜 1791年12月5日 モーツアルト様

   白くあれ 大手拓次
わづらひは 草のごとくしげれども
ただ しろくあり
とらへがたなく はびこれり

ひびきを咬みて あらはるる
その くろき言の葉は
さまもなく たたずみをれり

しろくあれかし
なにごとも かたちなく かたちなく
しろくあれかし



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1920.1.23〜1980.7.28  香里様 

   音 楽 シャルル・ボードレール 大手拓次訳

音楽は をりをりに 海のやうに私をうばふ!
あをじろい わたしの星にむかつて、
はてしない霧のふかみに また ひろびろとした空のなかに
わたしは帆をあげてゆく。

帆布(ほぬの)のやうに
胸をはり 肺に息をすひこんで、
夜の闇におほはれはてた
たかまれる波の背に わたしはよぢのぼる。

なやめる船の
そのさまざまの苦しみに わたしは身ぶるひをする。
おひての風も 暴風も その動乱も

底しれぬ淵のうへに
わたしを ゆりゆり眠らせる。——また或時は なぎやはらいで、
わたしの絶望の大きな鏡!



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1月17日  勢津子様 

   しろい影 大手拓次    
なにものともしれない影におひかけられ
眼をひらいて あしもとにたたずみ
うつらうつらと むらさきの時をきざむただよひ
影はしろくあり
色もなくあり
葉ずゑにわらふ ひざしのにほひ
わたしのうしろから やさしくつもる このしろい影
地のなかにのびあがりゆく しろい笛のね
おしたわめられ なでやはめられ
そのあぎとのなかに のまれる現(うつつ)の花びら 
    
                       

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1888・12・25〜1962・12・15 石崎加壽恵様

   祖母に送る詩
中夜怱自起 中夜忽ち自ら起き
汲此百尺泉 此の百尺泉を汲む
林木含白露 林木白露を含み
星斗在青天 星斗青天に在り    賈島(かとう)

  つと起き出でて小夜ふけを
  この井戸ふかく清水汲む
  木立ちの樹々の露けさよ
  ひさかたの星きららかに          佐藤春夫 訳
       
     

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1947.12.15〜1996.7.4 K子さん

  よみがえり 大手拓次
すべてのものをすてて、
わたしはよみがえる。

ものをすて、身をすて、たましひをすて、
うつし世のなごりをすてて、
わたしは野辺の草のやうによみがえる。

けれども、そのさびしさは黄金の月のやうに、
過去のほほえみをわたしの胸にこぼしてゆく。


「千の風になって」でより広く世に知られた社会活動家のK子さん。
ご家族や友人知人から、これほど尊敬される方もいない。
愛がどんなものか知りたくなる時、あなたの事を思い出します。
あなたが愛を語りかけている地上に、今はお好きだった
「ワレモコウ」になって帰っていらっしゃるのでしょうか? マサコ


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1901年11月22日〜1996年1月6日 ラッセル・ハーヴァート・グールド様

星の優しい輝く光はもっとも恒久的、規則的な夢想の1つ、
眼差しの夢想をひきおこす。
想像力の世界では、光り輝くものは、すべて「まなざし」なのだ。

                                ガストン・バシュラール

  夢想家、芸術の神様の息子をこの地上で助けた父親は、
  きっと音楽の神様にお仕えする天使だったのでしょう。
  ゴルトベルク変奏曲の第9変奏は、
  あなたにふさわしい「天使のまなざし」のカノンです。 マサコ


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

11月16日 ノリコ様

みどりのなかに 生ひでた 手も足も風にあふれる薔薇の花。 大手拓次



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1890年10月31日〜1975年7月26日 フローレンス・グールド様

音楽のない人生は失敗である ニーチェ

  時代の最先端を歩く方でした。11才年下の夫。41才の初産で自然分娩。
  一人息子は、いまだに世界の音楽会を風神のように牛耳っています。
  子供をこれほどの音楽家にした母親も数少ないでしょう。  マサコ


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1844年10月15日〜1900年8月25日  ニーチェ様

  一人のために万人のために    大手拓次
一人の生きるために、
万人の生きるために、
民衆のうへにみどりの火をかざせ。

一人の死をとむらふために、
万人の死をとむらふために、
民衆のうへに青銅の鉦(かね)をならせ。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1916年9月29日〜1945年4月1日 石崎和彦様

   ゆふぐれ    大手拓次
ゆふぐれは そこにちかづいて
ことばを さしいれる、
きえてゆかうとする あをいことばを。

ゆふぐれは うすいろのきものをきて、
こころのおもてに
うまれない星を ちりばめる。

ゆふぐれは あのひとの こゑのないことばを
そよそよと そよがせ、
みづのように こころをふかくする。

ゆふぐれは はなればなれの思ひを
けむりのように つなぎあはせ、
かくれてゐる おどろきをそだててゆく



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1932年9月25日〜1982年10月4日 グレン・グールド様

刈麻(かりあさ)や どの小娘の恋衣   正岡子規
 
    ゴルトベルク変奏曲の第18変奏
    Canone alla Sesta(6度のカノン)が大好きだった音楽家へ
    72才おめでとう。   マサコ



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2004年9月16日 マサコ様

撫子に蝶々白し 誰の魂(たま)  正岡子規
   
    ねぇ、お誕生日にどんな言葉が送って欲しい?
    そんなん、自分で捜してよ。
    文学的素養がないし、捜す時間もない。
    そんならと、ご本人が選択した俳句でした。  ノリコ 



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2004年8月28日 亀様

私たちは輝きにおいて眩しく、完璧な単純さにおいて、素朴な絶対的真実の間近にいるのを感じる。

ナボコフが自身の作品の登場人物に語らせた言葉です。
あなたさまの世界に触れると、この言葉を思い出します。 マサコ

過去の年月が長かったとしても短かかったとしても、
地球規模・宇宙規模でみたら次の1万年なんてすぐ来るわ。   ノリコ




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by grpspica | 2004-08-28 09:28 | Happy Birthday | Comments(9)
2004年 08月 27日

お願い宮部さん、添削して その1 by 原 真砂子

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宮部みゆき様

 天才とは何か! 
「才能」をなんと定義するかについて、かつて私のピアノの先生は「どれだけ早く習得して、どのくらいゆっくり失うかよ」とおっしゃいました。
 これはピアノやスキー、語学に通じる見方なのかもしれません。この見解と平行して私は「先生の教えることのできない、他人のまねられないもの」と定義してきました。
 しかしあなたの一連の作品を拝読して、
「天才、才能とは人に喜びを与えつつ、人を悔しがらせたり、地団駄を踏ませるものだ」ということが大変よく分かりました。
 ところで宮部さんは、「私淑」という上品な言葉の文字と意味を勿論ご存知ですね。私がこの言葉を知ったのは、佐藤春夫の年譜を読んだ時。
「父親は子規に私淑した人で『よく笑えどちら向いても春の山』という子規の句から『春夫』と命名した」とあったのでした。
 すごい。子規について俳句を習っていたと思いきや「私淑」とは(「孟子」離婁下の
「子は私ひそやかにこれを人よりうけて淑しょとするなり」から)
   直接に教えは受けていないが、ひそかにその人を師と考えて尊敬し、模範として学ぶこと 「私淑 する小説家」(小学館「大辞泉』より)
 そう、私は宮部みゆきさんを正に私が「私淑する小説家」にしたのです。

 自己紹介をさせていただくと、私は松本清張の小説に登場する文才のないグループの1人「何を書いているのか分からなくて、内容をこちらから見当つけて読んでやらないといけない」文を平気で書きます。この松本先生のご診断には、体がオットセイに変形する程笑ってしまいましたけど。

 では文章教室を始めましょう。
その1、日常的なことをおもしろく書く。ネタは家庭生活から。
 宮部先生は、これがお上手ですね。もっとも先生は全てお上手ですけれど。
 それじゃ私もパッチワークの一部分、頑張ってみますか?
『僕は同居人と暮らしている』
  ブー! 同居人と暮らすのは当たり前。
『僕には同じ自由業の同居人がいる。自由業は、いつも家にいてほとんど気ままな時間帯で働く人のことだ』
  ブー! 自由業というのは、公務員、会社員に対して、医師とか弁護士とかいう職種の人たちのことでは?
  これも1/4ブー! 自由業とは、勤務時間に縛られるなどの制約を受けない「作家」や弁護士のような専門的職業のこと。
  ね、日本語は正確にね。

 ハーー!
 大きくついたため息にクーラーと扇風機の風にそよいでいた花瓶のトルコギキョウも同情してくれるようであった。
 本音 ーー あのう、あなたならお金みになる文章が、私のはならないのが悲しい。
 宮部の忠告 ーー 結論を急いではいけない。

 私はお姉さんと住んでいます。
 2人とも、いわゆる日本でいう「行かず後家」。英語なら「スピンスター」というシンプルな星のような言葉で言い表わすのに、日本語では、心の中にドクロを描いたようなおじさんたちが作った、きっと昭和40年代あたりの造語でしょうか?
 宮部の注意 ーー よく調べるように

 この間、お寿司やさんでセクハラにあいました。夜の7時だというのに他の客がいない。1人でおすしを食べていました。お店に同情して「今夜は寂しいね」と言ったのがいけなかったみたい。店ではなく、お客様ご自身のことだと思われたみたい。
 次に「おいしいものを食べたい」と普通に言ったのが、益々よくなかったみたい。つまり、何か別なものが欲しいのだろうというのです。もうこのすし屋には来てやらないぞ。やっぱり銭湯みたいな、人が大勢いるレストランに行こう。断然安上がりだもん。

 今朝のこと。姉がわめいている。
「いやーね。また、こわしたのね」
「ええ、こわしたのよ。だってハンカチが見当たらなくて頭に来て、引き出しにのしかかったら横棒が折れてしまったの。なだめたら、ちゃんと入るんじゃないの?」

 姉は、またわめいている。話が少し違うようだと見に行くと、掃除機のこと。
 先日、吸いが悪いと袋を変えたら閉まらなくなった。そこで袋の先の紙のところをチョキンチョキン切ってはめたら、フタがバカになったのか、ポカンと開いてくるので、ガムテープでしめてやった。グレイの買い替えたばかりの品。 
 思いきり叩いたのがよくなかったのかな?
「紙の形が合わないのよ」
「前の古い型の吸塵袋が残っていたかしらね」
 2人でジャングルのような納戸の中を吸塵袋をさがす。
「なんで、下取りセール付きでモデルチェンジするのよ。売らんかな主義だわ」
 妹、ヒステリックに会社批判!
「15年も研究してチェンジしたんだから、いいじゃないの」
 大型ハンドバッグの形に口を整えて一語一語怒鳴る姉。

 数分後、
「あなたが吸塵袋を切ったからいけないのよ」
 吸塵袋は、プラスティックの止めの下をくぐらせると見事におさまるようになっていた。つまり上においたから、ぶ厚くなってしまらなかっただけなのだ。端を切ると寸法が足りなくて開いてしまう。
 ーーこんなこともわからないバカなの!
 テレパシーで聞き取る姉の声はすごく大きい。
 それ見たことかと姉は、チョン切られた袋をゴミ箱に捨てた。まるで商業主義が勝利したかのように。

 この姉は、心をこめて購入したスウェーデン製のノンフロンの冷蔵庫の引き出し部分のプラスティックを、そそっかしいこの家の長女がこわした時も半狂乱になっていたっけ。

 ーーあんたいつも1人で住みたいって言っているけど、これでは私がいないとどうなると思ってんの! 
 これもまたテレパシーで私の体にどんどん入ってくる。
 ゴミ箱に投げ込まれた袋は、まっさらに近く、勿体なくて仕方がない。いいことを思いついた。
「ねぇ、この袋、新しいから、さっきみたいにして使ってよ」
「本当だ、そうしたら使えるねぇ」
 ガムテープはまだ掃除機の本体の横に張り付けてあった。

 こみ上げて来る笑いが飛び出さないように歯でかみつぶすと、のどの奥に逃げて行ってくれた。そしたら胃のあたりでもっとおかしくなってしまった。
「ねぇ、お姉さんが珍しく掃除しているし、私は朝早く、お水撒きしたから、今日は 絶対、雨が降る。珍しくフトンも干してるし」
「うん、そうだね」
 あちらは、笑いをどこにしまったのかな?
 それにしてもハンカチが見当たらないくらいで引き出しに突っかかるスピンスターはやっぱり暴れん坊。おすし屋さんのご主人の意見も当っているような気がする。






by grpspica | 2004-08-27 17:30 | グループスピカ | Comments(0)
2004年 08月 26日

空色と紫の花 by 原 真砂子

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プルーンバーゴは、やわらかな空色が魅力の邦名「ルリマツリ」、タイ名「パャクモク」、学名「plumbago capensis Thumb =P.auriculata LAM(Plumbaginacea) の花木である。
「タイの花鳥風月」の著者、レヌカ−・ムシカシント−ン(旧姓秋山良子)さんの表現によるとその青は『「みそらのいろのみずあさぎ」よりさらに淡くあどけない』

へぇ−、あさぎって黄色じゃないのなんて、野暮な事をお言いではないよ。空色というと水色と青があるが、デュランダ(タカラヅカの愛称あり)の紫色とセットで植えると頃合のいい絵の具箱のような庭になる。半つる性だからツルっぽいプルーンバーゴだけれど、デュランダもやわらかな枝をあちこちに差し込む事もできる。水色にこだわっているけれど、このルリマツリには白もあるんだ。そして、デュランダにも「アルバ」と呼ばれる白がある。


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「オキシペタラム」は、これまた、やわらかな水色の花。「ブル−スタ−」ともいう。しかし花は、蕾の時は、薄いピンク。芯は濃い青で、色彩感覚豊かな取り合わせ。特に、水色の花とピンクの蕾が風に揺れているのが可憐で「眠れる森の美女」の魔法使いが、1人はブルー派、もう1人はピンク党で、王子と躍るオーロラ姫のドレスをピンクやブルーに変えたあの願いを実現したかのような、やさしい響きを持つ。

少しベルベット風な肌ざわりなので、薄い花びらのルリマツリに比べると秋っぽく思える花弁である。花を放っておくと淡いグリーンの唐辛子を長くしたような形となり、やがて割れて、中から、ファンタジーのような綿と共に、種が風に飛ぶ用意をするのが楽しい。触ると量、質感共に「モスリン」のムードがして、ため息が出てしまう。私はチビだから、花まで持ち主のプロポ−ションに似るのか、背丈は50㎝から70㎝とあってもせいぜい30㎝の高さにしかならない。水色がお好きなら、この二種をおすすめ致します。






by grpspica | 2004-08-26 10:05 | グループスピカ | Comments(0)
2004年 08月 17日

これがヘリオトロープ byマサコ

お好きな黄緑です。

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by grpspica | 2004-08-17 10:35 | グループスピカ | Comments(2)
2004年 08月 16日

原さんちの交換ノート byノリコ

まえがき
 1973年4月原家のトイレに1冊のノートがおかれた。
 1年前の3月に父が死亡。当時の家には長女、次女、三女、母親の4人が住んでいた。その後東京にいた長兄がUターンし2階の寝室のひとつを独占。女性4人はひとつの寝室で過密状態。兄は78年に結婚して家を出る。80年母の死、81年三女のトロント行き・85年次女のニューヨーク行きによって長女がひとりとなるまでの12年間、家族はもちろん来訪者がトイレでこのノートに書き続けた。

 公表を予想していない個人的なノートの最初の7日間をこのような形でblogに載せるのは、スピカの面々もそれなりに年をとったということか。私達の将来の手持ち時間は、過去に共有した時間よりはるかに少なくなった。

 それでは、白秋の短歌と共に春を過ごしたあの当時の日々を思い返そう。

4月26日長女:ミニ・コミ・ボードには思想が書けないとのマコの訴えを慎重に考慮した結果、ボードをあらためるところのノートがここに誕生。1973年4月26日午後11:45
 自由に埋めていけばいいものの、各自の「日記なるもの」の方をお留守にされぬよう。

三女:お願い、バイロン作「ドン・ジュアン」の全文知りたし、けいさいを望む。

長女:ドン・ジュアンの難船-再び愛と死について
 23名の中にペコとチッチがいてあとの21名は他人で、
 ①くじ引きに当たるのが1名でよいとすればチッチが名乗る。
 ②運の悪いのが2名以上必要だとすれば、くじにまかせ、もし ペコが当たれば、他の1人にかわってチッチは船をおりる。(手を取り合ってだ。チクショーメ)
この点マコと同意見。悲劇はチッチがくじを引いたにもかかわらず、ペコは・・・ああペコは!!

次女:そんな男に恋するより、大きな愛に生きるべし。

4月27日三女:今日のテーマは、「その人のために生きることができるか」である。(出願者マコ)

長女:一昨日モルガンの「地球の重み」を読む。リシュー♀にしてみれば夫であるピエール・タラーグが“政治”に関係し妻子との平和な生活を放棄することが納得できない。彼女にとって“その人”とはせいぜい夫・子供・親の域を出ない。
これに反しピエールにとって“その人”とは虐げられている人間一般なのだ。それゆえ妻子のために生きることが目標ではなく、みんなのために生きること即妻子のために生きることであると強弁する。
特定のその人のために生きること即みんなのために生きることであるような状態はありえないのか?

次女:みんなのために生きる「ピエール」に恋し愛するに至るリシュー。彼を愛し助けて生きて行くリシュー。

三女:なるーにネ。しかし最終の2行 リシュー=チッチではないのかのぅ。

 一人は万人のために万人は一人のために 灘神戸生協COOP。その大きな存在の意義 無公害洗剤「せっけん」、一人のため=万人のため

長女:交通ゼネスト。起床11:00am インヴェンションをひく 優雅な!!1日。

三女:交通ゼネスト関係なく4/27きょうの1日右腕のリューマチにしてやられ、かぐわしき紅茶のような1日である日和に恋も語らずはたまた20歳の賛歌もせず、ムリヤリ愛する万能楽器に30分は遊んでもらったけど、後グールドのいう「人間の魂の暗い夜」まっぴるまを経験し、まぁたまには芸術家にとってはいいけれど、精進を望む若き血潮には相変わらずの日々。

しかしこれでさえも音楽とするなら人間生活ならばバベガシが我家にやってきた事。ピアノの調律がなされている事に愛するつつましい調、ト長調の喜びを感じよう。

長女:ト長調は何故につつましいか説明を請う。
  告 森山良子の“片想い”知りたし 提供者には薄謝

4月28日三女:N氏よりなぜにト長調がつつましい調であるかの釈明を求められた。自らを芸術風に愛するM嬢にとっては心を彷彿させられるような質問である。

 これについてはBACHの48プレリュードとフーガが、6つのパルティータ、フランス組曲、English Suites モーツアルトのソナタ、ベートーベンの32のソナタその他諸々の調を持たされた曲の中からト調の物を選べばその一貫性がつかめるものと思う。

 パルティータの5番、フランス組曲の5番、いづれもト長調であるが、そのやさしい美しさはあたかも夫によく愛されている妻のような雰囲気である。G Dur は48曲のWell-Tempered Clavier(平均率)の中にわずか2曲みられ、7つのトッカッタの中には1曲。モーツアルトピアノソナタ中1曲。Beethovenの中に子供なら誰でも弾くピアノソナタの他Op.14 Nr2、Op.49 Nr2とOp.79、イタリア趣味のソナタOp.31 Nr1がト長調。バガテル集Op.126の第1曲と5曲がト長調。

 色々調べる暇がないからピアノ・コンツェルト第4番で止めとくけど、これらの曲のイメージをさぐる時、我々はここにある女性像を見いだすし、また非常にさっぱりした男性の魅力、そしてト調の持つ広がりというのが家庭的であるのに気づくと思うのである。

 2つの音が違う ♭ ひとつのヘ長調は簡潔な雰囲気はよく似ているが、ト長調よりいくらか華やかで独身者の自由があるように思えるし、ハ長調はあきらかに新生の始まりをより効果的に表せると思う。

 ハ短調はより多くのセックスアピールを秘めていると思うし、ニ短調は社会的な憂いもいささか個人的な要素が強いと感じられる。これらの事をまとめるにあたってカナダのお兄ちゃんグーちゃんの言葉を非常に参考にしたし貸していただいた。

以下、出典《イノック・アーデン》
多くの他の17世紀の作曲家同様シュトラウスの調性に対する先入観は、調号という物理的に相対的な機能を絶対的なものにとする考えにかたく結ばれていた。そして、調の個々の性格と特殊な関係をもつ傾向は生涯を通して残っていたのである。それゆえ大胆で決断力に富み、無私の自己放棄ができる男であるイノックには変ホ長調が与えられている。シュトラウスの想像する英雄の調である。イノックの友達でライヴァルでもある、物静かでひとあたりがよく、頼りになるフィッリップ・レイはホ長調である。

<両方の可愛いお嫁さん> (The little wife to both)であるアニイ・リィはト長調 -多くの他の作曲家にとってもやさしい、つつましさを表すものと思われている調である。・・・・・  [解説 G・G 三浦淳史 訳]

G・G:そうです。そう感じますね。各曲を支配する雰囲気と言ったものが、たしかに存在すると思います。その雰囲気がどこまで「調」の雰囲気なのかということは、非常に論議の多い問題であって、そこにはバッハがある精神状態に合わせてある調を選んだのかどうかという問題が絡んで来ます。そうであったことを物語る例もバッハにいくつかありますし、バッハ以後のあらゆる作曲家がある程度までそういう調の選び方をしました。もっともスクリャービンに至ってその過程は論理的な不合理さにまで達しましたけれども。

しかし、それがどの程度まで交換可能な関係なのか。例えばハ短調パルティータが<マタイ受難曲>終曲のハ短調の合唱とどの程度まで同じ「意味をもつ」のか。あるいはハ短調という調が同じ種類の思考をかき立て、違いはただ目的が世俗的か宗教的かということによってのみ生じるのか。こういったことは、ここで確信するにはあまりにむつかしい問題です。

   バッハ クラヴィーア・パルティータ グレン グールドとの対話 [角倉一朗 訳]

  カナダのおしゃべり男グールドありがとう。  
  リューマチのマコ ごくろうさま。

4月28日三女:おトイレコーチバン
 マコとお母サンは、いつもキューくつ キューくつして寝ます。これは子供話に、きゅうりがくつの中に入ってキュークツキュークツといった事によるものです。

 いんげんとにんじんで作ってみましょう。にんげんとじんいんが出来ました。これを見て人間・人員、なんか思いませんか。そう思いました。この間の、いや先日のスト。

 人間である事を求め、人員を集めストをする。
 人間である事を無視し、企業が人員整理をする。

 この人の一人よがり度           60点
 この人の社会性にめざめたいココロ 80点
 この人の甘えたゴコロ           100点

長女:バイロンは長編の詩「チャイルド・ハロルドの遍歴」と「ドン・ジュアン」を作った。
 本屋で調べたかぎりにおいて、「ドン・ジュアン」の全文を載せた本はなかった。抜粋の中にも「ドン・ジュアンの船」は載っていなかった。バイロン全集で捜さねばならないようである。 以上 第一次回答

次女:“ドン・ジュアンとヘイデ”一碧書房。バイロン詩集にあり。全文はなし。

4月29日三女:白秋詩集「桐の花」より

・昼餐(ひるげ)どきはてしさびしさ春の日も 紅茶のいろに沈みそめつつ

・よき椅子に黒き猫さへ来てなげく 初夏晩春の濃きココアかな

・サラダとり白きソースをかけてまし さみしき春の思ひ出のため

・いつしかに春の名残(なごり)となりにけり 昆布干場のたんぽぽの花

「初夏晩春」より
・猫やなぎ薄紫に光つつ暮れゆく人はしづかにあゆむ

・薄暮(たそがれ)の水路に似たる心あり やはらかき夢のひとりながるる

・いやはてに鬱金(うこん)ざくらのかなしみの ちりそめねれば五月(さつき)はきたる

「銀苗哀慕調」より
・やはらかき赤き手糸をたぐるとき 夕とどろきの遠くきこゆる

・なまけものなまけてあればこおひいの ゆるきゆげさへもたへがたきかな

・ものおもふわかき男の息づかひ そなたも知るやさるひあの花

・夕かけて白き小鳥のものおもひ 木にとまるこそさみしかりけれ

「白き露台」より
長女:もの思う若きおみなの息づかい そなたも知るや むらさきすみれ

4月30日三女:カナダのピアニストグールドはその演奏中にポケットからボタモチを投げてくれます。それをもらってガキは喜ぶし、グールドもうれしそうです。
 グールドがこのボタモチを得る資金作りは、薄闇まぎれて手拭いで顔を隠し、取りモチ持ってお宮さんや神社のさい銭箱を荒らしに行くことで、そのためそのボタモチはいっそう価値あるものになるのだそうです。

 グールドははるかカナダの地でまだ見ぬ京都御所そして春には美しい花を咲かす桜の木についての感想を語り、そんな時たまたまトロント大学が数百年の歴史をほこるかのようにその校舎が輝きヒューロン湖からの風がビロードのようにキャンパスを吹き渡るときそこに居合わせた人々はこの地上でこの場所が一番うれしくて楽しい場所のひとつだと考えるのでした。

長女:このボタモチをマコのために取ってきたいものですね。

三女:お姉さん、私は時々彼からボタモチをもらいます。レコードを聞いている時、夢の中で。でもまだ1度も食べたことはありません。でもずっとむかし中国で1人のお母さんが作ったボタモチを分け合って食べた事はあるのです。だからそのボタモチもきっとあのボタモチと同なじ味だろうと思います。

三女:2年前の今日と言えば○○の○○が○○を発って○○に帰った日です。
みなさん。2年前私はまだわずか18才でありました。ふりかえってみれば、その頃でさえ私の頭は老人性を代表するかのように物事ばかり考えジンジンしており、自分では今より若いつもりでいたのです。

 この日を記念し、また5月を迎えるにあたり、この1ヶ月間のこの場所においてマコが責任を持ち、アンケートを取りたいと思います。
テーマ 「私が人生において幸福を感じる時」 執筆者は署名をして下さい。

三女
・1週間晴れが続きそれがためもう一生晴れ続きだろうと見込み違いをしているとき
・ 自分が思わなくても人生が思い通りになるらしいという気持ちが1ヶ月に3分間あるとき

長女
・ 陽がサンサンと注ぐベットの中で、夢ともなくまたうつつともなく、マコのピアノの音など聴くともなく、聴かぬともなく、安らかな憩いを怠惰にむさぼるとき(つまりこの2日間なのだ)
・ 彼の横にすわっていて、彼が白い華奢な指で、リズミカルに紅茶を入れてくれるのをながめているとき(ただしこれは過去形なのだ)
・ からっとしたお天気で、下におりてきたとき、マコがさわやかな顔で満足気に立ち居振る舞いをしているのを見る朝のひととき。
・ 世の中全てのことがうまくいき、全ての人が幸せで、全ての人を愛せそうな気がするとき。 1ヶ月に10日位?
・ 自分の顔がことの他美しくみえるとき。
・ 事務所の自分の机に座ると、ガラス越しにくっきりと山の緑がみえるとき。
・その他無数

三女
みなさん、棚からボタモチ買います。
     個数は1個でよろしい。
必ず棚から落ちてきたものにかぎります。

愛と希望の募集板
  モニカ、可愛いモニカ、あなたの投稿を、待っています。
  おばさま、今まで死んだ数々のピアニストがもう一度生まれ直してピアノを習おうかと注目している日本における音楽家のうちの一人。字を書くことは脳軟化症の予防にもなると思います。投稿をお待ちしています。
  原家におけるくみ取り容量アップにご協力の皆様、どうか遠慮なく。

?:裕三展 5/3-5/27 近代美術館 没後45年

長女:署名お忘れなく
 見てきた人の声、是非行って見て下さい。お話はそれから。

三女:「Nさん。とってきたいものですね」を「とっておきたいもの」と読んでしまいました。ほんとに貴女1人でもいいから、行って取ってきて下さい。メープルの青葉を忘れずにね。カエデの新芽も一緒にね。
 5月と言えば加奈陀の新緑状態はいかに。

長女:カナダにおける初夏の緑に関する一考察と題したものの、資料ならびに想像力不足ゆえ、先がつづきませぬ。
  しかしながら、ばべがしの登場をつぶさに見て、緑の人に与える安らぎと希望はいずこにても同じものと思われます。

三女:私にとって「棚からボタモチ」はグレン・グールドが棚から落っこちてくるようなものです。でも彼がこう言ったらガックリだね。

 「マコ、なんかいいことあらへんか!」

5月1日三女:近日トロント地方にお出かけの方は、ヒューロン湖からの風がト大のキャンパスまで行くものかを、オンタリオ州気象台にてお調べ下さい。

長女:5月wunderschön?? Monat Mai、麗しき5月。麗しかるべき5月。
  去年、5月は苦しみをノリコにもたらした。外界の美しさが、心の虚しさに比例して輝くばかりであった。あれから1年。時は過ぎ、人は去る。去りし人への想い、新たに去った人への想い。この重みをしっかり受け止めてゆきたい。

:wunderschön??←??

長女:追記 ドイツ語文法初級  その1
 形容詞は次に来る名詞の性・数・格によって活用する。性とは男性・女性・中性の3種、数は単数・複数の2種、格は1格から4格までの4種(I, my,me,mineみたいなもの)。ノリコはMonat の性を記憶していない。多分男性である⇒ とすればerをつければいいが、語学に自尊心を傷つけられたくないので、書かなかったというわけ。

:大変楽しい時がこの場ですごせるとは!!!
  我が人生に於いて素晴らしい発足の1つなりと我家の3姉妹に感謝!!!
  マコのご親切なお誘いおすすめに応えて、脳軟化症予防と、書くことにしました。

三女:オカーサンの文には普通の人より!!!が1個多い。

長女:本人にかわりまして申し上げます。音楽の本質をとらえ、それを教えるべき数名の弟子を持ち、さらに愛らしい3人の娘と頼もしい息子を持ちまして、目下のところ幸せとはこのようなものかしらと思う日々です。
  この上はよき男友達と、素敵な恋をしてみたいというのは欲張りでしょうか?

文学の散歩道 5月例会
    例会賞受賞発表作品
「あなたに飲まれる紅茶にわたしはなりたい」
作者: (知性派冷血詩人) 原 真砂子

姉に捧ぐ 1973(昭和48)年5月1日

あなたに飲まれる一杯の紅茶にわたしはなりたい。
暖かくつやのある白い陶器の中の静かな液体。
あなたの手首が、かしぐまま、あなたの口元に運ばれて、
あなたの疲れた体に滲みわたる。
ああ-1口の熱い液体。

異国の地に根をはり、白い霊気に葉をふるわせ、
人の手に摘まれ、四角の箱に治まって、
今宵もわたしはあなたの部屋にいる。
あなたが人の愛が欲しい時。
あなたの繊細な指が蓋を開け、スプーン1杯のわたしを量る。

今宵のあなたは1人きり。
熱い湯がそそがれて、わたしは1杯の液体に変身する。
それが、わたし。

あなたの思うまま、あなたの中に滲みわたる。
ほのかな香り、やさしい色を
あなたはいつわたしのものだと気づいてくれるでしょう。
今宵もわたしはあなたの白いカップの中にいるわ。

理事長寸評:この詩は後半の方が前の部分に比べ平凡でありふれている。

次女:読者評:「あなたの飲む」1杯の紅茶の方がいいと思うヨーン。

長女:捧げられた姉評:しあわせです!!

三女:作成した詩人の言葉:確かにその方がもっといいわ。そのはずだったんだ。でもそれでは みつはしちかこ のなんかの詩に似てはしまわないか。

ミニ・コミの出現によるわが家の変化
 トイレの便座はその大部分を椅子と化した。人々はいまのところ、読むために書くためにトイレに入ってきて、そのついでに用をたす。誰がトイレに入ったか確かめる風が強く、近くにいれば耳を澄まし、今どこを読んでいるか考えたり人が入れば、何か読めるものと考えている。熱を入れて書いたり長く座り込んで読んでいると思わぬ余得がある。即ち一度出たものがもう一度出る。

 明日ミニコミは隠される。
 そして近日中に発表される作品は「コーソを送る歌」コーソの歴史、コーソによる人々。そしてコーソのありし日の姿をしのぼうと思う。各人、コーソの思い出を書いて下さい。
 このミニ・コミにもっともよく合うのは即興性だと思う。11:05pm

次女:幸せな時
・イーストが計算通り4倍にふくれた時。(継続) 

5月2日三女:トロントとはインディアン語で集合の意を表します。トロントがむかしから人の集まる所だったということがわかります。それでそれを記念して、男の子が生まれたら「集」(シュウチャンデス)という名をつけようかと思っています。

長女:男の子の名前は 耕(こう)か周(しゅう)か 準(じゅん)です。

あとがき 1988年5月。マコはトロントでの思い出と共に帰国。その半年前にモニカがニューヨークより帰国。3姉妹はまた1つのトイレに押し合いへし合い。

 93年5月一人暮らしの快適さに慣れていた三女が長女に、別居を申し出、長女が事務所所在地に住まいを作る。2000年夏、次女と三女は2世帯住宅に改築。次女の生徒用トイレ・次女専用の浴室・トイレ・台所・洗濯機を設置。

 住まいは区分したものの、スピカの中での ①おしゃべり好き ②音楽 ③グールド は、今も30年前と少しも変わりません。







by grpspica | 2004-08-16 11:13 | グループスピカ | Comments(0)
2004年 08月 13日

シリウスの白 by 原 真砂子(マサコ).

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「夢用絵の具」という楽しいテレビ番組がある。
「ピンク」には主に宇野千代さんにスポットが当てられていた。「青」ではイタリーの青。「白」には幸田文さん母娘の着物にまつわる「白の物語」が編集されている。
番組の中では呉服屋さんが「白いユカタ地が似合う人、白地を着こなせる人は滅多にいない。そんな美人がいたら‥‥。」と話していた。

同じ白でも色々あるが、本来の白の魅力は他の色のぶつかり合いを避け、全てをつなぎ合わせることにあるのではないかしら?

カナダ産のスイトピーの白は夜空に輝くシリウスの白に近い。この白い花は、スイトピーの花束を作る時に色々な色を見事に1つにまとめる力がある。日本産の白のスイトピーにはその力がない。私にとっては「白」に「濁象牙色・濁黄緑色」が混じっているように思われる。
花束を作って見るとすぐにわかるけれど、混ざり合う色の衝突のうっとおしさを避け、全ての色にその色本来の特質を輝き出させるのは、あの「白」以外にない。「人を寄せつけない白」でもなく「やたら自分についた汚れだけが目だって気になる白」でもない。

毎年、同じ朝顔から種を採り続けていると最後には全部真っ白の花になったという話を聞いたことがある。全ての色を含んでいながら「白」でいられる。この白を何と呼べばいいのだろう?

音楽院の学生だった頃、クラスメイトの手作りニットの展示会でハーモニーのクラスの先生と顔を合わせた。その時に「マコはウィンタータイプ(冬型)だから、白ならexact white。看護婦さんの制服のような白が似合うよ。」とにわかカウンセラーになって言われた。
この「exact white」の「exact 」をどう日本語に訳せばいいのかしら? 「完全な、全くの、〜の中の〜、精密な‥‥」

シリウスの魅力は全天で一番明るいこと、地球に1番近いことにあるのではなく、あの高潔にして気さくな色と万色を受け入れるあの「白さ」にある。 
シリウスが忙しく瞬いて色を変える印象から、シリウスを「えぬぐぼし(絵の具星)」と呼ぶ地方がある。
私にとってシリウスが他の色に光って見えたことはないが、この地上でシリウスの白を宿した百合の花にで出会えたら、いや、シリウス星には、星の色と同質の百合の群生があるだろうという幻想にひたりながら、シリウスの白をこよなく愛している。  

心にシリウスの白を持とう。人間が発色出来るならやっぱりシリウスの白を発光しよう。



写真 カナダのスイトピーではないけれど......




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by grpspica | 2004-08-13 16:46 | グループスピカ | Comments(0)