web版65 神戸空襲で死亡した祖父 by 桂(長谷川)陽子(99回生) |
1945年5月11日の朝、祖父は御影公会堂(神戸市東灘区御影石町)の近くで大工として仕事中に空襲に遭い、焼夷弾が肩に直撃して即死しました。それは後にご近所の方から伺ったそうです。35歳という若さでした。
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2024年 12月 11日
タグ:命・平和・人権 ←クリックで記事一覧へ 1945年5月11日の朝、祖父は御影公会堂(神戸市東灘区御影石町)の近くで大工として仕事中に空襲に遭い、焼夷弾が肩に直撃して即死しました。それは後にご近所の方から伺ったそうです。35歳という若さでした。 <2024年12月祖父の月命日に「いのちと平和の碑」@大倉山公園 の前で想いを馳せる桂さん> <1945年5月11日 焼け跡> #
by grpspica
| 2024-12-11 18:37
| 命・平和・人権
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Comments(2)
2024年 12月 03日
とてもいい記事。心配していた写真も良くてホッとしている。 日曜版は北は但馬・三田、東は阪神、西は姫路・西播向きの地方版が見られるので、西宮や西播の人にも見ていただけ、朝から思いがけない人・懐かしい人からの電話やメールが飛び交う忙しい1日だった。 何より、「展示される時にはぜひ見てみたい」と言ってくださるのが嬉しい。 次なるミッションはアルトゥール・シュナーベルのSPレコード。 伯父が予約までして購入していた世界初のベートーヴェンピアノソナタの全曲録音。 そのうちの1冊・7枚組のアルバムとバラの2枚が我が家にある。 SPなので一面5分くらいしか入っていないので32曲分だとすごい量だったと思う。 年内にはとても無理だけれど、来年にはシュナーベル音楽財団に連絡をとってなんとかしたいなぁ。。 いらないって言われることも覚悟しながら。。。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ 関連日記 黒田徳米夫人のクンストレース byマサコ ****************************** #
by grpspica
| 2024-12-03 09:43
| グループスピカ
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2024年 11月 25日
2024年10月20日に開催された日ノ本学園高等学校の同窓会(「仔ひつじ会」)に参加しました。私にとって卒業以来初めての同窓会でした。 では仔ひつじ会近畿支部、第5回懇親会の報告をします。 会場の「神戸倶楽部」の敷地内は、 参加者は中川守校長と特別参加のピアニスト辰野翼さん(支部長辰野いづみさん(83回生)の息子さん)を合わせて22名でしたが、とても温かく素敵な雰囲気でした。 開会のあいさつに次いで、体調不良のため欠席された伊東香保さん(70回生)編集の『吉田博の描いた学徒』という冊子の紹介がありました。希望者には送付するとのことでしたので、私も申し込みました。 同じテーブルにおられた80代の先輩からは、空襲に遭われたお話や、 私の隣の席の方は『戦争とわたし そして日ノ本』をその場で注文されました。その方とは仲良くなり、後日ラインで「まだ読み始めですが、 私は後日 伊東さんから送られた『吉田博の描いた学徒』を読み、すでに入手していた『戦争とわたし そして日ノ本』を読み返しました。そして伊東さんにそのお礼と感想を合わせてお伝えしたところ、伊東さんから私の手紙の内容をこのブログに投稿してほしい、と言われて、このブログと繋がったのです。 中川校長先生のお話も温かく素晴らしかったです。 日ノ本では、近年不登校の生徒さんをたくさん受け入れておられることやその生徒さんたちが2時間目からでも登校できるように配慮されていることは、日ノ本らしいと感じてうれしくなりました。 中学時代に不登校だった生徒さんが卒業式の答辞で、日ノ本学園に入学後、 本当に今も生徒一人ひとりに寄り添った温かいきめ細やかな教育を また共学になり、 女子サッカーや新体操、 みんなで校歌や讃美歌も歌いました。 優勝されたときの辰野翼氏(朝日新聞より) 締めくくりは、パリに10年ほど留学して今は日本を拠点にしておられる辰野翼さんのピアノ独奏です。 ドビュッシーのピアノ曲を演奏してくださいました。5曲の演奏はどれも素晴らしかったのですが、 皆さんは、とても静かに聴き入っておられました。 辰野翼さんのピアノの生演奏が、 私は参加者のなかの最年少で、参加なさった皆さんは、 はじめて日ノ本学園の同窓会に出席して、 何よりも素敵な先輩方にお会いできたことが喜びでした。 皆様に心より感謝申し上げます。 ****** お知らせ web版の次号は、桂陽子さんの「吉田博の描いた学徒」に対する感想や戦死なさったお爺様についての投稿「神戸空襲で死亡した祖父」です。アップされるのは12月半ば頃の予定。 下のご案内は、来年(2025年)4月20日 神戸新聞松方ホールで開催される兵庫県医師会交響楽団演奏会 のご案内です(2500円)←辰野支部長経由なら2000円になります! 辰野翼さんがシューマンのコンチェルトを演奏されます。 その頃には元気になって同窓生に会えるといいな。 伊東香保 *********************************************
web版65 神戸空襲で死亡した祖父 by 桂(長谷川)陽子(99回生) へ https://kaikyou.exblog.jp/243271353/ ********************************************* #
by grpspica
| 2024-11-25 13:15
| 命・平和・人権
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2024年 11月 17日
photos by Yvonne 2023年、臺北に残る母の実家の思い出のガジュマルが伐採されることを知り、 とても悲しく思っていたが、今日Yvonneさんから届いた家の周りの写真を見て、 「あれで良かったのだ」としみじみ思った。 林さんのアパートに植えられていた木だ。 この写真から見るに幹が空洞だったのだろうか。 現地でお目にかかった台湾在住の片倉 佳史さんや、黄 智慧先生は あのガジュマルを眺めながら 「これほど大きなガジュマルは台風の時に折れた枝が屋根を直撃したり、 根っこが家の下に入り込んで厄介なことになる場合がある」 と話してくださった。 家屋が「歴史建物」として保存されることが決まった直後、 あのガジュマルを伐採すると聞いた時は、とてもショックだった。 なんとか残せないかと思ったが 「数年前、感染症に冒された台東漆を伐採した時にガジュマルの感染も判明。 お金をかけて治療したけれど、よくなっていないので伐採する」 という話に、納得。 あの大掛かりな伐採の日を迎えたのだ。 東門の家のガジュマル、伐採決定される byモニカ 東門の家のガジュマル(榕樹)伐採の日 byモニカ そしてこの10月、台湾を大きな台風が襲った。 街の大きな樹が根本から折れて倒れている写真をニュースやSNSで見る。 そして今日、Ybonneさんからこれら2枚の写真(11/01撮影)が届き、 改めて、あのガジュマルが残っていたらどんなことになっていたかと思った次第。 上の日記にも記しているが,幹の中が空洞の部分があったというから、 そこから折れれば枝が落ちた被害では済まず、 家の保存どころではない状態になっていただろうと思うと、 あの時の伐採は、本当に有り難かったと心から思える現在だ。 以下はgoogle streetviewから 伐採されたガジュマルと今回倒れた筋向いの木 ***************************************** #
by grpspica
| 2024-11-17 19:18
| 旅・台湾
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2024年 10月 26日
1988年5月2日に私は7年滞在したカナダ トロントから帰国した。 その日、自宅の風呂はびっくり仰天するほど汚かった。 翌日風呂の掃除に4、5時間かかって、見違えるようになった。 ところが2人の姉はその違いに気づかない。 お礼を言われたいから、掃除したわけではないけれど、びっくりした。 そのうえ私は2人に、そのことを何もしゃべらなかった。 以来36年間似たようなことが続いた。 私はくたくたになったり、ノイローゼになったり、たまにヒステリーを起こすと 「更年期」だと言われた。 その他にもいろいろなことがあっった。 家によく出入りする人は私を見かねてこう言った。 「早くこの家から逃げないと大変だよ。 お姉さんたちは年取ったらもっと大変になるよ。 もっとしんどくなるからね」 その人でさえ、何十年も経つと、私の都合などおかまいなく、 我が家に来たい時に来て、居たいだけ居る存在になっていた。 トロントでは 「3姉妹が一緒に暮らすなんて珍しいわ。ブロンテ姉妹のようね」 なんて言われたことがある。 一方、長年の友人は 「したいことをし放題の人たちが、3人も一緒に暮らしていったら、どうなるかねー」なんて笑った。 そして帰国37年目の幕開けとなる今年、2024年は、3人とも加齢ボケやコロナで忙しい。 昨日(10月24日)はこんなことがあった。 助手席に座った上の姉が、私が後部座席に乗りかけている時に前のドアを閉めた。 私の左手の中指がドアに挟まれ、その痛いのなんのって! 指がつぶれなかったのが幸いである。 大騒ぎで整形外科を探して飛び込んだ。 「もう料理はできませんからね」と宣言して早々と寝る。 だのに今朝の私は2時半に起きて、もうご飯作りに励む。 「ばかじゃないか」と思われるだろうが、平気だ。 今までも頸椎を痛めても働いたし、足をくじいた時も片方の足でぴょんぴょん飛びながら働いていた。 振り返れば思春期、顔中に針を刺し、独自の薬で治療する医者の治療を受けた時も、注射液の痛さや針が骨にぶつかる痛さにも「痛い!」と言わない私に、医者は驚いていた。 痛みに文句を言えない傾向が幼児の時からあった。 辛抱強いのはきっとマゾヒストで先天的なものなのかもしれない。 近所の人々は私が痩せたり、顔が腫れていると心配してくれるが、 姉たちは私に異変があるとは全く思わないようだ。 「あなたは普通の主婦より3倍働く人・病気でも働くのよく知ってるわよ」と 彼女たちはこう声援を送ってくれる。 ********************************************* #
by grpspica
| 2024-10-26 14:58
| グループスピカ
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