音楽家と訳者 byマサコ |
「グールドが書いたものを読んでいると『家庭』を感じる」と。
それはあたかもグールドの書いたものの中に「家庭」という言葉がいくつもあるように響いた。
グールドは「コンサートはなくなる」と言っていたから、当時、彼の演奏を聴く場所は家庭だったから、武久さんにそう映ったのかなと思い巡らしたものでした。
私は鴻巣さんの訳書を読むと、鴻巣さんは「日本語を3万語知っている」と思えてしまいます。
実際には、本の中にそれ程違った言葉は出てこないので、なぜそう感じるのかを考え、多分,訳者としての想像力がそれだけの言葉の世界を読者に伝えているのだと思っています。
鴻巣さんは、おそらく共感覚者ではないと思うけど、どういうわけか、共感覚系の作者の作品を実に沢山訳していらっしゃる。
ご本人によると「他の訳者が訳せないものばかり自分にまわって来る」とのこと。
鴻巣さんの訳者としての想像力は、宇宙を駆け巡り、自分とは異なる人への理解に繋げていくとしみじみ思いました。
武久さんの感受性や発言はいつもユニークなので、つい鴻巣さんを思い出しました。
サン=テグジュペリが
「物事は心で見ないとよく見えない」
と言っていますが、演奏家が音符を通して心で見たものと,翻訳者が言葉を通して心で見たものを、音や言葉でそれ以上のものをこちらに伝えることが出来るのは、余程の愛の持ち主でなければ無理でしょう。

写真 原種に近いというオダマキ。あらあら日焼けが。。。