子供の頃 ⑴ 若葉園 byマサコ |
近くの「若葉園」に通った。
小さい組の時のこと、ある日園が終わって園の横道を歩いている時、あべみちこ先生に「マサコちゃん、先生と一緒にお風呂屋さんに行かない? お家に帰ってお母さんに行っていいかどうかきいていらっしゃい」と声をかけられた。母に「いい」との返事をもらい、着替えも持たずに幼稚園に戻った。
「若葉園」はプロテスタントの幼稚園で、園舎の東部分に先生達の住まいがあった。「そこの道の角まで行ってお風呂屋さんのエントツから煙が出ているかどうか見てきて頂戴」と先生。
見に行くと、エントツから煙が出ていた。先生と私は歩いて数分の「花園湯」に着いた。銭湯はタイル張りで大きく広く、目を見張るような場所だった。大きな湯船に身を沈ませると家の狭い湯殿にはない感動が全身を包んだ。
湯船から上がるとタオルにセッケンをつけて体を洗って下さった。あべ先生は余程お母さんがしたかったのだろう。先生は子供の世話をすることにとても幸せそうだった。
脱衣場で着替えがすむと「ホラッ」と一包みのオレンジドロップを下さった。
私は、呆気に取られた。家ではドロップ類はおやつの品目ではなかった。たとえ一缶あったとしても親が管理をしていて私達の自由にはならなかったからである。子供はだれでも少ししかない「ハッカ」を欲しがった。子供心にも「全部ハッカのキャンディの袋があればいいのに‥」と思っていた。オレンジばかりのキャンディはロウ引きの紙に包まれていて外側の紙はチョコレート色だった。
私は先生と別れてから全身がオレンジキャンディになりそうになりながら、家に戻った。そして引き出しの奥深くにそのキャンディの残りを仕舞い込んだ。一人になりたい時、家が混雑し過ぎていると思う時に少しづつ舐めていた。オレンジキャンディには、一人っ子の様にゆったりした味があった。
半年すると、同い年の「サイトー」という男の子が入園してきて幼稚園は修羅場となった。
「サイトー君」は、きちんと椅子に腰掛けている私の椅子を左右からゆすったり力任せに引っ張っては、私が尻餅を着くのを何よりの楽しみとした。悪ガキ「サイトー」はじっとすることが出来なかったのだろう。先生の目を盗んでは襲いかかってくる。私はよく泣いた。いたずらに気付いた先生も止めに入ったけれど、いたずらを職業とする「サイトー君」には誰もかなわなかった。今思うと椅子からさっさと立ち上がってしまえば「サイトー君」も楽しくなかったのではないか?
他の女の子も被害に遭っていたが、私ほど激しくはなかった。私はいつの間にか待ち伏せまでして人を蹴る「サイトー君」のせいで登園拒否を起した。
そのことから、神戸市の西端の舞子にあるカトリック系のいじめっ子のいない上品な幼稚園に転園することになった。
11歳の時、地元の小学校でこの「サイトー君」に再会した。「君のせいで幼稚園をかわったよ」と言うと「何も覚えていない」という返事だった。でも今でも幼稚園時代の彼の姿は野獣のように思い出される。「サイトー君」はきっとおもちゃに出来るウサギを見つけたトラの様な気分で毎日登園していたのだろう。ひょっとして「サイトー君」は幼き日の私を好きだったのかもしれない。
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