セキスイハイムM1 工場住宅のパイオニア byマサコ |
ハイムM1は父が選んでいた住宅。
父が亡くなってハイムM1での建替えが決まった。
それ以来40年、益々この家が好きになっている。
現存するハイムM1住宅は日本でごくわずか。
これほど手入れが行き届いて、内装が美しい物はないそうだ。
セキスイの人たちはこの家を眺める時、歴史的な顔つきになる。
霊能者が「西北に風呂、洗濯機、トイレをまとめるように」
ところがM1が日本での最初のユニットバスであったから、その夢がすぐ叶ったのだ。
東大の内田研究室の大野勝彦氏が発案したこの家は、
つくづく頭のいい人が考えた家だという事は、毎日住んでみてわかる。
半世紀前の東大には、透明な頭脳と独創的な人々が存在したのだ。
72年に父が亡くなったが、この家に住めない父が残念と未だに次姉が言う位、
私にとってこの家の魅力は、「住むための家でお金持ちそうでない」ことかな?
寄る年並のせいでおフロが寒く、湯気が立っているけどまるで氷の池に行くようになった今。
電磁波発生の冷蔵庫と距離を取るためにも水回りをリフォームすることになった。
73年2月から親しんだ深いバスタブ。すべて懐かしい。
この美しい家を贈ってくれた父、建築家、セキスイハイム並びにファミエスの方々に
工場で作られるユニット クレーンで吊り上げて設置
発売当時のM1カタログ
セキスイハイムM1アーカイブ
写真は上記アーカイブから転載。
本文に追加しました。モニカ
大野和彦先生と我が家は趣味と価値観がぴったりでした。 マサコ
和彦ではなく勝彦先生です。 マサコ