シャーマンヘの問いと答え byマサコ |
1.シャーマンについて一般的な説明をして下さい。
「シャーマンとは、神霊、精霊、死霊など、超自然的な存在に直接関わり、これを強力に体現する最も典型的な呪術--一宗数的職能者がシャーマンである」とある本に書かれています。「人間に『癒し』を行なう人」との解釈もあります。
私はある方が手紙に書いて下さった解釈がとても気に入っています。
「遠くの他者とか自然とか宇宙とか、ともかく外世界との感応を達成できる人がシャーマンだとすれば、マサコさんは確かにシャーマンたる資質を充分お持ちであることが分かります」
私のことをシャーマンじゃないとおっしゃる方もありますが、私は、「シャーマン=命について働く人」と受け取っています、
2.ご自身がシヤーマンであることについて語って下さい。
私自身が、ユタ、霊能者、霊を感じる人である事は、既にこの人生43年の間に起こった数々の出来事で説明がつくと思います。
16才の冬、音楽の精霊との出会い。
22才 頭の狂ったカミダーリィの体験
38才の時のコリアーナとの出会い
その間、生きている人たちに会うように、亡くなられた方とお付き合いがありました。今もそうです。
私が普通のシャーマンや霊能者と違うところは、神様の声をあまり聞いたことがないし、調べて判ることは何ひとつないところです。だから、お伺いをたてる事もなく、また霊的にトランス状態とかエクスタシー状態に陥る事はほとんどありません。むしろピアノを弾いている時の方がずっと霊的な世界に没頭している感じがします。
私の大きな役割は、人の罪の犠牲になった方々の苦しみを直接身体に受け取って成仏をお手伝いしていることだけのようです。又、人に対して意図的に霊的カウンセリングをしません。
3.ご両親が日本に住むことになった経緯について教えて下さい。
私の祖父母は両家とも仕事で台湾におり、祖父母、両親、兄と長姉は戦後台湾から引き揚げて来ました。
4.現在のご家族について。
家族は姉2人。少し離れたところに兄夫婦が住んでいます。
5.ご実家での民族的な教育は、どうでしたか。
私はとても自由で素敵な両親の下で育ったと思います。「日本人だからどうだ」とか、「男だから女だから」という制約や洗脳を両親から全く受けませんでした。だから朝鮮人がどうのというような発言を両親から1度も聞いたことかありません。2人は差別心のない人でした。多分キリスト教のバックグラウンドが両親にいい影響を与えていたのだと思います。
6.ご両親の教育方針ついて思い出深いお話があれは1つ2つ、何か話して下さい。
両親の教育については、特に母には感謝で一杯です。母は「自立」を何よりの宝として私を育ててくれました。
父について覚えていること。小学2年生の時、初めて万引きをしたのです。秘密にしておけず祖母や母に言えずに、父に告げたのです。教日後、私は父と正座をして話し合うことになりました。
その時父は「盗みをするのはいけない事である」と言いながら、もっと子供に判るように具体的な説明をつけました。「文房具店のおばさんは、10円の消しゴムを売って丸ごと10円儲ける訳ではない。問屋さんに行って1ケ7円位で仕人れてくる。おばさんはそれを10円で売ると3円の儲けがあり、その利益で生活している。おまえが物を盗むとおばさんに7円の損をさせてしまう。だから万引きをしてはいけない」
いかにも理想的な父に映るでしょうが、実際には父との思い出は、3つ位しかありません。
両親は自然の姿で無意識のうちに私に別な教育も受けさせてしまいました。自分本位な父、結婚生活に何一つ喜びのない母の姿は、私が両親から受けた決定的な影響のひとつでしょう。
8.ご自身がシャーマンであることを意識なさったのはいつでしょうか。
私が逃れられない自分の宿命を悟ったのは、1990年11月30日、コリアーナの声を聞いたときです。私は一瞬にして私の全人生を悟りました。それまでは、「いつか私の回りから霊体験はなくなり、私は普通の人になれる」と思い込んでいましたから。その時に初めて私の仕事の内容と働きを自覚出来ました。
子供の時から苦しんで来たから、コリアーナの美しい気持ちは、とても嬉しかったです。
11.今までで1番悔しかった事は何ですか?
私にとって悔しかったことはもうなくなっています。以前にはいくつかありましたが、今は悔しいという思い出ではなくなっています。この先、辛い、悲しい、淋しいといった類いの感情も、全くなくなってくれれば万々歳なのですが。
【追 記】
「在日コリアンヘのアンケート]を作った時に、この「在日コリアン」を「シャーマン」に変えて、私もこの質問事項に答えたいと書きました。今回その一部を掲載します。
60万年の歴史を持つシャーマニズムは、今、世界的に大流行の兆しを見せていると言われています。先日「朝鮮人をやめたくなる」という在日女性の言葉を聞きました。「今でも?]と問い返しかものの、私自身も「ユタ(沖縄でのシヤーマンの呼び名)」であることのややこしさやしんどさにいつもつきまとわれています。そのお陰で在日コリアンがどういう存在であるかがわかった「きっかけ」であるシャーマニズムを大切に、自分の中にある自分がコントロール出来ない力に感謝しようと今一度、思いました。
(海峡paper版35号から)