田中希代子さん 14回忌 byマサコ |
今年1月19日に弟さんでヴァイオリニストの田中千香士さんも旅立たれました。
千香士先生とは、お電話で話をしたことがあり,昔にお葉書を下さった田中希代子先生と共に、懐かしい気持ちで一杯です。
グリーンがお好きでいらした田中希代子さんに、
今月10日に出版された志村ふくみ著「白夜に紡ぐ」より
「お茶は不思議な木」から一部を引用致します。
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いよいよ五月、茶摘み。その摘み立ての葉を乾燥させたものを手にとってみせてくれる。何という緑! 濃い緑、まるで藍の葉のようだ。緑が青くなりかかってステンドグラスのように透きとおっている。
こんな美しい色をみたことがない。これこそ真の緑かと思う。その葉をこまかく砕き、石臼にかけて碾く。抹茶が生れるのだ。その石臼からこぼれ落ちる緑の粉。湯をそそぎ、茶筅で泡立てても変わらない緑。保存しても変わらない緑。植物から緑が染まらないのに、なぜここでは緑が存在するのか。どうしてですか、私は思わずつよめってしまった。一ばんききたいところはここだったのだ。
「さあ、どうしてやろ、わからん」
と困ったFさんは言う。しばらくして、
「なぜやろ、粒子にするとあの色になるんやな」と。
それだ! と私は思わず叫んでしまった。粒子、微粒子、微塵粉、どこかで質が変る。粒子にまでこまかくなった時、色は生のものではなくて、別の物質の色に変るのではないか。科学者でもない私か無茶苦茶なことを言うようだが、たしかにここにある緑は変らない。私が思う緑は瞬時にして消える緑である。たとえ十日でも二十日でも保っている緑は、茶葉の精妙な製法によってもう一つの新しい物質としての色を誕生させているとしか思えない。その秘密は粒子にあるのではないか。微粒子になると質が変るとか。