その後(カナダ5時へ)1991年8月27日 byマサコ |
毎月皆様の文章を、心ゆくまで楽しませていただいている私としては、読ませていただくだけでは、申し訳ない気がしている。それでこうして10日5時に関係なくレポ-タ-のつもりで書き出したのだけれど、レポ-トという程、その内容が冷静なものになる自信は全くない。
・・・・3分後、私の心からは、書く気が失せてしまった。それでは・・・・と単なる残暑見舞いにしようと思っても、この文を皆様が読んで下さるのは、おそらく秋たけなわの10月であろうから、挨拶にはならない。
現在の私の心は1秒の休みもなく朝鮮の事でいっぱいである。又、国の祭祀を仰せつかった巫女のような生活を送っていて、この先、しばらくその投影のない5時は書けそうにない。
アンデルセンの童話の世界のように、日本はこの問題から、真の国際社会の理念や、調和した国際感覚、人間の真心をも与えられようとしていると考えている。
こうしてトロントを思い浮かべると、その魅力や私の成長の糧が、トロントの“多民族性”にあったとつくづく思う。異国での苦労、言葉の出来ない苦しみが、こういう形で人の役に立ち、報われるとは思ってもみなかった。
全ては益と感じられる人生で嬉しい。毎日、“日本の朝鮮、中国その他少数民族、輝け!”と叫ぶように祈っている。そしていつの日か日本人がその光の後を輝いて歩いて行けることを願っている。
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