再びコリア-ナについて その1 by 原 真砂子 |
私がコリア-ナの史実を知り、直接彼女逹の伝言を受けた日からほぼ半年過ぎた。ここで私はこの間に寄せられた多くの意見のうち典型的なものを述べてこれらに対する説明や私の意見をまとめたいと思う。
1、疑問その1
「あなたがコリア-ナの史実を全く知らなかったというのはおかしいと思います。慰霊祭とかコリア-ナのメッセ-ジというのは全てあなたの頭の中で作ったもので、人々の注目を浴びたり、自分の中にある能力を自慢するために史実と創作を組み合わせのではないですか」
という方にお答えしたい。
確かに日本人である私が、日本の中にある朝鮮問題を認識し、関心を寄せたのは40才になる前であるから大変遅い。私自身の多読、速読の読書歴からいっても「朝鮮関係の本をこれまでに読んでいないのは、考えられない」と言われるのももっともである。しかしこれには、わたしの20年にわたる辛い病気が大きく関係している。
私は子供時代に「にあんちゃん」「かあちゃん死ぐのいやだ」「つづりかた兄妹」そして壺井栄等の本を心から愛し、毎日繰り返して読んだ。そして貧乏を貴いと思わないまでも、苦しい中にあっても、その運命にめげず清い心で生き抜いていこうとする人々に声援を送っていた。
ところが私自身あまりに弱い身体を持って、傷ついたり、悲哀を味わった事から、いつしか私の心は、貧乏に対して必要以上に恐れを抱いてしまった。貧乏は病気と並ぶ苦痛をもたらすものと思われたからである。だから貧乏の話を見るだけでも聞くだけでも辛く感じ、なるべくかかわりを持たぬよう、たとえ本の世界であっても、読まずに済ませようという心が育ってしまったのだと思う。
それで在日朝鮮人、韓国人の方々の手記には一切手をださず、偶然手にしても「僕は極貧の中で育った」と書いてあれば、あわてて本を閉じていた。この私の貧乏への恐れがなければ、当然コリア-ナの史実は、本を通して私の知識の中に入ったと思える。
それに加えて、私は、これまでに朝鮮という国に一度も惹かれた事はなく、ハングルの発音を聞いてもこの言語を喋べってみたいと思った事はなかった。
2、疑問その2
「あなたは、こういう珍しい事、つまり霊魂の事を毎日、思ったり見たり聞いたりする事ばかりを期待して、過ごしていらっしゃるのですか?そんな人は、私は気持が悪いし不快なのですが」
こんな風に思われた方には、私が望んだり期待したりしたから、霊の世界と交流できたのではないことを、私が子供の時から何を望み、成人してからどういう気持で過ごしてきたかをお話すれば、わかっていただけるだろうか。
私は、かつて原家の罪を清算する者として11才の頃から七転八倒の人生を過ごした。17才になってはじめてその原因が明らかとなったが、その後も私の肉体的苦痛は解決されず、私は28才になるまで医者、治療家を始め様々な霊能者、宗教団体にお世話になる生活が続いた。
小学校5年生から学校に行けなくなったが、その頃の私の強い願望は「ただ学校に行きたい」ということ、そしてグレン・グ-ルドのピアノに慰められては「いつかカナダに行ってグ-ルドに会いたい」ということだった。
28才になる少し前に私を元気にすることに心を砕いていた母が亡くなった。その頃少し体調がよかった私は、グレン・グ-ルドに会うという夢を追ってカナダへ渡り、彼の地で30才から35才まで遅まきながらの学生生活を送った。
私は、16才の冬に、怨霊の本格的な攻勢を受け、その中で、人間の本質は永遠不滅のエネルギ-体であると体感した。その時の体験に音楽が関係していた事から、私は音楽家になりたいと思った。
だから、グ-ルドの学んだコンサ-ヴァトリ-で音楽の勉強が出来ることは無上の喜びであったが、その頃、いやもう少し前から私は「もっと元気になって、晴れ晴れとした身体で、キラキラした相手と家庭を持って、子供がいて・・」という人生のパノラマを描いて居た。それは今にして思えば完全な錯覚であった。
何も結婚に限らないが、たとえば病気であまりにも傷ついた時、多くの人は、自分が得られないものを望み、その事(私の場合結婚)が成就することが幸せであり、自分の自由につながるのだと感違いをしてしまうものではないだろうか?
他の人が望むものとは、あるいは地位であり、あるいは財産であるかもしれないけど、私にとっては(今、吹き出して書いているけれど)結婚だったのである。今、笑えるのは、もう自分がそこから抜け出したから、おかしくてしようがないのだけれど、私の結婚願望は少女期から始まり、異国での孤独を味わった女性としてますます切実な願望となった。
もう少し具体的にいうと「32才になれば、完全に元気になり、目の前に何の不足もない男性が現われ、自分の愛を受け入れてくれ、元気な子供が生まれる。その子が優秀児で、母親として有頂天で過ごす。」私にとってこれが神の愛の現われであった。家の罪で苦しんだ子孫に対して、先祖というものが当然、手助けして私に与えてくれるべきものと心の中でそれは強く思っていた。
ところがその願いはなかなか叶えていただけなかった。そして特に帰国してからは、「神は愛」と思えない事がさすがに寂しく、このことが体得できたら、自分はどんなに幸せになれるだろうと思い始めていた。
以上がコリア-ナに会うまでの私の心境であった。
再びコリア-ナについて その2