知と愛 byマサコ |

戦争法案反対の国会前のデモに
「知性」とだけ書いてあるプラカードがあった。
印象的な「知性」だった。
若い頃、1つ靴を買えばもう1つ欲しい。
服も1着買って貰えば、すぐさまもう1着欲しい。
そんな20代の私は母に、戦争を知らない世代の愚を見せつけていた。
母は「あのね....」と話したそう。。。
なんでも捨てたがる私に「戦時中は....」
そして軽く言う。
「いいわ、きっと今になったらわかるから」
優しかった。もちろん余分なものは買わない。
今夏、戦争で家族を全部亡くした子供たちのことを、生きて80代になった方々が語って下さった。
広島原爆投下後、どこからともなく集まった3000人の孤児の様子を逐一見守った男性の話も伺えた。
芋粥の炊き出しへ、まず大きな力のある小学5、6年生が突進する。
とにかく足りないので、水で増やし続ける。
次の3、4年生はお汁だけ。
もっと小さい子供達は鍋の底に残ったお汁にタオルや布切れをつけて、それを吸っていた。
暴力団が現れ、女の子だけ服を着せて、食事を与えた。女郎部屋に売るためだ。
男の子たちには何も与えられない。
フィルムでは着物もあった。デジタルなので、表情もそばで見るようだった。
冬になっても夏服のままだった男の子たちは、亡くなる時、必ず川べりにいた。
そしてどの子の口にも石が入っていたという。
きっと空腹を紛らわすため、少しでも心を助けるために、口に石を入れていたのだろう。
私は、70年分の涙をこぼした。
知と愛がなければ、人類は家庭も社会も地獄と化す。
戦争体験者のお話を伺う機会がまだまだ足らなかった。
「聴くこと」は、わかること。
「I will listen」は「感じて、身につく」こと。
「聴」の字には、耳を十と四、そして心がある。
遅ればせに感じたことを心に抱いて己れを鍛えていきたい。
私の見た「知性」は「知性の危機」の一部だったのかも知れない。