#1 台湾1周旅行2015年11月24日(火) @台北3日目 228紀念館へ |
本日は228紀念館に行く予定。
台北大学は余力があれば、行く組とホテル帰り組に。
大安森林公園駅から台大病院(YOSHIの生まれた所)まで20元×4。
台大病院前駅のホームには大きな彫刻がいろいろ置いてあった。
テーマは「手」のようだ。
地上に出たらそこが228公園。
1947年2月28日にタバコ売りの女性を捕まえた事に抗議し、その後台湾人が蜂起した事件。
当時の知識人達が捕まり、ポルポトと同じような殺戮を展開した事件だ。
wiki二・二八事件
小名木善行 ねずさんの ひとりごと 台湾二二八事件
上下2枚の写真で1つのモニュメント。くっつけると一体化するのだけど。。。
大きさはこれくらい。
ちょっとわかりにくいので、この写真も
同行のYOSHIは、当時の台湾行政長官兼警備総司令・陳儀が秘密裏に蒋介石に応援を求め、派遣されて来た蒋介石軍の行進や、土嚢が詰まれ機関銃などがあった光景を覚えているそうだ。
93歳になる叔母は、夜、放送局に勤めている青年がやって来て、この事件をどう思うかと尋ねられた時、「あなた方(台湾人と中国人)の問題だから...」と言ってそれ以上立ち入った話をしなかったら、とても寂しそうな顔をして帰って行った姿が未だに忘れられず、その人がその後どうなったのか気にしている。
父の知人も連れ去られて戻って来なかったという話を母としていたのを聞いたモニカは、大人が連れ去られて消えてしまう事があるのかととても怖かった。
紀念館に着くと、日本語で案内して下さるボランティアの蕭錦文さんが、丁度先を回っておられると聞き、追っかけてお話を聞く。
抗議デモが通ったその経路が床に書かれている。
インパール作戦で生き残った後、1946年5月(?)に復員。新聞社に勤めていた時、事件が起こり、丁度不在の社長を逮捕に来た陳儀側に捕まり、それはひどい拷問を受けた経験を持つ方。
インパールでも逃げて回る中、マラリアと疫痢(赤痢?)に罹り、○○の病院に収容され、その後玉音放送で解放され、○○からサイゴンに木造船で運ばれ(1隻に100人くらい詰め込まれた2隻のうち1隻は転覆)生き延びた方。
一緒に記念撮影の後、飛ばした箇所を見て回り、紀念館を後にする。
腹ごしらえに隣のカフェテリアに入るも、漢字ばかりのメニューに注文する勇気も出ず、退散。
公園の西側にある有名なカラスミ屋さんを覗く話もでるが、台湾大学ツアーを中止し、ホテルに戻る事に決定。
途中、あの美味しかったマンゴーかき氷屋さんに行く。芒果皇帝(Mango King)
ここはネットで見ると、台北では良心的値段との事。
大盛り2種類とカップ入りを注文。
メニュー ↓
隣の女性2人、日本人。後から逆隣に座った3人家族も日本人。
日本に出店しているのとは違う店だった。
宿に戻る途中にパン屋さんでパンを買う。
ミルクもついでに買って、ホテルで昼食。
夜にネット友人のToshiさんとお食事&お茶会があるので、お腹を調節しておかなければならない。
モニカはジェットバスでリフレッシュ。
兄は一休みして、貸し自転車を見がてら、目の前の森林公園を散歩。
色々な種類の鳥に出会って驚いていた。
この森林公園は昭和7年3月の市區計画街路地図に公園と記されている。
戦中にどこまでこの計画が運ばれていたのだろう。。。
今の街と照らし合わせると形はほとんど一緒だ。
この地図の通りに街づくりがなされたのだろう。
蒋介石の記念公園は歩兵第一部隊や山砲隊(と書いてあるように見える)だから
そのまま日本軍の場所として置いておくつもりだったのだろう。
約束の18:30に車でお迎えに来て下さったToshiさん。
穏やかで明るく笑顔の素敵な方。
彼こそが、今回の旅のハイライト「祖父の家を訪ねる」の下調べをして下さった功労者。
彼の助けがなければ、台湾入りするまで、何の情報もなかったのだ。
台北の家、その後 byモニカ
連れて行ってくださる所は「猫空(マオコン)」という、台北東部に位置するお茶で有名な山。
動物園、茶畑があり、茶芸&茶葉料理が満喫できるという場所。
茶店がたくさん ↓
そこでお食事した後、彼が台湾茶のおもてなしをして下さるとの事。
ロープウェーの終点からさらに進んだ所で車を止め、彼行きつけのお店に。
建物というより、全体がテラスのようなお店。
神戸の六甲から見る夜景よりやや遠くに見える台北の町の光は曇りのせいか寂しい
食事はいつも通り、とても美味しく、きれいに平らげる。
調理場
Toshiさんのお話は、楽しく、彼のお人柄がよくわかる。
ネットで知り合った人と会うオフ会は3度目?だったかな。
お仕事も今回初めて知る。国際的に特許や商標を取り扱う事務所に務めている弁理士さん。
キャンピングカーで2週間、3週間、30日を超える世界の旅を楽しむ人。
5才から70才を超える40人から70人を超えるメンバーをまとめて、ハイキングやバーベキューを開く人。
お料理が好きで、何でも1人でこなす。
写真も大好きで、とても素敵な写真を見せて下さった。
お名前のToshiは、生まれた時からおじいさまに呼ばれていた名前。
台湾名は別にある。でも仕事以外では使うことがないとか。
おそらくおじいさまは日本語がお出来になったのだろう。
蒋介石が入ってきた時(おそらく228事件の後)には、しばらく姿を隠して生き延びられたとか。
まるで甘耀明著「神秘列車」に出てくるお話そのものだった。
食事の後、いよいよToshiさんのお茶の時間。
素晴らしい携帯用お茶道具入れの中から、茶葉、急須などの道具が現れる。
友人からのプレゼントらしい。その布の柄ゆきから日本女性から貰ったような……
中は、細かく部屋に分かれていて、割れないようにクッション材もたっぷり。
お湯の温度が足りないらしく、小さなコンロをお願いする。
まずはお食事処が用意した茶葉から始まる。
この茶葉はフレッシュ茶葉を凍らせて保存してあったもの。
だから茶葉も伸びやかに広がっている。
それ用の急須に入れる。
蓋をしてしばし待つ。
分け注いでいただく。
台湾の人でもこの茶葉のお茶を飲める人は滅多にいないそう。
とても軽く、香りも柔らかい。
次はToshiさんご持参のお茶をいただく。
先ほどの茶葉よりしっかりと丸く縮んでいる茶葉を小さな急須に結構入れる。
この茶葉がゆっくりとお湯の中で葉を広げる過程で、色々な味が楽しめる。
1煎目は捨てて器に残った香りを楽しむと聞いたことがあるが、今回はそのまま飲む。
2煎目はホッとゆるんだような、甘い味がする。
3煎目は少し渋みが出てくる。
4煎目はまた少し甘い。。。。。と何度か一度入れた茶葉で楽しむ。
6、7煎いただいただろうか。
一回入れた茶葉で6杯位は十分に楽しめる。
お話をしながら、ゆったりと過ごす時間。
茶葉を入れ替えながら、さて何杯いただいたことだろう。。。
その茶殻がこれ。(横は後半に使った急須)
お食事でいただいたおかゆにだったかに茶葉が入っていたのを思い出し、この残骸から茶葉をつまんで食べてみる。(そんなことする人はいないと呆れられた)
香りはまだ十分にあって、出がらしという感じではなかったが、特に味があるわけでもなかった。
ゆったりとお茶をいただいた後、Toshiさんに勧められてお水を飲む。
甘露、甘露。。。。
いつも飲むお水が、甘〜い水に。。。。
味覚がこんなにも変わるものか。。。
びっくり仰天の我々の顔を、楽しそうに見ているToshiさんがいた。
Toshiさんの運転で、一路ホテルへ。。。
Toshiさん、心のこもった、楽しいひと時をありがとう。
車に置き忘れた携帯で、またご迷惑をかけるのも知らずに、幸せな帰路だった。
〜〜〜〜〜
追記 お茶の夜、その後のこと。
1993年の台北旅行で台湾茶にハマったけれど、
その後、カフェインall outとなり、一切のカフェインを絶っていたモニカ。
この夜はToshiさんのおもてなしを無駄にしたくはなくて、
徹夜を覚悟でふんだんにお茶をいただいた。
あらら、不思議。。。
ホテルに戻ると、いつもより少し遅い時間午前2時頃には眠ってしまった。
以来、また台湾茶にはまる生活に。
お土産にいただいたお茶を飲み干した後、日本のネットで購入。
似たような桜の写真が入ったパッケージを選んだけれど、似て非なるもの。
友人が2、3年前から台湾にハマっていて、年に2、3度出かけると聞き、
Toshiさんの協力を得て、目出度く、同じお茶が手に入るようになった。
2016年6月のこと。
ありがたくいただいている。