「哀傷・流涕・願求」 byマサコ |
「哀傷・流涕・願求」を初めて読んだ。読んだというよりは、目で見た。
恩地孝四郎が、17才で一晩のうちに亡くなった律子という妹の死を悼んで書いた詩である。
この詩は、愛する人、特に若い人を突然失った人々への、どれだけの慰めになるだろう。
詩やその他の芸術作品は、どこに置いてあるかで味わいが全く違った物になる。
青幻舎刊「画家の詩、詩人の絵」に6段に分けられ、左下に孝四郎初期の版画「抒情・あかるい時」が載せてあり、恩地律子が明るい宇宙の別の世界へ吸い込まれる印象を与える(p35)。
そして前ページのp32-33には、黒地に白い文字で詩、左上にあの「月映」時代の朋友、同じく妹を失った藤森静雄の黒と白の版画が掲載されている。
恩地孝四郎の詩には度々藤森静雄への呼びかけがある。
ここまで二人の作家の悲しみを受け止めて編集されたことか、と編集者の教養に頭が下がる。
詩の内容
1段目 「死 死 死」で始まり、「生きよ」が3度続く。
孝四郎は、遊んだり惰性に生きた時間まで悔やむ。
洗練されたユニークは言葉での表現は、すでにあの繊細な彫刻刀に見せる孝四郎のヴィブラートのよう。
2段目 静雄への呼びかけば始まる。
この詩のキーワードと思える「芽」が現れる。
3段目 肉体の死の残酷さ、問答無用の死を孝四郎は、あの版画作品に見られる非の打ち所のなさで、詩の中心部に据える。
亡骸を前に悲哀にのた打ちながらも的確に、これほど万人共通の思いを言葉にできる孝四郎は、作詩と同時に版木を彫っている。
そして生き残る者への賛歌につなぐ。
次ページ1−3段まで 再び静雄への呼びかけ
(いもうとすでにわがうちにあり)
再び「芽」と新たに椿、窓が希望をつなぐ。
「芽のねがひ いのちうるはしくのびしめよ」
で締め括られる。
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