#2 2016年12月15日 感動・庭に立つ!!@東門町の家 byモニカ |
誘い込みの声には「暖かなものもあるよ!」だけれど。。。
お茶屋さんに戻り報告。
「でも、電気がついていない」
「おじいさん、入院してるのかも」
など、興奮気味に話しながら出かける。
1年ぶりに押すチャイム。
「あれ? 先生一人暮らしのはずだけど...」
現れたのは見るからに気の良さそうな女性。家政婦さんだった。
通訳を買って出てくださった王さんが事情を説明する。
突然のことに話が掴めなかった彼女も
話すうちに
・昨年お出会いした老先生は、ご夫妻で台中の娘さんの所に引っ越された。
・今ここに暮らすのは彼の弟。
・弟さんはさっき、買い物に出かけて、今は不在。
ということが分かった。
手紙をつけたお土産を渡し、立ち去ろうとすると、Oさんが
「庭に入りたいですか?」と聞いてくださる。
「そりぁ、入りたいけれど...」
『灣生、母の実家を見つけて訪問』の話に少し興奮気味の家政婦さん。
「いいですよ。どうぞどうぞ」と気持ち良く入れてくださった。
コンナコトガ、アルノダロウカ!!!!!
大興奮の3人は、大喜びで庭に入れていただく。
昨年、兄が引き揚げの日を思い出しながら
「この門をくぐって、人力車に乗って、この道を西へ台北駅に行ったんだ」
と感無量で門の前に佇んでいた、その門をくぐれたのだ。
「玄関の隣は洋間で応接間。ピアノが置いてあったんだ」という部屋の窓。
この12月15日は期せずして、この家の女主人だった祖母の54年目の命日だった。
そんな空想をしていたら、花蓮の周夫人からお便りが届きました。
トロントでお出会いしてから35年のおつきあいです。
2015年に花蓮で再会して以後、お具合が悪く、昨年、脳の手術をなさいました。無事に回復し、またお元気になられたとのこと。
私が龍應台女史の本を大切に読んでいることをとても喜んでくださいました。
昨年トロントのピアノの先生だったマダムゲリンガスが亡くなられ、とても寂しく思っていましたが、こうしてMrs.周とお手紙のやり取りができるのは幸せです。
私の両親祖父母に繋がる、大好きな台湾。
またお目にかかれるのを楽しみにしています。
マサコ
母語は何万語という知識で、 英語も3万語を身につけるのも苦労なかった。
そんな様子が窺い知れるのも祖母のあの編集者の名前もなく定価すらない
明治時代に出版されたポケット辞書を見て知っているからです。
マサコ
もう一つは石崎皆一郎の職場の電話番号です。 2757
数字に興味があるのでとても面白い知らせをいただきました。
片倉さんありがとうございました。 マサコ
マサコ
今回もまた門のところの小石の並び方で見つけた。 マサコ
訪れるびっくりする旅立ちの運びとなりました。
私の生まれた家は姫路城のお堀の辺に今もあります。
縁起を担いで66歳のお誕生日にはその家の前で写真を撮ろうと
楽しみにしています。
今日は、 37年前 サウスウッドのグレングールドの生家を
初めて訪れた記念日です。
マサコ
大いにはしゃぎました。
記者の西本秀さんありがとうございました。
今通院している内科の先生と整体の先生に
記事を差し上げました。
台湾は再びその苦しい過去を忘れ、人を許し、
明るい未来のために働くことでしょう。
中国からの大気汚染のひどい台北にいて発病し、
帰りの飛行機では突発性難聴まで抱え込んだ6月でした。
いつも大成功の経験ばかり与えて下さる台湾のマソ様に
心よりお礼を申し上げます。マサコ
「この日は、1888年12月15日生まれの祖母の誕生日でした。
128才の日に孫たちが、かつての家の庭に立ちました」
は間違い。
1888年12月25日生まれで、この12月15日は亡くなった日でした。
削除して改めてコメントします。マサコ
祖母の最後のお風呂での洗濯物が非常に力強く絞られていたのが印象的でした。
亡くなる数時間前、一緒にお祈りをしました。 祖母と一緒に静かな生活をしたかったです。マサコ
1916年9月29日生まれでした。 生きていれば102歳ですね。
余生は台湾に住んで[ぽっとらっくバッハ]と題したイベントを開き
世界中からバッハのゴールドベルク(得意な変奏曲だけ弾く15歳の少女の演奏を聴く集まりを持ちたい思っています。
中国の香港に対する締め付けが厳しくなるにつれ、 台湾も同様に扱われるのだという恐怖の思いが沸き起こります。
人間が永遠の価値観に浸る時だけ、平和は持続すると考えられます。
中国から台湾を守るきっかけになる仕事がしたいです。 マサコ
今日はグレングールドのご命日です。
亡くなったのを知らないで アメリカナイアガラフォールズ市で
ブライダルベールの滝の横で日々を過ごしていた1982年が懐かしいです。
シュワーゼンバッハ滝は右手に細くて水量少ない滝。
左端にはまるでグールドのように大きく、 男性的な流れの滝。
それにバッハという文字があるのが気に入って私は死んだ後
グールドと、ここで落ち合うことにしています。
果たしてその日、グールドはここで待っていてくれるでしょうか。
二人で一時でいいからお花畑の中に入れることを祈っています。マサコ
プールの横で、 小さな男の子と写真に写っている
和彦おじさんを見ると涙が、こぼれてしまう。
日本は、馬鹿丸出しで武器まで売るようになってしまった。
戦争で亡くなった人々のことを考えられない世代が育って
清算されない昭和に引き続き、平成が30年過ぎ、愚痴ってポカンと
している間に物価は高騰し続けている。
この先何が起こっても対処しきれない時代を
どうやって生き抜く。。。 まさこ
大谷投手は非の打ち所がないという形容よりも褒めることしかない。
これはテレビの出演者が言った言葉です。
台湾も霊的に高い立派な国です。 ぜひ中国に守っていただきたいです。
もう耳のことで飛行機に乗りたくないのでしばしばいけないと思いますが
その文6回行った旅行の思い出が尊く思い出されます。 マサコ
このブログを訪れてくださる皆様に素敵なクリスマスと来るべき新年が幸いに満ちた年であるようにお祈り申し上げます。 マサコ
今日は祖母の130歳のお誕生日。
台北のかつての彼女の家を思うと私はおおらか気持ちになれます。
2015年4月にこの上を見つけてくださったモニカさん、ありがとうございました。 マサコ
いつあの家に入ることができるでしょうか。
台湾はますます中国に押されて中国に支配されようとしています。
私は毎日、[中国に台湾を守って育てて欲しい]とお願いして両国がつつがなくお互いを支えあって繁栄することができるように祈っています。
マサコ
今年も台湾に行くので東門の家を訪問できます。
黒岩重吾さんが台湾に行ったら媽祖様の
新伝説をまとめられたことでしょう。
台湾と中国の関係とか歴史を洗い流して
素晴らしい小説を書いてくださった。
こんなことを考えると彼のいない16年の日本が
どんな寂しい状態かわかります。
日本にはびこっているのは
西側が日本人を統治しやすいように
洗脳したものばかり。
中国には、台湾見守り台湾の美しい文化を
より素敵に育てて欲しいと思います。
マサコ
我々4人の曾祖父にあたる恩地轍の命日に先祖を偲ぶお話。
歴史の重みと生きる事の貴さを今一度噛みしめた日でした。
マサコ
台湾でも3万部が売れたというウ-ミンイの[自転車泥棒]を読んでいます。
イギリスのブッカー賞の最終候補作品だったということ。
十分納得できる世界レベルの名作です。
天野健太郎さんの最後の訳書となりましたが、 その繊細な訳と
天野さんの文学の魂が、いつまでも地球に生きる人々の心を育ててくださるよう祈って止みません。
マサコ
続いて日ノ本学園の校歌です。
神によりて建ちにし....。
この家が音楽の家として、 台北の重要な平和センターとして残ることを切に希望します。
マサコ
この体験が世の中にあるとは聞いたこともなく、 自分がしでかすとは夢にも思わなかった。
自宅に戻ると古い方のパスポートにはさみを入れて、
[始められなかった旅]の作文を考えた。
古いパスポートは、使えないとマジックで❌を書いて保存すること。
用心のため 新しいパスポートの近くに置かないように。
マサコ
マサコ
そのホテルは乗り換えの人達だけのためだったのです。 そのことに注意するよう警告もらいホテルの広告も疑問に思います。
またまた座席をキャンセルし空港買い高い切符で帰ってきました。EVA航空にはこの度はバッチリお布施を差し上げました。 台湾の繁栄を心から祈る我々にとってはチャンスだったかもしれません。
皆様も空港近くのホテルを探す時はくれぐれも気をつけてください。
マサコ
ジョン-レノンは彼の心の世界が人々に影響を与えることを恐れた権力者によって殺された。 マサコ
1945年8月15日の敗戦記念日には、彼はもうこの世にいませんでした。
テレビではいかにも犯人が分かってるようにどんどん証拠が挙げられています。 この国はいったいどの国の人たちによって支配されているか 確信してる人達には、この事件が大掛かりに細かく仕組まれたものであること。
他国人の陰謀説放送局の乗っ取りなど、 まるで今月の12日35回忌を迎える犠牲者の事件と似通っていることをしみじみ思わせるもの。マサコ
以前、運動していた奄美の村の大型クルーズ船を呼び込む為の港づくりの話。 お陰様で潰れました。 日韓関係が悪化し韓国からのお客様が来ないから長崎などもお客様が一人も旅館にも泊まらず食堂にも入らず。 こういうものを作るお金欲しさの土建屋の恐ろしさは今も相変わらず続いてるようです。 田中角栄が土建関係者だったから結局そこから始まったとも言われていますね。 台北の街を殺風景なビルばかりにしないことは大事だと思います。 マサコ
マサコ
建築中なのがわかった。 もしかすると家は残るのではないかと期待が持てる。 マサコ
皆様どうぞ良きクリスマスと良いお年をお迎えください。 マサコ
東門の家が平和を象徴する家として末永く台北市に残ることを希望しています。
マサコ
もしもこの家が残ってることをしていたら
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もしもこの家が残ってることを知っていたら
マサコ
台湾からカナダに行ってそのまま帰ってきたのかもしれない。
1988年5月2日カナダから台北に着いたなんて想像するのも楽しい。
マサコ